『ディプロはたのし』

by N.H.K.

remixed by 大原雄馬

(以下はN.H.K.さんによる、大昔のDiplomacyの レポートです。シミュ研で行われたものではありません。 [ゲームシステムの解説](注意: 43k)は分離してあります。)

 今回の週一ディプロマシーにおいては、この交渉時間を日曜から土曜という長い時間を取り、公共の部室や部のノート上のオープンな交渉以外に、各自が電話やメールなどによって個別の秘密交渉を行う事を奨励し、1日がかりで全部やるディプロに比べて交渉の密度が高くなる事を目指しました。流れとしては土曜に各自の命令書を集め、部室には月曜に結果を張り出すと共に退却や補給の命令を受け付け、部室に顔を出せない人には電話により日曜に連絡を取るようにしました。また部室ではコルク・ボードによる配置の展示も行っています。

 少し前置きが長くなりましたが、以後はその週一ディプロの実戦結果と、その解説(主に私の感想)を載せる事にします。

《以後移動命令の表記は上のような書式で行います。

 命令の種類は移動はM、輸送はC、サポートはS、維持はStayで表します。またサポート(や輸送)の場合の影響先に付いては、正式な命令書においては、

のように書かなければ不完全とみなされて無効となりますが、結果報告は何が起こったのか分かるだけでいいので、無くても分かる部分は削除する事にしました。

 ただ上記の表記方法が、正式なモノではない事をお断りしておきます》 (一般的に維持はKeepと表されることが多いですし、移動は→やAttack で表されることもあります)

●イギリス(プレイヤー) 実

 週一ディプロを始める前に、休日にみんなで集まって1度実際にディプロマシーをやってみる事にしました(担当国はそのままで、テスト・プレイと銘打って)。そのときの彼のプレイに付いてはわたしは語りません。ただ本番が始まったときには、いきなり仏・独・露による”対イギリス同盟”が成るという、普通では考えられない事態が発生しました。ディプロマシー序盤は、空き地を埋めると共にある意味で1人か2人の公共の生け贄を作り出すゲームと言えます。イギリスの最も優位(もしくは最も楽な)といわれる理由の最大のモノは、ここで生け贄に最も選ばれにくいという点にあります。なぜなら海の防御壁があって面倒だからです。さらにイギリスは初めから2海軍持っているので、たとえ独・仏・露が手を組んだとしても互角に海上戦が出来てしまいます(独・仏は1海軍ずつしか持っておらず、ロシアの海軍は遠いところにいる)。もちろんその3国ががっちり手を組めばイギリスを倒せます(他の国がイギリスを助けなければ)。数の理論は健在です。ただ普通は他にもっとやる事があるだろうという事になります。私もこういう事態は始めてみました。今回のディプロはかなり面白い(奇妙な?)展開を見せましたが、私はその原因はプレイヤー達の性格も大きいと思いますが、このイギリスの序盤の不調(不在といってもいい)も大きいと思います。図らずも今回のプレイで、”秩序の番人”としてのイギリスの意義を知る事になりました。

 プレイヤーとしては、彼はみんなから安全パイ扱いされいたようです。よく「実だから...OZだから...(正着手は打たないだろう)」という発言も聞きました。また(短期的に)安全・穏当と思われるムーブが多く、長期的なプランがないのではと思われる事も多々ありました。さらにその短期的なムーブにしても1次的なところでとどまり、2次的な(相手の反応を見切った上での大胆な)モノがなかったのではと思います。ただこれ以上言うのは酷というもので、マルチ初心者・ディプロ初めてというにしてはそれなりのものだったと思います。特にゲームも終盤にさしかかった頃からは、成長の兆しを見せ始め、ついには勝利を掴み取ろうというところまで至りました。今後最も化けるプレイヤーかも知れません。

●フランス(プレイヤー) Andy

 今回のディプロマシーにおいてフランス(Andy)・イギリス(実)・オーストリア(OZ)は1年生(当時)にして、マルチ初心者・ディプロ初めてという状況でした。その中で彼一人が初心者と思わせない活躍を見せました(例えば初年からの対イギリス同盟の画策など)。交渉の数なども他の1年の倍以上だったのではと思われます(暗躍しているとさえ言われた)。ムーブもそれなりに考えられたモノでした。今回における努力賞は彼といえるでしょう。ただその他の点はともかく、彼には最も重要ともいえる大局感が欠けていたような気がします。フランスには同盟相手といえる国が最期まで出来ませんでした。結局始めの対イギリス同盟で成功した分の貯金を徐々に吐き出して行くだけで終わりとなってしまいました。誰も彼を初心者扱いにしなかった(それどころか実力者として警戒さえした)のも彼の不幸といえるかもしれません(事実の歪曲ではあるが実は小夜が、OZはこーやとたっちーが拾ってやった感がある)。しかし大局感と言っても難しいもので、他のプレイヤーにしても十分に持っていたとは言いがたいところです。

 次は一度トップに立っても攻める事を忘れなければ、良いプレイヤーとなるこでしょう。彼は今後最も期待されている、エース・プレイヤーといえるでしょう。

●ドイツ(プレイヤー) 小夜

 どちらかと言うと堅実。守るタイプ。三国志で言えば呉。そういう評価を良く聞きます。しかしその真価は直観的だけどそれなりにできた長期的展望と、それに沿った(短期的な欲望に負けない)揺れない心と私は見ています。中盤自分のサプライが削ずれても、当然の様に耐えていた姿勢は、好感の持てるものでした。ただそれに比べて短期的なムーブにおいては失敗が多かった様な気がします(下手といってもいい)。そこが終盤ドイツが圧倒的な優位に立ちながらも、勝ちを決する事が出来なかった要因と言えるでしょう。単に思考時間、シミュレート回数の不足かも知れません。

 これは皆に言える事かも知れませんが、ターンを重ねるにつれて動きが良くなって行きました(逆にいうとと序盤はひどいところもあった)。

●イタリア(プレイヤー) たっちー

 今回のプレイヤーの中で最年長者です。それなりにゲームもやっています。ただ私にはそのプレイ・スタイルは”センスは感じられるけど、王道・覇道を進めない奴”と言った印象を受けます。印象として、まめだけど細いです。

 私はマルチというものは多人数(この場合7人)の中から唯一のトップを取らなければいけないのだから、常に”攻め”(と言うか、ハイリスク・ハイリターンの賭に出る)なければいけないと思っています。攻めるという事は失敗して大きく落ちるという可能性も秘めていますが、大きく伸びるという可能性ももっています。堅実に地道にいく方法もありますが、それでは攻めて失敗した人には勝てても、攻めて成功した人には勝てません。1/7の栄冠は、それだけの事をした者にしか転がってはきません。常にトップ・グループに喰い込み、その中でしのぎを削った者の中から勝者はでるものです。マルチというゲームは、オール・オア・ナッシングの意気込みで行った方が、勝率はいいと私は思います。

 たっちーの場合には、たまに感心するムーブがあったりはしましたが、この覇道を行こうというう感触がありませんでした。イタリアだったせいもありますが、自分のサプライを確保して、生き延びる事に汲々としていたように見えます。

