≪証拠品:勾玉≫
この法廷での私の役割は終わった。もう2度と、弁護士としてこの場所に、この側に立つ事はないだろう。
このまま続けて、私が捜査の続きにあたる事はありえない。つい先ほど、前後不覚状態だった入院中の成歩堂から連絡が入り、この法廷後に担当弁護士という役割を、正当なる弁護人となるべき彼に返す事になったからだ。
病院で見たあの様子の成歩堂が、果たして捜査を行えるほどに回復したのかどうかは怪しいところだが、成歩堂自身が大丈夫と言うのならば、それを信じないわけにはいかないだろう。
それに、本人が大丈夫だと言うのならば――実情がどうであれ、それ以上私が口を出す事はできない。それはにわか弁護士であるところの私がこのまま事件を追い続けるよりも、病に侵されている成歩堂に交代した方がいいと、成歩堂自身が判断したことに他ならない。
成歩堂ならば、この事件の真相にたどり着いてくれるだろう。私が、そして冥が法廷で証明した事実が明らかになりゆくこの事件に結末を、成歩堂ならば――
そう思いつつ、私は成歩堂に渡すべき証拠品などを簡単に整理した。
どれもが、何らかの真実を握っているであろう重要なものだ。まあ、中には、何が何やら今の時点ではさっぱりわからないモノもあるのだが。矢張の絵などはその筆頭だ。あれ以上の嘘をついているとは思えないものの、だからこれが何を意味しているのかというのは見当もつかない。きっと成歩堂は、この絵が内包する真実にたどり着いてくれる事だろう、きっと。
さて、これらの証拠品や先ほどの法廷での証言など、成歩堂に口頭で伝えれば十分だろうか。それとも文書にした方がいいのだろうか。熱のある状態では、長い文章を読むのは辛いかもしれないが。
――と、私は証拠品の1つを手に取った。正確に言えば、それは成歩堂自身の所持品であり、事件に関わる証拠品ではないのかもしれないが。
勾玉と呼ばれる物品であるそれは、成歩堂いわく、秘密を抱えた他人の心をサイコロ錠という形で見る事ができるものだという。
最初は、熱で頭が浮かされ、白昼夢と現実の区別もつかなくなった人間は哀れだなと思ったものの、実際に私はそれを使い、サイコロ錠が見えてしまったのだから……この勾玉の不思議な力に関しては否定できない。
しかしながらこの勾玉はどのような仕組みなのだろうか。
きっと私などには正しく理解できないようなシステムなのだろうという気はしたが――私はその勾玉を引っくり返したりつるりと指先に冷たい表面を撫でたり、何かスイッチやアンテナでもあるのかといじくり回す。
無論、そんなモノがあればとうの昔に気がついているだろうから、この行為自体が無為なモノであるのだが。
「御剣怜侍!」
と、そんな事をやっていると、証拠品の整理を行っていた部屋に荒々しい音をたてて誰かが入ってきた。
メイ――顔を見なくても声だけでわかる。この声の主は、間違いなく不機嫌で怒っている。
そう推測しつつ顔をあげると、案の定、そこには怒りやら屈辱やらの素直な感情を浮かべて真っ赤になっているメイの姿があった。まあ、法廷が終わる直前のあの様子からして、その姿には何の不思議もないのだが。
「メイ。だからその他人をフルネームで呼ぶクセは――」
「うるさい!」
ぱしっ! メイの鞭が私の座っていたソファを叩いた。私に当てなかったのは、ここはもう法廷ではないからという事だろうか。
やれやれ、と肩をすくめつつ、私はメイに顔を向けた。
「――では、狩魔冥。君からの呼ばれ方について異議を申し立てようとする私に対し、その発言をさえぎって一方的にうるさいと声を荒げるほどに何か緊急の用件があると思うのだが、何か用か?」
「私の用を察せないほどに頭の回転が鈍ったとは思えないけれども、御剣怜侍!」
「証拠も根拠もなく、単なる推測でモノを口にするという行動は、法廷の外であろうとも美徳ではなかろう。私も少し忙しい。用事があるのならそちらから口にしたらどうだ?」
――と言いつつも、メイが言いたいだろう事は見当がつく。というより、わからないほど私は鈍くはないつもりなのだが。
「そう。それがアナタの態度なのね。なら言ってあげるわ御剣怜侍」
そんな私の態度が気に食わないようで、メイの表情が強張るのがわかる。まあ、そうなるだろう。
「わざわざこの私をアメリカから呼び出したその理由をうかがいたいのだけれども。しかも、成歩堂龍一ではなく、アナタが弁護士として担当するという事実を伏せて」
私が弁護士になったのは、結果的にそうなったというだけだ。それに本来の担当弁護士は成歩堂で、私が胸にこの弁護士バッジをつけているのは、長くてもあと30分ほどだというのに。
「そして最後の、最高のパートナーって……つまり弁護士の御剣怜侍の初白星を飾る相手として、自分の敗北が考えられない格下の相手という意味かしら?」
と、メイはまた私をフルネームで呼んだ。
先ほどから不必要なほど名前を連呼されているのをみると……どうやらこれは、かなり意識してフルネームで呼ばれているようだ。
「ふむ。では狩魔冥、君は私にこの国に呼ばれた事を喜んではいない、という事だろうか?」
「当たり前でしょう!」
「そうか? 私はどのような事情が待っていたにしても、この国でキミと再会できるであろう事が素直に嬉しく思えたのだがな」
私がそう言葉を返すと、メイの頬にさっと赤みが走った。
「な……なによ、それは!」
「なに、と言われても」
