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合わせ鏡 ねぇ、例えば私が貴方を嫌いだったとしたら 「どうする?」 「は?」 唐突な質問というよりは、突然かっとんだ会話といった方が正しいであろう台詞に思わず大口を開けて聞き返す。問われた意味を答えようにも、その質問だなんだっただろうかという事を寧ろ考えなければいけなかった。 「だから、もし明神さんの事、私が嫌いだったらどうする?」 「あぁ、何を急に言うのかと思ったよ…何を急に…何を………何を急にひめのんー!?」 「もしって言ったでしょ!」 「言ったけどっでも何さ!ひどいぜ!?もしもだって哀しいぞ俺は!」 「うんゴメンネ。聞いてみただけ」 あっさりと謝って、姫乃は視線を雑誌に戻した。若干のショックを残しながらも明神はそんな姫乃を訝しげに見ると、学校で何かあったのかと訊ねた。 帰ってきたのは、「なんにも?」という笑顔だった。 買い物を済ませて帰ってきた明神は、うたかた荘の入り口で呆然と立ちつくすガクを見つけて目を丸くした。玄関から中に入ればいいものを、どうしたことか世界が終わったような顔をして空を見上げている。彼にとってはまったく意味は無いけれど、ちなみに今は雨が降っている。 「おい、ガク何やってんだ。んなとこ立ってたら邪魔だぜ」 「…明神…俺は、お前なんてだいっ嫌いだ」 こいつはこいつでまた何を言い出すのかと思いつつ、ガクとのこういった遣り取りは日常的なので無難に頷いてやった。 「ああ知ってる」 「俺は、ひめのんが、大好きだ」 「…それも知ってる」 「好きなんだ」 「知ってるっつーの」 「愛して…るんだ」 「…おい、もしかしてお前、ヒメノに何か言われたのか」 嫌な予感。 思わず聞いてしまったが、それは逆効果だった。明神の問いによって何を思いだしたのか、ガクはぐるっと身を翻すと、泣き叫びながら夕暮れの街へと消えていった。声が聞こえたのだろう。目の前の扉からツキタケも顔を出す。 「あ、ダンナっ」 「ガクの奴追いかけてくれツキタケ。大丈夫だとは思うが」 「言われなくても…!」 ツキタケは見ていたわけでもないのに、ガクの消えた方向へ向かって真っ直ぐと飛び出す。赤いマフラーが闇に紛れたのを確認してから、明神はやっと雨に濡れた庭から屋内へと足を踏み入れた。 「ただいまー」 「お帰り明神」 「おかえりー!」 出迎えたエージとアズミに軽く手をあげて応える。姫乃は二階にいるのか、声がしなかった。 「エージ、ガクとひめのん、何かあったか?」 「…あー、いや、なんつーか」 「もしかしてひめのん、『嫌いだったらどうする』とかガクに言わなかったか?」 「!い、言った…それで、あいつ雨の中…」 「ふむ…ちょっとおかしいな、ひめのん」 「俺も!俺もそう言ったんだヒメノに!!」 エージは、自分が言われた訳でもないだろうに、哀しそうな顔をして明神の足下に駆け寄った。珍しく縋るようにして服の裾を掴み、小さく訴える。 「俺、あいつにあんな事、言って欲しくない…」 「…俺もだエージ」 きょとん、と一人状況のわからないアズミが二人を見上げる。明神は苦笑しながらアズミを抱き上げると、その頭をわしゃわしゃと撫でて言った。 「アズミ、エージの事好きか?」 「うん!アズミエージすきー!」 「なっ…!?何言ってんだ馬鹿…っ」 「でも明神はもっとスキー!!!」 「ははっありがとうなアズミ」 一瞬の動揺と喜びから、ガクリと肩を落としたエージに向かって明神はアズミを抱えてくれるよう差し出した。姫乃の所へ行くと言うと、エージは神妙な顔をして頷いた。 「ひめのん入るよ」 「どうぞー」 声をかけるとすぐに返事があった。明神はいつも通りの姫乃の声に逆に不安を覚えながら、遠慮がちに扉を開くと中へ入る。彼女は椅子に座って本を読んでいた。 「どうしたの?ご飯の用意する?」 「いや…そうじゃないけど」 なんと言ったら伝わるだろうか。この、微妙な不安や違和感が。 首を傾げる姫乃の側まで行くと、じっとその大きな目を見下ろす。表情から読み取れるものは無いか、瞳から何か伝わってはこないだろうかと、そんな思いで。 「…明神さん?」 「ひめのん、俺がひめのんの事嫌いだって言ったら、どうする?」 「!!」 びくっと肩が震えた。 そして、泣きそうな顔さえしながら姫乃は眉を潜める。 「突然、何を言うんだって思うだろ?」 「ぇ…」 「同じ事を、ひめのんはしたんだよ」 仕返しなんてつもりは無いけれど、事実そうなってしまった。明神はその事を少し申し訳なく思いながらも、姫乃がどんなつもりでそれを言ったのか知りたかった。言ってみて解った事だが、この台詞は”「嫌い」という台詞を言うよりもずっと楽に口に出来る”台詞だ。 姫乃は気まずそうに目を反らすと、読み途中だった本を閉じた。そしてしばらく視線を彷徨わせてから、また上げる。 「…叱りに、きたの?」 「いいや?まさか…ただ、どうしてそんな事言うのかって思っただけだよ。