 ある意味で自分を捨てる事が出来るようになれば(さらに言うと一度捨てた上で自分を生かす)、大きな成長をするプレイヤーだと思います。但しこれはプレイ・スタイルの差であり、本人に言わせると余計なお世話なのかも知れません。

●オーストリア(プレイヤー) OZ

 7人の中で最も初心者。そのくせオーストリアを引き当ててしまったかわいそうなプレイヤーです。

 そのムーブは初心者らしく、無駄の多いものでした。ただ単に何をやっていいのか分からなかったのかも知れませんが、ムーブもほとんど考えていなかったようです。一時期は同盟相手のロシアがオーストリアのムーブまで考えていた時期もありました。ルールにもまだ慣れていないらしく、気付かずに無効の命令を出した事もありました。しかしゲームが進むに連れて安定・成長していったようです。

 周りの国も初心者の1年生がオーストリアになったために、扱いに苦労したようです。初心者がいるときに、そこにつけ込んで詐欺のような行為をしてだましこむのも問題ですが、ついつい甘やかしてしまうのも一つの問題と言えます。ただ真面目にやってぼろぼろに負かしてしまうと、次に相手してくれなくなり、ただでさえプレイ人口の少ないマルチにおいては致命的と言えます。結局どこの国も、オーストリアを立てつつ共同繁栄というラインの選択しかできなかったようです。

 当時の3年生達(ドイツ・小夜、ロシア・こーや、トルコ・魔)と電話で連絡を取るときには、「まぁ、実(イギリス)だから、...OZ(オーストリア)だから、...(正着打を打たないだろう)」と言う冗談めかした言葉が、頻出語句として使われました。

 この甘やかしと、見くびりがあったとは言え、初心者オーストリアとしては立派な成績を残しました。たいしたものだと思えます。

 このところ巷では、陰で{...見くびってる...侮ってる...フフフフフ}と不気味な笑みを浮かべているブラックOZが存在したのではという説が流れていますが、真偽は定かではありません。

●ロシア(プレイヤー) こーや

 今回の週一ディプロにおけるNo.1プレイヤー。長期的な展望から、短期的なムーブ。そして決断までにかけたシミュレーション回数と時間。そのどれにおいても皆を凌駕していたように思えます。

 今回の記事においてもロシアに付いての記事が多いのは、彼と話し合う事が最も多かったからといえるかもしれません。ある意味でひいきのプレイヤーと言ってもいいかも知れません。

 このディプロマシーにおいて、最も裏切られる事の多かったプレイヤーでもあります。それにも関わらずあの偉容を誇る事が出来た事は、やるなぁと言うしかありません(単に裏切ったくせにロシアに止めを刺せなかった他の国を責めるべきかも知れませんが)。中盤までの幾多の逆境をくぐり抜けながら磐石の体勢を築いていった様は、素晴らしいというしかありません。

 それ故に中盤で決めにかかる時点で完璧を期した為にタイミングを逸し、さらに続く事件により覇気を、やる気を喪失して、これではいけないと自覚しつつも壊れていく自分をどうする事もできずに崩れていった様は涙無しでは語れません。

 次がもしあるとしたら、がんばって欲しいものです。

●トルコ(プレイヤー) 魔

 このディプロマシーの発案者。トルコであった事もあり、その積極果断な行動を最も恐れられた男です。ただ残念な事に、その能力の半分も発揮する事が出来ませんでした。7人もプレイヤーがいれば、その能力にも関わらず想いもかけないミス(それも...をしなかったといった消極的なミスの事が多い)から、なす術もなく序盤の生け贄となってしまうプレイヤーもでてしまいます。残念な事です。次回に期待しましょう。

●1901年春 開始時の配置

●1901年春 移動計画 及び 結果

●1901年春 感想

 まず西に目をやりますと、いきなり仏・独のイギリス攻めが発動しています。これはかなり珍しい事と言えるでしょう。そのために英・仏の初期移動はかなり面白いモノとなっています(特にフランス)。対英同盟立案者のフランスの勝利と言えそうです。

 南に目を転じますとイタリアも少し妙な動きを見せています。初めからバルカンへの野心を捨て、フランスに突っかかっていこうという意図が見えます。フランス・ドイツが組んでしまったために、イタリアに取っては苦しい展開と言えます。

 バルカン付近をを見ますとこちらでもかなり面白くなっています。黒海がいきなりトルコの手に落ちてしまっています。ロシアの未来図としてはトルコと並んで西進。早期にオーストリアを崩すためにウクライナでなくガリシアに進軍。トルコとはお互いの安全のためにも黒海は不可侵という約束が取り交わされていました。さらにロシアの明るい未来図としては、仏・独・露の対英同盟が組まれているために北欧も安全(つまり南北の両戦線で勝つ)という構想が立っていたはずです。その構想にいきなりひびが入る事になります。トルコに対英同盟の情報がが漏れたためという説もあります。欲張ってウクライナでなくガリシアに行った事も響いて来ています。ただ救いとしては、この行為に対するトルコの返答は「えーっ、1年目ってお互い不可侵とか言いつつ黒海でスタンド・オフするもんじゃないの」というもので、本格的にロシアを攻める気はなかった(様子見)事でしょう。ちなみに本気で

 とこられていれば、早期のロシア崩壊は確実だったでしょう(セバストポリが陥落してしまう)。

 イギリス・フランス/ロシア・トルコを中心に、初年から急速に戦線が構築されつつあります。いわゆる常識的と言われるムーブからかけ離れた、珍しい展開が初年度から繰り広げられる事になります。

●1901年秋 移動計画 及び 結果

●1901秋 感想

 始めての収穫の時です。1年目から対英戦線という面白い事の起こった西に目をやりますと、恐ろしい事にイギリスがいきなり北海を喪失するという事態が起こってしまいました。意外といえばドイツはオランダからの北海への進入が成功してしまったために、+1しかならなかった事でしょう。いくらフランスと組んでいるとはいえ、 1年目が終わってサプライ4のドイツというのもなかなか寂しいモノです。これからの苦労が偲ばれます。この対英同盟の発案者フランスは、まさに好き勝手しほうだい。英国海峡経由で海軍をベルギーに進入させるという事をやってのけます。ただここでドイツがフランスのベルギー入りをサポートしていますが、これは甘やかし過ぎの感があります。別にイギリスとスタンド・オフでも問題ない様な気がします(というよりその方がドイツにはよさそう)。

 北ではやりたい放題で好スタートを切ったフランスですが、南(対イタリア戦線)では余り上手く行ってません。もしもここでブルガンディー(A)をStayさせておけば、マルセイユに海軍をつくる事が出来、後の対イタリア戦を楽にする事が出来たでしょう。しかしこれはイタリアがマルセイユに攻めてくるかという読みの問題であり、マルセイユに突っ込まなかったイタリアを誉めるべきであり(来ていたらスタンド・オフによりマルセイユが空く事になる)、また穏当な結果と言えるでしょう。さらにイタリアは海軍でなく、陸軍の輸送によるチュニスの占領を果たしています。こうしてティレニア海に海軍を残したおかげでマレセイユに2でプレッシャーをかける事が半年はやい2年目の秋から出来る事になります(チュニスに海軍で行くと、マルセイユとスペインに別々に1のプレッシャーをかける事しかできない)。小さな差かもしれませんが、このような小さな差が大きな違いを生む事は良くあります。この結果を生むために、イタリアは3つのハードルを越えています。まずギリシアへの野望を捨て、チュニスへ陸軍を輸送する事を思いつき、マルセイユにおけるフランスとの読みに勝つという3つに。これは大きな事と言えるかもしれません。ただ本土の陸軍が1つになってしまった事が、後で悪影響を及ぼすかも知れません。余りゲームには関係有りませんが、北アフリカに渡ったイタリアのローマ師団は、後に数奇な運命を辿る事になります。

