ここへ来てからもやはり修業する癖は抜けない。
意味もなく、ただ封神台の中を駆け回っている。
一度遊びに来た玉鼎には「君らしい」と笑われてしまった。
「やはり可笑しいかい?」
暇だね、と話をしにやって来た普賢にその問いを投げ掛ける。
「時間の過ごし方は自由だよ」
穏やかに微笑む普賢にありがとうと小さく笑った。
こうでもしていないとあの子のことが気になって仕方がない。肉体が死に封神台に閉じこめられる形になった。何もする目標がないということは余計なことを考えてしまう。封神台にいるということ自体それだけで自分の中で精神の占める割合が高くなるということだ。
今、どうしているのか。
ちゃんと食事は取っているのか。
ちゃんと自分が言った修業のメニューはこなしているのか。
ちゃんと休んでいるのか。
今、何を考えているのか。
まるで父親のようだと自分でも思う。
あの子の本当の父親は俺がここに来てしばらくしてやって来たらしい。彼の居る場所とここはあまりにも離れていて、会う機会はなかった。
もっとも、彼は聞仲のところに入り浸っているらしいが。
「天化君が気になるの?」
普賢がお茶をすすっていた顔をあげた。
「ああ、可愛い弟子だからね」
言っていて自分でも苦笑した。弟子だという域を超えて自分の中に侵食している天化。
封神されてからずっと、いや聞仲と戦っているときでさえあの子のことを忘れたときはなかった。
あるようで無いような時間を過ごしたある日。
俺の元に一人の男が訪ねてきた。
「時間、いいか?」
封神台に居るかぎり何もすることはないのだし、忙しい人なんて珍しいとは思うのだが俺は大丈夫だ、と答えた。
トレーニングを中断し、男に誘われるままに封神台の入り口付近の休憩所に入った。
「こうしてまともに話す機会は初めてかな、武成王」
「ああ、天化を任せておいてろくに挨拶もしなかったことは詫びるよ」
テーブルに手をついて頭を下げられた。
驚いて手をぱたぱたと振る。
「こっちこそ、大事な息子さんを預かっておいて何の音沙汰も無しで悪かったと思うよ」
お互いに頭を下げあって苦笑した。
今までこうして武成王と話をする機会はまるでなかった。
お互いに天化を通して話に聞いていただけだった。
軽く他愛もないことを談笑して、急に武成王の顔が真剣なものへと変わった。
「今日明日中に天化が来る」
「!!?」
驚く俺をよそに武成王は続けた。
「何となく勘、というか外の様子を見ているこいつが言っているんだけどな」
こいつ、と自分の後ろを指す武成王の背後には、いつ来たのか聞仲が立っていた。
「しばらくだな、道徳真君」
「ああ」
君に殺されて以来だよ、とは言えずただ苦笑した。
「それで、天化が来るって言うことはやっぱり…………」
「封神される、おそらく陛下によって」
聞仲の声に思わず睨みつけてしまい、溜息とともに視線を下ろした。
「何故それを俺に?」
恐らく強張った表情で聞いたであろう。
「何故って、天化を思う気持ちは同じだろう?道徳殿」
軽く笑う武成王に、何かあるのかと緊張した俺は拍子抜けした。
武成王の隣に聞仲が腰かける。笑いあう二人は穏やかで俺一人が浮いている気がした。
ー 黄天化様がいらっしゃいました ー
休憩室内に放送が響く。
俺は、がたっと音を立てて立ち上がり、封神されたものがまず始めに訪れなければならない小屋へと向かった。
小屋の中には衰弱した魂魄のための小さなベッドがいくつかと、小さな机、イスがあった。
俺がここに来たときは玉鼎が迎えてくれた。
とはいうものの俺は力尽きると言うよりかは、力が及ばずに死んだために精神はしっかりしていて休む必要もあまりなかったのだが。
しかし、天化は違ったらしい。
ベッドに横たわるその身体は見るからに憔悴していて、瞳は閉じられていた。
「天化……」
数歩近づいて、それ以上進めなくなった。
一人の女性が…………天化の横に付いていた。
「賈氏、来てたのか」
後ろから聞仲とともに武成王が現れた。
「ええ、私の大切な息子ですもの」
歩み寄る武成王。
俺が進めない距離を、彼は難なく進んでいく。
聞仲は見守るように入り口で立ち止まっていた。
この距離が、天化との距離。
肉親ほどは近く寄れず、しかし、誘われるほどは近しい。
穏やかな微笑みで天化の頬を撫でる女性に、イスを横に付けて座る武成王。
俺の入り込めない、別世界のようだった。
「傍に行かないのか?」
背後から聞仲に声をかけられ、無言で首を横に振った。
俺の足は進もうとしなかった。
かといって外に飛びだすことも出来ず、ただ、映画の一コマを見るように、遠い世界の出来事を見るようにその家族を見つめていた。
天化にとって父親は大きな目標であり、憧れであった。
