1999.2.27(SAT)
「五体不満足」という本が評判になっていることは少し前に聞いていたが,昨日,ちょうどチャット上で話題になっていたので,本屋に立ち寄り探してみた.探すまでもなく,その店のベストセラーコーナー,第一位に積み上げられておりさっそく購入.
難しい内容の本ではない.寝る前と起床後であっという間に読了.
想像を超える目新しい内容が書かれているわけではないが,普段釈然としないで過ごしている点を言葉にしてくれたように感じた.
この著者の両親がきっと「いい性格」をしているのだろう.見た目に異様な新生児を比較的すんなりと受け入れ,その後も,想像するに「ま,なんとかなるでしょう」と乗り切ってきたと思われる.もちろん,たった一冊の本からうかがい知ることのできない多大なる苦労や苦悩があったであろう.が,この本を著した息子を育てた,そ
のことが全てを証明しているように思う.
胎児診断のことがあとがきで触れられている.きっと今の時代に彼が胎児であったら,かなり早期に発見されることも可能で,彼はこの世に生を受けていなかったかもしれない.今はもっと軽微な所見も容易に超音波で発見することができる.そして,見いだされた所見について,見つけた医師は,母親に告げないわけにはいかないのである.その場合,適切な内容が正しく伝わればいいのだが.
こんな話がある.ある妊婦さん,妊娠も後半にさしかかった頃,胎児の片足が超音波で描出されないということが発見された.詳細な超音波の観察の結果,片足のみが極端に短い以外には,たとえば心臓が悪いとか肺が極端に小さいとか脳の形が変とか,少なくとも命に関わるような異常は発見されなかった.産婦人科と小児科の間で症例検討がなされた上で,その妊婦さん夫婦に説明がなされた.片足が極端に短く,出生後に整形外科のフォローやリハビリが必要になって行くであろう事を,そして,その病院は,そうした子どもを治療しバックアップしていく事が出来る施設やスタッフを持つ事を.
しかし,その夫婦は,その後その病院には行かなかった.経過観察をかたくなに拒み,どこか他の病院へ去っていった.
その後,どうなったかは知ることは出来ない.どこかの病院で元気にしているのかも知れない.胎児はまだ10ヶ月にはなっていなかったが,生まれれば簡単には死なない程度には成熟しているはずである.今の日本の法律では,妊娠22週以降の中絶は認められていないので,分娩前に死亡して死産となればともかく,生きて生まれ見殺しにすればそれは殺人である.そして,さしたる他の異常もないその胎児は,分娩前に死亡したり出生後まもなく死亡することはそうそう起こりうることではない.生まれ,そして,産声を上げるであろう.
意地悪な私はこの「五体不満足」という本を読みながら思った.この夫婦がこの本を読んだら,いったいどんな気分になることであろう,と.
「ハンデのある子どもを持つことは不幸だ」そうした固定観念を持たないようにしたい.それは,親たちだけでなく,関わる産婦人科医にも言えることである.もちろん,「五体満足」で健康であるに越したことはない.「五体不満足」な子どもは持ちたくない,という気持ちを責めることはできない.しかし,健康に生まれても,犯罪
者に育てあげてしまう親と,この本の両親と,どちらが親として求められる姿だろうか.
もう一つ,こんな話がある.遺伝性の病気の母親を持つ女性が妊娠し,小さな産婦人科にかかった.その主治医は,本人の意図も確認しないまま大きな病院に彼女を紹介した.受け入れた病院は,彼女が胎児に対して同じ病気なのではないかという不安を持っているための紹介かと思い彼女を呼び入れ,話をした.しかし,この夫婦は,彼女の母親の病気に対してよく理解しており,彼女自身が同じ病気を持ちこれから発症する可能性もまだあること,その場合今おなかの中にいる胎児も同じ心配をしなければならないことも全て承知の上で,夫は言った.「だってさ,もし病気でなくってもさ,ドロボーになっちまうかもしれないじゃん」
まだ二十歳そこそこの,若い夫婦だった.彼らは,3センチほどの小さな胎児の写真をうれしそうに眺めながら,手を取り合ってもとの産院に帰っていった.
胎児期や出生後間もなく,自分のこどもには障害がある,と宣告される可能性は,どの夫婦にも平等にありうる.しかし,たいていの夫婦は妊娠したら健康な子どもが生まれてくるものと頭から信じている.しかし,現実にはその保証は全くない.
親となりうる全ての人々に読んで欲しい.そう思った一冊であった.