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√ あいつのサングラスのワケを、考えてみた。 「明神、アンタって初めて会ったときからずーっとずーっとサングラスかけっぱだよな」 「ああ?なんだ突然」 「一年前、同じ質問をした時は適当にはぐらかされたけど…そろそろ教えてくれてもいいだろ」 マジメな顔を装って、飯の片付けを終えたエプロン姿のまま、向かいにいる明神をにらみ据える。本当は好奇心による部分が大きいのだが、そこはそれ、自分が如何に真剣に訊ねているかを示さなければ相手は教えてくれようもない。 冬悟はあまり他人のこだわりや趣味趣向などに興味を持つことは無い。正直他人の服装の好みや食べ物の好み、好きな本や音楽、または気の合う相手などどう でもいいといえばどうでもいい。それは結局”そうである”という事実なだけであって、冬悟自身が干渉しなければいけないものではないからだ。 それでもこの男の人徳の為せる技か、明神の影響は確実に冬悟に現れていた。 でなければ、誰が個人の装飾類などに関心を持つ物か。 「教えるってもなぁ…別にかけたいからかけてるんだが」 「アンタがサングラス外してるなんて、風呂入る時くらいじゃねぇか。昼だろーが夜だろーが、晴れてよーが曇ってよーか、起きてよーが寝てよーが、一緒に暮らしてる俺でさえ、殆ど見たこと無いってどういうこった」 「どういうこったって、そういうこったろ?」 「おいオッサン…、俺はあんたと言葉遊びする気はねぇぞ」 理由は簡単。負けるからだ。 頑として質問を流すつもりのない冬悟の態度に、不思議そうな顔をして明神は眉を上げる。 「どうしたんだよ冬悟。お前がんなしつこいの初めてじゃないか?」 「俺があんたと知り合ってから、もう一年八ヶ月だ。あんたは俺の事を、多分他の誰よりわかってる。けど俺は未だにあんたの事、わからないだらけだ。不公平だろ」 「まぁ、そうとも言えるなぁ」 口調はのんびり。あくまで態度は崩さない。 マイペースという言葉を辞書に載せるとき、注釈として見本をつけられるならこの男を乗せてやりたいと思う。下らないノリや突っ込みは多いけれど、明神が本当に焦ったり、困ったり、苦しんだりしている所は見たことがない。本心はどうだかわからないが。 「そういうわけで俺は提案する。今日だけでいいからそのサングラス、取れよ」 「は?」 脈略があるような無いような。 明神は大きくあけた口を閉じようともしないで、まるで可哀相な子でもみるように眉根を寄せて冬悟を見やる。 「…冬悟、何かあったのか?父ちゃん相談に乗るぞ?ホラ言ってみろ」 「だぁら言ってんじゃねぇかよ!!取れ!その色眼鏡を今すぐ!!」 「なんだって今日はそんな喰ってかかるんだお前はァ!?」 取っ組み合いにでも持ち込んだところで結果はこれまた目に見えているのだが、一度決めたら諦めるのは癪だった。こうなると半ば意地だ。冬悟は間近で明神の素顔をみてやろうと、子供っぽい拘りだと自覚しながらも手を伸ばし続けた。 一方の明神はそんな冬悟を怒るでもなく、いつものように笑い飛ばすでもなく、困ったような顔をしながらサングラスにのびる手を適当にあしらう。 「くっ…この…!」 「なー冬悟ォ、いい加減にしない〜?」 「しない!!!」 「え〜…しようよ…」 大きなため息をつき、明神は少しだけ哀しそうに眉を下げた。その事が一瞬冬悟の勢いを緩める。 「っおわ!?」 絶妙なタイミング。 表情に気を取られた冬悟の体が大きく浮き上がって一回転した。勿論明神のしわざだ。 「そうだなぁ…お前が一人前になったら、ご褒美に教えてやるよ」 「はぁ?!そんなのいつになるかわかんねぇだろうが!!」 「ん、そうしよう。決めた。もー決めたもんね」 ニヤッと笑って立ち上がると、トレードマークの黒いコートを羽織り、冬悟を置いて外にでようとする。慌ててその後を追いかけると、振り返ったサングラスの下で確かに奴は笑った。 「楽しみが増えただろ?」 「…ふんっ…ぜってーそのうち、アンタより強くなってやる」 「おうおう、そういう台詞は飯くらいまともに作れるようになってから言うんだな」 「別に飯なんか作れなくても生きていける」 「バーカ、飯は体の資本なんだよ」 追いかける。 その大きな背中。 いつ届くとも知れない背中。 でも、必ずいつかきっと、捕まえるんだと。 そんな、根拠の無い事を思い描いたりして。 「…なぁ、アンタ明神がサングラス取ったところ見たことあるか?」 「は?なんだい突然」 そんな事を悠長に聞いている状況でも無いのだろうが、明神はふと思い出した疑問を澪に向かって投げかけた。自分が知る限り、彼女はもっとも明神の事を知っていた筈だ。