オリジナル『神宮寺』小説


夢寐 〜ねむっている間にみる夢〜

...洋子君ではない。
 事務所の入り口に続く 階段を登る足音を聞いた時、直ぐにわかった。
先程洋子君は、最近の依頼のなさに比例するように、俺が飲み続けたコーヒーを買い
足しに出掛けたばかりだった。戻ってくるには早すぎるし靴音も違う。それに...
...躊躇っているのか....。
 事務所のドアの向こうで靴音は止まったまま、動く気配もなさそうだ。
 俺はドアに背を向け煙草に火を付けた。
...躊躇う...か....。
 それも当然だろう。”探偵”などという胡散臭いものを、はたして信用して良いもの
だろうか? 
”探偵”である俺自信でさえ、その疑問に正確に答えるのは困難だ。
だが、もし俺が ”探偵”などではなく依頼者ならば...
 ガチャリ..と、少し躊躇いがちな音を立てて入り口のドアが開いた。
 俺は考えを途中で止め、ドアの方を振り向いた。
「あの...。」開けられたドアの陰に半ば隠れるように一人の女性が立ち尽くし、煙草を
銜えた俺を見詰めて小声で言った。
「何のようだ? 依頼ならば入ってそこに腰掛けるといい。違うなら今直ぐドアを閉めて
帰るんだな。」銜えた煙草の長くなった灰が、俺が言うのと同時に床に落ちた。
 俺は煙草を手に取ると、その手で来客用の椅子を指し示した。
「あの....私....。」彼女は俯いて独り言のように言った。
まだ、躊躇っているようだ。瞳が不安定に事務所の床を見詰めている。
 俺は短くなった煙草を灰皿に押し付け火を消しながら、まだもう一押しする必要がある
と思った。
”探偵”などに依頼するのにそんなに躊躇うぐらいなら、帰った方がいい。
「聞こえなかったか? 何度も同じ事を言わすような手間を掛けさせるな。どちらにする
のか決めるのは君だ。早く決めろ。」言いながら俺は彼女を見た。
 彼女は顔を上げ、俺を見詰めた。
 歳の頃はせいぜい二十歳かそれを越えたぐらいか...。化粧気のないその顔はまだ少し
幼さが残っている。その中の俺を見詰めるその瞳は、今時珍しいぐらい澄んでいる。
そしてその柔らかな髪はショートボブ。彼女の耳元で微かに揺れた。
 女は俺から視線を逸らすと俯いた。だが直ぐ顔を上げると一歩前に踏み切り、俺に背を
向けドアを閉めた。
 その時、彼女のショートの下に長く伸ばした髪があるのを知った。それはきっちりと
一本の三つ編みにされている。そこに俺は、彼女の意志の強さのようなものを感じた。
 だが、それは俺の希望的観測に過ぎない。もしそうならば何をあんなに躊躇う?
 彼女はゆっくりと俺の指し示した来客用の椅子に近づくと、浅く腰を降した。
俺はそれを見届けると、デスクの椅子に深く腰を降した。
そして、デスクの上に置いてある煙草のパッケージから一本取り出すと、火を付けずに
口に銜えた。
 依頼人と探偵という二人きりの事務所に、暫くの間沈黙が流れた。
「どうした? 俺に用があるんじゃないのか?」言いながら、まだ俯いたままの彼女を
見た。
 初めて探偵事務所を訪れたであろうその緊張のせいか、両手が小刻みに震えている。
彼女もそれに気付いているのか、隠すように両手を握り合わせていた。
 俺は間を取る為に銜えていた煙草に火を付けた。沈黙した事務所にジッポーライター
の音がやけに響いた。
 俺は煙をゆっくりと吐き出す...。
「あ...」彼女は顔を上げ何かを言おうとして、急に俯き咳き込んだ。
 俺はまだ一息しか吸っていない煙草を乱暴に灰皿に押し付け、火を消した。そして、
灰皿を彼女から遠く離れたデスクの隅に押しやった。
 彼女はまだ少し咳き込んでいた。
 俺は立ち上がると、換気の為に窓を開けた。
 少し冷えた空気と都会の喧騒が、二人きりの事務所の中に躊躇うことなく割り込んで
きた。
「...すみません...。」咳が治まって落ち着きを取り戻すと彼女は言い、申し訳なさそ
うな瞳で俺を見上げた。
 俺はそれに気付いて振り向いた。
「...コーヒー、飲むか?」
 俺は彼女を見詰めて、先程の言葉に答えずに言った。

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