| 「尚輝くん、貴志はね、好きな子がいるんだよ。僕じゃないけどね。だから僕も平気で貴志に触ってもらってたんだ。中2の二の舞いは嫌だから……」 去り際に柊二は自嘲ともただの苦笑ともつかない微笑みを浮かべ、そう言った。 「柊二?」 先に廊下に出ていた矢尾が振り返る、矢尾には聞こえていなかったらしい。 「じゃあね」 扉が閉められ、取り残されたオレと和人は顔を見合わせた。 中2の時、柊二は同室のやつに欲情されて、襲われた。 幸い、柊二が暴れて隣室の矢尾が止めに入ったから大事には至らなかったらしいけど。その後、柊二と矢尾が同室になって、それからそういう話は聞いていない。中3の時はオレと矢尾で、柊二は和人と同室だったし。 「矢尾に好きな子いたんだなぁ。和人、知ってた?」 オレの言葉に和人は否定とも肯定とも解らない顔で苦笑した。 「知ってたのかよ、何だ知らなかったのはオレだけか?」 「尚輝はお子様だからなー」 「うるせぇ、お前も同じ歳だろーっ!」 オレは頬を膨らませ、横にあった枕を和人に向かって投げつけた。 「ごめん」 その言葉にオレは戸惑い、どこを見ていいか解らず、視線を彷徨わせた。 和人の部屋に泊まった次の朝、文字通り身一つで部屋を飛びだしたオレは鞄も制服も部屋にあるので仕方なく部屋に戻った。 「ついていこうか?」と言ってくれた和人を一度は断ったものの、やはり部屋の扉が開けにくくて、部屋の前で待っててと頼み、再び扉を開こうとしたそのタイミングに内側から開いて問題の奴……岩永が現れた。 全く同じタイミングで開こうとしていたオレの姿を見て驚き、後ろにいる上田にちらりと視線を送ってから、再びオレを見て頭を下げた。 「僕、部屋を出るから、尚輝が使って欲しい。ごめん。でも、僕が尚輝を好きだということは、変えられない」 そしてすっとオレの横を通り抜け、上田に何かを囁いた。 「そうだな」 上田が軽く笑って、岩永はじゃあ、と立ち去っていった。 「……和人、何言われたんだ?」 不安そうに和人を見上げるとぽんぽんと頭を叩かれた。 「大丈夫、お前に悪い虫はつけないよ」 オレは少しの間、岩永が去っていった方向を眺めた。 黒板にカツカツとチョークが走る。癖のある少し大きめの字が並ぶ。 「よし、取りあえず、1人1種目ずつ、やりたい競技にのところに名前を書いてくれ」 オレの言葉にざわざわと教室が動いた。 5月の初めに行われるクラス対抗の球技大会。クラスの親睦を深める目的らしいが、毎年オレを含め、皆がこの作戦にはまってしまう。このクラスではあまり仲良くなれないかもと思っていたとしても、球技大会で一緒に騒いでいる間にクラスが団結してしまうのだ。全く、よく考えられた行事だと、和人が笑っていたっけ。 「バレー7人、バスケ12人、ドッヂ10人、テニス7人、卓球6人、か。結構ばらけたな」 和人が黒板に書かれた名前を数え、プリントに書き写す。 「えっとオレと和人は委員長責任で全部出るとして、他、2種目以上出たい奴いるか?」 オレの言葉にバラバラと手が上がる。 1人ずつ希望を聞き、名前を加える。 球技大会ではオレや、今手を上げた奴等のような体育好きのために1人最低1種目、最高全種目出られるようなシステムになっているんだ。流石にクラス全員がオレみたいに全種目出るというのは無理だけど、中には柊二みたいに1種目だけで十分だというやつもいて、釣り合いが取れている。 「ほう、このクラスから全種目出るのは山口と上田と難波と岩永か。おい、岩永、アイドルは顔が命じゃないのか?」 やる気がなさそうにオレ達の進行を見守っていた三木が和人の記入しているプリントを覗き込んで言った。 「大丈夫ですよ、アイドルの名にかけて顔を怪我するなんて言うへまはしませんから」 爽やかに笑う岩永。こいつ、運動できるのか? 