メモリーカード
記憶するという行為によって伴う内容について。
人間大事なことや自分が覚えておきたいと思うことほどコロッと忘れてしまう事もしばしば…つーかむしろよくあるわけで。
「明神さん!どうしていつもいつも…いつもいつもいつもいつもっ朝食べたものを洗わずに夕方まで放っておくの!!」
「ごめっ忘れてたんだよ!!」
「毎日忘れすぎだよ!わざとでしょ?!わざとやってるんでしょ!?!」
「違う!違います桶川さんそれは誤解…っいでででで!!」
目の前で繰り広げられている光景は、もう今となっては日常的過ぎて見る気にもならない。俺は明神が耳を引っ張られている様子に呆れながら、それを楽しそうに見つめているアズミの頭に手を乗せた。
「あんま見てると、お前もヒメノみたいになっちまうぞ」
「アズミもヒメノみたいにかっこよくなれる!?」
「う、いや、どうだろうな…」
悪影響を避けたいと願う俺の気もしらず、アズミもとうとう一緒になって明神に飛びついた。ある意味明神とヒメノのスキンシップである、ああいった些細な喧嘩(?)。うたかた荘の名物といえば、俺達陽魂の存在だったとも言える筈なのに、いつのまにかこうやって元気な声が響く方がご近所には印象的らしい。つい何日か前なんて、近所のおばさんがヒメノを生きた人間かどうか確認しに来て、すっかり仲良くなっちまったくらいだ。
新しい印象を植え付けたうたかた荘ではあるけれど、それでもボロイのに代わりは無いし、霊がいるのは変わらぬ事実。まして明神は怪しげと言われても文句を言えない本業を持っているし(どっちが副業か考えたが、恐らく管理人の方が副業だろう)、霊と殴り合いを平気でやっている様子なんか、単なる独り相撲だ。
「エージ君からも何か言ってよ!!」
「は?!俺!?」
突然話を振られて我に返ると、すぐ近くまで来ていたヒメノがものすごい形相で俺を睨んでいた。いや、正直俺を睨む意味は何処にあるのだ。
「私が学校行ってる間、エージ君からも注意してよ!帰ってくる度夕食の準備が遅れて大変じゃない!」
「あー…あれだ、ホラ、きっと明神はお前に怒られたいんだろ」
「…はい?」
「ちょっ!?おまっエージ!何デタラメ言ってんだコラ!?」
アズミを頭にまとわりつかせたまま、慌てて否定した明神だったがあまり説得力が無い。だってそうだろう。朝飯の片付けだって、いつもヒメノがやろうとするのをやんわり拒否して自分で流しまでは持って行くくせに、洗う気なんて全然無いんだ。まぁ、半分位の割合では忘れてるのかもしれないけど。
「やっぱり、わざとなの…?」
「違うって!ホントに忘れちまうんだ…その、コロッと」
「コロッと…ねぇ」
苦笑を浮かべた俺に、こんどは明神が睨んできた。ハイハイわかりました。余計な事はもういわねぇよ。(遅いと思うけど)
「明―――神―――さぁぁん!!!」
結局ヒメノの怒りが収まることは無く、悲鳴をあげる明神に背を向けて俺は外へと逃げ出した。たまには思い切り怒られればいいのだ。明神は最近、ヒメノに甘えすぎている気がする。
俺達だって、たまにヒメノに甘えたくなる気持ちはきっと、たぶん同じなのに。
明かりの消えている三号室の、窓についた策に腰掛ける。見慣れた景色を他人に譲ってから、もう随分と経ったような気がするけれど、実際はヒメノがここに越してきてから半年も経っていない。一緒に生活することがそれほど当たり前になっているんだと、最初に彼女に抱いていた反感を思い出すと不思議だ。
どうせすぐに出て行くんだと、絶対そうだと思ってたのに。
「エージ君」