 最期にバルカン戦線に目を向けてみましょう。トルコとの本格的な戦闘を覚悟したロシアですが、オーストリアの裏切り(オーストリアはトルコではなくロシアのガリシア→ルーマニアをサポートする約束だった)によりいきなり海軍が消滅するとともに、ルーマニアを奪われるという手痛い敗戦を受けます。

 ただ勝ったトルコにしても、黒海の海軍を輸送に使ったのは私の目には疑問手に映ります。多分セバストポリを占領した際にこれが海軍だとモスクワに行けないためでしょう。それは大きなデメリットかもしれません。でも稼働兵力を3から2に落とすデメリットよりは小さいと思います。さらにもし今回セバストポリが落ちれば、それが海軍によろうが、陸軍によろうがロシアは崩壊すると思います。それほど初期のサプライの重要さは切実です。出来ればコンスタンチノープール(A) M ブルガリア、ブルガリア(A) M ルーマニアとして、黒海の海軍にはセバストポリに行くかルーマニアのサポートをするかして貰いたかったものです。しかしこれは流儀の違いといったものかもしれません。ただ私の論拠にもう一つ加えますと本国サプライを危険にさらしつつ大胆なプレイをできるプレイヤーは数少ないことです(例えば今回セバストポリに戻らないとか。同様な例に今回のフランスがマルセイユを空けたままでいるとか、イギリスがロンドンを空けたままにするとか)。つまり何が言いたいのかと言うと、今回ロシアはセバストポリに戻ると思って作戦をとっても良かったのではという気がします。

 ただどちらにしろロシア対トルコの第一ラウンドは、トルコに軍配が上がる事になります。というよりロシアはトルコに殴られたい放題にされたと言えます。その割にトルコは+1の4にしか増えていないのは少しまずいのではという気がします。

 オーストリアは今の所順調と言えます。イタリアとの関係も摩擦無く(というよりイタリアがフランスに専念しているだけにも見える)、ガリシアにロシアにはいられて少しひやっとしましたが、バルカンでの地歩を確実に築いています。

 余談ですがロシア・プレイヤーとオーストリア・プレイヤーがこの回のムーブに付いて部室で交渉しているのを、私はそばで聞いていました。そのときロシアはガリシア(A) M ルーマニアと来るロシアのサポートを要請していました。ただこの後の展開(例えばトルコを斬った後の分割案など)について、どうなるか分からないといったような事を、正直に話していました。さらに相手を牽制するためか、おもわせぶりなぼかした話し方をしていました。この時私はオーストリアが裏切るだろうことが、かなり確信できました。

 こういう心得を持っていいのかどうかは分かりませんが、”初心者を相手にするときは絶対に相手を不安にさせてはいけない”というのがあります。これは常に初心者をだまくらかして喰い者にしろといっているわけではありません(ただそれに通じるものであるかもしれません)。取りあえず自分でも分かっていない事も、確定している事のように喋り、なるべく相手の不安がる内容は隠す(正確には言及しない)のです。もちろん相手によっては、(相手にとって)良いことばかりふっかけていると逆に(うまいこといって、だまして裏切るのではないかと)不審がられる場合もあるでしょう(というか、普通はそうか)。その場合でも「最後は雌雄を決するけど、何らかの利があがるまでは完全に歩調を合わす」とか、「〜のようなリスクや、〜みたいな危険もあるけど、・・・だからこの作戦は成功すると思う(まぁ、リスクをあげすぎると相手に不安がられるし、全くあげないと不審がられる可能性もありと、結構難しいですが)」みたいな順番のしゃべり方をして。ここらへんがだましているのと同じという意見もあり、難しいのですが。

 ただこの一件で何か学ぶものがあったのか、この後のロシアのオーストリアに対する接し方が巧妙なものになったような気がします。

 始めてのサプライ(補給)ターンがあり各自が駒を増やす事になりましたが、ドイツのキール・海軍、ロシアのセバストポリ・陸軍(ルーマニアで消滅した海軍のかわり)が目を引きます。他は順当と言えるでしょう。

●1902年春 移動計画 及び 結果

●1902年春 感想

 まず対英戦線は異状無しと言えるでしょう。両陣営ともこの春は増えた軍隊を展開させる事で終わりました。私見ですが、ディプロにおいては軍隊を上手く展開させる事は相手を攻撃するときの駒の動きと同様以上に大切だと思います。また補給の関係上春に展開して、秋に攻撃をかける事が多いようです。

 仏・伊戦線も同様です。どちらも戦力を展開するにとどめました。前年のイタリアの上手いムーブも、戦局には影響無かったようです。

 他の2戦線がおとなしいのにに比べて、バルカンは熱く燃え上がっています。特にトルコ領ルーマニアはロシアとオーストリアの2戦力同士のスタンド・オフにより守られるという結果になります。トルコ陸軍がルーマニアからウクライナに抜けてしまったのは、巧妙なムーブと言えるでしょう。ただやはり黒海の海軍を使ってルーマニアへ輸送しようとした行為は良く分かりません。まぁエーゲ海にオーストリア軍が出てきたので、スタンド・オフして良かったと言えるかも知れません。アルメニアにも陸軍が出せて、ロシア攻めの準備は整ったと言えるでしょう。オーストリアはしかたないとはいえ4つのムーブのうち3つにスタンド・オフを出してしまい、かなり戦争をしているという雰囲気を出しています。ただ私の趣味としては、春からルーマニアを取りに行くより

 としたいものです。このほうが軍隊の展開上良いような気がします。ただエーゲ海に海軍を出すために他の移動が犠牲になったという事かも知れません。

 バルカンは3国が本当の3つ巴となり、同盟を組もうにも互いが信用しきれない状態となっているようです。

●1902年秋 移動 及び 結果

●1902年秋 感想

 2度目の収穫の季節がやってきました。今回は北も南も戦争続きで、なんとなく「血の収穫」といった感じです。

 初めに対英戦線。3国対1国なので当たり前と言えますがノルウェー陥落。ただロシアがスウェーデンからノルウェーにはいると共に、示し合わせてデンマークのドイツ軍がキールに退いています。これは独・露の不可侵がなったという事でしょうか。そうだとすると、かなりスマートな交渉&その解決と言えると思います。対英戦線の手順として、出来ればノルウェーよりロンドンの方を落としていた方がよさそうですが、そこはそれ、こうしないとロシアのご機嫌が取れないためしょうがないでしょう。イギリスもなんらの外交的変化がないなら、ノルウェーかロンドンのどちらかが落ちるのは分かっているんのだし、全力で北海に行けばいいのにという気はします。

