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人の気配に気が付いたのか、矢尾がこちらを向き、身体を強張らせたのが解った。
どちらから声を掛けることもなく、しばらく、見つめあった。
先に我に返ったのは俺の方で、俺は何事もなかったかのようにずかずかと部屋に上がり、上着を探した。
木が軋む音がして、矢尾が梯子から降りる。
俺は尚輝の机の上に無造作に置いてあった自分の上着を掴み、入ってきた扉に向かった。
頭の中は真っ白で、自分の行動も酷く機械的に感じられて、それは感情という回路を切断して何も流れないようにしているようであった。
何も言えないのは向こうも同じなようで、矢尾が息を吸い込みそして、それを音にすることなく吐き出しているのが聞こえた。
「尚輝は……」
自分で出した声に、自分で驚く。何を言おうとしているんだ? 俺は。
「尚輝は、俺の大事な親友だ、強姦だけはするなよ」
深く考えることも許されずに出てきた台詞は、眠っている男の親友の台詞で、目の前の男に恋をしている男の台詞ではなかった。
自分でどんな顔をしたのかはわからない。笑おうと、したらしい。しかし、頬の筋肉が引攣って、目は、泳いでいたかもしれない。
バタン、と扉を閉めて、俺は真っ直ぐに階段に向かった。
こんな顔じゃ部屋に帰れない。柊二に何かあったと思われてしまう。
何もない、何もないんだ。
真っ白な頭で向かった先は何故か屋上で、乗り越えることの出来ない高いフェンスがついているそこは、鍵がかかっていることは珍しかった。
いつの間に雪が上がったのだろう?
ガチャっと金属の重たい扉を開けた先には月こそ見えないものの、空には星が輝いていた。
大きく息を吐いた。
代わりに吸い込んだ空気の冷たさに肺が軋む。
さっきまで降っていた雪がその痕跡として、屋上に白い絨毯を敷いていた。
積もった雪が光を反射し、ぼんやりと存在を主張する。
へくしゅっ。
自分のくしゃみにその幻想的な雪の光景から我に返る。
持っていた上着を着て、再び重たい扉に手を掛けた。
冷たい空気と真っ白い雪に頭を冷やされ、俺はまっすぐに部屋に戻らず、食堂まで降りていき、自販機でホットの缶紅茶とココアを買った。
屋上ですっかり冷たくなってしまった俺の指先を温めるためと、遅くなった理由の一つにするために。
「ただいま」
部屋のドアを開けると予想通りの可愛らしい笑顔が返ってきた。
「おかえり」
その笑顔に向けて、ほら、とココアを投げる。
「ありがとう、和人君」
にこっと微笑むその姿は、やっぱり天使か妖精か何かのように可愛くて、俺は中1の時、初めて柊二の笑顔を見たときに感じた思いを思い出した。
こんなに可愛らしい柊二に出会って。
小学校の時、あれだけ一緒にいたい、一緒にいると楽しい、と感じた尚輝が変わらずにそこにいて。
なのに、なんで、……なんで俺は柊二でも尚輝でもなく、俺にはあまり笑顔を見せないようなあの矢尾が好きなんだろう……。
答えの出るはずのない問いに、俺は自分自身に溜息をついてその問いを頭から消すことしか出来なかった。
たった2週間しかない冬休み明け。
新年とは言うものの。去年とどこが違うのかと考えれば、誰も「まあ、区切りだし」ぐらいにしか答えられないことだろう。
寮の方に届いてしまった年賀状を受け取り、俺はジュースを買うため自販機に向かった。
「あ」
「おう。あけたなーおめでと」
俺の適当な挨拶に目の前の男は珍しく、くすりと笑った。
「おめでとう」
この笑顔がいつも俺だけに向けられたら良いのに……。
適うはずのないことを願ってしまう自分が酷く哀れだ。
いくら矢尾が尚輝のことが好きでも、やっぱり俺はこいつが好きなんだ。
「なぁ、上田」
自販機から缶コーヒーを取り出しながら矢尾が呟くように言った。
声が、震えている?
「上田は……山口のことが好きなのか?」
遠慮がちに、しかし答えをくれという目で真剣に聞く様子に、お前の柄でもないななんて笑えなかった。
俺がこいつを好きなように、やっぱりこいつは尚輝が好きだから、尚輝の一番近くにいる俺という存在が気になるのだろう。
俺が尚輝を好きだと言ったら、こいつはどんな顔をするのだろう?
自販機から矢尾が買った缶のやつと同じメーカーの紙カップのコーヒーを取り出す。
「ああ、好きだよ。…………尚輝は大事な親友だ」
そんな残酷な嘘をつくことが出来るはずもなく、俺は正直に言った。
ほっとしたという表情をしている。
「上田には絶対に敵わないからな」
安心したように笑うこいつの顔は、俺の言葉によって作られたけど、決して俺の方に向けられる事はない。
寝惚けた顔で寝癖つけながら現れるであろう俺の親友に嫉妬してしまう自分が嫌だった。
「強姦してないだろうな?」
沈黙したくなくて、言葉を紡ぐ。こいつが「上田としか話せない話」を持っているということが嬉しい。例えそれがこいつの恋愛話だとしても。
「バーカ。俺も山口の親友なんだ、山口にとっても多分、な。嫌いな男でも鬱陶しいのに、親友がそんなこと出来るか」
嫌いな男に襲われる、それは柊二のことを言っているのであろうか?
俺にはそこよりも、親友を襲えないという言葉の方が痛かった。
俺は、お前の親友か? それとも、嫌いな男の方に入るのか?
情けない考えしか浮かばない。報われる望みのない恋なんて、こんなものなのかもしれない。
「告白でもするつもりか?」
声を震わせないように気をつけながら、俺は努めて平静に何でもないことのように尋ねた。
こいつが尚輝に告白したら、俺達はどうなるのだろう?
もし尚輝がOKしたら? 俺は、こんなに平静でいられるのだろうか。
「さぁな。あいつのことだから男を恋愛対象なんて思ってもいないだろ? 断られても、友達ではいさせては貰えるのだろうが、今みたいに気は許して貰えないだろうしな。」
吐き出すように投げられる言葉は、俺自身にも言えることで、でも俺がこいつに告白したら、友達でなんていてくれないかもしれない。
「何の話してんだよっ♪」
がしっと背中に衝撃があり、聞きなれた声が下から聞こえる。
「お子様の尚輝にはわからねぇ、大人の話だよ」
中2の中頃から身長が離れていくのを気にしていた尚輝はぷうっと頬を膨らませた。
俺の大切な親友なのに。
誰よりも大切な、親友なのに。
誰よりも憎い、恋敵。
俺は手に持った少し冷めたコーヒーに口を付けた。
普段は甘いものしか飲まない俺が買ったコーヒー。
それは適うことのない恋の味がした。
終わり
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