前国王の私生児であった巽の父親は宮廷勢力派と対立していた。それがこの内乱の要因である。
彼の父親は、かつては謙虚に祖父である前国王に仕えていた。常に一歩下がって傍らで祖父王を支え、受爵した後も決して傲慢に振舞うこともなかった。むしろ、分をわきまえて妻子を引き連れ、領地に引きこもったが、再び望まれて宮廷に連れ戻されるほど能力を買われた男であった。有能で働きぶりも目覚しく、決して奢ることのないその姿勢は部下や民衆にも支持されるほど大きかったという。宮廷内では私生児として、他の貴族達からの風当たりも強かったが、当時の国王からの信頼はそれらを凌駕するほどのものであったので、彼は何人にも侵されることがなく、反感をよせる貴族達と衝突することも少なかった。そして巽の叔父にあたる、正統な王位継承権を持つ王太子たる義理の弟の成長を見守り、前面的に支えていた。しかし、前王が亡くなると同時に引き継いだ義弟は王位を継承した後、数ヶ月して自分の妻も病で亡くしてしまう。これを機として悲嘆に明けくれる新王は、降りかかる親政と、周囲からの精神的な圧力に心を病んでいったという。
巽の父親は、そんな義弟を励まし、自ら財政的な工面をしてまで多くの薬草や医者を手配して、治癒に対してのあらゆる限り惜しみない努力を注ぎ、支え続けていた。幾分か快方に向かった国王も、結婚して次の王妃を迎えるまでに至ることもでき、安寧な日々を望み始めたものだった。
しかし、嫁いできた新しい王妃はなかなかの曲者であったのだ。国王を唆し、宮廷の重鎮達を虚偽の罪で失脚させ、自身の専横を受け入れぬ勢力を一掃し始めたのだ。前国王の信頼に当たる者達を悉く排除し、国政における王妃自身の発言力は強大なものとなっていった。もともと内向的、かつ消極的な人柄を持つ国王でもあったが、前王妃は病ではなく毒殺されたことを、買収した占い師に言わせて、国王を疑惑の波に突き落すには十分であった。国王も「殺したのはあの義兄であり次は貴方が殺されるであろう」という言葉にはさすがに平常心を保てず、王妃や占い師に囁かれた暗示に簡単に陥れられたのだ。
やがて巽の父親の声も王に届くことはなくなり、先代からの信任厚い彼も無念のうちにお役目御免を授かり、表舞台を退くこととなった。以前よりも僅かな面積となってしまった財産だったが、公領に戻り、家族で静かに暮らそうという選択が残されていた。たがしかし、次の出来事においてそれは急展開を迎えた。
信頼をよせていた義兄の消失、募る被害妄想、そして親政の重圧の板ばさみに国王が重い精神分裂病を引き起こしたのだ。これにより、国王は統治能力を失い、政治の中心人物が不明となる事態が生じた。度重なる失政、無能ぶりと宮廷の腐敗は甚だしく、その事実はとうとう巽の父親に断腸の決断を下させた。この空白を埋めようとして息子である征一郎の王位を主張し、各地に残る反宮廷派の残党を従え叛旗を翻したのである。
国王、宮廷派と真正面から対立し、父親は征一郎の王位を確実にすることを、それからの最大の関心事とした。
兵をあげて、持ち込んだ決戦は、始まる前から血で血を洗うような事態になった。
はじめの戦の日を迎えた未明、巽の父親は暗殺されてしまったのだ。全軍の指揮を取る父親に代わり、志半ばに倒れた彼の意志を自動的に受け継がざるを得なかったのは二十七の誕生日を迎えたばかりの征一郎である。刺客が、王妃からのさしがねであったことが判明した時、巽は相当の覚悟を強いられた。父親が殺されたとき彼は後方に備えていた。それまでは亡き父の意志なのか、息子は戦場に進んで立たされる予定はなかった。これは今となっては巽やその周囲の推測にすぎないが、現国王に対する立場の辛さを配慮した父の苦慮であったのだろう。