ガラッという窓の開く音と同時に、ヒメノが顔を出した。いつのまに部屋に戻ってきたのかと驚いたけど、驚いて声を上げるなんてみっともない真似はしないで済んだ。これも日頃の修行の賜物かね。
「明神は?どうした」
「今キッチンのお掃除させてる」
「ははっ…お前も苦労すんな」
「まったくだよ」
大げさにため息をついて見せたヒメノが、それでも本当に苦労しているような顔をしていないのは、その前向きな性格のせいだろうか。俺は彼女がそういう明神とのやりとりを楽しんでさえいるような気がして、少しだけチリッと胸が焼けるのを感じる。
「明神は、贅沢だ」
「え?」
「お前に、ああやって叱られて、構ってもらって」
怒られた後、慰められたり褒められたりして。
「こんなん、単なる無い物ねだりだけどな…っ」
それで、ヒメノを好きだなんて言って。
ダメだ。何故だかしらないけど今日は随分と卑屈になってる。俺だってこんな身になってまで明神という存在に救われてきたのだから、文句は言えない筈なのに。
「…エージ君って、明神さんが好きなんだねぇ」
「はぁ?!」
「私よりずっと明神さんの事知ってるし、仲良しだし」
「…あのなぁ」
俺の台詞の何処をとればそういうことになるのか。相変わらずヒメノは変な奴だ。あながち明神の事を好きだというのは間違って居ないし、そんなことを言ったらヒメノの事だって同じように好きだ。と思う。
「私の知らない明神さんを、たくさん覚えてるんだよね」
「…?ヒメノ」
「明神さんは、私が学校行ったら…私の事なんてすぐ忘れちゃうんだろうなぁ…」
い や 、 そ れ は 無 ェ 。
胸中で思いっきり否定する。でも理由を聞かれたら答えられないので、敢えて口にしたいはしない。そこまで俺もガキじゃない。
「ゴミ捨ても忘れちゃうから結局一緒に行かないとだし、ご近所の集会だって忘れちゃうから一緒に行くし。案内屋さんのお仕事は絶対忘れたりしないのにね。それだけ大事って事だろうけど」
たぶんゴミ捨ても集会も、お前と一緒に行きたいんだよ…、と思うと、またも明神に対して沸々とヤキモチにも似た感じが浮かんでくる。ヒメノと一緒に居るためなら、プライドなんて無いんだろうか。
「あーあ…私だってそりゃ、宿題忘れちゃう事とかあるけどさ?同じ事何度も忘れたりは多分してないよね…。うん、してないと思う…。多分」
「自信無さそうだな…」
「…実はね」
言って笑うヒメノは、まるでいたずらを見つかった子どもみたいに無邪気だ。俺より年上の筈なのに、随分とこいつは幼い気がする。
いや、俺がおかしいのかもしれないな。
「…俺は、忘れないぜ。絶対」
「ん?」
「俺はヒメノの事忘れない。明神の事も、アズミの事も、ガクやツキタケだって仕方ないから覚えておいてやるし、十味のじーさんだって、野球部の加藤とか」
「…そこまで及ぶんだ」
「とにかく、俺は今俺の世界に居る奴の事、忘れない。忘れたくない」
「うん、そうだね」
死んでから、明神に出逢うまでの間。
あまり思い出したくもないけれど、あの頃はそんな事を気に留めている状況ではなかった。いつ自分が陰魄に狩られる対象になるかもわからなかったし、自分で自分の身を守る方法すらろくに知らなかった。そうしているうちに、どうして自分がこの世界に残りたいと願ったのか、どれほど強い気持ちで望んだ事があったのかさえ忘れそうになった。頼れる奴も居ない、助けてくれる奴も居ない、誰も彼も俺の事なんてどうでもよくて、俺だってそのうちどうでもよくなってくる。
そしたらもうおしまいだ。その辺でのたれ死ぬか、最悪陰魄になるか。
…俺は運が良かったんだ。
「ココロが元気なら、きっと大丈夫だよ」
