その悪夢

 


 暗闇の中、あてもなく彷徨う。
 光はなく自分の手足さえ見えない。
 足元なんてもってのほかで、手探りでも危険だというのに、僕は走り続けていた。
 助けて! 助けて! 助けて!
 ごめんなさい! ごめんなさい! 良い子にします! だから、もうやめてっ!
 叫び声は、声にならずに切れる息とともに虚空に消えていく。
 闇の中から手が伸びてきて、僕の足を、腕を、掴む。
 嫌だ、嫌だ、いやだぁーーーーーーーー!!!!!!
 
 
 がばっと跳ね起きるとそこはいつもの寮の部屋で、僕は呼吸を整えた。
 額に張り付く髪。夏でもないのにびっしょりと濡れているパジャマに、僕は小さく震えた。
 またこの夢。見るだけで眠っているのにぐったりと疲れてしまう嫌な夢。
 時計を見ると、まだ3時。下のベッドで眠っている貴志を起こさないように気をつけながら、僕はゆっくりと梯子を降りた。
 タンスの中から着替えを出して、部屋についている小さなバスルームの戸を開ける。
 シャワーのコックを捻ると、当然のことながらザーという音とともに水が溢れだしてくる。
 まだ冷たいうちからそれを身体にかける。
 冷たい水に身体が凍っていき、徐々に暖かくなっていく湯に、その氷が溶ける。
 僕の中の氷も、こんな風に溶けてしまえばいいのに……。
 熱い湯を全身に浴び、僕はコックを捻った。
 お風呂から上がり、用意したタオルで身体を拭き、髪を拭きながら部屋に戻ると、貴志が紙コップのココアを差し出してくれた。
「ごめん、起こしちゃった?」
 僕の言葉に貴志はゆっくりと首を横に振った。
「ありがとう」
 何も言わずにココアを渡してくれる貴志にお礼を言って一口すする。
 暖かくていい匂いのする液体が胸にしみる。
「柊二、大丈夫か?」
 貴志の言葉にこくんと頷く。
 嫌だなぁ、またあの夢見ちゃった。この夢を見たときはろくなことがないんだ。
 心配そうに僕の顔を覗き込む貴志。
「明日は球技大会だよ、早く寝なきゃ」
「そうだな、お休み。柊二も、早く寝ろよ」
 貴志が立ち上がって自分のベッドに帰る。僕は不安な気持ちを抑えて、お休み、と呟いた。




 
 目の前が揺れる。
 お腹に鈍い痛み。
 何? 何があったの?
 僕の意識は闇に吸い込まれていった。
 
 
 
 球技大会は貴志の怪我以外、特に何事もなく無事に終わった。
 なんて言ったらアメリカのアイドルがやって来てちょっとした騒動を起こした岩永くんに怒られてしまうかもしれないけどね。
 総合優勝は出来なかったけど、学年優勝出来たし、尚輝くんも和人くんも格好良かったなぁ。
 当然、貴志もね。
 怪我しちゃって病院に行っちゃったから僕は一人で食堂で待ってたんだ。
 先にお風呂に入ってからまた降りて来ようか、それともずっとここで待っているかって迷ったんだけど結局一度部屋に戻ってお風呂に入ることに決めた。
 だって、和人くんと岩永くんがお風呂上りでさっぱりした顔してご飯食べてるんだもん。
 僕もお腹が減っちゃって、これ以上何もしないで食堂で待ってるなんてこと出来なかったんだ。
 部屋は2階にあるから往復にもそんなに時間も労力も使わないんだけど、僕なりに球技大会を楽しんでたし、くたくただったんだ。
 和人くん達に手を振って、僕は階段に向かった。
「柊二くん!」
 階段に足を掛けたところで後ろから声を掛けられる。
 よく図書室で見かける人だ。2年生だったかな、3年生だったかな、まあ、同級生や下級生でないのは確か。
 僕が図書委員でカウンターに座っている時は大体いつもやってきて、「映画に行こう」とか、「お勧めの本ある?」とか、話し掛けてくる人達の1人だ。
 そうそう、菊池さんって言ったっけ。
「お疲れ様でした」
 僕はぴょこっと頭を下げた。上級生にはきちんと挨拶しなきゃ。
「柊二くん1年C組だよね?凄かったね、今日」
「ありがとうございます」
 尚輝くんや和人くん、難波くんに岩永くんのおかげだよね。足を捻挫してまで頑張った貴志は当然だけど。
 貴志、早く帰ってこないかなぁ。
 どやどやと賑やかな一団が僕達の脇を通り過ぎ、上に上っていく。
「これから風呂?」
「ええ、そうです」
 泥だらけの体操服じゃあまだお風呂入ってないってすぐわかっちゃうよね。
 あーあ。貴志の帰りがこんなに遅いなら、もっと早くに入っておけばよかったなぁ。
 そうだ! 早くお風呂入らなきゃ。貴志が帰ってきちゃう。
「あ、じゃあ、これで」
 僕が頭を下げてその場を立ち去ろうとした時、低く響く声がすぐ耳元で聞こえた。
「柊二くん……。そんなに可愛い顔をされると我慢できないよ」
「え?」
 振り返ると鳩尾に鈍い痛みを感じて、意識が遠ざかっていった。
 
