澄み切った空に初夏の風が吹く。
 6月にしては珍しい快晴。予報では夕方から雨だというが、微塵もそんな様子を見せていない。
 真白いカッターシャツの少年が天候にそぐわない重い足取りで、目的地へ向かっていた。
 太陽の光が反射して眩しく輝く白。
 半袖のそれからのびる腕もまた、太陽に挑戦しているように白かった。
「あちぃ……」
 襟を大きく広げ、空気を取り入れるようにぱたぱたとシャツの前を引く。
 暑い、と言うほどは暑くもないのだが、それは目的地を目前にしてなお逃げ出す口実を見つけようとしているようだった。
 彼が向かう先は自宅から数駅のところにあるホテル。
 今日はここで1組のカップルが式を挙げるのだった。
 
「やっと来たわ」
 新婦の控室へ行くと、そこにはいつもはあまり飾り気のない姉が、見違えるほど美しくなっていた。
「来いってうるせぇからだよ」
 彼の姉が結婚したのは随分前のこと。しかし彼女の仕事の都合で今日まで式が延ばされていたのだ。
 派手な披露宴はもちろん、式さえも省略しようとしていた2人だったのだが、新郎側の母の願いによって、ささやかではあるがとり行われることになったのだ。
「工、あんた何で制服なの?」
 姉の問いに煩わしそうに眉をひそめる。
「あんな格好してられっかよっ」
 姉には頭が上がらず、大した反抗を見せない半屋であったが、今日はいつも以上に反抗的である。
「まあいいわ。ちゃんと賢治のほうにも顔出しておきなさいよ」
 姉の言葉に半屋は溜息と共に部屋を後にした。
 
 恙なく進められる式。
 明稜高校の生徒は殆ど呼ばれていないのだが、やはり生徒思いの真木や元明稜帝の姉に憧れる生徒が何人もやって来ていた。
 壁に寄りかかり怠そうにその様子を眺める半屋。
 あの姉が結婚するなど考えたこともなかった。
 強い姉、気丈な姉、涙など見せたこともない姉。
 何があろうと雄々しく、時にはその身を危険に晒しても弟を庇ってくれた姉。
 祝福したい気持ちはある。
 しかし、感情が追いつかない。
 外ではぽつりぽつりと雨が降り出していた。
 
 
 明稜高校の生徒やОB、ОGにとってこの場で唯一、見慣れた制服を着ている半屋というのはやはり目立つもので、しかし半屋はそれをわかっていなかった。
 姉のために、真木のために正装してやるなどクソくらえで、かといってラフな格好をしていくのも気が引けて、結果的に着慣れたこの制服となったのだ。
 しとしとと雨が降る中、雨など吹き飛ばすような綺麗な衣装に豪華な食事が溢れ返っていた。
 昼頃から始まった式はもう終わりに近づいていて、その後の予定などが人々の口に上がっていた。
 ボーイに変な顔で見られながらもずっと壁に寄りかかっていた半屋だったがこのときになってやっと身体を動かした。
 扉のところまで行き、前にいる新郎と新婦をじっと睨み付ける。
 その視線に気がついた姉が顔を上げてこちらを見たとき、半屋は既に扉を開けて式場から出ていっていた。
 
 静かに降る雨。
 傘など持っているはずもなく、またあったとしてもさす気などない半屋はポケットに手を突っ込んだいつものスタイルでただ、歩いていた。
 来なければよかったかもしれない。
 あんなに綺麗で幸せそうな姉は自分がいつも見ていた姉ではない。
 男勝りで、はきはきとしていて、言い寄ってくる男どもをあっさりと振り払っていた姉。
 美人だと思ったことはあった、それを弟として少し誇りに思ったこともあった。
 しかし、あんなに幸せそうに笑う姿は知らない。
 姉の結婚式。
 半屋にとっては重くのし掛かる雲のような、増水して流れを増す河のような、非常に穏やかではありえないものだった。
「明稜の半屋だな?」
 こんな雨の日まで喧嘩をすることはないと思うのだが、日頃から半屋を快く思っていない他校の不良達や、そして訳のわからない苛立ちを持っている半屋には関係ないことだった。
 
 
「気が済んだか?」
 次から次へと仲間を呼び、20人ほどにもなった不良達を無心に倒し続け、全てが地に伏したとき、半屋の背後から聞きなれた声が聞こえた。
 振り向く気になれず、また相手にするのも煩わしく、背を向けたままで場を立ち去ろうとする。
「こら、サル」
 ぐっと肩を掴んで後に引かれ、その手を強く払いのけた。
 後ろにいた男と目が合う。
 しばらくその目を睨み付けていた半屋だったが、やがて諦めたように再び前を向いて歩き出した。
「半屋」
 低く響く声。有無を言わせぬその口調に半屋はしぶしぶながら振り返った。
 ゆっくりと歩み寄ってきた梧桐が自分のさしていた傘の中に半屋を引き込む。
 水を含んだ布はぴたっと半屋の肌に沿っている。
 白いシャツに透ける薄い色。いくら半屋が白いとは言っても漂白されたシャツよりも白いはずもなく、その僅かな色の違いが濡れたシャツによってコントラストにされていた。
 髪から落ちる雫。
 顔を伝うのを拭いもせずにいるその様子は、まるで必死で涙を堪えている子供のようである。
「バカザルが。風邪を引くだろう?」
 強い力で肩を抱かれ、前に進むように押される。
 その力に抗うことなく進む半屋。
「半屋?」
 素直に歩いていた半屋が急に立ち止まり、その顔を覗き込む梧桐。
 何か言いたそうな、今にも泣きだしそうなその表情に、少し苦笑する。
「姉の話は後で聞いてやる、今はさっさと帰って風呂に入ることだな」
 額から伝う雨を拭ってやり、その唇に軽く触れるだけのキスを落とす。
 
 雨はまだ、止みそうもなかった。
 

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