そう判断して。 「別になんでもねぇけど」 「…ふん。見たことあったら、どうするって?」 「だから、別になんでもねぇって言ってンだろ」 聞いてしまってから、失敗したと思った。 どうして本人に聞けないのだと、その事に考えが及ぶのは恐らくすぐだ。”明神”の死を口にさせなかった澪の事であるから、多分気持ちの良いモノではない。 彼女の心中を乱すのは、明神の望むところではなかった。 「あいつが、どうしてあんなに強いのに、身体の何処にも白い部分がないか、考えた事があるかい?」 「!」 その事を考えなかったわけではない。 魂の規格と体の規格の合わない人間が案内屋としての素質を持つというのなら、何故あれほどの男がその髪の毛の一本たりとも白い部分がなく、一見してまったく通常の人間と変わらないのだろうかと、まず疑問に思った。 そのうちにそれは他愛の無い日常の中へ忘れ去られてしまっていたのだが。 「…じゃあ、やっぱりあいつ…」 「そう、明神は生まれつき眼が弱かった。勿論それは純粋な視力というより、光にや色彩物に対するものだったけどな。その為のサングラスだ。あれはあいつの 能力を補う体の一部であり、また若干の呪いによって保護された一種のお守りみたいなもんだ。案内屋になってから、あれを外す事は先ず無かったよ」 淡々と話すその顔に、感情は読み取りずらい。笑っているわけでも、昔を懐かしんでいるわけでもない。ただ事実を述べようとするその表情が、逆に明神には 辛かった。これ以上”明神”の話をしても状況を良くすることはないだろうと考えもしたが、投げてしまった会話を転換させる術を情けない事に己は心得ていな いことを知っている。ただ黙ることしか出来なかった。 「お前の真っ白な髪の毛を見たときも、それなりにビックリしたモンだがね。特異という点では明神も負けてない。お前等は、似たもの同士だったんだろうな」 口元に、苦い笑いが浮かんだ。 それは”冬悟”に対してか、澪自身に対してかはわからない。 ただ、彼女はほんの一瞬、泣きそうな顔をしそうになって、それを打ち消す為にグッと表情を厳しくした。まるで、今はその現状を理解したくない、してはならないとでもいうように。 「…大人しくしていろよ」 握られたまま震えている拳がズボンのポケットに隠れる。明神は頷くと視線を天井に向けた。 やっと乗り越えようとしているあの男の死を、初めて認識した彼女には悲しみなんてまだ無いだろう。そこにあるのは信じたくない現実と、ついていけない気 持ちだけだ。もし状況がこんなでなかったら、もしただ何事もなく彼女がただ師を訊ねてきていたら、もしそこに彼女の知る”明神”が不幸にも存在しなかった としたら。 彼女は、泣いただろうか。 「…ばっかやろう」 あの頃はわからなかった。けれど、澪が”明神”に対して抱いている感情が、今は少しだけわかる。今なら、少しだけど。 「フツー、一番未練なんじゃねぇ…?」 それさえ、あの男は大きく笑って済ませてしまうのだろうか。 理解は遠く及ばない。 きっと、及ぶことはないのだろう。 姫乃の方へ歩いていってしまった澪の後ろ姿に、迷いや弱さは見えなかった。自分よりもずっと経験を積んできた案内屋だ。そして状況をよく理解している。何も知らないまま戦っていたのは多分明神だけの話で、事態は想像を超える速さで展開している。 人一人の死に、立ち止まっている暇など無いのだ。 体が癒されていく複雑な感覚を腹に感じながら、彼女がここへ来てくれた事を心底感謝した。頼るつもりがあったわけではないが、まるで姉が叱りにきたような気分だ。 ああ、でも明神。 やっぱりお前、未練残しといた方がよかったよ。 アズミの頭を撫でる澪の顔はとても優しかった。彼女は自分よりも真っ当に生きてきた大人なのだろうと思う。人見知りする筈のアズミがあれだけ懐いているのも、その確信に拍車をかけた。 良い母になっただろう。そして、十分今も良い女なのだろう。 まったくなんという勿体ない事をしたのだろう、自分の師は。 「…俺はぜってー、お前より先に行くからな」 姫乃の横顔を見ながら思う。 離れた分、知らない表情が増えるというなら会いにいかなければ。時間が経つのなら、それに負けないくらいに沢山の事を話さなければ。 ”明神”ほど出た人間じゃない自分は、きっと未練たらたらで成仏なんて出来やしない。 だから、だから守らなければ。 彼女のためだけじゃなく、自分の為にも。 『似たもの同士だったんだろうな』 そんな言葉で割り切られてはたまらないから。 彼女を守る戦いはまだ、これから。 終
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