 
 そうだ、菊地さんと話してたら急に意識がなくなったんだ。
 ずんっと鈍い痛みを感じる頭を必死で巡らせる。
 なんで?
 すごく嫌な予感がする。
「起きた?」
 上から声が降ってくる。
 目をあけると寮の一室であるとわかる天井と菊地さんの顔が視界にあった。
「ちょっと強く殴っちゃったかな?」
 笑顔がすごく不気味。
 そう、2年前の保志くんみたい。
 首を動かすと自分の上半身が裸で、腕が頭の後ろで縛られているのが解った。
 別に解りたくもないのに、今の状況がはっきりと解る。
 これから何をされるかなんて、言われなくても解る。
 皆、光(こう)兄ちゃんと一緒。
 悪くない。
 僕が悪いんだ。
「柊二くん」
 耳元で囁かれて軽く耳を噛まれる。
 そのまま唇を重ねられ、舌を入れられる。
 ……気持ち悪い。
『柊二がそんなに可愛いから悪いんだよ』
 低い声が頭に蘇る。解ってる、解ってるよ、光兄ちゃん。僕が悪いんだね。僕のせいなんだね。 
 目を瞑って口の中の違和感に耐えようとしているのに片手で腰を持ち上げられ体操服のズボンを脱がされて、下着の上から萎えていて小さく縮んでいる僕のモノを撫でられる。吐き気が込み上げてきた。
 だめ、気持ち悪い。やっぱり嫌だよぉ。
 貴志ぃ。貴志ぃ。たかしぃ。
 助けてよぉ。
 貴志は僕は悪くないって言ってくれたもん。
 貴志は僕を助けてくれる。
 ねぇ貴志、助けて。
 気持ち悪いよぉ。
「やめて、……やめ、て……」
 口が解放されてようやく息が出来た。僕の目からは涙が溢れていた。
 気持ち悪いよぉ。良い子にするから、我儘言わないから、悪いところは直すから、だからねぇ、やめてっ!!
 助けてよ……。
「たか……し……」
 泣きながら名前を呼ぶと目の前の大きな影がぴくりと動いた。
「タカシ? あいつ、あいつのことか! いつもいつも俺の柊二くんの傍にいて邪魔ばかりするあの男がいいのか!」
 ばしっと弾けるような音がして頬に痛みが走った。
 もう、嫌だよぉ、助けてよぉ。
「……痛い……よぉ……やめて……」
 目の前が一瞬赤く染まって、さっきより強い痛みを感じた。
 良い子にするから、もう、やめて……。
 痛みで意識が遠くなる。口を塞がれたのか息が出来ない。
 ガンガンという音は何? 耳鳴り? 
 もう、痛いのは嫌。助けてよぉ!
 口の中にあった大きくて苦いモノを思い切り噛むと低い呻き声をあげてそれは引っこ抜かれた。
 代わりに強く横腹を蹴られて身体が浮いた気がした。
 大きな音と鋭い痛み、視界が真っ赤になって、そのまま何も見えなくなった。
 
 
 
