深夜番組
一人暮らしをして、一番楽しみにしていたことはなんだろう。
姫乃は枕を抱えたまま、そんなことを考えて布団の上を転がっていた。天井を見上げてもあるのは煌々と光る電灯だけで、他に目にはいるのは木目が剥き出しの古ぼけた板。
「一人で暮らすって大変なことも多いけど、色々得なこともあると思うんだけどなぁ…」
う〜ん、とうなりながらごろごろと転がっていると、不意に床からエージがにょきりと顔を出した。
「わっ!?何!?」
「あ、なんだ寝てたのか?」
すうっと全身を現して、寝転がる姫乃をのぞき込むように見下ろす。なんとなく見下ろされているのも変な気分で、姫乃はすぐに起きあがると抱えていた枕はそのままに首を傾げた。
「電気ついてるんだから、起きてるってわかるでしょ?」
「いやそうじゃなくて…」
「?なによ」
顎に手をやって暫く考えたあと、エージは呆れたように明後日の方向を見上げながら、
「なんか上でヒメノが暴れてるから、心配だって明神が…」
とボソボソと呟いた。
「暴れてない!!」
転がっていただけだ。それほど階下に音が響くとは思えない。
「だって天井がミシミシ言うって心配してたぜー?なんだ、お前見かけより重…」
ボスッという大きな音をたてて枕を壁に――正確にはエージに――叩きつけた姫乃は、キッと床を睨み付けると思い切り足踏みを始めた。
「暴れるっていうのは!こういうことでしょ!?」
「わっ!?馬鹿ヒメノやめろって!!」
「何よエージ君が失礼なこというからじゃない!!」
「そうじゃなくて!あいつこの建物のこと…」
言い終わるよりも早く、ダカダカダカとものすごいスピードで階段を駆け上る音がして、その足音は部屋の前でピタリと止まった。
「ひめのん!どうした?!」
「え?わっ明神さっ」
さすがに暴れすぎたのかと足踏みをやめたところで、いつのまにかエージがどこにもいなくなっていることに気付く。
(に…逃げた?)
自分が転がるくらいで天井がミシミシいうこの建物のことだ。さっきのような足踏みをしたら、下手をすると床が抜ける心配があるのかもしれない。だとすると、明神はそれを叱りにきたのかもしれない。
「ひめのん入るぞ!!」
「わーっっっごめんなさい!?!」
勢いよく開けられた扉とともに、明神が顔を出す。
「ひめの…ん?」
訝しげな明神の声はもっともで、姫乃は何故か布団の中に潜り込んで丸くなっていた。
「ご、ごめんデコピン!?」
「はあ?」
顔だけだしてそういう姫乃に、明神は呆気にとられて間抜けな声を出した。きょろきょろと部屋の中を見回してから、何処にも異常がないことを確認して扉を閉める。何故か壁の側に落ちている枕を拾い上げると、布団を被ったままの姫乃の前にしゃがみ込んだ。
「…かくれんぼ?」
「ち、違う!」
「なんだ、ドタバタ音がするから、てっきり何かあったかと…」
「へ?」
ほーっとため息をついた明神は、脱力したように尻餅をついた。かりかりとこめかみのあたりをかきながら、肩を竦める。
「また、ガクの奴が言い寄ってたりしたのかなーって思ってさ」
「え…心配したの?」
「ん」
小さく頷いて、持っていた枕をぽすっと軽く叩く。
姫乃はもぞもぞと布団の中から抜け出すと、明神の顔をのぞき込みながら「ごめんね」と謝った。
「ちょっと考え事してたら、動き回ってたみたい」
「そっか。ま、無事でなにより」
くしゃりと頭を撫でられて、不意に姫乃はさっき自分が疑問に思ったことを口に出した。
「ねえ、一人暮らしをして一番得することって、なんだと思う?」
「あぁ?なんだそりゃ」
「だって、苦労することばっかりじゃない筈でしょ?」
「ん〜〜〜、なんだろうなぁ…」
