| 放課後の廊下に響く美しいピアノの音。 弾いているのが誰かなんて、ピアノの上手い下手も良くわからないし、作曲家の名前といえばベートーベンとモーツァルトぐらいしか浮かばないクラシックに疎い俺が気にするはずもなかった。 しかし、その音は違った。 カチャリとドアのノブを捻り音楽室に入る。 ピアノの音が止まる。 「クリスタルクロスのシェルトのテーマだろ?」 そう、こいつが弾いていたのはお堅いクラシックなんかじゃなかった。 あまり知られていないロールプレーイングゲームのキャラクター曲を弾いていたのだ。 チャラララと鍵盤上を指が躍り、演奏者がこちらを振り返った。 「正解、良く解ったね」 美人。 他になんの形容詞も思いつかない美貌がそこにあった。 「余裕だろ、余裕。しかも、今のやつってクリスタルクロス2のレベルアップの音だし」 「そこまで解るなんて、中々やるね」 嬉しそうに笑ってピアノの方に向き直る。 流れてくるメロディはゲーム音楽であったけれども、ピアノ演奏のみで聞くその旋律はゲームをしているときとはまた違った印象を与える。 「A組の私市、だよなぁ?」 俺の言葉に奴はピアノを引く手を止めずに「そうだよ」と答えた。 学年トップの成績を誇り、その冷たいまでに美しい顔はファンクラブまで作られているという噂のある男、私市 秋彦(きさいち あきひこ)。 高1の時から生徒会役員で、今年は副会長をしている。 こいつの存在を知らないやつは皐月凉にいないと言われるほどの男だが、はっきり言って俺はあまり興味がなかった。 4クラスしかないにも関わらず、中学の時から5年間同じクラスになったことがなかったし、真面目すぎるガチガチの優等生なんて気にくわないだけだったからだ。 しかし、こいつの何処がお堅い優等生なのだろうか? 全校集会で涼しい顔をして会長の横に立っている男とはまるで別人のように生き生きしている奴の顔を見て、俺は自分の認識が間違っていたことを知った。 まだ蝉の声がうるさい9月、クーラーの効いた涼しい音楽室での出会いだった。 「だから無理だと言っているだろうっ! 仕事の邪魔だ、帰ってくれ!」 怒声と共に放り出されたのは山口尚輝と言って、俺より2学年下の寮生だった。 「山口ー。また、派手にやってるなぁ」 悔しそうに生徒会室を睨み付ける山口に声を掛ける。 山口のいる3年1組が文化祭の出し物について文化祭実行委員会と対立しているというのは有名な話だった。 「森川先輩……」 睨み付けていた目が今にも泣きだしそうな表情になる。 そういえば俺のクラスにも山口を狙っている男がいたっけ。 男を好きになるなんて不毛なだけだし、絶対女の方がいいと断言する俺だが、まあ、確かに可愛いとは思う。 「尚輝、どうだった?」 160代中頃の、お世辞にも背が高いとは言えない山口の名を呼んだのは、中3であるのにも関わらず170代後半に達しそうな身長の上田 和人。こいつも寮生だった。 「和人ぉ、聞いてくれよ! 実行委員長の林って奴がさぁ」 小動物のように上田に飛びつき、実行委員とのやり取りを話す。 そうそう、いくら山口狙いでも上田には適わないって言ってたっけ。 確かに、明るく元気に飛び跳ねる山口と、外見はちゃらちゃらしているけど実はクールでしっかり者の上田。中々お似合いなカップルじゃないか。男同士だってことを除けば、な。 奴らに背を向け、俺は生徒会室の扉を叩いた。 「どうぞ」 中の許しを得て入室すると、生徒会メンバーやら文化祭実行委員がばたばたとせわしなく働いていた。 「剣道部の者ですけど、実行委員長いますか?」 俺の言葉に真っ黒な髪を七三に分け、眼鏡を掛けている真面目そうな男がやってきた。 「俺が実行委員長の林だけど、何か?」 「文化祭中の剣道部の出し物の報告書を持ってきました」 差し出した紙を見もせずに受け取って、解ったと一言言いすぐに行ってしまう男。 まあ、他に用事があるわけじゃないけれど、冷たい対応にはすこし不愉快になる。 失礼します、と生徒会室を出て俺は小さく溜息をついた。 「あいつら、まだやってる」 俺が生徒会室に入るために背を向けた直前からまるで変わらない体勢で自分たちの展示物について語り合っている後輩達に、少し笑みが零れる。 意見をぶつけ合ったり、協力しあっったりして完成させた時の達成感は何事にも代えがたい。 普段あまり話さない奴も一緒になって完成という形を目指すこの文化祭という行事を、体育会の部に入りながら楽しみにしている俺がいる。 「森川……?」 呼びかけに振り返るとそこには筒状に丸められている何本もの模造紙が……いや、何本もの模造紙を抱えた美形が立っていた。 「私市。 重そうだな、持とうか?」 「いや、紙だから軽いよ。持ちにくいだけだ。ありがとう」 綺麗な顔が破顔する。 なるほど、ファンクラブがあるという噂も頷ける。 しかし、山口といい私市といい、男子校でもてても嬉しくないだろうに。 「もう一回、抗議に行くっ!」 下から響いてきた気合いに私市の目線が動く。 「元気な中学生だなぁ。ああ、3年1組の子か」 私市がくすりと笑う。 生徒会と同じ部屋で活動している文化祭実行委員に何度も何度も現れる3年1組のことは、当然副会長であるこいつも知っていることだった。 「山口頑張ってるよなぁ」 「森川、知り合い?」 寮生だ、と答えると納得したように頷いた。 「副会長……?」 そんな私市に声を掛けたのは以外にも上田だった。 「あれ?和人この人と知り合い?」 「バカ。副会長だよ、副会長。生徒会の。実行委員長が言ってただろ? 『生徒会の方が面白そうだと言っても実行委員側からは許可は出来ない』って。その時、俺達の企画が面白いと言ってくれてたのがそこにいる副会長じゃないか」 呆れた顔をする上田の言葉を聞きながら、口を開けてぽかんと私市を眺めていた山口が、目を輝かせた。 「そうか! あの時の! ありがとうございました」 ぴょこっと頭を下げる山口。 いくら中学生だとはいえ、皐月凉でこの眉目秀麗な副会長を知らない奴がいるとは、流石マイペースな山口だ。 「元気なのは良いけど、林先輩を納得させるなら感情的に行くよりも、理論的に説明したほうが良いよ。後は、問題が起こりそうならそれを事前に防ぐための案まで出しておくとかね」 綺麗な顔が微笑む。 道行く生徒が偶然その笑顔を見て頬を染めている。 目の前にいる後輩達にそんな様子は全く見られなかったが。 「ありがとうございました」 私市の言葉を何となくしか理解できなくて首を捻っている山口の腕を掴み、上田が頭を下げ去っていった。頭がいいあいつのことだ、私市の言葉で何かを得たのだろう。 「3年1組の味方をするのか?」 「面白そうだから助言をしただけだよ。全ては彼ら次第だ」 去っていく山口達の背中を少し見送って、私市は生徒会室に消えていった。 「森川ー! クラス委員長が呼んでたぞー」 何故かぱたんと閉められた扉をしばらく見つめていた俺は級友の声で振り返った。 「3年1組の熱意に負けてられないよな」 まだ蝉の声がうるさい9月。文化祭というお祭りは誰の上にも等しく降りかかっていた。 |
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