−桜木荘−

モラトリアム伝説編 第1話(氏照)


 

T都N区のとある木造アパート。
築40年を超えているが、一度もリフォームはされていない。
あちこち痛んで今にも倒れそう。
でも、強い風にも激しい雨にも負けない。

ここは『桜木荘』

#1「君の名は」

「あー、だりぃーなー……」
二〇二号室、一人の青年が布団に包まって寝ている。
時計は13時5分を指している。
「なんつーか……、金がねぇとやることないのな……」
季節は冬、ストーブをつけるのも惜しい。
昼間も布団をかぶって寝ている。
出かける用が無ければ一日、布団の中で過ごす。
「てゆーか、三日ぐらい寝てんべ……」
とにかくヒマだ、やることが無い。
仕事は……あまりしたくない。
家賃はべらぼうに安いから、あまり働かなくても何とかやっていける。
五日間、続けて働いたので、
かったるくなって同じ日にちだけ休みをもらったのだ。
「なんか……、ねぇの?」
懐は極寒。
外も極寒。
散歩する気も起きない。
「……」

ドンドンドンドン

全身に振動が、音が響いてくる。
誰かが階段を駆け上がり、廊下を小走りに駆けている。
『誰か』が、青年の部屋の扉を開ける。
鍵は、かかっていない。
前に仕事から帰ってきてから、ずっと開きっぱなしだった。
「佐藤くん、ひま〜!?」
クソ寒いはずなのに、汗ばんでいる男が入ってきた。
ドカドカと部屋の主の許可も取らずあがり込んで彼の間近にドンと座る。
「ああ、井野やんか……」
井野やんと呼ばれた大柄で、貧乏なくせにタップリ太った男はいつだって汗ばんでいる。
年がら年中、季節を問わない。
「あのね、この間シマさんが……《何でココ、桜木荘って言うのかナァ……》って聞いてきてさあ。
ボクも知らなかったから、今度佐藤君に聞いてくるって言ったのをちょうど思い出して。
きっと今日を逃したら二度と思い出さないと思って忙しい時間を割いてやって来たってわけ!」
「てゆーか……何でシマさんはそんなこと聞いてきたのよ?」
「さあ……シマさんの考えてることは誰にもわからないでしょ!?」
「ま、そーか……」
「でさあ、どーなの?
やっぱり大家さんの苗字が『桜』だから?
庭に桜の樹があるから?
佐藤くんはココ長いから大家さん知ってるんでしょ?」
桜木荘の大家は、失踪して久しい。
佐藤君の記憶では四〜五年前から姿を見ていないということになっている。
「アー、あれね……」
むっくりと布団から上半身を起こし、腕を組んで考えるポーズを取る。
「イイ線行ってるけど、違う」
ボンヤリと、記憶がよみがえる。
「桜木町」
「なにそれ?」
「昔住んでたんだってさ。あの、東急東横線の終点。
だから改名したんだって、25年前に」
パタッとまた横になる。
「ダジャレ? 語呂合わせ? しかも途中で?」
「そーみたい……。あと、大家の名前、『桜』じゃないから」
「へ?」
「『佐倉田』」
「何で表札『桜』になってるの?」
ゆるゆると記憶を引き出す。
「さあ……おれ、表の表札、見たこと無いから……」

つづく

登場人物
佐藤くん:27歳 フリーター 本名 佐藤 隆(さとう たかし)
井野やん:27歳 パソコンショップ勤務 本名 井野 次男(いの つぐお)