幼い頃に巽は、現国王であったあの叔父とは幾分かの交流があった。記憶に残る叔父の姿は、儚げで、頼りない一面を持ってはいたが、絵画や彫刻に刻まれた神話や夢物語が聞きたくて自分は熱心に耳を傾けていたものだった。幼い自分が肺炎に倒れ、病の床に臥していたときも、叔父自らが臣下の制止も介さずに、見舞いの品を持ってきてくれたものである。奇跡的に命を取り留めた姿を涙を流して喜んでくれたこともあった。
そんな叔父を屠らねばならないのだ。たとえ精神を病んでいる相手でも、今のこの事態を乗り切るには父の意志を受け継ぐしかないのだ。そしてもうひとつ、何よりも母親を守るためにもそうせざるを得なかった。今の状況で、母親には常に万全の警護が必要とされる。刺客が襲ってきて、もしものことがあったら、と考えると巽は背筋を強張らせてぞっとする。およそ重いものはおろか、武器のひとつも持てぬ人であるので、簡単に殺されるのを知っている。それ以前にも、今の情況で磨り減った神経を苦に自ら命を絶つのではないかとすら恐れてもいた。父親には母を頼むと小さい頃から言われていただけに、彼は母親に強く依存しすぎるくらいに一番に考えて生きていた。少々度が過ぎるかと自分でも思ったが、富豪令嬢だったとはいえ駆け落ち同然に父と一緒になって勘当された母を知っているだけに、自分以外にもう家族を持たない彼女を差し引いて考えても、決して馬鹿にできない依存だと行き着いてしまうのだ。この依存で母が護られるならそれはそれでいいではないかと開き直っている点もあるが。
――自分しか、守れる人間がいないのだ
住まいに警護を回したが、いくら人を配しても、母を残すことを躊躇った巽は、無理に彼女を自分の傍らに連れてきたという。危険を防止するには、やはり遠くの場所に置いておくよりも、常に傍にいさせることにしたのである。細心の警備を配し、侍女や衣食といった身辺に何不自由ないように手配した。砦の中に、最高級の仕度を構えさせた部屋に留まらせたが肝心の本人からは自分は疎まれていた。物質的に満たしても何も意味をなざなかった。それどころか自分がつけさせた護衛によってますます距離は増し、母は余計に遠くなっていくかのようでもある。征一郎本人は取り繕う努力をしているが、この親子は、父親が叛旗を翻したあの日から心が通い合わなくなっていたのだった。
政務に追われて忙しかった父親、…それを寂しく見つめていた母の姿を、幼い頃から巽は知っていた。物悲しそうにしている母親の気分を晴れさせるようにいつも彼女の所へ行って声をかけていたものである。母を喜ばせようとして、書を読み、剣の腕を磨き、文武に秀でた才を発揮することに彼もまた、惜しみのない努力を注いだ。素晴らしい成果をあげると、母は微笑みながら自分の成長を喜んでくれたものである。父親を見つめる瞳になると陰りがでてくるその姿を悲哀に感じた巽は、声をかけてもらうために何事にも励んだ。秀でて、外の仕事に手一杯の父親に負けないように家を守ることを目標として穏やかに過ごしてきた。宮廷の腐敗で、ようやく政務から離れてひっそりと父が暮らそうかという時、半ば彼は安堵した。これで母も安心できるだろうと考え、もう父親には叔父の下へ行って欲しくないと願っていたのだ。そのため、自分を王位につけようと企てた父の変貌ぶりには怒りを覚えたものである。なおかつ、自分は極力、政治に干渉せず、安穏に生きる文人であろうことを選んでいたのに、父親は取り返しのつかない事態を招いた。巽自身、亡き前王の息子であった父の立場をよく判ってはいた。自分の義弟と敵対することがどれほど苦渋に満ちた決断であったかも判らないわけでもない。だが、なぜ自分なのかと存在を羨むことがある。叛旗を決断したとき、夫と息子の状況を知った母親は青ざめていた。自分の傍から、お前も離れていくのか、と裏切られたような顔をしていたのを巽は皮膚で感じ取ったのであるから。