 ただこの戦線で一つだけ気になるのは、フランスが英国海峡から中部大西洋に海軍を回した点です。つまり、マルセイユ・イベリアの3サプライの防衛に4つの駒を割いた事になります。これにより対伊戦線の防衛は完璧となりました。しかし3つのサプライを守るために4つの駒を使うということは、ディプロマシーの構造に反した行動だと思います。

 まず勝つためにはサプライを増やさなくてはいけません。しかし自分の持っているサプライ数と駒数は同じ数です。そのため空けても安全な(もしくは危険でも空けてしまう)サプライ・エリアというものが存在しなければいけません。攻めるために使える駒がなければいけないのです。もちろん全方面において攻める必要はありません。また守らなくてはいけないときももちろんあります。攻守が混合した戦線もよくあります。ただ仏・伊戦線はフランスに取っては今の所守るだけの戦線です(相手は海上からくるのに対して、こちらは陸軍)。つまり自分のサプライが増えないところです。ところでフランスに取ってサプライの増える戦線はどこでしょう。イギリスです。ここでフランスは勝つためには危険を犯してでもアイル海なりウェールズなりに行っておくべきだったと思います(この行為の性で負ける事もよくありますが)。確かにガスコーニュー・中部大西洋と移動しておけば南の防御は完璧であり、安心ではあるでしょう。しかし守るという事は現状維持であり、つまりはサプライを増やし続けている勝者から見ると穏やかに減少しているも同じです。

 さらに言うとロシアとも不可侵の決まったドイツはこれから何をするのでしょう。フランスは消極的だし、単独ではイギリスを落とせません。サプライが増えない焦りもあります。ベルギーを返してくれないし(当初の約束ではベルギーはやがてドイツのものという事になっていたらしい)、フランスはそろそろ脅威であると共に、イタリア戦線に縛られた餌場にも見えます。その点からもフランスは、ドイツの目にも充分な実りがあるように見える対英戦線を作り出しておかなければいけなかったのではと思います。さらに言うとイギリスにおいて獲得したサプライ(リバプールだと思われる)は、安全に空けられるサプライ(私はこういうのをサプライのポケットと言っている)となったと考えられます。

 ここでフランスが守りを固める理由があるとしたら、何らかの外交方針の展開をはかるために、交渉の時間を稼ぐ為でしょう。フランスはこの外交方針の展開も用意できませんでした。翌年フランスは苦境に立たされる事になります。

 既に一部説明しましたが、仏・伊戦線は今回も戦力の展開に終始しています。フランスが自らの攻撃を捨ててまでイタリアの守りに入ったこの展開は、ある意味でイタリアに不幸と(というより不当とさえ)言えるかも知れません。

 最期にバルカン戦線を見てみると、こちらは天王山を迎えています。ロシアは最期の決断として、再びトルコとの同盟を目指します。どうしてもトルコと並んで西進というプランが捨てきれなかったのでしょう。聞くところによると、この回のロシアのムーブはすべてトルコに教えてあったそうです。”もしトルコが裏切ったらそのままロシアは滅ぶだろう”というロシアの発言も聞きました。なぜならモスクワ・セバストポリが一気に落ちてしまうからです。

 結果としてトルコは裏切りました。しかしロシアを死にいたらせる事は出来ませんでした。

 さらに不可解なのはこの回のオーストリアの行動です。この体勢で1つもサプライが増えませんでした。というより増やそうというムーブをしていません。まだ、ルーマニアなどでスタンド・オフしたのなら分かります。たとえトルコと同盟していたとしても、それならどこか(ブルガリアとか)を分け前として貰う事になるのではと思われます。本当に何が起こったのか分かりません。本人は”トルコにだまされた”といっていますが、どうだまされたのか聞いてみたいものです。

 これで2年(4ターン)目が終了する事になりますが、既にロシアは3度も裏切られています。1度目は1年目春の黒海不可侵。2度目は1年目秋のオーストリアのルーマニアのサポート問題。そして今回。それなのにロシアはまだ充分生きているといえます。別方面の北でうまくいっている性もありますが、私は驚くべき事だと思います。ただこれはロシアが上手かったのではなく、裏切った相手が下手だったという事です。まだ1度目と2度目はそれほど致命的なものではなかったと言えるかも知れません。でも3度目のは違います。殺せたはずです。そして(トルコは)裏切るなら殺さなければいけなかったと私は思います。

 トルコは”オーストリアが恐かった”と言っています。それでもオーストリアにどこかを取られたとしても、行くべきだったと思います。それにこのムーブはオーストリアを恐れたようには見えません。この程度やれば大丈夫だろうという、中途半端なものにしか見えません。

 私はこういう裏切をしたなら、その一撃で相手を倒さなくてはいけないと信じています。どんな上手いプレイヤーでも裏切りに対して無防備な瞬間はあります。これはどうしようもないです。ただ裏切られた次の瞬間に対応する事は出来ます。そして対応と呼べるような対応をされれば、裏切った者は負けるのです(裏切られた者の勝ち負けは分かりませんが)。他人を裏切ったプレイヤーの声望は落ちるはずです。さらにその国を悪者としようと言う声も上がるでしょう。さらに裏切られたプレイヤーは、時としては自分の(ただでさえ少なくなった)勝ち目を捨ててでも裏切ったプレイヤーに戦いを挑むでしょう。私も自分を裏切ったくせに、止めも刺せずにいるプレイヤーが勝ちそうになれば、無念を覚えると共に、自分が死んでもそいつを倒しに行くでしょう(自分を裏切った上で、一気に滅ぼしたプレイヤーが勝つ方が全然納得しますし、まだ気分もいいです)。それだけの逆流に耐えるだけの収穫を、裏切るのなら刈り取らなければならないと思います。

 これまでのトルコの行動は、言い訳はあるかもしれませんが、細かく裏切って少しずつの利益を得るという、最低のモノとなってしまいました。結局翌年よりトルコはそのつけを払わされる事になります。

●1903年春 移動 及び 結果

●1903年春 感想

 対英戦線あらため、対仏戦線。ロシアとの不可侵を結び後背は万全となり、とうとうドイツはフランス領への進入を始めます。「去年の秋にロンドン攻めに行かなかった時点で、このフランスには失望した。」というドイツのコメントがあります。ドイツ侵攻により、独・伊の連携も可能となり対英戦線と仏・伊戦線はフランス中心に合体する事になります(さらに言うとロシアは北から手を退いてしまったし)。

 しかし事態が好転したとは言え、イギリスの維持命令2つはやる気があるのだろうかという気がします。

 フランスは単純に南で防御すると共におそまきながら英国攻めを続行しようとしています。ここで寝耳に水でドイツに裏切られる事になります。ただ当然の展開と言えるかも知れません。ドイツのフランス侵攻によって、イタリアにはかなりの希望が見えてきました。細かい事ですがフランスの地中海進入を防ぐために、北アフリカに陸軍を進めたのも感心します。

