〜4〜

「ちょっとオーフェン、いきなりなによ、走り出しちゃって。トトカンタに、そんなにすごいものがあるの?」
「すごいものなんてもんじゃねぇ……」
 全身に冷や汗をかいたオーフェンが、必死で馬車の手綱を握りしめる。
「とてつもなく恐ろしいもんだ」
「お師様……」
 マジクが、心配そうに荷台からのぞき込む。
「大丈夫ですか……?昨日、言ってた、月……ですか?」
「わからねー、とにかく馬鹿みたいに恐ろしいもんなんだよ!」
 それだけ言うと、オーフェンは昨日、アザリーと会話していた時の事を思い出した。
(アザリー……お前じゃない事を願ってるぜ……)
 だが、その願いは叶えられるものだった。
 それが魔術文字でなく、魔術が関係していない(ように感じられる)以上、天魔の魔女アザリーは、特に関係のない人物だと言えるだろう。
 ただひとつひっかかっているのが、アザリーのセリフ。
『そう考えるのはあなたの勝手ね』
(……どうして否定しないんだ……そういう性格か?)
 やはりなにかが関係している。
 そうでなければ、そんな事を言えるはずはないだろう。
 だが――
(なにが関係してるのかが、わかんねーんだよっ)
 心の中で独りごちて、オーフェンは馬の腹を蹴った。
 馬車は加速して、トトカンタへの長い道を走り始めた――。

「ねぇ、マジク」
 馬車の荷台で、クリーオウが縁に肘をつきながら言った。
「オーフェン、なにか変よね」
 マジクは黙ってうなずく。はぁ、と短い溜息をつくと、クリーオウはブロンドを夜風になびかせて目を閉じた。
「私達にくらい、言ってくれてもいいのに」
 月の明かりに照らされて、クリーオウの悲しげな顔が浮かび上がる。それを見て、マジクもさらに不安になってきた。
「伊達に一緒に旅してるわけじゃないんだから……」
 そこで、金髪を手でおさえつけ、クリーオウは馬車の中に向き直った。そして膝を抱えて座り込むと、横でぐっすりと眠り込んでいるオーフェンの髪を、ぐじぐじっと弄った。
「なんでなのよ……」
 クリーオウは上を向いた。彼女は平気なふりをしていたが、マジクにはわかった。
 涙を見られたくない。
 強がりの彼女だから、たとえなにがあっても涙を他人に見られたりするのは許せないのだ。
 だが、月明かりが反射して、クリーオウの顔でなにかがきらりと光った。
「なんでなのよぉっ」
 そう叫んで、クリーオウはそばにあった空の鞄をぽふっと床に投げつけた。それは1回バウンドして、マジクの足下に転がる。
 それを拾い上げながら、マジクは静かに言った。
「お師様、ひとりでなにか思い詰めてるね」
「そんなに私達って頼りないの!?」
 クリーオウは、今までオーフェンに言われてきた事を思い出す。
「すぐに邪魔者、邪魔者って!剣だって使えるし、料理だって出来るし……これでもオーフェンの事、ちゃんとフォローしてるつもりなんだから!」
(りょう……り……?)
 マジクの血の気がさーっとひく。だが、それをクリーオウに見られれば、命の保証があるかないか――とにかくマジクは、顔をぶんぶんとふって、無理矢理、顔色を良くした。
「……クリーオウ、もう寝よう」
「そんなに……私……」
 マジクの腕も振り払い、クリーオウは泣きじゃくる。
「ね、クリーオウ、お師様のあの様子じゃ、きっと明日、早いよ。もう寝よう……」
 クリーオウは自分のリュックを高く掲げて、なにをしても起きそうにないオーフェンの顔に、それをばふと投げつけた。
「オーフェンのバカぁっ」