しかし、父親譲りの才能とは隠しきれるものではなかった。初戦において、その当日、暗殺された父親に代わり、巽は公爵側の全ての指揮を担うことになった。土壇場に追い込まれ、全てを背負う覚悟をしたからには勝たねばならなかった。勝たねば母を護れぬのだ。高揚し、よりいっそうの士気の高まった自軍は、巽の知略に富んだ作戦の元、歴史上最短の時間で敵の城砦を落すことに成功した。亡き父をよく知り、長く仕えている者達の興奮状態は敵にとって最も激しい打撃であったらしく、復讐に燃えた老練な部下達のあまりの残虐性に正視できないところもあった。あの初戦の勝利を“薄汚れた”と形容した占い師の言い分とはこれこのことかと彼は密かに納得したものである。
最終局面に至った決戦の前日、自室にて人払いをした後、自軍の勝利の象徴を刻んだ旗に目をやった巽は溜息をついた。勿論、誰もいないことを確認した上での溜息であったが、その日の顔色は終始優れなかった。
初戦突破の時の、頭に残る戦場の悲惨な光景が離れそうに無い…。生前、お互いに会ったこともない人間同士が殺しあうのである。足を無くして悲鳴をあげる者、ひれ伏して二度と起き上がらない者、矢を受け、口を開けて大の字に倒れた者や仁王立ちに最期を遂げる者もいた。どちらが有勢なのか判らぬほどに戦闘は苛烈を極めていた。巽は、自軍の士気の殺気じみた行動を感じていた。あの時、父親を暗殺されたことでいや増した士気のせいだけであったのか…それともこれから一生つきまとう流血の道の一歩であるのか。
当日、どんよりとした天候の中、その日は来た。この内乱において最も要となる最終局面である。
目前に控えた開戦、士気も最大に高まっている。隊列の前を移動する馬上の若き指揮官は、前方に対峙する国王軍を遠くに見据え、深く息を呑んだ。しかし、その時、数メートル先に浮遊者が目に飛び込んできた。地に足のついていない幽霊のような男…先の戦闘で殺されて、自分を恨む亡霊が化けてきたのか、兵士らしからぬ無防備なその男に、一瞬、巽は目を奪われた。副官や他の兵士達は何も感づいていない。自分だけに見える幻…。
――白昼夢…?
白銀に光る鬼の姿だった。空中に立ち尽くすその美男子は、どこかこちらを値踏みするように伺っていた。自分は早々に負傷でもしたのかと目を疑ったが、やがてそれは、王太子率いる敵の軍勢には関心のなさそうな顔を向けて消えていった。幻が失せる瞬間、銀色の瞳と目がかち合った巽は吸いつけられるように前のめりになっていた。不信に思った従士が、具合でも悪いのかと下ではらはらしていたことに気づくのに数秒も経なかった。巽はすぐ、何事もないように意識を取り留め、目前の軍事に気を戻したが…。
敵の軍勢はいまや一万にも満たない。一万八千と見積もったが、派遣した伝令使によればせいぜいが一万であった。巽の率いる公爵側に初戦敗退した国王、宮廷派の軍勢も、その後に急遽、編成した傭兵部隊に軍事力の殆どを委ねている。寄せ集めの正規軍…統率力の欠けた編成。
――勝てる
相対する敵陣のずさんな包囲陣を見て、不適な笑みが浮かんだ。彼は予め多くの罠をかけていた。今回、あえて森林と沼の多い難しい地形を選んでいるのだ。事前に内通者を放って地形を察知し、情報を集めた巽は敵方の陣容と各隊の特徴を熟知していた。敵陣にもこちらの内情は漏れてはいたが、情報量とその検討能力においては巽のほうが卓抜していた。王太子軍主力の正面に本人が飛び出るという突飛な挑発をかけて王太子を誘発し、荷駄や歩兵の背後から突然出現した自軍に襲わせるという綿密な作戦を軍儀で発案したのだ。馬上衝突戦に秀でた集団を用いて、彼はこの戦において卓越した技量を発揮することになる。戦闘終了時、多くの味方はその秀逸した自分達の指揮官に対して一生忘れえぬ戦い振りを記憶に植え付けることにもなろう。
午後三時前後、戦端が開かれた。この野戦を突破すれば残る攻城戦で全てが終わる。兵数も質もそうだが、戦術的にも戦略的にも圧倒的に巽の軍は優位であることに変わりはない。
――ケリをつけてやる…大きな流血もこれで終わりにしたいものだ
手綱を持つ手が武者震いを引き起こす。集中力を高め、深呼吸の後、目前に控えているであろう勝利を奪い取るため、彼は指揮を放った。