 バルカンも同様に激動しています。トルコの2つの陸軍が、退却先がなく消滅してしまいました。これからのトルコの未来を暗示させる出来事です。しかしここでもトルコは黒海の海軍を輸送に使っています。何がトルコをここまで黒海輸送に駆り立てたのでしょうか?ムーブのガリシアのロシア(A)サポートなどを見ると、今度はロシアにだまされたようです。ただトルコと違って、ロシアはトルコの反撃能力を刈り取るまでの、徹底的な一撃を与えました。またこれ以降数年は、”オーストリアはロシアの手足”と陰口を言われるほどにロシア・オーストリアは結びつきます。ひどいときにはオーストリアのムーブをロシアが考えている時すらありました。

 この回は西も東も激動の回と言えます。また初めの犠牲者が正式に決まった年とも言えます。

●1903年秋 移動 及び 結果

●1903年秋 感想

 激動の3年目における収穫の秋です。今年は各国ごとに動きを見ていきます。

 まずはイギリス。ロシアの援助でやっと北海を取り戻せました。しかし北部大西洋に進めた海軍を、ノルウェー海に戻したのは何を考えているのだろうという気がします。この軍はフランス攻めに絡ませるものだと思っていたのに。リバプールを取られたのはある意味でだましうちだったから仕方無いとしても、併せて考えると余りに間抜けです。もしかして全くやる気を無くしていただけなのかも知れません(北海に出たのもロシアに言われたからだろうし)。サプライ数2。それなりに絶望的なモノがあります。

 次にフランス。状況は絶望的なモノがあります。確かにマルセイユを捨ててポルトガル・スペインと詰めたのは考えた策ではありますが、所詮窮余の策でしかありません(再び2つのサプライを中部大西洋の海軍を含めた3つの駒で守る事になるし)。だましうちでリバプールが取れたために全面崩壊は避けれましたが、情勢は暗いです。ただ明るいニュースとしてはロシア・オーストリアがドイツ攻めを始めそうなので、これと絡めば生き残る事や、トップ・グループへの復活まで望めるかも知れません。今後の外交的努力が待たれます。

 ドイツ。春に比べて当然ですがフランス侵攻は遅々として進みません。さらにトルコを斬ったロシア・オーストリアが押し寄せつつあります。状況は余り明るいとは言い難いです。これだけやってやっと6というのも、ドイツにしてはなんだかなぁと言う気がします。個人的な意見としてはブルガンディーはマルセイユ・サポートよりパリに行った方が良かったのではという気がします。もしパリが取れればめでたいし、パリでスタンド・オフしたらマルセイユをサポートしたのと同じ事になるし。さらにその場合はフランス陸軍はパリでなくガスコーニュに留まる事になるし。細かい事ですが。

 イタリア。苦節3年。ようやくマルセイユが陥落します。ただしフランス・イベリア半島は不当なまでに堅固とかしてしまいました。正直いうともう一つ海軍が欲しいところですが、オーストリアのプレッシャーも本格的となり欲張れずベニスに陸軍。北アフリカに陸軍を輸送したつけがここで出たと言えるでしょう。しかし、ここはプレッシャーに負けずに海軍を建造しつつ、オーストリア(・ロシア)とは外交交渉でけりを付けて貰いたかったものです。オーストリア・ロシアにしても、トルコを相当しつつ、ドイツと戦争しながら、イタリアに侵攻なんて無理なので、一声かければ順当に 1,2年の不可侵は取り付けれたような記がします。影(ありもしないプレッシャー)に負けたというべきでしょうか。これからも大変と言えましょう。ちなみにこの時の失敗が、後の狂ったような海軍建造熱の元になったのではなかろうかと思われます。

 最期にバルカン戦線。こちらでは順調にロシア・オーストリアがトルコを追いつめて行っています。トルコは開始時のサプライにまで押し戻されてしまいました。 注目すべきはロシア・オーストリアが対ドイツにまで戦線を広げました。放っておけばどちらも時間の問題ではありますが、ドイツ・イタリアによるフランス切りの方が、ロシア・オーストリアによるトルコ切りよりも速いという状況分析によるものでしょう。ただこれにより両国は2正面作戦を強いられる事になります(ロシアに至ってはあきれた事に3正面)。攻勢にたっている今はよいですが、何かの拍子にターン・オーバーしたときには少し恐いモノがあります。対ドイツ戦線の鍵は、これからのフランスとどのように手を組めるかという事にかかっているでしょう。

 状況はかなり分かりやすくなったと言えてフランス対ドイツ・イタリア対ロシア・オーストリア(対トルコ)となりました。イギリスの態度は実はまだ不明と言えましょう。

●1904年春 移動 及び 結果

●1904年春 感想

 北欧に異状あり。イギリスはロシアを裏切りノルウェーに侵攻しました。イギリスに取ってはロシアは先の北海入りをサポートして貰った大きな恩人ですが、その恩をすぐに仇でかえしたことになります。ただイギリスは苦しい状態の上、即物的に取れそうなのがノルウェーしかないために、ありえそうなムーブではあります。ロシアに取っては飼い犬に手を噛まれた上、昇り調子の出鼻をくじかれて勢いを失うという二重のショックでした。あまりのショックのためか、「以降イギリスとは絶対交渉しない」宣言がロシアより発表されます。

 フランス・ドイツは和解を見たようです。ドイツはせっかく確保したブルガンディーを放棄する事になります。ドイツは本土に4つの陸軍が密集する事になります。こうなると生半可な事では、この牙城を切り崩す事は出来ないでしょう。ただドイツ海軍の動きは余り良くないです。ロシアの動きはほぼ読めていたのだから、バルト海・デンマークとなるように動いておけば良かったのではなかったかと思いす(単にイギリスの裏切りが信用できなかっただけかもしれませんが)。

 フランス・イタリア戦線は膠着しています。攻め側のイタリアが北アフリカの陸軍を輸送で本土に呼び戻したため、今回は海軍が使えなかったためです。ドイツがフランス攻めから手を退いたためにこの先も苦労する事になりそうです。ただイタリアを攻めてくる国がいない事だけが救いでしょう。

 対トルコ戦線は、ブルガリアでオーストリアとトルコが3対3のスタンド・オフによるにらみ合いが続いています。オーストリアはロシアや、自軍のもう一つの海軍がくるまで待っているだけですから、余裕とも言えます。トルコの方は追いつめられています。何らかの打開策(多分外交的な)を打たなければこのまま滅ぶでしょう。と言っても有効な策は余りなさそうです。

 ロシアは4度目の裏切りを受ける事になります。ノルウェーは陥落し、スウェーデンも危機にさらされる事になります。ただその他の方面では順調で、ドイツ方面はオーストリアと併せて兵力の展開を終わりつつありますし、トルコ方面もアルメニアへの進入をはたしました。

●1904年秋 移動 及び 結果

●1904年秋感想

 北欧戦線は予想通りに両者スタンド・オフによる膠着状態が続いています。イギリスは生き返ったと言っていいでしょう。

 フランスは掠め取るかのようにベルギーへ進行。ドイツに取ってこのサプライ−1は痛いでしょう。ただ消えるのはヘルゴランドの海軍であり、ドイツの防御力はいささかも落ちていません(攻撃力は落ちたけど)。

