「温泉で、できちゃった」
大人の関係・伍
別れ際のその瞳が気になった。行かないでと訴えるような、不安げに揺れる銀の瞳が、巽の胸を切なく絞る。
(どうしたらいいのだろう。あんな瞳をさせたくて逢っているわけではないのに)
(どうして抑えることができなくなったのだろう。週末だけじゃ足りない。ずっと一緒に居たい…あの人を困らせたいわけじゃないのに、この欲の深さはどうだ?)
 互いを想う二つの心が、今までの二人の関係を否応無しに変えていく。
 

 日曜日の夜。いつも二人で週末を過ごすマンションの玄関で抱き合い、一つになっていた影が二つに離れた。巽にコートを手渡しながら、邑輝は胸の奥から湧くツキンとした痛みに、自分自身驚いていた。
「ではまた週末に」
「ええ。お待ちしています…」
 声に寂しさが滲む。滅多にない邑輝のしょげたような声に、巽は訝しげにその顔を覗き込んだ。
「…なんだか声の様子が変ですよ。疲れているんですか?」
「ああ、金曜日から今日の昼間まで、少し張り切りすぎましたからねぇ。大した事ありませんよ。…心配してくれるんですか?」
 邑輝は巽の手を握ると口元まで寄せてそっと指先に口付けた。そのまま舐めるような視線を巽の顔に向ける。巽は背筋がゾクリと蠢いてくるのをやっとの思いで堪えた。
「ふざけていられるなら大丈夫ですね。帰ります」
 手を振り解き、ドアを開け出て行く巽。目の前で閉まったドアをしばらく放心したように見つめ、軽く溜息をつくと、邑輝は居間へ戻っていった。昼間、二人で戯れたソファーに今は独りで座る。ソファーの背には、巽が帰るまで着ていた手編みのカーディガンが掛けてあった。色違いでお揃いの柄の、もう一つのカーディガンは邑輝が着ている。編物までできると知ったときは、巽の趣味の幅広さに驚いたものだった。暇つぶしの時間さえ無為に過ごすのをよしとしない巽は、何も考えなくてすみ、しかも結果として物が残る趣味として編物を修得していた。腕前もたいしたもので、簡単な模様のマフラーなら三時間ほどでできてしまうらしい。邑輝は巽の残り香が漂うそれを手にとると、目を閉じて毛糸に顔を埋めた。
(巽さん…征一郎さん。別れたばかりなのにもう逢いたくなっていますよ…わかっていたはずなのに。あなたと私では住む世界が違う。文字通り、現世と冥府。本当なら逢うはずのないあなたに出会って…週末毎に一緒に過ごしているのに、もうそれでは足りなくなってきている。ああ、いっそ死んで私も冥府の職員になってしまいたい…)
 邑輝はそのままいつまでも動かずに巽のにおいを抱きしめていた。

 
「巽さん?巽さん、どうしたんですか?」
 密の呼ぶ声に、巽ははっとして我に返った。
「すみません、ぼんやりしていたようですね。失礼しました。えっと、先日の事件の書類でしたね…(ざっと目を通し、不備がないか確かめている)はい、これで結構です。決裁に出せますよ。黒崎くんの書類はいつも完璧ですね。書類作成の腕はもう都筑さんをはるかに上回っていますよ」
「うっ、酷い…巽のイジワル?」
「酷いのはあんたの頭の中身ですよ。これだけ年齢的にも死神としてのキャリアもうんと違う黒崎くんに負けてどうするんです?まったく、都筑さんの頭の中には生クリームとあんこしか詰まっていなさそうですね。いっそ本当にそうなら食べることができるのに」
うわ?んと泣き伏す声を後に、巽は密の作成した書類その他を持って課長室へと戻っていった。
(ふう…私としたことが…仕事中にぼんやりするなんて、我ながら弛んでいますね。ドクター、あんたが悪いんですよ。別れ際にあんな…)
ここ数日、気になってはいたのだ。いつにない寂しげな様子だった邑輝。銀色の瞳の奥に揺らぐ切ない感情に自分まで同調してしまったようだ。巽は二・三度頭を振って、無理に感情を抑えた。
(仕事、仕事!誰かさんの溜めまくった書類を今日中に始末してしまわなくては。悪いですがドクター、あんたの件は後回しです)
 巽は自分に言い聞かせるように邑輝の面影を封印した。巽には優しい銀の瞳が、もの言いたげに追ってくる。それを振り切って、退庁までの数時間、巽は目の前に積まれた書類を処理するのに没頭した。

