ポラロイドカメラ
引っ越しのあとの休日は、どうやっても荷物の整理で日が暮れてしまうものだ。
明神は毎度の入居者と同じようにドタバタと部屋を駆け回る、上の階の唯一の住人を(見えないけれど)見上げてフトそんなことを思った。
姫乃の荷物は決して多いものではなかったけれど。
「まぁ、女の子だしな…服とか色々かさばるだろうなぁ」
自分の部屋を見回しても、男の一人暮らしの部屋なんて殺風景なもので。
「片付けようにも…モノが少ないってのは…なんとも」
そんな独り言を呟きながら、暇を持てあました管理人は散歩がてら周辺の見回りにでも行こうかと――案内屋の仕事は待ってるだけではさほど来ないこともある――部屋を出て玄関へと向かった。
「あ!明神さん!!」
「おあ?」
突然頭の上からかかった声に、階段の上にいる少女を見つける。
「出かけるなら、ちょっと買い物頼んでもいい?」
「ああ、いいけど何?」
「カメラのフィルム…フィルムでいいのかな。ポラロイドなんだけど」
「それって別に急ぎじゃないよな」
散歩のコースも一定ではないので、何か問題があれば時間がかかることもある。そのまま仕事に入るケースはそうそうあるものではないが、それでも放っておけない事があれば関わってしまうのだろうと、明神は我ながら思った。
「うん、急ぎじゃない。遅くなるの?」
「いや、多分夕方には帰るよ」
「はーい。いってらっしゃい」
ひらひらと手を振られ、気恥ずかしい気がしながらもそれに振り返す。
別段特別な事をしているわけでもないのに、相手がこの少女だと何処かむず痒いような想いを持つのは何故だろう。
そんな不思議な感覚を残したまま、明神はサングラスを指先で軽く上げるとまだ大陽の眩しい外へと―――
「みょーじん散歩!?!」
「ぐぼっふぁーっっっ!?」
―――足を踏み出そうとしたところで、何処からともなく飛んできた小さい身体が、明神の顔面にキックアンドヒットした。めこりと顔をへこませて、情けなくその少女を受け止めたまま、うたかた荘にしばしの沈黙が流れる。
「………っぷ…は…あはっあははっあはははっ」
「ひめのん笑いすぎっ!」
「だって…だって…っぷーーーーーくくくっ」
階段の手すりをバシバシと叩きながら、姫乃はその情けない姿に腹を抱えて笑い続けていた。これ以上馬鹿にされてはたまらないと、明神は即座に小さいかたまり―――あずみをつまみあげると外へと今度こそ足を玄関から踏み出した。
「いってくるから、留守番頼むぞひめのん!!」
「っは、はーい!」
「ホント頼むぞ…。。。」
楽しそうに、まだ手を振っている彼女。
例えばそれが自分をネタにした事だとしても、姫乃がこのうたかた荘で笑っていてくれることは、何よりも大切な事のような気が明神はした。
否、自分をネタにして笑えるなら存分にネタにしてくれとも思う。
「みょーじん顔がニヤニヤしてる」
悪気のまったくないあずみの指摘に、明神は少しだけ顔に力を入れて歩き始めた。
*
「よし、これでもうほとんど片付いたかな…っと」
顔にかかる髪の毛を背中へと払いながら、姫乃は大きく伸びをした。日が傾きかけて、窓からは西日がうっすら差し込んでいる。
そういえば明神は、と階段を下りたところで、管理人室のドアが不用心にも開いているのも見つけた。
「留守番頼むって…ホント私居ないと、どうなのこのアパート」
泥棒が入っても、明神が居れば相手にならないと姫乃も思う。恐らく。
(でも、でもその本人が居ない場合って…)
開け放しの玄関を目の前に、防犯も何もあったものじゃないとも考えたが、住人のほとんど居ないような住居を狙うような泥棒も居るまいと、頭を振ってその疑念を払った。
庭先に出て、門から顔を出す。
しばらくするとブロック塀の途中からサングラスをかけた怪しげな管理人が姿を現した。あずみは肩車をしてもらっているのか、頭の後に小さい身体が見える。
「おかえりなさーい」
大きく手をふると、気付いた明神が少し驚いたような顔をして――サングラスがあるのであくまで“ような”――から、にかっと笑って手を振りかえしてきた。手には小さい紙袋。恐らく頼んだ買い物だろう。
「あ、ヒメノン!ただいま!!」
「おかえりあずみちゃーん」
小さな手がひらひらと動くのにまた手を振り返してから、2人が門まで到着するのを待つ。