 下手をするとこのディプロマシー中で最大の謎と言われる行為がイタリアによって取られました。全海軍をフランス領から取って返したのです。フランスをここまで追いつめながらこの転進はどういう事でしょうか。さらにマルセイユが孤立してしまいました。これに対するイタリアの弁解は「ピエモンテの陸軍は、チロルでスタンド・オフしてマルセイユのサポートに残ったはず」というものでした。しかしそれならベニスからトリエステに突っ込んでいなければいけないはずです(こうするとほぼ確実にトリエステか、チロルが確保できる。あまりアルバニアの海軍が戻ってくるとは考えられないから)。さらにイタリアの弁解は続き「オーストリアが恐かったから」と言っています。オーストリアを攻める際に、逆にオーストリアにイオニア海からナポリ(またはチュニス)に入られるのが恐かったのでしょう。北アフリカに陸軍を送ったため、5つ目の軍隊に海軍でなく陸軍をつくらざるおえなかった悪影響がここに出たと言えるかも知れません。トルコとの連携も考えての事かも知れません。

 しかし、です。弱い。ただでさえ時間が敵であるイタリアに取って、軍をオーストリア方面に展開するだけでまた1年ぐらい時間がかかります。イタリア・フランス戦線はある意味でお互いが洗面器に顔を付けての我慢比べと言ってよいのですが、先に我慢が切れたのは守っていたフランスではなくイタリアでした。

 さらに続けて言うとオーストリアが恐かったと言っていますが、それを言うと解放されたフランスについてはどう思っていたのでしょうか。ドイツがロシアにくぎ付けにされた上にイタリアがフランスから手を退くと、フランスはまったくのフリーとなります。単純にフランスの攻撃力は前年の倍以上となってしまいました。ロシア・オーストリアと組んでドイツを分割するもよし、イギリスを切りとるもよし。オーストリアを恐れる余りに別の虎を野に放したことになります。フランスとの戦線を維持していれば、小さいとは言えどこからも攻められない国というのはイタリアだったはずなのにです(あまりこの時点のオーストリアが、可能とはいえイタリアにまで戦火を広げることは実際的にも心理的にも少ないと考えられる)。

 とにかくフランスは生き返りました。というよりも、単独でロシア・オーストリアに対抗できる最強大国となってしまいました。余談かも知れませんが、イタリアの一つの動きだけでこれほど変わるものかと思う方もいるかも知れません。しかし所詮マルチにおける強弱関係など、駒の配置やサプライの数ではなく(いやそれも大事ですが)、各国(各プレイヤー)の外交関係(そこまで明確でなくても雰囲気とか)です。端的に言うと同じ駒の配置であっても、外交関係やその場を支配している雰囲気(勢いとか)が違えば全く違うものとなります。マルチにおいて勝敗を決める部分というのは目に見える駒とそこからだけで分かる客観的な事実ではなく、目に見えない各人の思いこみや、つながりといった心理的なものだと思います。有名な例では、マルチに置いてはどんな優勢な国でも自分が崩壊するシナリオを容易に書けます。皆が自分に向かって攻めてくるわけです。ただそうならないことを知っている(もしくは思っている)からこそ前に進めるわけです。そういう意味でも自分の崩壊のシナリオを勝手に書いた上で、それに過敏に反応してしまったイタリアは弱いような気がします。

 さて南に目を向けますと、オーストリアがブルガリア侵入をはたしました。トルコはアルメニアからロシアに入られているので仕方ありませんが、じり貧と言えます。ただイオニア海でオーストリア海軍がスタンド・オフしていますが、出来ればこれはギリシアのサポート付きで行けば良かったのではという気がします。そのためにブルガリアが取れなかったらという反論もありますが、あまり本土を危険にしてまでスタンド・オフ確実のブルガリアに来るかという話があります(3つで来た時にはスミルナが落ちているので問題ない)。それに対してブルガリアを放棄してイオニア海でスタンド・オフというのは十分ありそうな線です。

 どちらにしろトルコ戦線は時間の問題といった様相をしていますが、気がかりといえばイタリアの動きとなりますか。

 ロシアは春に北欧で手痛い打撃を喫しています。そのためにプロシアの陸軍を消さざるおえませんでした。ドイツへのプレッシャーが減り、このままではドイツ攻めはたちがれかねない様相を示しています。まぁフランス崩壊によるドイツ急膨張を阻止する為の出兵だったので目的ははたしましたが、これ以上北欧での負けがこむとやぶ蛇となりかねません。対フランスまで考えるとそろそろ兵の退き時かもしれません。

●1905年春 移動 及び 結果

●1905年春感想

 この回のイギリスのムーブに疑問を抱かざるおえません。クライド周りでリバプールを取り返しに行きましたが、配置的には他の海軍と有機的に連携して北欧(スウェーデン・ペテルスブルグ)を取りに行くべきではないかと思われます。このゲームでは連携できる駒数が増えるに連れて、その挙げる効果は幾何級数的に増えていきます。はっきり言って単独の1つの駒に出来る事は、嫌がらせ程度の事しか出来ません。このゲームにおいては戦線が出来て攻撃が始まる前に、いかにラインを組んで効率よい陣形を作れるかに勝敗がかかってきます。ただイギリスを弁護するとしたら、フランスがこちらに来そうな気配なのでその防御のため、及びその敵のサプライを減らす為と言えなくもありません。これなら理にかなっています。ただそれならロンドンに海軍をつくって、ウェールズ周りで行くべきではないかと言うもっともな意見があります。エジンバラにつくった後で、外交上で転換を余儀なくされたかというとその形跡もありません。いい加減中途半端という感がします。

 この回のフランスのムーブにも同様の疑問が残ります。何故北アフリカに行ったのか。単独の軍隊が...というのは上記の通りで自身に取っては無駄に近い行為です(攻められる相手に取っては違いますが)。戦力の分散につながるは、下手をすると寝た子を起こすような行為になるかも知れません。さらにこの中部大西洋の海軍には北大西洋(またはアイル海)にまわってイギリスを攻める事が出来たはずです。ロシアが脱落しかけているとは言え、オーストリアと連携してドイツを切る、もしくは足止めしつつイギリスを切りきれれば、フランスはトップに立てたでしょう。このチャンスを活かせなかったばかりに、フランスは再び巡り来た栄光短く、この後は斜陽の中を転がり落ちていく事になります。

 ドイツの軍隊が四方に散りました。固い防御を捨てて最低限の防御だけを残して北欧で攻勢に出ました。ロシアのドイツ戦線脱落を確定させる為の防御も兼ねた攻勢と言えます。イタリアの参戦まで考慮に入れると、吉凶どちらに転ぶか分かりませんが反攻に出るには時宜に適した動きに思えます。ただ攻めきれなければ防御力の落ちたドイツは一気に滅ぶでしょう。ドイツにとって一つの決断と言えます。