芸能人というとどうもちゃらちゃらとした顔だけが綺麗で貧弱なイメージしかない。いや、オレの偏見なんだろうが。 まあ、ダンスも踊ってるみたいだし、それなりには出来るのかもしれない。 そうそう、あの日以来、と言っても3日しか経っていないけど、岩永が部屋に帰ってくることはなくなった。 長期外泊届を出しているらしい。部屋にはまだ荷物があるし、退寮届も出すつもりがないみたいだけど。 「お前ら、球技大会も良いが、そのすぐ後にある中間試験もしっかりやってくれよー」 三木のやはりだるそうなやる気のない声は、球技大会の話で盛り上がっているクラスに空しく流れるだけだった。 ピピーッと体育館に笛が響き、バスケットボールがぽーんと、落ちた。 「お疲れー」 「全く、尚輝と和人がいたら最強だよなー、俺らのクラス」 ちょっと猫目で真っ黒な髪の難波にばしばしと肩を叩かれる。 「まぁなー」 「しかし、意外だよなぁ……」 「あぁ?」 「岩永か?」 後ろからひょこっと緑川が顔を出す。顔を上げると、軽くフリースローの練習をしている岩永が見えた。 歌って躍るアイドルだから、ちょっとぐらい運動できるだろう、なんて考えてたオレが甘かった。 しゅっ、と岩永の手から離れたボールが、何の迷いもなくリングの中に吸い込まれていく。 「ナイスシュート」 和人がぽつりと言った。 「夢を売るアイドルはこれぐらい出来ないとね」 和人の声が聞こえたのか、岩永が振り返った。 生徒会から渡された紙に書いてある体育館の使用許可が下りているのは今日で最後。球技大会を3日後に控え、練習にも熱が入るというものだ。 皐月凉学園は部活動のスポーツだけでなく、部に属していない生徒が運動することも大切にしているため、体育館が非常に大きい。1階でバレー部やバスケ部、2階では柔道部、剣道部、3階では卓球部やバチミントン部など、あとオレが知らないような様々なクラブが部活を行っている。にも関わらず、1階の3分の1ほどのスペースが一般生徒用に常に空けられているのである。 これはグラウンドにも言えて、野球部や陸上部、テニスコートも、テニス部が部で使用していても一般生徒用に常にスペースが設けられている。 普段はそんなに使われることもなく、部活動に入らないオレや和人のような奴等が、たまに遊んでいたりするだけなのだが、球技大会前は、生徒会が時間を決め、各クラスに使用許可時間を配布している。 普段はあまり運動をしない奴等でも、オレや難波みたいなお祭り男に誘われて練習したりするもんだから、いつもの何倍もの奴がその場所を使うのだ。 その貴重な使用時間を、今オレ達のクラス1年C組が、有り難く使わせてもらっているというわけだ。 球技大会前日は不公平にならないようにと全クラス自由に使っていいことになっているが、いつまででも残れる寮生や、高校最後の球技大会に情熱を傾けている高3がほぼ間違いなく使っている。 「さて、もう1ゲームするか」 オレの言葉に、息を整えていた奴等がにこっと笑った。今年も良いクラスに恵まれたらしい。 「マコトくん、時間よ」 オレ達が再びコートに入ろうとしたとき、体育館の入り口から女性の声が聞こえた。 普段は部活の声が騒がしくて聞こえないはずの彼女の声が聞こえたのは、バレー部が柔軟、バスケ部が体力作りに走りに行っているためである。 岩永が投げたボールがリングに当たり、弾かれる。 「佳巳(よしみ)さん……」 試合をしようと勢いづいていた空気が一気に冷えた。 柔らかなパーマがかかった嫌みでないほどの茶髪に、縁のない眼鏡、利発そうな女性がそこに立っていた。 一見教師のようでもあるが、岩永のマネージャーである。 学校の許可を貰っているため、校内まで入ってきては岩永を捕まえ、撮影やら何やらに連れ出していく。 