「……おい、クリーオウの奴、どうしたんだ?」
 翌朝、目を覚ましたオーフェンが、いそいそと食事の支度をしている(といっても缶詰だが)マジクに声をかけた。
 クリーオウは、起きた事は起きたのだが、どこかに行ってしまったまま、帰ってこないのだ。
 昨晩の事を思い出したマジクは、絶対に言うまいと、首を振った。
「いつもなら腹減った腹減ったって、うるさいはずなんだけどなー」
「そうですねぇ」
 平然を装って――昨夜のクリーオウのように――マジクは言う。
「しゃーねーな、先に食っとくか」
「そうですねぇ」
 同じ事を繰り返し、マジクは缶詰をオーフェンに渡した。
 オーフェンは慣れた手つきで缶詰を開け、スプーンを突っ込む。
「しかし、毎日毎日これっていうのは、ちょい、キツいよなぁ。たまには、レストランとかで豪華な食事でもしてみてーよ」
「最近じゃ、まともな食事できるのは宿屋だけですもんねぇ」
「あいつの料理も、ありゃあ料理と言えない料理だもんなぁ」
「そうですねぇ……料理とは言えませんもんねぇ……」
 マジクは少し期待した――こういう悪口を言っていれば、隠れていたクリーオウが怒って出てくるかもしれないから――。
 たとえまたひどい目にあっても、クリーオウがいないよりは比べものにならないほど、そっちの方がまだ、耐えられると、マジクは確信していた。
 だが、その期待は、裏切られた。
(昨日の事……言った方がいいのかな……)
 クリーオウにも別に口止めされてはいない。今いないのも、その事がオーフェンに知られる瞬間に居合わせたくないからなのかもしれない。
 だがマジクは、結局、それを言おうとはしなかった。
(やっぱり、ダメだよね……クリーオウが、お師様のために泣いてたなんて言ったら、お師様なんて言うか……)
「どうした、マジク?」
「あ、いえ……」
 オーフェンは笑う。
「クリーオウの料理の事、思い出したか」
「まぁ……そんなとこです」
 そう言いつつ、マジクは缶詰をつつく。
 思ってみれば、確かに味はこの缶詰のほうがいい、けれど――。
「……クリーオウ、どうしたんでしょうかね」
「なんだマジク、心配なのか?」
 意外そうな顔をして、オーフェンが聞き返す。
「まぁ……仲間ですから。旅の」
「仲間なぁ……」
 オーフェンは悩んでいるが、マジクにはそれが「ふり」だとわかっていた。
 今までクリーオウが関わった深刻な問題で、我が師匠が黙っていた事はない。
(お師様はクリーオウをとても大事に思っているんだ――)
 でも、それをクリーオウは知らない。いつも決まってその場には、クリーオウはいなかった。いなかったからこそ、オーフェンが騒いだのかもしれないが。
「ま、そのうち帰ってくるだろ」
「そう……ですね」
 帰ってくるのだろうか。そういう疑問が、一瞬だけマジクの頭をかすめた。
 だが、その疑問は一気に晴れた。
(そうだ。クリーオウがお師様を放ってどこかに行くわけがないんだ)
 あんなに師匠のために尽くしていたクリーオウに限って、そんな事はあるわけはないのだ――。
 マジクはもう1度、昨夜の事を思い出し、ひとり静かにうなずいた。

 赤い夕陽が、ゆっくりと山に沈んでいく。
 夕方。あれから半日近くが経った。クリーオウは、まだ姿を見せない。
 オーフェンが急にそわそわしだしたのを、マジクはしっかりと確信していた。
「あの……お師様」
「っ……ああ、マジクか……」
 沈み行く夕陽を眺めていたオーフェンの背中に、マジクは声をかけた。オーフェンは妙に驚いて、目を丸くして振り向いた。
 最も、オーフェンの事を「お師様」などと呼ぶのは、マジク以外の誰でもないのだが――今のオーフェンには、それさえ判断する事が難しかったのだ。
「クリーオウ……」
「ああ」
 オーフェンはまた夕陽を見つめると、どこからか1枚の紙を取り出した。
「お師様、それは……?」
「…………」
 オーフェンは黙って、紙をマジクに差し出した。
 見たところ、それは前のメモではないようだった――「三日月の下で会いましょう」という。
 ゆっくりと折り畳まれているメモを開いていくと、また同じように、普通に文章が書いてあって、光に透かすと、不思議な文字が現れた。
「えーっと、なになに……?」

約束通り、三日月の下でお会いできました。
記念に、お土産を持って帰りたいと思ったので、
そのへんに転がってるものを適当に見繕って、
持って帰る事にします。
それでは、次の三日月の日まで。

「お師様!」
 マジクはその手紙――詳しく言うと手紙のようなもの――を声に出して読み上げると、読み終わると同時に、オーフェンに叫びかかった。
「これは……!」
「すまないな、マジク。今まで、よくわからずに持ってたんだ」
 オーフェンはまるで魂が抜けたように言った。事の重大さの判断も出来ないのか――
「よくわからずに、じゃないですよ!これ……これ……クリーオウの事じゃないんですか!?」 
「やっぱり……そう思うか」
 溜息をつくと、オーフェンは立ち上がった。
「……行くぞ、マジク」
「え?」
 少年の眼に映ったのは、いつもの――いや、いつも以上の戦意に満ちている、師匠の姿だった。
「クリーオウをさらった奴を、そのままにしておけるかってんだよ」
「で、でも、こいつが何者なのかもわからないし……それに、次の三日月の日っていったら、いつですか!?」
「すぐだよ」
「……え?」
 きょとんとするマジクに、オーフェンは言う。
「簡単だ。よく考えてみろよ。いくら昨日が三日月だったからって、今日が三日月でない事はないんだ」
「あ……」
 そりゃそうだ。マジクは、本当に焦っていたのはオーフェンではなくて自分だったのだと反省した。
 一昨日の晩も三日月だった。昨晩も。そして今晩も、三日月である事は変わりないのだ――。
「荷物をまとめろ。出発するぞ」
「出発……って、どこに……」
 あちらからやって来てくれるのなら、わざわざこちらが移動する必要はないはずだ。
 首をひねりながらも、マジクは言われるままに歩き出した。