 イタリアは順調にトリエステを抜きました。しかしナポリに海軍を入れた真意が良く分かりません。後で聞いたところによるとイオニア海に海軍を入れつつ(それを常に使える状態のまま)、アプリア周りでアドリア海に出そうとしていたそうです。実現率の低い案のような気がします。運良くイオニア海に入れたからいいようなものの、それよりティレニア海のサポート付きでイオニア海に入る方が本手のように思えます。このミスは、奇しくも想いもよらないフランスの北アフリカ侵入によってとがめられる事になります。

 この回のオーストリアの移動は全くさえません。ほとんど来る事が分かっているイタリアにトリエステを抜かれてしまいました。このチロル・ベニスのイタリア陸軍対ウィーン・トリエステのオーストリア陸軍の戦線は、ディプロマシーのムーブ基本練習問題としては面白いものがあります。その他の駒の影響が無いものとすると、イタリアが2戦力を集められるのはトリエステだけ、オーストリアが2戦力を集められるのはチロルだけ。いちばん簡単に正解となりそうなのは、相手が2戦力を集める事の出来るエリアの駒を使ってムーブする事です。オーストリアならトリエステがチロルに行き、ウィーンがそのサポートとなります。ただここで問題となるのはトリエステがサプライであるのに対して、チロルは平地だという事です。一時的にチロルは放棄する事が出来るという事です。ここでイタリアがその動きを読んでいれば、ベニスからひょこっとトリエステに入る事が出来ます。つまりトリエステの軍がチロルに移動する事を読んだ上で、その後の空き地となるトリエステに侵入するわけです。結果はチロルとトリエステの交換という事になります。どちらも等価に起こり得るために、この問題は50%の読みあいとなります。

 この場合イタリアはオーソドックスにチロルからトリエステに向かいました。オーストリアは読み違えました(もしくは何も考えていなかったか)。このイタリア軍(北アフリカ帰りのローマ師団)はこれから数奇な運命を辿る事になります。

 南でもオーストリアはぱっとしません。トルコのスミルナにおける自軍同士のスタンド・オフによる 2つの駒で3 エリアを守るムーブがあったためとはいえ、冴えません。エーゲ海に海軍を出したのは、陸軍のコンチ(コンスタンチノープール)・アタックと並行すればどちらかは取れるだろうというものかもしれませんが、それならロシアにはスミルナに行ってもらわなければいけなかったのではないかという気がします。さらに言うとアルバニアはイオニア海に行かないのかとか、ギリシアはアルバニアのイオニア海行きをサポートするのではといった気もします。

 とどめとしましてルールを良く理解していない為に起こった無効命令。ルーマニアの陸軍によるブルガリアに対するサポート命令のことですが、ディプロマシーでは移動した後にスタンド・オフして戻ってくる事を見越した上でのサポートは出来ません。つまりここでブルガリアの陸軍はコンチに移動してスタンド・オフしました。つまりターンが終わったときにはブルガリアにいました。しかしこのブルガリアの陸軍をルーマニアの陸軍がサポートする事は出来ません。サポートできるのはその場(つまりサポート先)に留まった駒か(維持しているのか、他の駒をサポートしているのか輸送しているのか知りませんが)、そこに移動してくる命令を受けた駒にだけです。そういうルールです。結局この優勢な状況の中、オーストリアは全く駒を動かす事が出来ませんでした。そんななかにイタリア軍が到着し、状況は混沌とする事になります。

 ロシアは北でも、対ドイツでも膠着状態。トルコ戦線では一歩前進しました。トルコ海軍のアンカラから黒海への移動を読みきってアンカラへの侵入をはたしました。もしトルコの読み通りにスミルナに行ったとすれば、オーストリア同様に移動できなかった事になります。

 この回のトルコの移動は素晴らしいプレイと言えます。コンチとエーゲ海にいる自軍同士をわざとスミルナでスタンド・オフさせたのです。これにより2つの駒で、エーゲ海、コンチ、スミルナの3カ所を防御してしまいました。もしオーストリア・ロシアが何も考えずにブルガリア→コンチ、ギリシア→エーゲ海、アルメニア→スミルナと移動して、どれか一つは取れるだろうと思っていたら、完全にトルコに翻弄される事になっていました。しかしロシアが読み勝って、とうとうアンカラに侵入されました。イタリアがイオニア海に到着したとは言え、状況は益々トルコに厳しいと言えます。

●1905年秋 移動 及び 結果

●1905年秋感想

 北欧ではドイツの前進・ロシアの後退といった情勢となっています。ロシアは当然ではありますが、スウェーデンを完全放棄するかわりに、その軍隊でノルウェーを確保しました。ロシアがフランスと組んでいて、フランスが北海を攻撃してくる以上イギリスには防御手段がありません。但し何故ノルウェーの海軍を消滅させたのかは不明です。ノルウェー海(スカゲラクという手も無くはない)に撤退させるのが普通なのではという気がします。イギリスはこの年の補給でほぼエジンバラに海軍をわかす事になりますが、エジンバラがノルウェー海にまさっている点はこの状況ではほとんどありません。イギリスはこのままドイツと共に北欧ではロシアを押していくつもりのはずですが、これではノルウェーに行くのに一歩差がでます(つまり半年の差)。この情勢では半年の差は隔絶の差です。

 結局イギリスは本国サプライ上に3つの海軍という、ほとんどゲーム開始時の状況(リバプールが海軍になっている分だけ進化している?・・・すこし嘘っぽい)に戻ってしまい、周囲の失笑をかう事になります。

 フランスは2つの選択が可能でした。ベルギーが北海に行き、英国海峡でサポートすれば確実に北海が取れました。2つめはオーストリアをサポートしてミュンヘンを落とさせる(これをするとブルガンディーでベルギーをカバーできない為にベルギーで北海に行けない)。どちらも一長一短のような気がします。前者の場合オーストリアが崩壊しかねず、つまりドイツ・トルコが生き返ってしまう可能性が非常に高くなります。するとイギリス攻めに有利な地歩を築きながらも、対外的にドイツが生き返っているのでかえってやりにくい状況となることになります。後者だとドイツはしばらく亀の如く本国で防御を固める事になります。ただロシア・オーストリアは他の戦線(対トルコ、北欧、対イタリア)が忙しくなってきたので、ドイツ攻めもここまでの感があります。つまりフランスの分け前がないのです。さらに言うとここで北海を取っておかないと、イギリス攻めが一年以上遅れる事になりかねません。

 結局フランスは後の外交状況も考えて、後者を選択しました。どちらを選択した方がいいかは難しい問題ですが、どちらにしてもサプライ的にはリードしている割には、フランスは追いつめられたような息苦しさを感じざるおえません。頼りになる同盟相手がいないためともいえます。

 ドイツはロシアなどと必至の交渉を続けましたが、すべて拒絶されました。結局本国サプライの一つミュンヘンを奪われてしまいます。さらにイギリスの失敗とも言えるノルウェーの海軍の消滅により、北欧戦線を維持する事すらおぼつかなくなってきました。苦しい状況が続きます。ただロシア・オーストリアのドイツ本国への攻撃は息切れしそうなので、今は耐えて状況の大きな変換を待つ(というより自分で外交的に策動して起こす)時と言えるでしょう。

