あの夜は星も見えなかった。全てを終えた静寂に、気が付いたのはいつだっただろうか…
さくさくと歩き、片手でぼろぼろになった“血まみれの荷物”を引き摺って、白い男はあの人のところへ帰りついた。だが、戻ってもそこにあるのは、人間達の焦げた匂いのあった土地と、長期にわたって燃え尽きたものの灰ばかりである。
「――…………」
 風が強く、眼に塵が入ったせいで視界がぼやけた。その拍子にこみ上げた悲愴という感情も彼の瞼を熱くさせた。
 想い人の気配を感じさせる灰の前で屈み、男はそれを指でなぞった。この現実は一体どこまで続くのか…という気持ちを裏切る死の灰に…瞳が凍る。
――これは灰…?人間の粉だ
 しばらくしてから男は、残ったものを全身で覆い被さるようにして地面にうつ伏せ、…額を地に強く押し当てた。何度も額を押し当てて、己の皮膚をずるずると地面と馴染ませ、擦れて血が出るほどその行為を繰り返した。身体が震えて痙攣も続いた。そして数時間、鳴咽を漏らし、地に伏して彼は慟哭する。どす黒い唸りがずっと響いた。
 舌で灰を舐めると、苦くて甘くて…辛くなった。額から眼に流れた血を拭った時、彼はようやく言葉を拾い、
「―――焦げた……」
 そうぽつりと呟く。
 哀しくて、寂しくて…渇いた身体から沸き上がる絶望感…
「あの人に誓ったのに…」
―――護れなかった。…自分に負けた。
 
 



 
 
『夢の続き』
 


 雨の日の夜だった。
「私は、貴方の僕です」
 そう言って跪いた蒼い瞳の青年は、主の前に進み白磁の爪先を手に取った。『主』たる邑輝は、床に這う彼を見下ろし、右の足を許してやる。
「私の全ては貴方のものです」
 巽が美しく象られた白い足に接吻を落とす。
 情のこもらぬ哀しき交わり…
 

 寝台に横たわり、力尽きた躰は、熱い感覚を未だ手放そうとはしなかった。殊更、今夜は長く感じられた。執拗に扱われたせいでもあったが、それに狂ったように応じ、喘ぎ続けた自身の痴態に呆れ返ってしまう。自分の羞恥心を、巽は思い返すのも忌々しいと感じ、とにかくはやく眠ってしまいたかった。だが、寝苦しい気温と湿度のせいか、しばらくして巽は全身に残る余韻と蒸気を不快に感じ始めた。眠れぬ夜故、夢の精霊達にはなかなか会えそうにない。
――熱い……
 暗闇の中、隣で横たわる人物が起き上がるのが見えた。半開きの目でも、それくらいは確認できる。薄暗い人影の主…先刻まで自分を抱いていた男。
 白い躰に白い髪…美しい造詣を持つ巽の主である。
 いつになく冷涼さを保つ風貌の邑輝も同じようなことを感じたのだろうか、巽に代わって立ち上がり、彼はさっさと窓を開けた。外の空気を入れようとする邑輝を、ぼやけた瞳で巽は見ていた。最早、動くことすらできずに全身を投げ出し、うつ伏せになっている巽は涼しさに救われる。熱を冷ますような心地よい風が来たのだ。
 これでようやく眠れると安堵した巽は目を閉じようとした。ところがその時、突然主は声を発してそれを引き止めた。
「…居住地を変えようかと思っているのですがね。征一郎、貴方は何処に行きたいですか?」
――なんだ、起きているのを知っていたのか…
 狸寝入りも通じなかった。
「四季のある地、常夏の地…ああ、海辺の近くで波の音を聴きながら眠る夜もいいかもしれませんね…」
「何処に、とは…ここに永住するつもりで城を構えたのではなかったのですか?元々、旦那様は荒れて、不毛であったこの土地を開き、村に開拓資金を与えてまでここを蘇らせた立派な貢献者であるのに」
「ここ数年、麓の村は凶作続きでね…運ばれてくる食材が良くない。質が落ちた。それに、水も不足しているとか…それは資金を出しただけで、人畜無蓋を装い続けた城主たる私の片目が不吉なせいだ、とも噂される始末でね…そんな言い掛かりを付ける出入りの商人が、余計なことを言いふらして皆に不安を撒き散らしたようで、どうも居心地が良くない」
「その商人達にこの地から出ていってもらえばいいんです。貴方様が腰を動かすことなどありません」
「まあ、いろいろ考えているんですよ。結論は急いで出すつもりはありません」
「旦那様……」
「心配はいりませんよ。不要なものはいつでも膿を出し切らないと後味も良くないでしょうし」
 眠りつく前に聞えた最後の言葉を、巽は理解できなかった。

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