てをつなぐ
自分が今、此処に(生きて)居るということ。
例えば、風の強い夜一人で眠る事を怖がる子供のように、一番側にいてくれそうな誰かを探して歩くよりもずっと。
例えば、傷つくことを恐れて触れる物皆はね除けることでしか自分を守れないでいるように、切っ先を尖らせるよりもっと。
もっとずっと、確かな安心を、大きな優しさで、この手の平に目一杯感じる温度で、俺を包んでくれた。
アンタは、俺にとって、他でもない―――
「明神さん」
「あ、ごめん。またボケッとしてた?俺」
「うん、でもほんの少しだよ」
全てを吐露して、脳髄にたまっていたかのように溢れた水を流水しきって、この子の腕に抱かれて乾ききった身体を休めてから数分。休むエージをアズミにまかせ、俺は自室である管理人室に移動していた。
心配した姫乃が側に寄り添うようにしてついてきてくれたことは嬉しかったけれど、でもそれを少しだけ、ほんの少しだけ怖がっている情けない自分が居る事も痛いくらいによくわかっていた。
「ひめのん、俺はね」
「…うん?」
「ここに居るやつらみんなを守ることを、義務感のように考えて苦しんだ事は無いんだよ」
「うん…」
託された、物。
それは決して、軽くはない、いや自分にとっては充分な程重く、大きくて。
黄布と、仕事と、場所…そして(託された訳ではないが)名前。
無理だと、思った。
あんなでかい人間の後を簡単に継げるような奴がいれば、俺などこの世には必要ないと。だけど、だからこそ自分が血反吐を吐いてでも継がなければならないのだということもわかっていた。
そうしていないと、生きて行くことの意味を忘れてしまいそうで、俺は必死に、必死に案内屋としての仕事を続けた。その中で集める行き場のない陽魂達を、自分の力で助けてやることでその約束が果たせるのなら、そうしていけばいつかきっと、自分も彼のようになれるのかもしれないと期待して。
期待の裏で絶望しながら。
「俺は、ずっとずっと一人なんだと思ってた。自分はこの世界にたった一人だけで、あとは全部敵なんだと思ってた」
座り込んだまま立てずにいる俺の正面に、顔が触れそうな程近く見つめてくる姫乃に、触れたいけれど、手が伸ばせない。
「けど、今こうして、ひめのんや、エージや、アズミが居て…他にもたくさん、このうたかた荘には俺に関わってくれた奴らが居て」
「うん」
「彼奴が…明神が求めていたものがここに、あるんだと思ったらそれだけで、俺は生きていけるんじゃないかって、思った」
“冬悟”としての身の程知らずでそのくせ怖がりな自分とは違う、案内屋としての自分が確かにそこに存在することを、他でもない霊達が認めてくれた。
「明神の事を、自分に刻むことで…自分が明神という男をひたすら残すことで俺は、生きていけるような気がしたんだ…っ」
止まった筈の涙が、目の縁にたまる。
情けない。情けなくて余計に涙が溢れる。
視界が霞むので、目の前に居る少女の顔もぼやけてしまった。残念だ。
「…でも、私、明神さんが見せてくれた弱さとか、そういう物含めて、大事だと思うよ?」
「ひめのん?」
「上手く言えないけど、でも、でもね?私を…私達を守ってくれるのは、今ここに居る明神さんで、その明神さんは、さっきの話みたいな事、沢山積み重ねて今、ここに居るわけであって…ああっごめんね何て言えば伝わるんだろう…」
もどかしそうに、姫乃が眉根を寄せる。
泣くのを我慢したせいでズキズキ痛むこめかみに、不意に姫乃の小さな手が触れた。
「私、この人が大事なの」
手の平が、頭を包み込んだ。
「明神さんは、ここを家族みたいな場所にしたかったんだよね…?家族って、弱い所も全部ひっくるめて、受け入れられるようなあったかいものだよね…?私、私明神さんが大事だよ。今、目の前に居る明神さんが。ただいまって言えばおかえりって言ってくれる、優しい管理人さん…困った時はすぐ飛んで来てくれる便りになるお兄さん…みんなみたいな陽魂を導く案内屋…それから、それから」