 
「お兄ちゃん、待ってよぉ」
 ボクがやっとようちえんに入ったのに、お兄ちゃんたちはチュウガクジュケンのためにジュクに行っちゃうんだ。
 タカ兄ちゃんは一教(かずたか)っていう名前でオベンキョウがとくいなんだよ。
 ヒロ兄ちゃんは一浩(かずひろ)っていう名前であそぶことの方が好きなんだって。
 タカ兄ちゃんは大きくて青いの。ヒロ兄ちゃんはあったかくて赤いの。
 みんなみんな、お兄ちゃんたちをまちがえるんだよ。ぜんぜんちがうのにね。
 ジュクに行きだしてフタゴなのにセイセキがちがうから「カシコソウ」なのがタカ兄ちゃんで「バカッポイ」のがヒロ兄ちゃんなんだって、だれかが言ってたよ。
 ボクはお兄ちゃんたちがだーい好きなのに、お兄ちゃんたちはジュケンだからってあそべないんだ。
 でもいいもん、今日はコウ兄ちゃんがあそんでくれるもん。
 コウ兄ちゃんはね、光一朗(こういちろう)っていう名前で今、コウコウイチネンセイなんだって。
 ボクはライネンにショウガクイチネンセイになるからコウ兄ちゃんはすごい年上なんだよ。
 コウ兄ちゃんはね、ボクのイトコなんだって。デンシャにのってとなりまちから来てくれるんだよ 
 ボクコウ兄ちゃんのこと、だーい好きなんだ。
 コウ兄ちゃんはとってもカッコイイんだよ。女の子にもてるんだって。
 頭も良くっていい子なんだって。
 
 
 ねえ、コウ兄ちゃん、どうしてそんなトコロさわるの?
 ばっちいよ。
 おしっこするところだもん。
 ねえ、コウ兄ちゃん、どうしてだまっているの?
 こわいよぉ。
 おしゃべりして? わらってよ?
 コウ兄ちゃん、いたいよぉ。
 なんでこんなひどいことするの?
 コウ兄ちゃん、コウ兄ちゃん、コウ兄ちゃん!


『柊二、可愛いよ』
 
『柊二が可愛いから悪いんだよ。柊二が僕を惑わせたんだ』
 
『柊二のせいだ! 誰にも内緒だって言っただろ? なんでタカやヒロに話したんだ!』

『柊二? ふふふ、僕ね、入院させられるんだよ。精神病院だってさ。
最後に挨拶させてくれって言って来たんだ。
僕は悪くないよな?
誘ったのは……柊二だ』
 
『柊二、殺してあげる。僕と一緒に死のう。死んだらタカやヒロに言ったこと、許してあげる』
 
『柊二、可愛いよ。柊二……』


 
 
 
 はっと目を覚ますとそこは見慣れない部屋で、独特の消毒液の匂いからここが病院だと理解出来た。
「柊二」
 びくっと声の方を見ると、心配そうな顔の貴志が居て、僕は手を伸ばした。
「大丈夫か?柊二」
 上から和人君の声が聞こえてくる。
 心配してついててくれたのかな。
 昔から変わらず優しいよね、和人君は。
「看護婦さん、柊二が目を覚ましました」
 和人君の影がすっとなくなり、誰かに向かってはなしてるのが聞こえる。
 看護婦さん、ってことはやっぱり病院だ。
「ごめんな、柊二。ごめんな……」
 貴志が僕の手をぎゅっと握る。    
 貴志は悪くないのに。
 でも、貴志が横にいてくれるのは嬉しい。
 光一朗兄ちゃんは、遠い田舎の療養所に入っている。
 お兄ちゃんの夢を見たときはいつも同じようなことが起こったんだ。
 やっぱり僕のせいかもしない、と思っていた僕を救ってくれたのが貴志だった。
 小学校の頃、変質者に悪戯されそうになった僕を助けてくれてから、ずっと友達。
 貴志にも貴志の悩みがあって、二人で支え合ってきたんだもん。
 ずっと、ずっと友達。
 何が起こっても、助けてくれる。
 
 
 ねえ、和人君。
 和人君なら、譲ってもいいから、もうしばらく、僕から貴志を取らないで……。
 
 

END      



あとがきという名の言い訳

ごめんなさい!
暗いです。柊二君可哀相です。(T-T)
 自分で書いてて言うなよ、というツッコミはしないで……。
 王道設定だとは思うのですがこんな過去を持つ柊二なんで、
ちょっとばかり(?)和人の邪魔をしても許してあげて下さい。
 そのうち幸せにしてあげるからね、柊二。(T_T)
 ということで柊二が幸せになる話もいつかきっと書きます。
 きっと、……ね。(;^_^)A

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