≪桜≫
窓を開けたら、風に紛れて桜の花びらが一枚、部屋の中に舞い込んできた。
きっと、署の裏にある桜の木から散ったものだろう。
もう日が暮れる。
窓の外に広がる光景は、薄暗さを帯びている。
そこに桜の薄桃色は見当たらないものの、感じる空気の暖かさは春という季節の訪れを告げている。
机の上に落ちた桜の花びらは、満開の桜の木を思い出させる。
この部屋に存在するのはその小さな1枚だけであるというのに、その色や形が記憶の中にあるのイメージを呼び起こすのだろう。
「……ところで、メイ」
机の上に落ちた桜の花びらを、指でそっと摘み上げながら、私は同じ部屋にいたメイに声をかけた。
「なあに?」
読んでいた書類から顔を上げて、メイは私に目を向けた。
「仕事が片付いたら、桜を見に行かないか?」
「桜?」
メイは室内の時計に目をやった。私もつられて、同じ時計に目を向ける。
そこに見える現在の時刻を眺めつつ、メイは何かを考えているようだ。
「――仕事が片付くのを待っていたら、ずいぶんと遅い時間になってしまうと思うのだけれども」
「承知の上だ。私は別に、遅くなっても構わないがな」
「そう。まあ、夜桜を愛でる、というのも悪くはないわね」
夜桜――メイも同じ事を考えてくれたようだ。
確かに、かえってもう少し時間が経った方が、夜桜を見るには都合がいいかだろう。
「ああ。公園の桜は、きっと今頃が満開だと思う」
「わざわざ公園に? ここの裏にも桜はあるわ。桜を見るだけなら、そこでもいいじゃない?」
私の言葉に、メイは怪訝そうな表情を見せた。
確かに、公園は、ここから駅とは逆――人気の少ない方向に少し歩いた場所にある。
……メイの言葉の通り、ただ満開の夜桜を見たいというだけならば、それこそ署の裏に足を運べば済む事なのだが。
「いや。あそこはまだ人目が多いからな」
署に詰めている人員が、仕事の息抜きにと桜を見にくる事も多い。
桜を眺めている時に、近くに顔見知りがやってくるであろう状況を考えると、正直、とても落ち着かない気分になる。
「この時間になると、公園の方がかえって人がいない」
「……人目があると、何か不都合になるような事でもしでかすつもりかしら?」
そう言ってくるメイの表情には、少しばかり、警戒心がこもっているように思える。
人目があると何か不都合の事、というのは、メイの中でどんなイメージを持っている事なのやら。
メイが何かしてほしいというのなら、やぶさかではないが――と口にしようと一瞬考えたが、やめた。メイの気分を損ねてしまいそうだ。
「いや、単に少しばかり肩の力を抜きたいと思う場合、誰かの目があるというのはあまり歓迎したくは無い、それだけだ」
「そう……なら一人で公園でもどこでも行ってくればいいじゃない。誰もいない方がいいんでしょう?」
妙な事をメイは言う。
私は、メイと一緒に桜を見たいのだ。なのに一人で行けというのは……あまり意味がないではないか。
「一人で行くよりも、私はメイと一緒に行きたいのだが」
「……矛盾しているわ、レイジの言葉は」
メイの表情に少しだけ笑いが浮かんだ。
……何か、私の言葉がおかしかったのだろうか。私自身は、別におかしい事も、また矛盾しているような事も、そのような類の事は何も含めたつもりはないのだが。
「まあ……いいわ。桜を見るのは嫌いではないし、たまには別の場所の桜もいいかもしれないわね。仕事が終わったら付き合ってあげる」
2004.04.18.
やっと書けた桜の話です。
いえ、もう、外の桜は散ってピンク色はこれっぽっちも残っていませんが。
時期を微妙に逃してしまったのが……_| ̄|○