手の平の熱がこめかみから目の裏にじんと溶けていく。俺は我慢していた涙がすっと頬を伝うのを感じながら、小さく嗚咽を漏らした。もう今日は泣いてばかりだ。
姫乃の恥ずかしそうな表情が何処か遠くにあるような気がして、つい無意識に手を伸ばす。すると、意外に簡単に届いた。
「あ…」
胸に抱き寄せて閉じ込めると、その暖かい身体は熱をどんどん与えてくれた。抱き締める俺の腕に手を添えてきた姫乃に、俺は片方だけ指先を絡める。
「もう、俺の前で誰も苦しんで欲しくない、死んだりして欲しくない」
「うん…」
「目の前に居る誰かを、守れるなら全力で守ってやりたい…それが俺にしか出来ないことなら、尚更」
きゅっと指先を握り返す感覚。姫乃が手を握ると、どうしてか温度がとけ込んでいく感触が自分の中でするのがわかる。
「大丈夫だよ、明神さん。明神さんは、ちゃんと私達を守ってくれたじゃない」
「…こんな様だけどね」
苦笑すると、何故かおかしそうに彼女はわらった。
「ボロボロの明神さんも格好いいなんて言ったら、不謹慎?」
「…まったくひめのんは」
この子だって、色々なツライ思いをたくさんしてきただろうに。
「俺なんかが、誰かを守れるなんて傲慢だと思ってたけど。でもそれでも…」
必死で、ただ必死で。
自分と同じつらさやさみしさを味わわせたくない。この子にだって笑っていて欲しい。俺はただそうやって毎日必死だった。それでも、必死で過ごす毎日は、いつしか、ちゃんと愛しい日々として俺に力を与えてくれた。
そうだ、もう俺にとっては、この家は何よりも愛おしい。
「ひめのん」
「ん?」
「もっと、力入れても平気?」
腕にを少しこわばらせると、姫乃は一瞬きょとんとした目で俺をみた。けれどすぐに目を閉じて、体から力を抜いてくれた。
「…痛かったら、言って」
少しずつ、本当に少しずつ抱き締める力を強くする。腕から染み入る姫乃の柔らかい温度が血管をめぐってまるで体中回っているようだった。重ねた手の平だけは、今も握りつぶすことのないように柔らかく繋いでおく。
壊れたら、どうしようと思って触れられないままでいた。守るためとはいえ、怖がって閉じ込めてしまったら、望むままに抱き締めてしまったら、自分がまたその守るべきものを壊してしまったら。
そんな、臆病な自分をよく知っていた。
「全然平気だよ?むしろあったかい」
クスクスっと笑うひめのに、涙はとっくに止まって乾いてしまっていた。気付けば自分は口角を上げて僅かながら笑みを浮かべている。
「ああ、これ以上抱き締めたら溶けちゃうな」
「ふふふ…溶けたら大変だなぁ」
他にももっともっと近づく方法あるけれど、それをこの少女に強要してはいけない。そこまで求めるには、自分も、彼女もまだ早い。
「あのね、明神さん」
「…ン?」
「なんでもない…」
「なんだよ」
脳裏にかかっていた霧が次第に晴れていく。抱き締めていた腕は変に力が入っているのか強張ってしまっているけれど、全然平気と言うとおり姫乃は絡めた指先で遊んでさえいた。
「…行くんだよね」
「ああ、行かなきゃいけない」
時間はそれほど残されていかなかった。もう、休息の時間は終わったのだ。
体を離そうとした俺に、何故か姫乃は掴んだ指を解こうとはせず、寄り添う体を起きあがらせようとはしなかった。
「ひめ、のん?」
姫乃の顔は、こちらからは見えない。
俯いてしまっているのでわからないが、たぶん、笑っている。
…私を何度も助けてくれた、大好きな明神さん。
そんな小さいけれど、心臓に染み入る声が聞こえた気がした。
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