 
 夕闇に包まれた冥府。退庁時間を一時間ほど過ぎて、巽は召喚課を後にした。夜だというのに三月半ばの風は暖かく、妙に艶めいた雰囲気を携えていた。巽は夜空に輝く黄金の月を見上げた。中国大陸から飛んでくる黄砂が影響しているのか、月は金色に赤味を加えた色で怖いくらいに輝いている。本能を直接揺さぶるような怖さが感じられる。こんな月の夜は一人で居たくない。心に想う人がいるのなら尚更だ。
(地上に行ってみようか…)
 留守かもしれないが、それならそれでいい。巽は何かにかき立てられるように地上へ、いつも二人の時を過ごすマンションへと向かっていた。

   カチャリ。巽は合鍵を使ってドアを開けた。中は真っ暗で邑輝は居そうにない。巽はかまわずに上がりこみ、居間へ入っていった。日曜日に自分が片付けたままの状況が残っている。唯一違うのは自分が着ていたカーディガンの位置だった。たしかソファーの背に掛けていったはずなのに、邑輝用のものと一緒に大事にたたまれてクッションの上に置かれている。
(以前は自分のコートでも背広でも、構わずに放り投げていたくせに…少しは躾た甲斐があったんでしょうかね)
 巽は微笑むと、邑輝のカーディガンを手に取り、邑輝が巽のものにしたのと同じように顔を寄せた。
(ああ…甘い香がする)
 邑輝がつけているムスクの香が巽を包む。風呂上りに薄くつけられたムスクは、長年の習慣ですっかり邑輝の体臭となり、嗅ぐだけですぐに白づくめの容姿を思い出させた。その香りはベッドでは更に色濃くなる。毎週その香に包まれ抱かれて、夜の間中巽は満足感に満ちた時を過ごしていた。
(ドクター…一貴さん。私だって、あんたに逢いたくてここに来るんですよ。週末だけの秘密の時を、心待ちにしているのはあんただけじゃないのに)
 その時、玄関のドアが開く音がした。邑輝も珍しく週半ばにこのマンションへやって来たらしい。普段は別のマンションから出勤しているらしいのに、巽と同じように月に感情を高ぶらせて来てしまったのだ。
「誰か居るのですか?まさか…巽さん?」
 居間までやってきた邑輝は、週末にしかそこに居ないはずの巽の姿を見つけて目を見開いた。そして嬉しそうに顔を綻ばせる。弾んだ足取りでソファーに座る巽の背後に回り、後から首に手をまわして抱きしめてきた。
「巽さん…今夜逢えるとは思っていませんでしたよ」
「…じゃあ何で来たりするんです」
「月を見ていたらなんだか…一人で居るのが辛くなって。せめて一番逢いたいあなたの残像でも追っていようと」
 言いながら邑輝は巽のメガネを取り、顎に手を添えて上を向かせ、口付けてきた。銀色の髪が流れて巽の頬に触れ、顔を覆ってしまう。そして降りてきた唇を受け止めて、巽は目を閉じた。

 
「巽さん、今度の週末は旅行に行きませんか?いい場所があるんですよ」
 情事の後、邑輝は巽を胸に抱きしめたまま旅行に誘った。ソファーでひとしきり戯れた後、二人は場所を寝室へ移してお互いを貪った。いつもは受身の要素がつよい巽だったが、今夜は激しく邑輝を求め、彼をひどく喜ばせた。愛されすぎてぐったりした身体を邑輝の胸にあずけて、巽は邑輝の誘いにコクンと頷いた。
「では金曜の夜から出掛けましょう。仕事は何時ごろ終われそうですか?」
「そうですねぇ、トラブルが無ければ7時頃…」
「じゃあここで待っていますよ。8時までに東京駅に着けそうだったら、新幹線でいきましょう。間に合わなければ車で行くことにして…。楽しみですねぇ」
 邑輝は嬉しそうに巽の頬を撫でるとそのまま亜麻色の髪をなで、巽の頭を胸に抱え込んだ。今夜中に冥府に帰す気はないらしい。巽も疲れと邑輝への愛しさから、このまま朝まで一緒に過ごすことにした。眠りがゆっくりと巽を支配する。邑輝の胸の鼓動を聞きながら、いつしか二人は眠りに落ちていった。