「これ、頼まれてたやつ…ちゃんと合ってるかな?」
「あ、持ってくるね今!」
パタパタと家の中へ駆け込んでいく姫乃を明神が見送っていると、あずみがエージを見つけて屋根の上へ跳ねていった。エージはそれをしばらく邪険にしていたかと思うと、不意に何かを思いついたように立ち上がり、木々の向こうに消えていった。何処へ行っているのか、普段から特別把握しているわけでもないので明神はあずみが戻ってきても、特に何も聞かなかった。
その間に姫乃がまたパタパタと可愛い足音をさせて戻ってきた。
「これ、明神さん使い方わかる?」
「ひめのん…わからないのに持ってるのかよ?」
「だって使う機会なんて今までなかったもん」
アッサリとそう言い返して、自分では確認する気もないとばかりに明神にカメラを手渡す。
「俺だって、昔見たことある程度で…ええと、ここに入れて…こうして…こうして…」
怪しげな手つきでカメラをいじる大きな手に、姫乃はぼんやりと目をとめる。いつのまにかあずみもそれを同じようにのぞき込みながら、触れないことを残念そうにしていた。
「んで、撮るときは…っと」
レンズを姫乃の方向に向けて持ち直した瞬間、パシャリッという軽快な音が響いた。
「…みょーじんさーん?」
「あ、あれ?撮っちゃった?」
入れた方向とは違うところから出てきたフィルムに、じとりと姫乃の視線がカメラから明神へと動いた。口元の笑みを引きつらせたまま、「まぁまぁ」と言ってあたふたとフィルムを取り出すと、乾かすようにして軽く振った。
「今思いっきり私の方とったでしょ!ちょっと貸して!」
「出てくるまで時間かかるんだよなこれ」
「もっともな事いって高い所にもってかないでよ!!!」
ひらひらと乾かしながら、夕日にすかすようにしてフィルムを持っている腕を高く上げる明神に、姫乃は届かないとわかっていてもぴょんぴょんと飛び跳ねた。それを面白そうに避けながら、明神は玄関から徐々に家の中へと進んでいく。
「っもう!いい加減に…っ!」
飛びつく勢いでそれまでよりも強く跳ねた姫乃が、思い切り明神に体当たりしてきた。
「おわっ!?」
変に斜めの位置から飛び込まれて、思わず明神は膝をおる。そしてそのままの勢いで玄関の段差に倒れ込むと、当然姫乃もその上に倒れ込んだ。
「取った!!」
「あ、くそっ」
身長差がなくなった瞬間に、明神の手からフィルムが奪われる。姫乃は精一杯伸ばした手でそれを誇らしげに持ち上げると、はたと明神の腹の上に乗っている自分に気付いた。
「わっわっごめん!!?」
「いや、いいよ別に重くないし…?」
最後に疑問符がついたのは、姫乃から目をそらしたことに何か意味があるのだろうか。明神はぺたりと自分の上に座っている少女の足をみないように、ため息混じりに体を起こすと姫乃を簡単に抱え上げ、トンッと床に降ろした。
「…ありがと?」
「いーえドウイタシマシテ」
靴を脱いで上がり、ふと姫乃の手の平の中で写真が姿を現している事に気付く。
「ひめのん、映ってるよ」
「え?あ、ほんとだ」
一枚の写真を、頭をくっつけるようにしてのぞき込む。
「なんか…ぼけてる?」
「あー…最初ってぼけやすいって聞いたけど」
「撮ったのが明神さんだからじゃないの…?」
「あー、心霊写真にはならないように、頑張った!」
何をどう頑張ったらそんなことをコントロール出来るのだろうと、姫乃は疑問に思いながらも諦めずにじっと手元を見つめる。
「だめだね、映らない」
「うーん?まぁ仕方ないだろ。次はひめのんが撮ればいいさ」
「そうだね…うん」
残念そうにする姫乃を横目に、明神は手の中から写真をひょいっと取り上げると自分の部屋の方へすたすたと歩いていってしまった。
「え?あれ?なんで映ってないもの持ってくの?」
「んー。ああ、ほら、俺ポラロイドなんて撮ったの初めてだから、記念記念」
そんなことを言って部屋へ消えていった後姿に、首を傾げながら姫乃はカメラを抱えたまま自分の部屋へと階段を上っていった。
「あー、やっぱぼけてんな」
ぽつりと呟いたものの、実際はさほど被写体の確認に困らない写真を見て、明神は小さく笑う。
手の中の姫乃は、先ほどよりもハッキリと、きょとんとした素顔でそこに居た。
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