三時間後、公爵側は大勝利をあげる。その精鋭された部隊の士気、統率は見事なものであった。勝利の後に起こる、ただひとつの誤算を除いては…
その夜、宮殿からの脱出を立案した邑輝は王女と、その親しい者だけでも逃げ出させる手配をした。巽の統制された見事な軍勢から、国王派の敗北を戦場において早々に悟った邑輝は、再三にわたり王女を説得し、自分を最後に回して、先に他の女性や子供を逃してからなら、という条件で受け入れられたのだ。
実際のところ、この王女は巽自身に総攻撃の直前、手紙を受け取っていた。巽は、城内にいる女性や子供だけでも早々に抜け出すように指摘をしていたのである。二ヶ月前、初戦で自分が落した砦から逃げ延びて、国王の下に戻った王女を巽は密偵により知っていた。知ったところで何をしかけてきたというわけでもなく、ただ単純に、もうあの時以上に無抵抗の女性や子供に血を流させたくなかったと考えていたのであろう。
仕度も殆どが実行に移され、邑輝の算段は上手くいった筈であった。しかし、邑輝と共に最後の馬車に乗ろうという折、王妃直属の従者が隠密のこの行為を聞きつけ、数人駆けつけて来た。
「―――王妃様…お義母様が私をお呼びに?」
代表して呼び止めた従者は、何の用件かは話そうとはしなかった。ひっそりと隠密に事を運び、ここまで来たのだ。今頃、何の用件かと邑輝の苛立ちも最高潮に達しようとしていたので、男達に殴りかかってでも彼女を連れ去ろうと決めて前進した邑輝だが、それは王女の静かな手に阻まれる。本来ならば、他のものなど放置して彼女だけでも連れ去ることができるのにと、実行中に幾度も歯がゆい思いをしていたのだから…。
心配そうな眼差しを向けていた邑輝は、城に戻ろうと足を向けた彼女を引き止めた。しかし、王女は不安げな表情を隠し、先に義姉とその子供達を先に連れて行かせるように指示した。
「無視しましょう。行商人の馬車として抜け出せるのもこれで最後の機会なのです」
「きっと何かお困りになられているのだし、そうなると私だけ行けないわ」
「ここまで来たんです…早く行かねばもう、この城は危ない」
――あの男は今にもここを攻めてくる。そうなれば、貴女が危ない
邑輝の耳に近づいて、彼女は小さく囁いた。
「見知らぬ貴方の姿に彼らも不信がっているの。私が行って誤解を解いてきます。それに、公爵家の指揮官の手紙にもあったように、標的とされているのは王妃様、…お義母さまや国王陛下であって、おとなしく降伏すれば人道的に行動し、無抵抗の王族の命は助けてくださると書いてあったでしょう」
あんな紙切れの戯言など信じられぬと邑輝は言い捨てたが、王女は頑として了承しなかった。
「あの手紙、私に対してたくさんの謝罪の言葉があったの。以前にも密偵が来て、彼のお母様からも同じような手紙を受け取ったわ。…昔、何度かお会いしたことのある女性なの。密かに私達、親友でいたのよ。とても優しい人だった。…息子や、自分達のしたことを許してくれと涙ながらに書いてあった…。私のお父様やお義母様はあちらのお父上に酷い仕打ちをしたというのにね…。だから、きっと信じられるわ」
ヴェールで顔を覆い、誰の目にも触れぬようにして王女はゆるやかな接吻を邑輝に授ける。
「誰が悪いとか、そういう所を考えたら私も辛くなる…でも、前を向いて自分で選んでいかなきゃならない。お父様やお義母様も、それなりの生き方をね」
「……馬車を送り届けたらすぐに戻ってきます。そうすれば、今度こそ連れて行きますからね。そのときだけは、たとえ能力を使ってでも」
恋人に邑輝はもう一度唇を合わせた。
「さあ、行って…歩けない義妹や子供達を連れて行ける男は今はもう、貴方しかいない。他の護衛達が見つけて騒ぎになる前に」
夢を会わせて彼らは別れた。
霧の中、照らし合わせた最後の夢を
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