 
 さて金曜日の夜。朝のうちから残業は許しませんと宣言したおかげで、召喚課の職員は全員定時で仕事を終えることができた。問題児の都筑には密を張り付かせて書類を作らせ、なんとか突き返さずにすませた巽は、残った仕事(と言っても、出来上がった書類を会計に届けるぐらいの事である)を月曜日にまわすことにして、自分も早々に閻魔庁を出、地上へと向かった。そして邑輝の待つマンションへは予告通り、7時きっかりに到着した。
「言ったとおりですね、流石は巽さん。ではこのまま出掛けましょう」
 邑輝のほうも準備万端、二人はすぐにマンションを後にして駅へ向かい、個室の切符を買って列車に乗り込んだ。そして約三時間後。新神戸駅に到着した二人はここからローカル線に乗り換えて有馬温泉へ到着した。邑輝が巽を連れていった旅館は、昔から懇意にしているところらしく、遅くに着いたにもかかわらず、丁寧な応対で二人を迎えてくれた。案内された部屋は独立した離れで、庭に立派な露天風呂があるという贅沢な部屋だった。旅館の母屋からは離れているので、少々の物音は気にせずに過ごせる。巽は一目で気に入った様子だった。
「もう遅いですから、ざっと温まるだけにしましょう。いつでも入れますから朝風呂もできますよ」
 邑輝は仲居に心付を渡すと、さっさと浴衣に着替えて縁側から庭へ降りていった。巽もそれに倣って後を追う。二人はこの晩はおとなしく湯につかるだけにして、別々の布団でゆっくりと休んだ。

問題は次の日の夜である。昼間は有馬の観光をちらりとしただけで、邑輝はあまり外出したがらなかった。巽も骨休みに徹したいようで、用意してきた本を読むなどして離れでのんびりしていた。そんな巽をときどき幸せそうに見ながら、邑輝はなにやらノートパソコンを取り出し、論文を書いているようだった。
(そう言えば、もうすぐ学会発表があるとか言っていましたねぇ。ふうん、真面目に医者の本分も努めているんですね)
 ページの合間に邑輝の様子を盗み見ながら、巽は二人だけで過ごす時を楽しんでいた。そして夜半。食事もすみ、あとは寝るだけとなった頃に邑輝は巽を誘った。
「せっかくだから一緒に入りませんか?この間はあなたを洗い損ねたから、今度こそと思っているんですけど」
「しかたないですねぇ。あの時(巽が邑輝を亘理の薬でお子様にしてしまった件)は騙まし討ちにしたようなものですし…でも、あのあと、私も子供にされてしまったんですけどねぇ。少年の私でさんざん遊んだのはどなたでしたっけ?」
「そうでしたっけ?…ダメですか?」
 返事の代わりに、巽は立ち上がって庭へ出た。思い切りよく浴衣を脱ぎ、先に湯に入って邑輝が来るのを待っている。邑輝はすぐに自分も脱いで湯に入ると、巽の腕をとって引き寄せ、葦のように靡く巽を抱きしめた。両手を頬に添えて額・瞼の上・頬と口付けの雨を降らせ、薄く開いた唇に触れる。巽は腕を邑輝の背にまわして口付けを受け止めた。角度を変え、何度も触れてくる唇。熱い接吻はやがて深く互いを貪り、舌を絡め歯茎まで舐め合い、身体の奥に火がつくまで続けられた。ピチャリと音をたてて唇が離れる頃には、巽はすっかり腰が立たなくなっていた。
「巽さん…」
 官能に満ちた声が巽の名を呼ぶ。巽はそれには答えず、背中を抱いていた腕に力をこめた。それを了解ととった邑輝の手は、着実に巽の身体を熱くしていく。胸から腰、そして足の間で遊ぶ指は立ち上がりかけてきた巽の分身をとらえ、きゅっと先端を握った。巽の口から声が漏れる。耳元で切ない声を聞かされ、邑輝自身もその存在を誇示しはじめた。
「巽さん、ここの露天風呂にはちょっとした仕掛けがあるんですよ。ご覧なさい」
 邑輝は巽を抱きしめたまま、お湯の注ぎ口でもある獅子の目を押した。すると…パアッと風呂の底で照明が付き、二人の姿は下から照らされて湯の中に隠すところなく浮かび上がってしまった。
「なんです、これは!あんたねぇ、よくもこんな悪趣味な仕掛けを」
「私が作ったんじゃありませんよ。けっこう見えますねぇ。ほら、あなたのも私のも、こんなに形が変わっている。いい眺めですねぇ」
「ちょっと、恥ずかしいから…消してくださいよっ」
「だめですか?もっとあなたをよく見たいのに…残念ですね」
 邑輝の言い方が心底残念そうだったので、巽はしかたなく自分が諦めることにした。
(ここで拗ねられては後が面倒ですからね…本当に次から次へと突飛なことをする男だ)
「わかりましたよ。気の済むまで見たらいいでしょう。まったく、最近元気がないと思って優しくしてやればつけあがって…」
 ブツブツと文句を言う巽だったが、邑輝は巽が許してくれたのがとても嬉しかったらしい。今までにない念入りな手順で巽の身体を喜ばせていった。首筋から鎖骨にかけての敏感なところに唇を這わせ、吸い上げる。乳首の片方を口に含みながら、もう片方を親指の腹で円をかくように撫で押しつぶし、硬くしこってくるまで愛撫を続けた。
「あ…ドク…タ…一貴さ…ん」
 のけぞった巽の髪が暗い空間に舞う。邑輝は巽を自分の膝に向かい合わせに乗せると、すっかり立ち上がった自身と巽のそれを一緒に掌で撫でこすった。巽の口から嬌声があがる。幹を上から下から撫であげ、どんどん硬度を増していくそれの先端に爪を立てて奔流をせき止め、巽が悩乱するまで放出を許さなかった。ほとんど泣き声に近いつぶやきで解放を懇願され、邑輝はようやく根元を戒める手を緩めた。熱い溜息と共に、巽が崩れて胸に寄りかかってくる。肩口で荒い息をつく巽の艶に、邑輝の雄も限界に近づいていった。
「征一郎さん…いいですか?あなたの中で私も…」
 巽は邑輝の願いに口付けで答えた。双丘の奥に長い指が忍び込み、菊座に触れてくる。そして十分に綻びたころに、お湯とともに逞しい邑輝自身が侵入してきた。強烈な存在感と圧迫感が巽を襲う。巽は邑輝がどんなことをしても許す気になっていた。
(あんたの寂しさが癒されるなら…もっと激しく私を求めていい。壊れるくらいに愛せばいい…私はあんたに確かな絆をあげられないから…)
 巽の奥に邑輝が想いのありったけを注ぐ。湯の中で、巽は何度も邑輝に求められ、また自分も欲し、気を失うまで一晩中情を交わした。

