「八樹はいるかっ!!」
騒がしい剣道場に、ひときわ大きく響く不機嫌な声に俺は苦笑しながら面を外した。
「何?梧桐君」
俺が入り口の方へと行くと声以上に不機嫌そうな顔で、こう言われた。
「八樹、ゴリラは鎖に繋いでおくか、檻の中にでも入れておけ!」
ゴリラ、と彼が言っているのは俺の愛しい恋人のこと。失礼だな、とは思うけど梧桐君だから注意しても聞いてくれないだろうと諦めている。
「どうしたの?」
と聞いてみると、ふん、と背を向けられた。
「いいな!」
言いたいことを言ってしまうとさっさと行ってしまう。我が侭で横暴な生徒会長。恋人の半屋くんはどうして付き合っていられるのか、俺はいまだに判らない。
しかし急に嘉神のことを言われるということはもしかしたら何かあったのかもしれない。
「部長! 八樹、早退しますっ!」
早退なんて久しぶりだ。嘉神が待っていてくれているはずの普通科の彼の教室へと急ぐ。
「嘉神ー」
そう言って扉を開けるとそこには誰もいなかった。
「おかしいなぁ……」
鞄も見当たらない。帰ったはずはないけれど、もしかしたら行き違いになって剣道場に行ったのかもしれない。
とりあえず普通科の下駄箱のところに行くと嘉神の靴はちゃんとあって、剣道場ではという考えは打ち消された。
剣道場に行くにはまず一度普通科の校舎から出なければならないからだ。
「靴があるって言うことは、図書館でもないか…………」
そういえば俺が部活をしているとき、嘉神は何しているのか聞いたことがない。
いつも終わり頃にやって来て一緒に帰るか、初めからずっと見学していく。
俺が嘉神を迎えに行くということはなかったのだ。
「恋人なのに、俺って嘉神のこと知らなかったんだ…………」
途方に暮れていると何やら重そうな荷物が、いや、重そうな荷物を持った生徒会書記の青木君がふらふらと歩いてきた。
「重そうだね」
そう言って彼の彼の荷物を半分持つ。
「あ、八樹さん! 部活は終わったんですか?」
そう問う彼に曖昧に言葉を濁す。
「ねぇ、嘉神知らない?」
「いえ、見ていません」
「そっか」
そう言って、あてもなく校内を探すことを諦めた俺は青木君の荷物運びを手伝うことにした。
「ここです、ありがとうございました」
ぺこりと頭を下げる彼に俺はいいよ、と手を横に振った。
そこは視聴覚室で、荷物の中身は機材やらテープだった。
こんな重たいものを持たせるなんて、やっぱり梧桐君だな、としか思えない。
「そういえば、昨日嘉神さんを見かけたときは3階から降りてきてましたよ」
今日はどうかわかりませんが、と付け加え、梧桐さんが待っているから、と駆け出していった。
3階といえば特別教室が並んでいるはず。
「行ってみるか」
まだ俺がいつも部活を終える時間には間がある、探し歩いていて行き違いにはならないだろう。
俺は3階へと階段を上がっていった。
理科実験室、生物講義室、社会科資料室、地学標本室……。
ずらりと並ぶ教室。何処も嘉神がいそうなところはない。
「後は向こう側に音楽室と美術室、あ、家庭科室かも」
どれもこれもピンと来ないが家庭科室なら嘉神らしい。
まず手前にあった被服室を覗いてみて、その隣の調理室へと進む。
窓から明かりが漏れていて人がいる気配がする。
「かが…………」
み、と扉を開けようとしたとき、その手は中から聞こえる声によって静止させられた。
「大体、梧桐はいつもうるせぇんだよ」
聞き覚えのある、どころか俺が今ここにいる原因を作った梧桐君の恋人、半屋くんだ。
引き戸の扉を少し開けると中の様子が見えた。
半屋くんと、嘉神だった。
くつろいでいる様子の半屋くんに穏やかに笑っている嘉神。
俺は何だか入ってはいけない場所のように感じて、黙って戸を閉めてそれに寄り掛かった。
「八樹」
呼ばれて顔を上げると複雑な表情をした梧桐君がいて、俺は扉一枚隔てた中にいる恋人を思いながらそっと、そこを離れた。
「いつから?」
少し離れた階段で手摺りに寄り掛かって梧桐君に聞いた。
「知らん」
偉そうに言い放つ梧桐君は階段に座り込んでいて、膝の上に置いた手を組みあわせて表情を隠すようにしている。
「君らしくないね」
いつもは自信たっぷりで、多分半屋くんと誰かが一緒にいたら「これはオレのものだ!」と所有の宣言をするだろう。
でも今回は違う。わざわざ俺に言いに来た。
何故? どうして?