それは毎度毎度のことであり、彼女の登場に驚くものは誰もいない。 「時間よ」 同じ言葉をもう一度繰り返し、有無を言わせない迫力で岩永を見つめる。 「…………」 この間の練習の時もそうだった。 練習を始めてそんなに時間が経っていないというのに岩永は彼女に連れていかれてしまったのだ。 またか、という沈黙が流れる。 「練習、しようぜ」 しぶしぶといった感じにマネージャーの元へ行く岩永と、擦れ違いにコートに入ったオレは皆に声を掛けた。 「目指せ優勝!だもんな」 難波がオレに続いてコートに入った。 皆の視線が岩永とそのマネージャーから離れ、コートの中のオレに集まる。 岩永の実力は認めているが、奴とのオレ達の仲間意識が高まることは、望めなかった。 生暖かい風が頬に当たる。 オレは暗い道を、学校へ向かっていた。寮から学校は徒歩5分程度である。 教室に明日の球技大会のメンバー表を置いてきてしまったのだ。 別に何事もなければわざわざこんな時間に取りに行く事もなかったのだが、さっき緑川から電話があり、田舎のお祖父さんが倒れたので、明日から青森に行かないといけないと言われたのだ。 一応補欠の奴は決まっているのだが緑川が出る競技を確認して、その補欠のやつに連絡しなければならない。 当日の朝、いきなり言われるよりもいいだろう。それに、明日の朝ではオレ自身がバタバタしていて、ちゃんと連絡できるという自信がない。 もうすっかりと日が落ちてしまって辺りは静まり返っている。 「夜の学校って気味悪いよなぁ」 オレは誰に言うともなしに呟いて、足早に校舎に入り、教室の自分の席に向かった。 「あったあった。早く帰ろ」 風呂も入り、夕食も食べしまい、明日に備えて早く寝ようとかなり早い就寝につこうとしていた時の電話だった。 暗い廊下を戻る。 ふと、グラウンドに目をやったオレは口から心臓が出るほど驚いた。あまり驚きすぎると声も出ないらしい。 オレは目を大きく見開いてグラウンドの隅を見つめた。 いくら球技大会前日とは言え、いや、だからこそ、今日は皆、早く帰り身体を休めているはずだった。 シュッと、空気を切り裂く音がして、影が飛び、グラウンド隅のバスケのゴールにダンクを決めた。 「岩永……」 声を掛けそうになったオレは、岩永に近づくもう一つの影に気が付き、歩みを止めた。 「マコトくん、もう9時よ。事務所に帰りましょう?」 毎日のように聞いていた声だった。少し呆れたような顔で岩永に声を掛けたのは岩永のマネージャーだった。 「佳巳さんは先に帰っていいって言ってるだろう? 僕は後58本シュートを決めたら帰るから。」 「毎日毎日それじゃ、身体壊すわよ。明日は球技大会なんでしょ? 早く休まなきゃ」 マネージャーの言葉を無視し、岩永がロングシュートを決めた。 「山のように仕事を入れられて、殆ど皆と練習できていないんだ。チームワークが大切なのに、僕にはそれが出来ない。だったら、技術を高めてチャンスは絶対に逃さずに得点を取れるようにしなきゃ」 岩永がまたシュートを打った。敵がいることを想定しているのだろうか、不自然な体勢から打ったシュートはリングをぐるぐると周り、中に落ちた。 「ごめんね、仕事たくさん入れて。でも、社長に言われているんだもの。神聖な仕事場である事務所に寝泊まりするようなバカにはたっぷり仕事を入れてやれって。マコトくん、寮に入っているんじゃなかったの? 事務所にいるかぎり、仕事をくれと言っているようなものよ。それでなくても貴方は国民的アイドルなんだから依頼多いのよ?」 わかってるでしょ?と言いた気なマネージャーに、岩永は黙って、ドリブル、シュートをした。 オレの心の中ではざわざわと風が吹いていた。 |
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