巽と亘理の商取引が成立して約一週間後。巽は今年最後の週末を邑輝と過ごす予定でいた。金曜日の夜、都心にある邑輝のマンションに現れた巽は、買い物袋から多量の食料品とワインを取り出し、夕食の分を除いてきちんと冷蔵庫に入れると上着を脱ぎ、テーブルの椅子に無造作に掛けて調理にかかった。一時間ほどたって、巽の心づくしの料理がテーブルに所狭しと並ぶ頃、邑輝が帰ってきた。
「ただいま帰りました。早かったんですね、巽さん」
「おかえりなさい。ちょうどよかった、今できたところですよ。先に食事してしまいましょう」
「はいはい。でもその前に…」
邑輝は流しの前で包丁を握ったままの巽の顎をとらえ、細い腰に腕を回すと胸に抱き寄せ、唇に軽く口付けた。
「あんたねぇ、包丁持っている人間にこういうことをしますか?」
「ただいまの挨拶ですよ。じゃあ着替えてきますから」
邑輝はひらひらと手を振りながらキッチンを出ていった。巽はグイと唇を手の甲でぬぐうと、上着の内ポケットから小瓶を取り出し、用意しておいたグラスの両方に中身を少しずつ注いだ。グラスの内側にまんべんなく液体を行き渡らせ、中身を捨てる。2つのグラス両方に同じ作業をし終えると、改めて買ってきたワインを注いだ。
(さて…と。効きますかねぇ、亘理さん特製のお子様化薬。頼みますよ…そうだ、これを飲んでおかないとね)
巽はズボンのポケットから錠剤(解毒剤である)を取り出すと、手早く口に入れた。ちょうど水で飲み下した時に、邑輝が寛いだ格好でキッチンへ戻ってきた。
「お待たせしました。今日の料理も美味しそうですね。巽さん、いっそ店をやりませんか?場所と資金なら私が提供しますよ」
「そうですねぇ…召喚課をクビになったら考えましょうか。ばかなこと言っていないで、冷めないうちに食べましょう」
巽はさっさと椅子に座り、ワインの栓を開けた。コポコポと美しい赤がグラスに満たされる。並べたグラスを、先に邑輝に選ばせて巽は残った方を手にとった。二人は目の高さにグラスを掲げてカチリと軽く合わせる。邑輝は何の疑いもなくグラスに口をつけた。巽がこっそりとほくそえんでいるのにも気付かずに。
食事が終ると二人で仲良く後片付けをし、お風呂タイムが始まった。
「たまには一緒に入りませんか?洗ってさしあげますよ」
「…まぁ、たまにはいいでしょう。ご一緒しましょうか」
思いがけない巽の返事に、邑輝はびっくりして目を見開いた。
「なんです?あんたが言い出したんでしょう?止めますか?」
「いえ…てっきり拒否されると思っていたので…びっくりしただけです」
邑輝は内心いぶかしみながらも、巽の気が変わらないうちにとしっかり腕を捕まえてバスルームへ向かった。脱衣場で思い切りよく服を脱ぐ巽の様子に、嬉しいやら何かあるんじゃないかと疑問がわくやら、複雑な心境の邑輝である。が、ニッコリと挑発的な視線をよこす巽にすっかりのぼせてしまい、自分も手早く服を脱ぎ、浴室内に入った。
「今日はずいぶんと積極的ですね。どういう心境の変化です?いつもなら絶対応じないのに」
「さぁ。たまにはあんたに甘えるのもいいかと思いましてね」
明日は大雨なのではなかろうかというようなことを言いながら、巽の腕が邑輝の首に回された。擦り寄ってくる身体を抱きしめて心持ち顎を上げさせ、邑輝は巽の唇を貪った。胸の鼓動が重なり、密着した肌から互いの体温を感じ取る。身体の最奥に熱いうねりが生まれるのを自覚して、巽は少し顔を赤らめた。長い口付けから解放されて邑輝の肩口に顔を埋める。そんな巽の腕を引いて、邑輝は浴槽に入った。
「征一郎さん、もっとこちらへ。ああ、やはり成人二人が入るには狭いですねぇ。でもそのおかげであなたと密着できる」
