受験生にクリスマスはない。仕方のないことだけど、やっぱり世間が楽しそうに浮足立っているときに自分は勉強しなきゃいけないって寂しいな。
もちろん中学3年生の僕、筒井公宏も「受験生」である。学校は冬休みのため今日も昼から塾へ行く。
朝は高校生の授業で自習室も先生も、中学生に入る隙間を与えてくれないから。
擦れ違うカップルに、羨望とも諦めともつかない視線を送る。
やっぱりちょっと寂しい……。でも、あの高校にはどうしてもいきたいし、頑張ろう。
「筒井。」
決意を固めた僕に横から声がかかる。
見なくても解る、低い声。
「加賀……」
「今日も塾か?」
「うん。加賀は行ってないんだっけ?」
頭いいもんな…………。
「行く訳ないだろ、行かなくても余裕で受かるんだからな」
行っても受かるかどうかわからない僕に加賀の言葉は強すぎた。同じ高校目指しているのにこの違い。
僕は小さく溜息を一つついた。
「じゃあ、僕は急ぐから」
そう言って背を向けて立ち去ろうとした腕をがしっと捕まれる。
少し、僕の鼓動が速くなる。
「何?」
「いいから来いよ」
「遅れちゃうよ」
「休め」
横暴なやつ。自分のことしか考えてないんだから…………。
「僕は加賀と違って塾行かなきゃ受験できないんだよ」
「来い、って言ってるだろ」
鋭い視線で睨まれてぞくっとした。
なんで僕が睨まれなきゃいけないんだよ…………逆じゃないのか?
そう思いながらも僕は加賀について行くことになった。
「お邪魔します」
数分後、何故か僕らは僕の家にいて、加賀は楽しそうに母さんと談笑していた。
「それじゃあお願いね、加賀君。後でジュースでも持っていくわ」
笑顔の母さん。え……何…………?
「行こうぜ!」
話が飲み込めないまま僕は自分の部屋へと駆り立てられた。
「ほら、座れ」
「僕の部屋だよ、何で加賀に言われなきゃならないのさ」
「お前がとろとろしてるからだよ。全く行動もとろいし要領も悪いんだから……」
人が気にしていることを…………。
「で、何のつもりだよ」
僕はかなりむっとした顔で言ったと思う。
勝手に塾をサボらされて、家まで来られて、機嫌がいいわけがない。
いくら加賀だからって…………。
「勉強教えてやるんだよ」
「?」
「だから、要領の悪いお前でもマシになるように俺が教えてやるって言ってんだ」
少し拗ねたような表情。
「あ、ありがとう…………」
呆気にとられている僕の鞄の中から勝手に問題集と過去問をとりだす加賀。
「こんな問題集使ってんのか。これよりは…………」
ぶつぶつと文句を言って、それでも僕にここを解くようにと指示をする。
僕の手が止まると横からペンで頬を突かれる。
「何でこんな問題で止まるんだよ、お前は」
そう言って丁寧に教えてくれる。塾の先生よりよっぽど上手い。
「あ、そうか。そうすればこの方程式で成り立つんだ」
数学は解ると嬉しくなる。
僕が理解すると加賀は口元を少し上げて笑う。
何問目かを聞いているとき、僕はつい、加賀の横顔に見とれてしまった。
真剣な表情、真っ直ぐに問題を見据えている。
息がかかるぐらい近くにいて、ちょっと動くと身体が触れてしまう。
「こら、聞いてんのか」
軽く問題集で叩かれる。
「ごめん」
素直に謝る。せっかく加賀が教えてくれているのに聞いていなかった僕が悪いんだから。
でも、こいつは自分の格好良さを解っていない。見とれてしまっても仕方ないと思うんだ。でも本人はふざけて自分を格好いいと言うことはあってもあまり理解していない。
僕はそんな加賀が好きだと思う。受験生だし、男同士だし、僕はこんなにトロいけど…………。
初めは、ただの憧れだと思ってた。
勉強が出来て、囲碁も出来て、格好良くて、自由で、女の子にももてて。
同じ男として並ぶのが嫌になる。
でも、僕は加賀の隣にいたかった。
「はかどってる?」
不意にドアが開き、母さんがジュースとお菓子を持って入ってきた。
「ありがとうございます」
少し真面目ぶって礼を言う加賀が何だかちょっと可笑しかった。
「加賀君、夕御飯食べていく?」
唐突に母さんがそんなことを言った。
今はまだ夕方、僕の家の夕飯はいつも7時頃だし加賀の家もそれぐらいだと思う。
遅い時間ならともかく、今の時間からなら聞かなくても加賀は帰るだろう。
