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今だけの近況
S鹿サーキットM科に入って10ヶ月。自分は今まで自分が普通の人とコミュニケーションのとれないおかしい人っていうかマニアっていうかおたくになりきれていない普通の人っていうかそっち方面の人っていうかそんな認識をもっていて、バイト、仕事、学校、社会にて 自分の分野以外の人とは必要最低限しか係わる必要もないしなるべくかかわりたくないっていうか普通の人と普通にかかわること自体やってみても出来ないと思っていたし 実際そんな感じに思われつつやってきて実に楽しく、自分の好きな事だけに没頭してこだわって、いくら求め続けても満たされない欲を持って生活してきた。 それはすごく刺激にあふれた毎日で、そんな自分の目から見ればいろんな無駄な苦労をしつつ過ごす他の10代の奴らより、自分が幸せであると思った。それは間違いじゃない。ところが今までいいとも思わなかったまわりの人たちの日常の過ごし方が、楽しいと思えるようになった。自分でできることが増えたからか、親元を離れたからか、単に年齢がいい大人になっただけなのか。そのどれもが本当なんだろうけど、結局は自分の世界だけに入り続けていられるために今まで係わりを避けてきたまわりの人たちと係わって 話をするようになって 一人でではなく そういった人たちと行動をすこしでも共にすることで、自分にしか理解できなかった居場所とは別の、言いかえれば一般的な居場所を見つけたからなのかもしれない。もちろんまわりの人たちにはそんなことを意識してきたわけでもなく当たり前のことで、自分のように今までになかった"感覚"を感じることだってない。これがみんなの「場合」だったんだとひとりで理解したのかもしれない。とたんに今まで楽しかった自分の「場合」が遠くなっていくとともに、今まで自分がいた居場所が自分を解放していくような、寂しい感覚も感じる。自分は変わってしまった。だけど変わったわけではない。でも言いようのない寂しさはなぜか増していって、すごく寂しい。すごく今は安定していない。生活に落ち着きを感じ、今までに絶対に感じることのなかったただ過ごすことの充実感。その裏側に今もある、今を破壊したいという欲もすごしずつ自分の中に隠れていく。いつか居心地のいい今の生活に完全に息をひそめるかもしれない。昔を懐かしむ自分がそれを呼び起こそうとするような気持ちも日増しに強く感じるようになる。今の場所を離れようか。昔の友達も、地元の影も、いまの生活で見つけることができた仕事仲間や友達と見いだすことができた新しい感覚での自分の居場所をすべてリセットした上で。昔から新しくかきかえられた環境に慣れてくると今を捨ててどこかに行きたくなるような感覚はあった。中学3年生の卒業を控えたころにクラスでやった卒業を控えてのスピーチ。卒業を惜しむ事を言う人が多く、みんな今までを振り返ってどうのっていう感じでもらい泣きしてる人もいた。そこで自分1人だけが、とにかく早く卒業したい、どうなるかわからない生活をはやく送りたくて待つのがじれったくて楽しみで興奮するとゆっていたのを覚えてる。今現在、今の生活をやめたくない、失いたくない。でも今の環境を捨てて自分のやりたい事だけを求めてどこかに行くとしたら。そのもしもを考えるのがすごく好き。いつも環境を大きくかえる原動力になってる。今までの自分と関係のないところで自分ひとりだけが好きにできる新しい生活をはじめたい。今の状態で地元に帰って今の自分にできる生活をしたい。上京してやりたい趣味を満たす環境の中で興味のあった仕事の世界を見てみたい。ワーキングホリデーでNZに行って滞在しつつ仕事をしてみたい。雪国に行きたい。やりたいバイトをやりつないで過ごすフリーターをもう一度やってみたい。今までの生活と全く干渉しない、とにかくどこかの場所で新しい自分の居場所と生活をつくってみたい。 今の生活はそのためのつなぎのはずだったのに、離れたいと思わなくなってしまってる。居心地がよくて、楽で。仕事はやめても、今の場所にずっと住むのもいいかもなんて考えたりする。でも絶対に他の所へ行きたくなって、どこかへ行くんだろうなあと思う。今を離れる行動を起こさない限り、いま自分が過ごす環境や生活は絶対に大きくは離れない。いつか、今の生活で誰からも自分が必要とされなくなったら、そのときがどこかに行く時なんだろうなと思った。そしたらそこでまた昔の自分を探すのも悪くないのかもしれない。


当サイトは某鈴鹿茶キットM科B.O担当者シシャモ君の暇時間によって作成されています。

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