腕を組みながら考える明神に、姫乃も一緒になって首を傾げつつ考える。そういえば、明神の家族のことは何もしらない。正確な歳も知らないけれど――自称おにいさんというからには微妙な年齢なのだろう――管理人などという仕事をしているからには、それなりに自立してから経つと思うのだが。
聞きたいけれど聞かないのは、自分が家族の事を口にしたくないからかもしれない。
「なぁ、ひめのん」
2人で考え込んで随分経ってから、明神が真面目な顔をして向き直った。
「え?何?」
「もしかして、そんなことで悩んでたのか…?」
(あ、今頃気付いた)
あれだけ長いこと真剣に考えてから気付くことだろうか、と込み上げる笑いを堪えきれずに、姫乃はぷっと吹き出すとお腹を抱えて笑い出した。
「何笑ってんだよ???」
「だって、みょーじんさん…っおかしい…あはははっ」
「ったく!」
一通り笑い終わった姫乃が、目に浮かんだ涙を拭いて落ち着くまで数分。明神はそんな様子を見ながら苦笑して、しょうがないやつだ…と独りごちる。
「で、さっきの話だがひめのん」
「え?いつの話?」
「今!!いまさっき自分で言っただろ悩んでるって!!」
「あ、そうだっけ」
笑っている間にそんなことどうでもよくなったらしい。再び脱力しながらも、明神は大げさに咳払いをしてからこういった。
「まぁ、一番はやっぱり“自由”なことじゃないかな」
「あ、そっか」
それもそうだ、とあっさり納得してしまってそれで終わる。実家にいるときから放任に近くはあったけれど、やはり監視されているような気分は拭いきれなかった。それが多分“保護する者“に対する感覚だと思う。
「ひめのん?」
「あ、えと、とりあえず何をしようかなって」
「え?なにすんの?」
「自由な事って…なにかなーって…」
「ふむ…夜更かし、とかどうよ?」
キラーンとサングラスの端を光らせてにやりと明神が笑う。
「夜更かし…今は夜中の12時ですね明神さん」
「おう、まずはお約束、深夜番組でも見てみますか?」
何がお約束なのか、という突っ込みはともかくとして確かに夜遅くまでTVを見ると怒られるというのは、よく聞く話だ。と思ったところでふと気付く。
「明神さん、私TV持ってないよ」
「あ、そういえばそうだな。じゃあ…うーん、仕方ないな俺のとこ来る?」
「はーい」
のんきに返事をして、とことこと明神の後についていく姫乃。こっそりと窓の外から2人の様子をうかがっていたエージは、つまらなそうに呟いた。
「なんでぇ…結局ヒメノが心配だったのかよ」
建物を心配する明神と、姫乃を心配する明神。
どっちもどっちだと思いながら、エージは誰もいなくなった部屋に入り込むとふて寝を決め込んだ。
「ひめのん…夜更かし出来ないなら無理しなくても…」
「んー…まだ…へー…き」
「ヘーキじゃないし」
うつらうつらと深夜番組を見ながら――見るというより方向を向きながら――ふねをこぐ姫乃に、さすがに明神は不安になってたずねるが、返ってくる返事は虚ろだ。年頃の女の子を部屋に置いて、そのまま放置するわけにもいかず起こそうと話しかけ続けて数十分になるが、それもそろそろ無意味な作業になってきた。
「ほら、部屋に戻りな」
「やーだ…まだ…」
かくんっと糸が切れたように、姫乃の身体が揺らぐ。慌ててその身体を支えると、明神は片眉を上げてため息をついた。
「まったく…このお姫様は…」
こてんっと頭を預けて、気持ちよさそうに眠っている少女。
可愛らしい寝顔をしばらく眺めたあと、明神は何度目かのため息をついて姫乃の身体を抱き上げた。
「おやすみ、ひめのん」
決して触れてはいけないことはわかりつつ、そういって軽く前髪に唇で触れる。
一つ屋根の下、この子との生活は案外大変なものかもしれないと改めて明神は思った。
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