邑輝は再び巽を腕の中に閉じ込めた。指が背中を降りて腰で一度止まり、力強く抱きしめてくる。そのまま腰を落として、巽を膝に抱えるような格好で浴槽内に座り込んだ。棚からバスキューブを取り出してお湯の中に投げるとすぐに湯の中に泡ができた。十分に泡立て、掌に取り、巽を洗いにかかる。ひどく嬉しそうなその様子に、巽は咎める気も失せて邑輝の好きなようにさせた。それをいいことに、邑輝の指は巽の肌を撫で足の間で遊び、だんだんと秘められた場所へと進んでいった。
「…ぁ…ちょっと…そんな」
早くも息があがりはじめた巽が、切なそうな声をあげる。邑輝はかまわずに指を進めた。巽の背が撓り、のけぞった喉元の白さが邑輝を煽る。たまらずに喉に唇を這わせたその瞬間。異変は起きた。泡だらけの浴槽で巽を膝に抱いていた邑輝は、急に身体が縮み、5才ぐらいの子供の身体になってしまった。邑輝は自分に何が起こったのかわからず、巽も浴室内も巨大化してしまったのに唖然としてしまい、あっという間に泡に埋もれてしまった。
「うわっ!何です、一体!」
「ようやく効いてきましたね。ほら、捉まって」
巽が幾分意地悪い笑い声ですかさず邑輝の両脇に手を差しこみ、小さくなった身体を持ち上げた。びっくりした拍子に少し飲み込んでしまった泡に咳き込み、大丈夫ですかと背中をさすってくる手の大きさに驚愕する。少し落ち着いて巽を見上げると、実に楽しそうに蒼い瞳をきらめかせている表情があった。その表情を見てようやく気がつく。
「巽さん…あなた、一体何をしました?」
「すみませんねぇ。先日見つけたあんたの子供の頃の写真があまりにも可愛いらしかったもので。つい実際に見てみたくなったんですよ。それで亘理さんが発明した薬をあんたに飲ませたというわけです。いや、本当に可愛いですね。昔甥っ子と遊んだ頃を思い出しますよ」
「甥…?」
「ええ、上の妹が産んだ子です。私によく懐いてくれましてね。出征する私の後を泣きながら追いかけてきた姿が忘れられません。帰ってきたらまた遊んでねとそればかり約束させられて…結局それっきり死に別れてしまいましたが。たくさんある心残りの一つですよ。だから一度、子供のあんたと一緒に思い切り遊びたかったんです。迷惑は重々承知ですが、私への誕生日プレゼントということで許してくれませんか?日曜日には元に戻るはずです」
「…本当に元に戻してくれますね?それならいいでしょう。今更嫌だと言っても無駄でしょうしね。まったく、だまし討ちみたいな真似をして…一言いってくれればいいのに」
「おや、まともに頼んでもだめかと思っていましたが。聞いてくれる可能性はあったんですか」
「私があなたの願いを聞かないはずがないでしょう」
「…そうなんですか?それはすみませんでした」
「いいですよ、もう。それより子供の私とどこへ行くんです?」
「ディズニーランド、行きましょう」
「意外な所へ行きたがるんですね」
「一度行ってみたかったんです。でも男一人では行けないし、召喚課の女の子誘うと変に勘ぐられるし…第一あんた私が女の子とデートすると怒るでしょう?」
「それは正しいですね。思い切り邪魔して差し上げますとも」
「だからあんたと行くよりほかない。でも男二人で行くなんて嫌でしたからね。こういう手段をとったというわけです」
「…『パパ』って呼びますからね。それぐらいは我慢してもらいますよ」
「いいでしょう。じゃあもう上がって寝ましょうかね、一貴クン」
巽は笑いながら小さくなった邑輝を抱き上げた。シャワーを捻って泡を落とし、バスタオルに邑輝をくるんで拭いてやり、自分も手早く身体を拭ってパジャマを身につける。いつのまに用意したのか、子供用の下着とお揃いのパジャマを持ってきて邑輝に着せた。非常に不本意な邑輝だったが、巽が本当に嬉しそうに世話をしてくれるのに気を取り直し、その夜は巽に抱っこされる形で眠りについた。
