Back Ita Benri Touhi

 時代はお茶である。
 お茶とビール(21世紀スタイルとして発泡酒含む)は
シーズンごとに新種がでてはその殆どが駆逐されていく。
そして、当然ながら私はお茶っ子である。
ちなみに、主食チックに定番のお茶は伊藤園の金の烏龍茶なのだが、
ナウでホットでクールな一品はジャワティーストレートなのだ。

 クールなお茶履歴を考えてみたい。
20世紀人間ならば、お茶との出会いは「麦茶」から始まるのではなかろうか?
しかし、麦茶の基本的な位置づけは恋愛でいうならば
異性的な意味合いの薄い好き嫌いのレベルであると、私は思う。
そして初恋とも言えるものは「烏龍茶」になるのだ。
 私と烏龍茶の出会いのときは今尚、総天然色で鮮やかに記憶されている。
当時は「イーアルサンスー」のCMが登場する前ではなかったかなと思うのだが(早速アバウト)、
午前で小学校が終わった少年は家に帰宅して昼飯を心待ちにしていたのだが、
買い物から帰宅した母親が紙パックのサントリー烏龍茶を買ってきていたのだ。
 カップ麺が登場するにあたって
「どこの家庭にも丼はある(のにカップを無駄につける意味があるのか)」
などと言われたらしいが、当時はお茶に対しての世間の認識も同様のものがあった。
この烏龍茶も「わざわざ買ってきた」というものであり、価格も比較的高価であったと記憶している。
お茶は元は高級嗜好品だったのだから、ある意味問題ない話ではある。
幼少の時分の私だからあまり意識はしていなかったが、世間並みに「痩せる」系の効能で買ってきたのだろう。
 さて、その味の程であるが「不味い」の一言に尽きた。
不味い理由は二点ある、「慣れていないから」「紙パックだから」だ。
慣れないものは、それを打ち消すに足る「甘さ」「旨さ」がない限りは「不味い」と位置づけられるものだ。
この点は何かのきっかけで馴染んだ味としてデジタルに移行する。
問題は紙パックである点だ。紙パックではどうしても蝋くさくなる。
無糖のお茶の繊細さが木っ端微塵になってしまうのは至極当然のことだ。
 そんな訳でファーストコンタクトでは「変な飲み物」として位置づけられた烏龍茶だが、
次の出会いでは一転して好印象になったという出来事は恋愛と同様の展開だ。
それは疲労困憊流感の最中である。嘔吐と下痢とでノックダウンの少年に親は烏龍茶を買ってきたのだ。
「いきかえった」
もう漢字なんかつかってられないくらいの勢いでゴクゴク飲んだもんだ。
それ以来烏龍茶は冷茶の王道として君臨することになる。
 同様の経緯で懇意になった飲み物にポカリスエット(などのスポーツ飲料)があるが、
こちらは水飲んでも吐き出す程の重症時に我が生命を繋いでくれた逸品となった。
なお、缶のカロリーメイトはどんな苦境にあっても受け付けられなかった。

 思いのほか長くなったので次回に続く。