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「お前、山口と付き合っていたんじゃなかったのか?」
級友に呼び出されて来てみれば、何のことはない本日4人目の非難者。
梅雨明け宣言がされて間もないせいか、まだじめじめとした湿気が鬱陶しい。
「何だよ、あのちゃらちゃらとした芸能人は! 俺はお前だから、ずっと山口と一緒にいるお前だから、諦めたのに……」
普段は無口であまり言葉を交わしたこともない男。
A組の井上だ。ひょろっと背が高く、何を考えているのかよくわからないぼーっとした印象を受ける奴だが、こんなによくしゃべる奴だったのだろうか。
「本人達が幸せそうだからいいんじゃないのか? 尚輝は別に俺のものでも、お前のものでもねぇよ」
本人達、というのは言わずと知れた尚輝と、『ちゃらちゃらした芸能人』の岩永のことだ。
2週間ほど前から付き合い始めた奴らは始終べたべたとしていて、誰が見ても恋人同士がいちゃついているようにしか見えなかった。
いくら尚輝が親友とはいえ、俺にはまあ、あまり関係のない話だ。
「なあ、上田」
黙りこくった井上を背に、立ち去ろうとしたところを呼び止められる。
「あぁ?」
「……矢尾と石田って付き合っているのか?」
問われた内容に頬が引き攣る。
「な、何だよお前。尚輝が駄目なら次は柊二か?」
明るく元気で女っぽくはないが男臭さもない尚輝と、儚げで天使のように可愛い笑顔の柊二の共通点と言えば背が低いことぐらいだが、俺はそう問い返した。
嫌な予感はしていた。
「…………いや、矢尾の方なんだけどさ……。最近矢尾、色っぽくないか? 俺、あの目で見つめられただけでどうにかしたくなるぐらいにヤバイんだけど」
こいつも、か。
俺は本日4度目の大きな溜息を吐いた。
「付き合っているかどうかは知らねぇけど、矢尾が色っぽくなったのは男のせいだぜ」
俺の言葉にあからさまに落胆した様子の井上を置いて、すたすたとその場を去る。
嘘はついていない。
矢尾が最近妙に色っぽいのは男……尚輝のせいだ。
尚輝が岩永と付き合い始めて、失恋したことが原因だ。だが、そんなことは言わない。
矢尾が当たり構わず色気を振りまいているせいでライバルが急増しているんだ。少しずつ蹴落として行かないとやってられねぇ。
失恋で落ち込んでいる矢尾は、今までのぴりぴりとした緊張感がなくなり、2、3度名前を呼んでようやく気が付くぐらいにぼんやりとしている。
その上、振り返った顔は保護欲を刺激される頼りない、思わず抱き締めてしまいたくなるぐらいに情けない目なのだ。
「最近、矢尾って妙に色気ない?」
根っからの女好きで他校に彼女がいるという難波までがそんなことを言い出す始末だった。
「ヤバイよなぁ」
俺は今にも雨が降り出しそうなどんよりと曇った空を見上げて、大きく息を吐いた。
ー キーンコーンカーンコーン −
授業終了のチャイムが校内に響き渡る。
「じゃあ今日はここまで。さっき言ったように来週は漢字の小テストをしますね」
これからの週末に思いを巡らせ、ざわざわとざわめくクラス。
現国の速水の言葉なんて誰も聞いちゃいない。
今日は担任の三木が出張でいないから終わりの連絡事項もなくこれで帰れる。
「なあ、矢尾」
つんつん、と持っていたシャーペンで背中を突付く。
そう、俺の席は中間テスト後の席替えで矢尾の後ろになった。
窓際の一番後ろのこの席は、後ろから2番目の席でぼんやりと窓の外を見つめる矢尾の横顔を唯一後ろから見られる席だ。
あんな無防備な顔、誰かに見られたら襲われてしまう、と思うのも井上や他の奴らの例もあって、決して考えすぎではない。
無言で振り返った顔はやはり覇気がなく、目も少し虚ろである。
「今日さ……」
「貴志♪」
口を開き掛けた俺の言葉を遮って、柊二が前の方から駆けて来る。
「今日は図書室に来てくれる日だよね。早く行こう♪」
本が好きな柊二は図書委員会に入っている。
1週間毎に他のクラスの委員と順に当番を回し、今週はC組が当番だった。
各クラスに2人ずつ委員がいて、高校1年から3年までのC組の生徒が今週の当番だ。
1週間ある当番のうち、矢尾は生徒会の仕事のない火曜日と土曜日は図書室に行っている。
そう、矢尾は生徒会役員なんだ。
中3の冬にその時の生徒会から、学年で2名が指名されて、中3の全生徒で信任、不信任投票をし、過半数の信任を得れば高校に上がってから生徒会役員になる。
高1は書記という役割で、そんなに仕事もないらしいけど、高2には片方が会計補佐、もう片方は副会長に、そして彼らが高3になれば会計と生徒会長にそのまま上がることが多いため、中3のときに信任にするということは、未来の生徒会長を選ぶことになる。
目立つことがあまり好きではない矢尾が指名されて、辞退することも出来たのに、この話を受けたのは、尚輝の一言、
「矢尾って生徒会とか似合いそうだよな」
というものがあったからだ。
「あぁ」
いつもきびきびとしている矢尾には考えられないほどのとろさで教科書を鞄に入れる。危なっかしくて見れらんねぇなぁ。
「今週は図書委員会だっけ?」
