ようやく暖かくなってきたとはいえまだ3月。昼間は暖かくなってきたものの、日が落ちると途端にコートが必要になる。
「帰ったぞ」
マンションの鍵を開けて中に入る。中にいるはずの男に声をかけるが返事はない。
時計を見てもまだ8時過ぎ、いくら思考回路が子供並だからといっても寝ているということはないだろう。
梧桐が大学に入ってようやく1年が経とうとしている。高校を卒業すると同時に就職した半屋と半ば強制的に一緒に住みだしたのも同じぐらいだった。
「半屋?」
リビングの扉を開けて絶句する。
思わず一歩下がってしまうほどのアルコールの匂い。
そんな空気の充満した部屋の中で一人、ソファに座ってこちらを見上げている。
「お帰り、とぐらい言ったらどうだ」
上着を脱ぎ、鞄を置いて半屋の前に座る。高校を卒業したということで、まだ20歳になっていないとはいえ酒を勧められることもあり、就職した半屋は余計に飲むことが多かった。
しかし、今日のように部屋に匂いが満ちるほど飲んでいたことはなかった。
「どうした?何とか言え」
うっすらと頬に朱が差し、目付きもいつもより柔らかくなっている気がする。
梧桐はそんな半屋をおいて戸棚からグラスを持って来る。
「ごとお……」
明らかに酔っていると思われる口調に、梧桐はやれやれと溜息をついた。
「お前、けっこんすんのか?」
「なんのことだ?」
唐突に言われて思わずグラスを取り落としそうになった。
「きょう、ミユキとかいう女がそれもってきた……」
それ、と標準の定まらない指のさきの方には何か紙がおかれていた。
それを手に取り、広げてみる。
「…………」
呆れ果ててものも言えないというのがまさに今の梧桐の状態だった。
「お前はこんなものに惑わされるのか?」
婚姻届。梧桐勢十郎、御幸鋭児、両者の名前があり、御幸の方はハンコも押してある。
「だって…………」
言いわけをする子供のような表情で半屋が梧桐を見る。
鋭児、と言う名前で男だとわかると思うのだが名前など目に行っていない様子である。
そんな真っ直ぐで、ばか正直すぎる真面目な男を、可愛いと思ってしまう。
「オレがお前以外のやつと結婚するわけがないだろう?」
梧桐の台詞に酒で薄ピンクに染まっていた半屋の肌がより深い朱へと変わっていく。
「ほんと……か?」
「オレが信用できないのか?」
梧桐の言葉に半屋は大きく首を横に振った。酔いが相当まわっているのか動作も表情も全てが幼く、子供っぽい。
「信用しているなら問題ないだろう?」
今度は首をこくん、と縦に振る。そしてほっとしたのか普段なら絶対にみせないような柔らかな微笑みを梧桐に向け、自分の手の中のグラスに口を付けた。
口元から溢れて伝う赤い雫。
半屋の上気した肌を伝い、顎から、首、鎖骨、刺青へと流れ落ちる。
熱いのか普段よりも一層大きく広げられた胸元は、ともすればその胸の小さな飾りが見えてしまうほどで、梧桐は思わずごくりと喉を鳴らした。
「あちぃ…………」
グラスを置き、潤んだ目でシャツを脱ぐ。そしてまるで誘うかのように上目遣いで梧桐を見上げた。
その行動の色香に梧桐は半屋の肩に手をかけた。
「……?」
不思議そうに見上げる目も熱っぽく、ワインで濡れた唇は酷く扇情的だった。
「そんな格好では風邪を引く……」
ギリギリの理性を持ってして言う言葉は彼にはしては珍しく少し上擦っていた。
「じゃあ、……もうねる」
無邪気な顔をされ、梧桐は顔を反らしてそれを見ないように心掛けた。
ゆっくりと立ち上がる半屋の足元はおぼつかず、見ていられなくなった梧桐はその身体を横抱きにし、寝室へと運んだ。
「んっ……」
ベッドに下ろした途端に、梧桐の首に素直に捕まっていた半屋はそのまま梧桐の頭を引き寄せてキスをした。
「ごとお…………オレのことすき?」
「ああ」
何の脈絡も前振りもない問いだったが迷うことなく即答した。
「ミユキって女よりも?」
「ああ」
「あのこうこうの時に、お前のよこにいた女よりも?」
「伊織か?」
逆に問いかけると淋しそうに目を伏せた。
「お前が一番だ、半屋」
そう言ってやって唇を重ねる。
いつもより素直な反応に情欲が駆り立てられるがぐっと堪えて身体を離した。
「もっと……」
思わず目を大きく見開いてしまうほど素直な半屋の行動に、梧桐は静かに首を横に振った。
「誘うのは素面の時にしてくれ」
チュっと軽い音をたてて額に唇を落とし、身体に布団をかけてやる。
「おやすみ」
もう一度唇を重ね、梧桐は寝室を後にした。
風呂から上がり、寝室を覗いてみると半屋は安らかな寝息を立てて眠りに落ちていた。
御幸に焼き餅を焼き、いつもはそれほど飲まない酒を飲んでいた半屋。
素直で純粋な半屋。
その、まだあどけなさの残る寝顔を少し眺め、部屋を出る。
そしてリビングに戻り半屋が置いたままにしたワインを片付ける。
梧桐は使っていない自分のグラスを片付け、半屋のグラスに残っていたワインに口を付けた。
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