あれからオーフェンはすぐに馬車を出発させた。
 途中でマジクは眠ってしまい、気がついた時には、この間いた谷間に着いていた。
「お師様、ここって……」
「静かにしろ」
 もう真夜中だった。
(クリーオウを連れてったんなら、ここに現れるのは確かだ。さぁ来い……いつでも!俺の仲間をさらった罰、思い切り受けてもらうぜ!)
 がさり。
「……?」
 まわりに植物はない――枯れ木以外は。ならばさっきの、葉と葉が擦れ合うような音はなんなのだろう。
 その音に敏感に反応すると、オーフェンは鞄の中からナイフを取り出した。
 相手が魔術では通用しない時用の、非常武器だ。
 ビビりまくっているマジクを馬車の隅に寄せて毛布を被せると、オーフェンは馬車と外と、両方が見える場所へ移動した。
 そして、刹那。
「我は放つ光の白刃!!」
 不意にオーフェンは右手を突き出すと、そう叫んだ。衝撃波が放たれ、崖の断面をえぐり取る。
「ちっ」
「これはこれは結構なお迎えね……」
 と、背後から声がして。
 振り向いたオーフェンは、馬車の上に立つ人影を認めた。
「ちくしょうっ!誰だ!」
「まぁまぁ、そんな騒ぐ事、ないじゃない」
 そう言って人影は、するりと馬車から降り立つ。
 声からして、クリーオウでない事は確かだった。どこかで聞いた事があるようにも思えるが、アザリーでもない――オーフェンは舌打ちすると、いつでも応戦できるように、ナイフを構えた。
「久しぶりなんだから、ちょっとお話ししましょうよ」
「ふざけんなぁっ」
 近づいてきた人間に、オーフェンは乱暴にナイフを突き出す。だがそれはさっと交わされ、反対にオーフェンの首にナイフが突きつけられた。
「おとなしくしないと、食べちゃうわよ?」
「……ふざけんなっつってんだろーがっ」
 ナイフを握る人間の腕を掴むと、オーフェンはそれをひねった。人影は驚いてナイフを取り落とし、オーフェンの顔をまじまじと見つめた。
 そしてその時、オーフェンも相手が誰かわかった――。
「ヒリエッタ……!?」
「……さすがねぇ」
 オーフェンはすぐにヒリエッタの首根っこを掴むと、怒りに満ちた表情で問いつめた。
「クリーオウは……クリーオウはどこへやった……!?」
「…………」
 あっけらかんとして、ヒリエッタは目をパチクリさせている。オーフェンはさらに怒りと強めて言う。
「ごまかすんじゃねぇ!クリーオウをさらって、なんのつもりなんだ!?」
「ちょ……ちょっと待って」
 ヒリエッタは手をクロスさせる。
「なんだ!?まるで誤解だとでも言いたいようだな」
「だって、誤解よ」
 感情のままに動いているオーフェンの腕を掴み、ヒリエッタは言った。
「私は今晩は、ある人物に頼まれてここに来たのよ……というか、この馬車のところに来た、と言えばいいのかしらね。そして、その馬車に乗っている人間を殺せ、と……」
「……誰だ?」
 ここはヒリエッタを信用して、質問を変える。
「……ファルイドという男よ」
「やっぱりスポンサーの名前は軽々と口に出すんだな」
 掴んでいたヒリエッタの服を放すと、オーフェンは溜息をついた。
「そいつのところへ……案内してくれ」
「ちょっと待ってよ、あの女の子がどうかしたの? よかったら私も力になるわよ」
「いい」
 オーフェンはヒリエッタを手で制した。
「あいつ、お前が来たら、どんな顔すると思う?」
「……でも……」
「いいんだよ」
 そう言うと、オーフェンは馬車の方へ歩き出した。
「お前は、案内してさえしてくれれば。それが手伝いだ。……おいマジク、起きろ。ほら、出てこい」
「うー……お……お師様……?」
 こんな時に寝るなんて。オーフェンは彼の気楽さに、感心さえ覚えた。
「……わかった。あなたがそう言うのなら、無理矢理、手伝っても、喜ばれはしないんだから」
「……ありがとう」
 髪をかき上げて、ヒリエッタは溜息をついた。
「でも、今からではないでしょう?」
「……まぁ……そうするしかねーだろ。今からだと、体力にも問題があるし」
 ヒリエッタに続いて溜息をついたオーフェンは、馬車の中に入ると、さっさと毛布に潜り込んだ。
「お前は? どうすんだ?」
「……そーねぇ……良かったらそこに入れてくれない?」
「……ご勝手に。毛布はクリーオウのがあるだろ。マジク、1度、起こしといて悪かったな――」
 言いかけるが、マジクはとっくに寝息をたてていた。
「……寝るか」
 返事は、なかった。