ようやく帰る用意が出来て席を立とうとしている矢尾とそれを待っている柊二に声を掛けたのは、他の誰でもない、俺の親友、山口尚輝だった。
「そうだよ♪ 尚輝くんも本を読みに来る?」
にっこりと微笑む柊二に尚輝はぶんぶんと首を横に振った。
尚輝に読書なんて、火をつけた花火に水泳をさせるようなもんだ。
「あーあ、せっかく映画に誘おうと思ったのになぁ。図書委員じゃ仕方ねぇよなぁ」
尚輝が大きく息を吐いて肩を落とした。
「明日じゃ駄目なのか?」
俺の言葉に尚輝は首を横に振った。
「土曜は学生200円引きだぜ! あの映画館! 日曜日は普通の料金なのにさ、損じゃねぇか」
ぷぅっと頬を膨らませる。
ガキっぽい仕草なのに尚輝だとそうおかしくも見えないのが不思議だ。
「岩永くんは今日は仕事なの?」
柊二が俺の斜め前の席、即ち矢尾の隣の席に声を掛けた。
何の因果か。何もこの2人を隣同士にしなくてもいいと思うけど、クジに文句は言えない。
しかも委員長と副委員長、つまり尚輝と俺で作ったものだから尚更だ。
「いや、今日は休みだよ。でも尚輝が皆で見たいと言うからね」
同級生ながら1歳年上の奴は、年の功、というよりは生きてきた世界の違いで大人の雰囲気を持っている。
「尚輝、またホラーだろ! お前、怖いくせに好きなんだよなぁ」
「いいだろー、怖いけど面白いんだから! 和人は行くよなぁ?」
ホラー映画を見る時は左右に知り合いが座っていないと怖いと言う我侭で怖がりな幼馴染みの訴えに俺は少し悩む。
ちらりと矢尾の方を見ると尚輝たちがいるせいか「らしくなさ」を出さないようにしているように見える。
俺が行くと言えばこいつは喜ぶのだろうか?
尚輝と、岩永を二人っきりにする時間が短くなるから……。
でも、そんなことはしてやらない。
「悪い。俺、ちょっと用事あるんだ。2人で行って来いよ」
ふくれる尚輝を宥めすかし、当番に遅れる、と急ぐ柊二に手を振って俺は小さく溜息をついた。
何故かずっと手に持ったままだったシャーペンを回し、矢尾が見ていたのと同じ窓の外を見た。
真っ青な空にぽつんと一つ、雲が浮いていた。
夕食も終わり、風呂にも入った頃、奴は訪れた。
「何だよ、点呼までには帰るからな」
俺と2人だと気を許しているのか疲れと不機嫌の混ざった表情を晒す。
適当に上がり、どかっと腰を下ろす。
もっともこいつぐらいの体重じゃそんなに迫力もないけど。
「まあ、今日は柊二もいないしな、お前も語りたいこともあるだろ」
俺の言葉に奴の眉がぴくっと動く。
柊二の曾祖母さんが倒れて今、柊二は実家に帰っている。曾祖母さんには悪いけど、こいつの隣から柊二がいなくなることなんて滅多にないからこの機を逃すことは出来ないんだ。
俺の思い違いかもしれないが、どうも矢尾を俺の部屋に誘うとすると柊二に邪魔をされるんだ。
まあ、邪魔されても仕方ないような考えを持って呼んでいるんだけどさ。
「まぁ、ちょっと飲めよ」
投げたビールを不愉快そうな顔で受け止める。
しかしその表情にも前までの迫力はなく、気力切れという感が否めない。
「違法だぞ」
ぼそっと呟くのはやはり真面目な言葉。流石は生徒会役員。
「自棄酒ぐらい飲めよ」
「くそっ」
カチャッと缶ビールのプルタブに指をかけ、引く。
女らしくはないが細く長い指のその動きに俺は目を向けてしまう。
どんな小さな言動でも、こいつだから、気になる。
「最近、お前ひどいぞ?そんなに尚輝が好きだったのか?」
「うるさい」
俺の言葉にビールをくっと一口飲み言葉を吐く。
優等生な矢尾が酒を飲んでるなんて、他の奴らに知られたら大事だぜ。
「あれだけずっと尚輝のこと見てて、横からかっさらわれるんだもんなー」
「うるさい」
俺も手にしているコップの中身を少し口に含む。
茶褐色の液体に氷が入れてあり、今までの俺ならウィスキーか何かなのだが今日は違う。
「まぁ岩永は国民的アイドルだ。格好良いしな」
「くそっ。うるせぇな」
矢尾がビールをぐぐっと飲む。
この傾け方から行けば、もう、半分以上は飲んでいるんじゃないだろうか?
高校生にしては酒に弱い方でもない矢尾だがこのペースは少し早い。
俺は小さく笑った。
「まあ、お前だって十分格好良いぜ」
俺の言葉に矢尾は意外そうに遠慮のない不機嫌な眼差しを向けた。
「お前が俺を褒めるなんてどういう風の吹き回しだ? 慰めているつもりか?」
不敵に笑ってビールを空ける。
俺は持っていたグラスを机に置いた。
「俺は横からかっさらわれるのは嫌なんでね」
「はぁ?」
眉を顰める矢尾。頬が少しだけ紅いのはペースの速いビールのせいか。
「そろそろ動こうかと思ってるんだ」
俺の言葉に対しての反応も鈍い。
「何が?」
2本目のビールを開けるでもなく手に持ったままで俺を見つめる。
無防備な目。
「賛成してくれるよな?」
人に触れられるのを嫌うこいつが俺の接近を許している。
「何のことを言ってるんだ?」
俺が触らないと油断、いや信用しているのだろう。
「こういうことだよ」
その信頼を裏切って矢尾の顎を持って少し上に逸らし、唇を重ねた。
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