俺はともかく、ガクの奴はかなりショックだったみたいだからな」 否、自分にもかなりのショックだったが、今はそんな話をしたいわけではない。 明神は姫乃に視線を合わせるために、膝を折って畳に座る。椅子に座った彼女と目線を合わせるには、膝立ちくらいがちょうどいい。 「何が、あったんだ?」 日が暮れたにもかかわらず、部屋の電気は消したままだった。薄暗がりで見にくくなった姫乃の顔をちゃんと見ようと、自然明神は顔を僅かに近づける。 「ひめのん?」 「…嫌いって、言われたの…友達が、学校で…他の子に」 「え?」 「その子を私、慰めようとした。でも、でも言われたの。アンタが言われたわけでも無いのに、気持ちわかるわけないでしょって。その通りだと思ったよ」 きゅっと姫乃の手が明神の袖を掴んだ。 「でもね、私ずっと、ずっとお父さんに嫌われてきたの…ずっと、嫌われてる自分が嫌だったの。嫌いっていう言葉を言われてないだけで、本当は気持ち、すごくわかるのに」 「…うん」 「わかるのに、信じてくれないの。言われたらどうなっちゃうか解ってないって言うの。そんなのおかしいでしょ?言われた時どうするかなんて、人それぞれな のに。だから、私がおかしいんだと思ったの。普通の人は、きっと違うんだって。私、小さい頃からあんまり沢山ヒトが居る所にいった事が無いから…知らない だけなんだって思って」 「ひめのん…」 「ホントは、ちょっと聞いてみたかっただけなの。でも、言われた人がどんな気持ちになるかって事考えて無くて…ガクリンや明神さんに悪いことしちゃった…ごめんなさい」 二回、三回と謝る姫乃に、ため息ともつかない息を吐きながら明神は軽くその頭を撫でた。髪を梳くようにして背中に手を滑らせると、トントンッと叩いてやる。 「そっかそっか。そういうことか。その話聞いてたら、もっと俺だって落ち着いて答えられたのになぁ」 「…ごめんなさ…わっ!」 「あやまんなくていいよ!!」 言葉を遮るように頭を抱えると、肩口に抱き込んでまた背中を叩く。子供をあやすようなその仕草に姫乃は肩の力を抜いていった。 「そうだなぁ…俺はガクに嫌いって言われても別に、いつもの事だって思うけど。アズミやエージに言われたら結構ショックだなぁ。でもひめのんが一番ショックかもなぁ」 「…うん」 「けど、言われた時どうするかなんて人それぞれだって、俺も思う。ひめのんの意見に賛成。一票」 「票なんて集めてないよ」 小さく笑った姫乃が明神の背中に腕を回す。少しだけそれに驚いた明神だが、またすぐに頭を撫でる手を動かし始めた。 「友達とかってさ、鏡みたいなもんだろ」 「え?」 「いや、俺の考えだけどさ。他人って、自分を映す鏡ってよく言うじゃん。親しい人間になると、それはもう合わせ鏡に近いんだよな。前だけじゃなくて、後まで見えちまう。見えなくていいもんまで、時々見えたりするけどさ」 だからこそ他人と親しくなりたくないと、数年前あの男に出会うまでは思っていたのだけれど。 「そういうのって、やっぱ、人生には必要な醍醐味なんだろうって思うよ」 「醍醐味?」 「そ、綺麗事で終わる人生なんて、ロボットと一緒さ。人間生きてんだから、辛いことこそ楽しめってね」 「…明神さん、やっぱりそれお説教?」 「いやいや、そんなご大層なもんじゃないってば」 ヒトを嫌いになるのは簡単だから。 「嫌いって言葉は、あんまり口にして気持ち良いモンじゃないのは確かだけどな」 姫乃には、自分が苦い思いをした間違いをしないで欲しいから。 「うん、わかったよ明神さん。あんまり言わないようにする」 「よしよし。そういう素直なひめのんが、俺は好きだよ」 この子には、明るい道を歩いて欲しいから。 「へ…?」 「ん?どうしたひめのん」 「…な、なんでもない」 「なんでもないって、じゃあなんで急にそんな、離れようとすんの」 いつのまにか背中にあった小さな手が、胸の方に回って明神と距離をとろうとしていた。もう少しだけそうして居たかったのに残念だと思いながら、仕方なく離れると姫乃はそのまま椅子ごと下がっていく。 「何処まで離れたいの!!」 「だって!明神さんが急に、好きとか言うから吃驚して…」 「す…。いや、別にそんなつもりじゃ…っ!ああぁだからって好きじゃないとかそういう訳じゃないけどっ!!ていうか好きじゃない筈ないけど!ってそうじゃなくて!?」 「わああっもういいよ!もういいから!」 ぶんぶんと手を振って、姫乃は明神を黙らせようとした。明神は立ち上がると不自然な笑顔を浮かべながら、無意識に後歩きをしながら姫乃から離れる。 「俺何言ってんだろうな!あはは!!じゃあ俺飯の支度でもするよ!!」 「わっ私も後から行くね!」 ぎくしゃくと部屋を出て、かくかくと階段を降りる。明神が階下に降りた音を確認してから、ぽつりと姫乃は誰も居なくjなった廊下に向かって呟いた。 「…ありがとう明神さん」
私も好きだよ。 オワリ
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