 
同じ日の夜、冥府の外れに位置する蝋燭の館で異変が起きた。ざわざわと館中が異常を告げてくる。伯爵はその騒がしさの原因を探るため、自室の安楽椅子に座って館を隅から隅まで走査していた。そして十王庁の職員たちの二度目の蝋燭が置かれている部屋まで走査の手をのばすと、そこでやっと原因につきあたり、おやおやという声を漏らした。
「おや…これはこれは。前代未聞の出来事だね…」
 伯爵は立ち上がると問題の部屋まで足を運んだ。幾百幾千とある職員たちの蝋燭の中でも、一際別格の蝋燭たち?召喚課の職員の、ある人物の蝋燭に異常が起きていた。なんと蝋燭の途中から瘤のように枝分かれして新しい火が灯っている。それも二本もだ。その蝋燭は、腰二つ新たな蝋燭を生やした格好になっている。
「まったく…何をしたんだね、巽」
 伯爵は首をかしげると顎に手を添え、面白そうに声を弾ませた。そして巽の蝋燭を慎重に持ち上げると、特別製の鳥篭のような入れ物に入れ、他の蝋燭たちと離れた机の上にそっと置いた。
「新しい蝋燭を生やすなんて…妊婦じゃあるまいし。いや、まさか…そんなはずは…」
 伯爵は自分の考えを打ち消すように頭を振った。いずれにしても、異常事態は現実に起こり、しかもよく見知った人物の身の上に起きている。
「とりあえず迎えに行こうか。閻魔に知られるまえに保護せねばな。何しろ蝋燭の管理は私の仕事だし。ワトスン、ワトスンは居るかね?」
 大騒動の幕開けである。当人はそうとは知らず、邑輝の腕に包まれて眠りを貪っていた。

 
『温泉で、できちゃった』終 



 
ブラボ〜、一征生活いくとこまでイッて悔いはナシ!
いちとー心の声:
受胎オメデトウゴザイマス〜〜♪vv”(狂喜乱舞)
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