翌朝、巽は主人のベッドで正午近くまで惰眠を貪った。疲れのせいか、早朝、一度は目覚めたもののなかなか起き上がれずに再び寝入ってしまったのだ。しかし、昼に近づくに連れ、昇る暑さのせいか自然と眠りも覚めていく。
 巽は傍らに人の気配を感じた。自分を覗き込む人物が、ぼんやりと開いたブルーの瞳に映った。
「あの、葡萄食べる?」
「……な!」
 第一声の後、巽は目を丸くした。一枚、羽織ってはいるものの素っ裸でキングサイズのベッドに大の字で眠っているのだ。慌てて起き上がり、服を着ようとするが、ふらついてなかなか思うように動けなかった。横から紫の瞳の青年は同調したように意味もなく慌てている。
「だ、大丈夫?…ねえ」
「な、何ですか!アンタはっ…誰です、一体、なぜここにいるんです?」
 もともと、邑輝と巽の二人しかこの城にはいないはずである。邑輝自身、自身の容姿から人目を憚るため、部外者については一切の立ち入りを禁じているのだ。夕食以外は各々、好きな時に勝手に作って食するということも多い。それが、巽の緊張感を綻ばせていたのである。巽は、久々に大慌てした。
 黒髪の青年は一粒の葡萄を巽の口に勧めにっこりとこう応えた。
「俺、都筑麻斗。最近、麓の村に住み始めたんだ。この葡萄、食べてみてよ、美味しいよ。それでね、聞きたいことが…」
「結構です」
 とん、と着衣を整えた巽は無遠慮に言い寄る都筑の肩を叩いて退室を促した。初対面で、しかも馴れ馴れしく言い寄る都筑に点は辛い。だが、都筑はよろよろと転倒する。
「ん、…痛っ……」
「ちょっとつついただけなのに、何を大袈裟に座り込んでるんです!…さっさと出て行っ…?」
 座り込んで動けずに、震える都筑の異常に巽は黙り込む。何かの苦痛を黙って噛み締めている姿があった。
――なんだ、この人は…様子が変だ
 右肩を押さえた彼の衣服から、血が染みて来たのだ。傷口が開いたかのようにじわじわと紅く染まる都筑の肩…初夏の薔薇の鮮やかさを彷彿とさせる。
「貴方、それ…どうしたんです?」
「あ、麻酔きれてきたんで…お薬何処かなって捜してたんだけど…だんだん痛くなってきたみたい。でもかすり傷だから平気…」
「ちょっと、診せて!」
「旦那様が縫って、治してくれてたんだけど…その後、横になって退屈だったんで葡萄、食べてたんだ。お腹が空いてたし食べたら止まらなくて、そのうちに、だんだん痛みもでてきたんで…」
――私が叩いたせいだ、傷が開いている
 舌打ちする巽に都筑はぼそぼそと話しかける。
「ねえ、旦那様何処に行ったの?…お薬、捜してお城をうろうろしてたら、たまたまあんたを見つけたんで知ってるかなって思って…」
「…今日は、早朝から狩りにでていらっしゃいますよ。夕方まで帰って来ない筈です」
――だが、この青年の手当てをしたということは…一度戻ってきたということか?
「ああ、そっか…そうなんだ、それで俺…」
「…はい?」
「あ、あのね…」
 ぐずぐずと口ごもる都筑を見かねた巽はとりあえず主人の客人らしき人物を介抱することに意志を向けた。
「とにかく、ソファに座りなさい。手当てしてから後で話を」
 だが、止血した後でも都筑は口を硬く閉ざして巽に何も伝えようとはしなかった。

 夕食になっても都筑は強い麻酔に負けて起き上がらなくなった。食事も取らずさっさと彼は眠ってしまい既に夢の中にいる。食堂では巽と邑輝が二人、いつものように会話をしていた。
「征一郎、あの青年の手当てをしてくれたんですね。ご苦労様です」
「いえ、もともと私のせいで傷が開いたのですから…」
 巽は無言でいる。肉料理をテーブルに並べ、自分の席についてから主の食する様子をじっと見ていた。だが、邑輝は都筑についてなかなか口を開かなかった。
――あの青年は一体、どういう者なんだろうか…まさか、彼、帰らずに居座るつもりなのか?
 知りたくて、思案顔をする巽を見て邑輝はナイフとフォークを持つ手を止めた。
「実はね、あの青年、しばらくうちで住まわせようと思ってるんですよ」
「…急に、どうしてそんな事になったんです?」
「突然のことですが宜しく頼みますよ」
「そんな…」
 昨晩まで何も聞かされていない巽はやはり驚く。ましてや、昨夜、新天地への移動を聞かされていた直後のことでもある。それに二人だけのこの住まいに部外者を入れることを窮屈に感じた。
「私では、不足でしたか?」
 巽は急に自信を無くした。誠心誠意、主人に仕えて来たというのに…何年経てもなお、仕える者は自分だけであったということに聊かの誇りを持ってもいたのだ。銀の瞳の主は、自分をどこまでも抱き続ける男であるという意識が崩れていきそうに感じた。そんな巽の意図を察してか、邑輝は柔らかく微笑する。
「いえいえ、そうではありませんよ。征一郎、できるだけあの人の怪我の世話をしてやってください。無償で怪我人の介抱をすることで私の評判も少しは良くなるやもしれませんし」
「…はい」
 重たい返事だった。そして更に重い言葉が邑輝の口から放たれた。
「元々は、私のせいなのです。私は…誤って彼を」
「……」
「――私は彼を、狩猟の最中に誤って撃ってしまったんです」
――放置しておけば、動けずに野犬にでも食われて死んでくれたのに、旦那様は何故連れて来たのだろう?
 邑輝は黙ってそれ以上を語ろうとしなかった。
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