口には出さずに目で問い掛ける。
梧桐君は煩そうに視線をそらした。
「半屋が、半屋が笑っているからだ」
拗ねた子供のように不機嫌そうに言う。
そういえば、あの場で…………嘉神も、笑っていた。
「何故、お前は入っていかなかった?」
逆に尋ねられる。
「意地悪な質問だね」
そう言って、俺達の考えが同じであることに気がついた。
もしかして嘉神は、
(もしかして半屋は、)
俺よりも半屋くんの方がいいんじゃないか?
(オレよりも、嘉神の方がいいんじゃないか?)
自分に自信が持てない。
梧桐君でもそんなことがあるんだ、と軽く笑いながら、小さく溜息をついた。
「どうする?」
俺の問いに、梧桐君は何も答えなかった。
俺も、自分自身に聞いてみても答えが出てこなかった。
「二人で浮気でもする?」
軽く茶化してみると、
「ふざけるな」
と、睨まれた。
足音が近づいてきたのはそんな時だった。
「八樹」
いつもとなんら変わりない嘉神の声。焦るわけでも慌てるわけでもない。
「なんでお前がここにいるんだよっ!」
半屋くんの言葉に梧桐君が立ち上がった。にやりと笑うその顔にさっきの自信のなさは現れていない。
今、嘉神は俺を見ている。
今、半屋くんは梧桐君を見ている。
真っ直ぐに自分の恋人を見て、よそ見をしてない。
「嘉神っ」
抱きつくと、大きな腕で抱き留めてくれる。
「今日は早く終わったんだな」
嘉神の言葉にさぼった、とは言えずに黙って頷いた。
「何、にやにやしてんだよ! バカ梧桐!」
半屋くんが、俺の方を向いていた梧桐君を殴り飛ばした。
くっくっくっ……と笑いながら立ち上がる梧桐君。相変わらずこの二人の愛情表現は激しい。
「帰ろ」
俺は嘉神の腕を取って階段を下り始めた。
バイバイ、とじゃれる二人に手を振って……。
「ねえ、嘉神」
「何だ?」
帰り道、嘉神の家に向かいながら尋ねる。
「俺が部活をしているとき、嘉神は何をしているの?」
「図書室で本を読んでいるか、教室で課題を済ませている」
今日は、と嘉神が続ける。
「家庭科室でお前に差し入れを作ってやろうとしたのだが、半屋に邪魔をされてしまった」
「差し入れ?」
ああ、と微笑む。それ以上嘉神はそのことは言わなくて、俺はまた嘉神に問いかけた。
「半屋くんと何を話していたの?」
「気になるか?」
「気になる」
逆に聞かれて、ちょっと頬を膨らましてみせた。
「のろけ話だ、お互いにな」
嘉神の言葉に俺は笑顔にならずにはいられなかった。
恋人の知らない部分、それは少しずつ教えてもらう新鮮な一面。
違う人間同士、何もかもわかりあえるはずがない、でもわかっていくことが楽しい。
恋人と離れているとき、それは次に会うまでの準備期間。
お互いを思って胸を痛めたり、誰かに嫉妬して悲しくなったり。
でも、俺が見ているのは嘉神だけで、嘉神が見ているのは俺だけ。
だから、離れていても幸せなんだ、と思った。
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