何て言ったって今日はクリスマスイヴ、予定のない人は珍しい。
「いえ、帰ります」
やっぱり加賀も驚いたような顔で答えた。
「そう、残念ね。……公宏、母さん予定通り出掛けるけど一人でちゃんと留守番しているのよ」
「あっ」
そう言えば母さんは予定のある人の例に漏れず父さんと外で待ちあわせて出掛けるんだ。
何でも今日限りのペアの食事券を貰ったらしくて、有名なレストランに行くらしい。
受験生の僕はその券がペアでなかったとしても行けるわけもなく、今日は大人しく塾へ行って、一人で家で母さんが作っておいてくれる食事と食べるんだった。
「おばさん、出掛けるんですか?」
加賀が尋ねる。
「そうなの。町内の福引きで当たってね。公彦は受験生だから……。一人で食事させるのも可哀相だとは思ったんだけど…………。」
母さんの表情が曇る。
「気にしなくていいよ、父さんと二人、新婚気分で楽しんでおいでよ」
僕は母さんに気を使わせまいと手をぱたぱたと振った。
「俺、夕食御馳走になっていいですか?」
加賀の言葉に僕はびっくりして目を見開く。
「そうしてくれると嬉しいわ。でも、お家の人大丈夫?用意しているんじゃない?」
「大丈夫ですよ」
笑いあう母さんと加賀の声が遠ざかっていく。
僕が口を挟む隙間もなく、勝手に決まっていく予定。
「じゃあ、行ってくるわね」
数十分後、僕と加賀は並んで母さんを見送ったのだった。
「どういうつもり?」
問い掛ける僕を全く相手にせずに部屋に戻る。
「筒井、お前高校行っても囲碁を続けるのか?」
質問を無視されたうえに逆に尋ねられ、一瞬躊躇する。
「つ、続けるよ!もちろん……」
本当は自信ない。碁は好きだけど、僕より遅く始めた進藤君にも抜かれた。
「お前、才能ない」
自覚していることを、はっきりと言われる。
「加賀に言われなくても解ってるよ!どうせ僕は加賀みたいに強くないし、頭も悪いよ!」
自覚していても、いや自覚しているからこそ傷付く。
大好きな囲碁にもどんどんとコンプレックスが溜まっていた。
「塾に行きたくなくてもサボる勇気なんかないし、サボれと言われて反抗する意志の強さもないし、クリスマスだというのに母さんも父さんも出掛けて一人で御飯食べることになっても、淋しいと言えないし、自由に行動でき、ないし……………………なんで、僕、こんな……に駄目、なんだ、ろ…………」
涙が出てきた。今まで積もり積もっていたものが爆発したように、溢れ出した涙はおさまることを知らない。
何も言わずに加賀は僕を引き寄せて自分の肩口に押し付けた。
涙が加賀の服に染み込んでいく。
「無理してるな、と思ってた」
加賀が僕の耳に囁くように言う。
「特に進藤に敗け出すようになってからかな。その前からもずっとそうだったけど、お前はいつでも一人で肩を張って、過ごしてた」
ぽんぽんと子供をあやすように背中を叩かれる。
「受験生は情緒不安定になりやすいから、……特に今のお前は目を離していられなかった」
黙って加賀の言葉を聞く。暖かい加賀の体温、心地よく響く声。
「受験生にクリスマスも正月も何もあったもんじゃないけど、1年に一度の行事だし今年のクリスマスは今年しかないから、お前と過ごしたかった」
加賀の口調が少し早くなった気がして、まだ涙が止まらない目で見上げる。
「好きだ。そう言って泣かせたかったんだけどな。こんなに煮詰まってるとは思わなかった」。
ゆっくりと唇が降りてくる。
甘い甘いキス。
「……僕…………」
口を開きかけた僕を加賀が制止する。
「おっと、返事は言わなくていいぜ、お前が俺に惚れてるって事はもうばれてんだからな」
「何言ってんだよ」
真剣な表情が打って変わって戯けたものになり、僕は少し笑った。
「冗談はともかく、クリスマスにフラれるのはごめんだからな。返事は明後日ぐらいにしてくれ。」
自嘲が入ったように笑う加賀に、僕はそっと抱きついている手の力を強めた。
「僕の何がいいの?僕は何も出来ないよ」
顔を加賀に押し付けているために声が籠る。
「何ってわけじゃないけど、筒井だからな」
照れたように、怒ったように言う加賀。
「メリークリスマス」
僕は加賀の顔を引き寄せ、返事の代わりに唇を重ねた。
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