ー いつか親父を超えてみせるさ ー
と何度も聞かされたものだった。
母親については何も言わなかったが、武成王が朝歌を離れた原因を話したときのあの辛そうな表情からとても愛していることがわかった。
天化はとても家族を大事にしていた。
「随分疲れているようね」
賈氏が天化の髪を撫でる。
「ああ、精神的にも肉体的にもかなり無理していたようだしな」
武成王が柔らかく微笑んで天化を見ている。
「このまま目を覚まさないようでしたら私のところへ連れていってよろしいかしら?」
眠る天化はずっと安らかな寝息を立てている。
「俺のところじゃ駄目なのか?」
「貴方には太師がおられるでしょう?」
賈氏の微笑みに武成王が聞仲の方を向き、少し頬を染めた。
聞仲はというと小屋の入り口近くのイスに座り俯いていた。
「私は貴方の血を絶やさないために子供を産みました。でも、貴方が愛していたのは聞太師だったのでしょう?」
「女の中ではお前が一番だ」
「わかってますわ」
賈氏がまた眠る天化の髪を撫でだした。
「だから、天化は私の近くにいて欲しいの」
夫婦の会話に他所者が入れるはずもなく、俺は聞仲の横にイスを持ってきて、背凭れが腹に来るように入り口を向いて座った。
天化が家族を愛していて、家族も天化を愛していることは知っている。
天化が仙人界にやってきたのは父親を超えるためで、俺はその手助けをしていたにすぎない。
俺は天化にとって父親という目標を超えるための手段にしか過ぎなかった。
天化にとって、俺はただの他人だった。
天化を初めてみたのは朝歌を訪れたときに噂を聞いて、武成王と闘っているのを陰から見たときだった。
幼かった天化だが仙人骨とその才能に惚れて、少し迷ったがその日の晩にスカウトした。
仙人界にやって来た天化はめきめきと腕を上げ、強くなっていった。
天化が成長していくことはとても嬉しく、また少し淋しかった。
天化と一緒にいると楽しく、穏やかで、幸せだった。
だから自分が人として天化に惹かれていることを自覚したときもやっぱりか、としか思わなかった。
仙人であるかぎり禁欲は当然のことなのだがそれすらも考えられなくなるほど天化が好きだった。
いや今も、好きだ。
天化が自分に師弟以上の好意をいだいていると知ったとき、嬉しさよりも恐ろしさが勝った。自分が天化の人生を台無しにしてしまうなど考えたくもなかった。
しかし頭の固い仙人を驚かせるほど天化は無邪気で、純粋で、激しい気性を持っていた。
これほど人を愛したことはなかった。
でも、今は遠い距離。
肉親でもなく、恋人とも呼べない。
天化の「手段」にすぎなかった「師父」は、やっぱり他人のままだった。
「………………?」
「天化?」
閉じられていた瞳がゆっくりと開き、天化が目を覚ました。
「母さん、親父」
驚きと喜びの混ざった声を俺は背中で聞いていた。
あの暖かな家族の肖像にどうしてこんなに汚れた獣が入り込めるだろうか。
でも天化の声を聞いて、姿を見たくて、少し、振り返った。
両親に挟まれてベッドの上で微笑む天化。
まだ全快とはいえない様子だったが、それでも混沌とした眠りから目覚めるほどは回復していた。
すっと、目が合って、天化が口を開く。
「コーチ」
照れたような柔らかな微笑みは、紛れもなく自分に向けられているもので、俺はイスを蹴って立ち上がり、天化のところへと近づいた。
「…………」
「オレっち、後ろから兵士に刺されちまったさー」
家族には何も言っていなかった天化が肉体の死の最後のときのことを自分に言ってくれている。
久々に会う母、目標だった父が横にいるのに自分の方を向いてくれる。
天化が、ここにいる。
「コーチ?何で泣いてるのさ?」
涙がこぼれているのも気付かなかった。
「天化が、ここにいるからだよ」
何も考えずに目の前の天化を力一杯抱き締める。
「コーチ、痛いさー」
困ったように訴える天化を構わずに強く、強く腕の中の存在を抱き締めた。
少しでも、距離が縮まるようにと…………。
「コーチ」
朝食の用意をしていた天化が振り返って俺を呼ぶ。
もう来ないと思っていた穏やかな時間。
天化が居る空間。
あれから武成王と賈氏と天化で話し合いがあって、天化は一言、
「コーチを一緒がいい」
と言った。
残念そうにする賈氏に頭を下げ、武成王に軽く小突かれ、俺の胸に飛び込んできた。
俺の腕の中で聞仲に、親父をよろしくと笑う天化は武成王と聞仲の動揺を買っていた。
家族を愛する天化。
家族より俺を選んだ天化。
コーチと呼んでくれる天化。
天化との距離は抱き締める前から既に無くなっていた。
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