(う〜ん、なんか違和感が…まぁいいか。こんなことでこの人が嬉しがるなら我慢しましょう。ですが…元にもどったら…覚えてなさいよ、征一郎さん)
次の日。朝早くから出かけて一日中遊んだ二人は、心地よい疲労感とともに帰ってきた。お土産をかかえてキッチンの隅に置き、冷蔵庫から飲み物を取り出して二人して一息つく。
「ああ疲れた。こんなに遊んだのは小学校以来ですよ」
「たくさん遊びましたねぇ。私の子供の頃にはこんな大規模な遊園地なんてありませんでしたから、本当はとても行ってみたかったんです。あんたが付き合ってくれて嬉しかったですよ。さぁ、汗を流してきてください。その間に夕食の用意しておきますから」
「今日は一緒に入ってくれないの?『パパ』」
「夕食が遅れてもいいなら一緒に入りますよ。どうします?」
「ごめんなさい。ごはん、作ってください」
邑輝はトテトテと廊下を走ってシャワーを浴びにいった。そして数十分後。
「た・つ・み・さん♪」
キッチンの入口から掛けられた、やや低めの大人の声に巽は肩を竦めた。恐る恐る振り返ると、バスローブを羽織っただけの邑輝が銀の瞳をキラキラさせながら巽を見ている。
「なんだ。もう戻ってしまったんですか…。もう少し子供のあんたを構いたかったのに。残念ですねぇ」
巽のぼやきを聞いているのかいないのか、邑輝はツカツカと巽に近寄ると、そのままギュウと音のするほど、抱きしめてきた。
「ああ、落ち着きますねぇ。やはりこうでないと。あなたに可愛がってもらうのは嬉しいですけど、やっぱり私はあなたを抱きしめるほうがずっと嬉しいですよ…征一郎さん、今夜は寝かせませんからね。覚悟はいいですか?」
「あまりよくありませんけど…とりあえず離してくれませんか?鍋が吹き零れそうだ。フライパンも焦げそうですし」
「せっかくの手料理を台無しにするのは惜しいですね。続きはベッドでしましょうか」
口ではそう言うものの、邑輝はいっこうに巽の腰から手を離そうとしない。内心でため息をつきながら、巽は土産に買ってきた大きな熊のヌイグルミを掴むと邑輝に押し付けた。
「ほら。これでも抱っこして待っていてください。あと少しですから」
「はいはい」
ようやく巽から離れて椅子に座った邑輝にほっとして、巽は料理の続きを始めた。
「征一郎さん…」
夕食が済み、巽がシャワーを浴びて寝室の扉を開けると、待ち構えていた邑輝が巽の身体を引き寄せた。まだ濡れたままの亜麻色の髪に何度も唇を落とす。それから額・頬・閉じた瞼の上と移動して、最後に形のよい唇に優しく触れた。巽も自分から唇を開き、邑輝に応える。二人は抱き合ったままベッドの上に倒れこんだ。男二人の体重を受け止めて、ベッドがキシリと音をたてる。その軋みの音を一晩中聞きながら、巽は邑輝の腕のなかで熱い夜を過ごした。
「で?どうやった、巽」
週明けの月曜日、出勤してきた亘理は開口一番、巽に結果を聞いてきた。
「上々でしたよ。あれは数少ない成功例ですね。子供になっている時間も自由に指定できたら、もっといいですね。開発してみてくださいな。お礼は亘理さんの口座に振り込んでおきましたから。ご協力ありがとうございました」
「ふ〜ん、成功したんか。これで臨床例三体やな。さ〜て、あと誰で試そうかな〜」
上機嫌の亘理はそのまま自分のラボへと戻っていった。003がパタパタと飛んできて、肩に止まる。その頭を優しく撫でてやっていると、つけっ放しのパソコンからメールの着信音が聞こえてきた。
「誰からやろ?え〜と…『亘理さん。例の薬、私にも売って下さい。M』…?Mってまさか…邑輝のダンナかぁ?」
その独り言に答えるかのように電話が鳴った。
『もしもし、亘理さん?メール届きましたか?』
そして次の週末。手の中の小瓶を弄びながら、大層なご機嫌で巽を待つ邑輝の姿があった…。
お子様とお父様 終