「…え?」
「えと、よく頭と心は別物だっていうでしょ?でもさ、エージ君やアズミちゃん、勿論ガクリンやツキタケ君もね、今ここに居て、私と話してくれてるのは魂そのものでしょ?」
「…まぁ、体はもう無いからな」
「私は明神さんみたいに、触れる特殊な体質してないけど、こうして一緒に居て、気持ち通わせて、同じ時間過ごせて…。不思議な事だよね。凄いって思う」
「待て意味がわかんねぇぞ?」
意味を尋ねた所で結局わからないかもしれないけど、一応説明して貰おうと途中で口を挟む。ヒメノは顎に手をやったまま小さく唸った後、何を思ったのか俺の方に両手を差し出した。
「?何…」
「触れないけど、エージ君はちゃんとここに居るの。私は、その事を知ってる。覚えてる。エージ君も私が見える事を知ってる」
「…だから?」
「手で触れなくても、今確かに私とエージ君の魂は触れあってるんだよ」
そうじゃなきゃ会話なんて出来ないし、視線なんて合わせられない、と当たり前のように、何故か自信満々でヒメノは言う。
俺は、呆然としてしまった。
だって、何言ってんだコイツって思ったから。
「記憶って、凄く曖昧だと思うのね。人間の脳って使ってない割合の方が全然多いでしょ?だから結構当てにならないところ多いけど、でも魂が一度憶えた事って、絶対忘れないと思うの。刻まれて、どんどん大きくなっていくの。魂の力って、きっとそういう蓄積された情報や気持ちによっても変わるんだと思うよ。だってぼら、エージ君、どんどん強くなってるんでしょ?」
ヒメノの腕が、まるで俺を迎え入れようとしてるみたいに優しく広がっている。そこに飛び込めたら、どんなに幸せなことだろうかと、ほんの少しだけ思った。
だって、そんな、自分の事でもないのに嬉しそうな顔をして、俺のこと話すから。
「だから、エージ君は大丈夫だよ。絶対忘れない。私もエージ君なら憶えててくれそうな気がするよ?…なんでだろうね」
「…ばーか」
「うん?」
「ばーか、ばーかばーか!」
「………へ?」
突然切れ始めた俺に、ヒメノは呆気にとられた。そりゃそうだろう、俺だって何逆ギレしてんのか自分でもわかんねぇ。
「はっずかしいこと言ってんじゃねぇよ!変な女!!」
「なっ何それー!?」
俺は真っ赤になった顔を見せたくなくて、柵から飛び降りた。ヒメノが俺の名前を呼ぶのが聞こえたけど、そんなもの無視する。
バカじゃないのか、あの女。
俺にあんな事言ったって、俺をこんな風に喜ばせたって、良いことなんてなんにも無いのに。
俺はうたかた荘の玄関から改めて家の中に入ると、キッチンで掃除をしているであろう明神目指して廊下を駆けた。そして片付けを終えて満足気な顔をしている管理人―――恐らくヒメノに褒めて貰えるとでも思ってるのだろう―――の背後に、思いっきり跳び蹴りを食らわせる。
「ぐあーーーっ!?なんだエージ!!俺に恨みでもあんのか?!」
「恨みは無ェけどあるぞコンチクショウ!!」
「わっけわかんねぇよ!?またサブミッション仕込まれてぇのか?!」
「望むところだおらあああ!!!」
片付けたばかりのキッチンで暴れ出した俺達を聞きつけて、きっとヒメノは二階から降りてくるだろう。そうしたら掃除したばかりでここを散らかしたと、また明神は怒られる。俺はそれを横目にアズミの所へ行って遊んでやろう。俺が優しくしてやれる奴の所へ行って、誰かが俺にくれた分まで優しくしてやろう。
この気持ちが魂を強くする。
この想いが俺の存在を確かにする。
憶えていなければいけないのは、記憶の内容なんかじゃなく、きっとそういうこと。
|