言葉通りの意味以外の何者でもない。それを伝えると、メイの顔がますます赤くなる。
「1年近く、顔すら合わせていなかったからな。電話で会話を交し、メイの声を聞いただけでもたまらなかったというのに、会いたくなかったわけはなかろう? それともメイは、私との再会は不愉快なものだったのだろうか?」
待ち望んでいた再会がこの法廷での事だったと、いう事実を考えれば、メイにとっては不愉快だったという可能性は十分に高いものだったが、それにはあえて目をつぶる事にする。万一、メイに『不愉快だ』と断定されたら、それはそれで私はとても落ち込む事になるだろう。
「ふ、不愉快……っていうわけじゃ……」
だがメイは、じっと見つめる私の視線から目を逸らしつつ、言葉をそうにごし――そして自分がこの部屋に来たその理由を思い出したのか、はっと表情を再び強張らせて私をにらみつけた。
「話を逸らさないで御剣怜侍!」
話が逸れたのは事実だが、故意に逸らしたつもりはないのだが。
「まだ私はあなたがどういうつもりなのか聞いていないわ! なぜ、どうして――」
と、メイは大きく息を吸い込んだ。私にキツい視線を向けて、そして、吐き出すようにこう言った。
「なんで……弁護士なのよ!」
「なぜ、というのは?」
「法廷に……」
と、メイは言いかけて、自分を落ち着かせるかのようにもう一度息を吸い込み、吐き出した。
「御剣怜侍は検事である――と考えていた私は、この1年間、誤った認識を植え付けられていたというわけかしら?」
……そういうわけではない、と、言いたかったのだが、この状態のメイを納得させるのは時間がかかりそうだ。
メイにそう思われてしまっているのは、多少なりとも、私自身に自業自得な面がある。説明を怠るつもりはないのだが――私は部屋の壁にかけられた時計をちらりと見た。
そろそろ、出た方がいい時刻だ。メイと話したいのはやまやまだが、この後の事を考えれば、のんびりと会話を楽しんでいる時間は残念ながらどこにもない。
「申し訳ないがメイ、これから先も事件の調査がある。ゆっくり話している時間的な余裕がないのだが」
「それは弁護士御剣怜侍としての言葉、と受け取っていいのかしら?」
「いや……担当弁護士はあくまで成歩堂龍一だ。私はその代理に過ぎないし、これ以上この事件に対して弁護士という立場で接するつもりはない」
「そう。という事は、弁護士を成歩堂龍一と交代した後、今度は私と担当検事を交代するつもり?」
メイの声に、氷のような冷ややかさと鋭さが混じった。過去に時折耳にする事のあったこの響きは、メイが怒っている時のものだ。その感情をつとめて表に出さないようにしようとすると、このような声になる。
「……事件の担当検事を交代するつもりはない」
「そう、ならいいわ。見ていなさい、御剣怜侍。事件の真相は私が暴いてみせる。狩魔の名にかけて――弁護席に立った成歩堂龍一に、今度こそ私は有罪を言い渡してみせるわ」
つとめて冷静を装いつつそう言って、メイは私に背を向け早足で部屋から出て――行こうとして、振り向いた。
「あなたが私を扱いやすい格下の相手だと考えてこの国へ呼んだというのなら、それが大間違いだという事を証明してあげるわよ」
捨て台詞のようにも思えるタイミングで、メイはそんな事を口にする。
……どうやらメイの思考の中で、私からの発言や行動が、歪な形で曲解されているらしい。
しかしどう言えば、その誤解がとける事やら。メイの態度を思えば、少なくとも二言三言でどうにかなるようなものではないだろう。
時間は惜しい、そして時間はない。だが――
「メイ。私が君を呼んだのは――」
「聞きたくないわよ!」
それを初めに問い詰めてきたのはメイの方だと言うのに、メイはまた、私の言葉をさえぎった。
「レイジとなんてもう話したくもないわ! せいぜい私を笑っていなさい!」
ばん! 冷静さは完璧に剥がれ、荒々しい音でドアを乱暴に閉め、メイの靴音が部屋から遠のいていく。
どうやら私はメイを怒らせてしまったようだ。とはいえ、あんな短い時間でメイの機嫌をなだめるのはかなり困難な事だったのには間違いない。
元々、メイに対して、勿論私自身に対しても、説明不足のままこの国に戻り、そして否応ナシに事件に巻き込まれてしまったのだから、何かしらの誤解や齟齬が生じてしまうのは仕方がない。
……事件が解決したら、メイとゆっくり話せる時間ができるだろう。そうしたらそこで、じっくりと話せばいい。
ついでに、私がメイに会えてどんなに嬉しく感じているのかを理解してもらえばいい――と、私は手に握っていた勾玉の存在を思い出した。
「……この勾玉をキミが使う事ができれば、私の心になんら隠し事や秘密がないと理解してもらえるだろうにな」
もっとも、そろそろこの勾玉は、私の手を離れて本来の主である成歩堂の元へと戻る。私が都合よく考えているそんな機会はもう生まれる事はないだろう。
残念な事だ――と、私は勾玉を証拠品と資料を詰めたバッグに戻し、部屋を出た。成歩堂が待っている。
2005.04.30.
2005.2.6.発行の無料本、『証拠品:勾玉』より転載です。
本当はもうちょっと長い話の予定で、
この後、逆裁3ED後にまた成歩堂から勾玉を借りた御剣が
冥タンに対してレッツ言葉責めwith勾玉プレイという
非常に人間失格な脳が垂れ流す妄想に続くはずでした。
思いとどまって正解だったような気もします。