 イタリアも悩む事になります。トルコと連携するためにはイオニア海の海軍をバルカン側に投入すべきなのですが、するとチュニスをカバー出来る軍隊がいなくなります。北アフリカのフランスがチュニスに来るのはほとんど確実です。こうなるとナポリの海軍が完全に死に駒と化してしまいました。結局チュニスは放棄せざるおえなくなります。私もチュニスを放棄する方が、正着だと思います。どちらにしろフランスの進行はチュニス止まりの可能性が高いからです。それよりは今助けないと終わってしまいそうなトルコを支援すべきでしょう。

 トリエステの伊陸軍はオーストリア内部に侵入しました。別段動く必要はなかったような気がします(もし撃退されたなら、内部の空いている方のオーストリア・サプライに撤退すればいい)。この回のイタリアの力ではオーストリアから2つ以上のサプライを奪うのはまず無理だろうし、オーストリアにもウィーンとブタペストをカバーしつつトリエステを奪還するのもまず無理でしょう。トルコとの携帯を考えるのならば、セルビアあたりをアタックしておいた方が良かったような気もします。後の布石のために動くならば、ウィーンでなくブタペストのような気がします(ウィーンはトリエステに比べて位置的には劣っているようにさえ見える)。多分オーストリアに動きを読まれるのを嫌ったためでしょう。

 ピエモンテでチロルをアタックした(チロルがいずれかをサポートしたときに、それを消すため)のも少し危険なような気がします。もしも首尾良くチロルが取れてしまった場合(オーストリアがチロルからミュンヘンかトリエステをアタックする可能性は高い)、ピエモンテにフランスの侵入を許してしまうからです。そうなると本国は火の車となります。対オーストリアには優位に立ちますが、この先イタリアは本国サプライと交換にオーストリアを切りとっていくか、それらを捨てて本土を守るかという選択を迫られます。さらに言うとチュニスに入ったフランス海軍もピエモンテとの連携で活きてきます(ティレニア海はピエモンテとつながっていない)。トルコの援護なんてしている暇もなくなるでしょう。その危険さえなければベニスのサポート付きでチロルに行きたいぐらいです。

 とにもかくにもイタリアはサプライ4に逆戻り(しかもそのうちの1つはいつ失うかも分からない)してしまいました。非常に痛いと言えます。打開策として最も手っとり早いのは、オーストリアを崩壊させる事でしょう。ロシアでも離反させれば、充分可能です。

 ロシアも岐路に立っていると言えます。オーストリアを見放すか、同盟を継続させるか。オーストリアを見限った場合には以下のようなメリットが予想されます。イタリア・トルコと組んで、シュレジアの軍隊をガリシアに持って行けばまずオーストリアを崩す事が出来るでしょう。さらに言うとオーストリアと組んでいる今なら、今回のオーストリアのムーブを教えて貰ったり、こちらはこう動くからこれこれのように動いてくれとオーストリアに要請する事さえ出来ます。その裏をかけば一気にオーストリアは崩壊するでしょう。そこまでやらなくても今回のオーストリアのムーブを知っていれば、ミュンヘンのサポートをし忘れたふりをして、ドイツ・イタリア・トルコにそれとなく打診しておくだけで、オーストリアは脆くも崩れさったでしょう(こうやって情勢を見守る事もできる)。

 周りの圧迫に汲々としているドイツは、歓んでロシアに不可侵以上の好意を示してくれるでしょう。この後ドイツ(+イギリス)はフランスとのにらみあいに入って、ロシアに手を出せなくなる可能性は高いです。ロシア・イタリア・トルコの同盟も、トルコ・ロシアがわだかまりを示さなければ充分実現可能です。ロシアほその盟主としてオーストリアを文字通り宰領する事になります。イタリア・トルコが疲弊した小国である事もポイントです。この同盟もオーストリアを適当に切りとった後には瓦解するでしょうが、そのときにはイタリアと組んでトルコを切るもよし、トルコと組んで西進するもよし、どちらにしろロシアの見通しは悪くなさそうです。 

 デメリットとしましては、今まで建ててきたオーストリア・ロシア・フランスによる過半数を制した体制による世界制覇(及びライバルを減らした後に各自の覇権について争う)という基本方針を、少しのつまずきで捨て去る事になるわけです。このままオーストリアを盾として、その後ろでぬくぬくと成長したとしても、ロシアの先行きは悪くありません。少し不利になったとはいえ、基本的に体制を維持していればロシアは安全です。ここで自らつくった体制を崩す事は、(自分の勝ち目が少し高いとはいえ)誰が勝ってもおかしくない乱世に再び突入する事になります。細かい事を言うと、ドイツは昨日の事は昨日の事と言って、裏切って北欧のロシア戦線を崩壊させるかも知れません(イギリスとの同盟上ありえそう)。ロシアの軍隊はサプライ5のくせに3方面(北欧、対ドイツ、対トルコ)に散っています。この状況で外交的に周りをコントロールするには実質的な力が足りません(それでも御しきれる自信が有れば問題ありませんが)。同盟を持ちかけた初めはともかく、後々イタリア・トルコが暴走しないとは言い切れません。さらにトルコとの今までの確執をどうするかとか、トルコ領内のロシア軍の処置をどうするか。ここまでトルコを追いつめて置いて、再び生き返らすのは中途半端ではないか(ライバルを一人自分で作り出すようなものだ)。問題は山積しています。

 結局ロシアは同盟を持続する事にします。トルコやドイツののさらなる弱体化と、自らの成長を待ちつつ、状況の推移を見守ることになります。ただこの時からロシアのオーストリアを見る目が、同盟者から自分の為に肥え太らせたおいしそうな豚へと変化していったような気がします。

 結局フランスにもロシアにも見捨てられずに、オーストリアは一命を取り留めたと言えます。この回のオーストリアは、ミュンヘンを攻めたいし、イタリアをオーストリア領内から追い払いたいし、バルカンをどうにかしたいしと、いくら駒があっても足りません。結局はどこかを取って、どこかを削るしかありません。この回のオーストリアは、ムーブの練習問題としても適当です。以下に分析してみますが、その前に皆さんも自分ならどうムーブするかを考えてみて下さい。

 ミュンヘンに付いて考えますと、まずは行かないという選択肢があります。こうするとチロル・ボヘミアを本国の防御にまわせます。一件よさそうに見えますが、これはドイツ戦線の完全な放棄につながり、ドイツ復活→ロシアの北欧戦線崩壊→ロシアの離反(裏切り)→オーストリアの崩壊とつながりかねません。外交的に何らかの手がうてるのでなければ、止めた方がいいでしょう。よってミュンヘンは攻める事に決まりましたが、どれだけの戦力で行くかという問題があります。ブルガンディー(フランス)・シュレジア(ロシア)がサポートしてくれれば、ボヘミア(またはチロル)だけですみ、他方はトリエステ問題にさけます。但しこの状況ではフランスは他に忙しくて、ロシアはひよって(日和見に走る)しまうかも知れません。まず両者を説得する事から始めなくてはいけません。さらに両者を説得できても、信用できるかという問題があります。どちらかがひよる事は充分考えられます(特にロシア)。そこで信用できるかという読みが必要になります。信用できるなら最低限で行く事になるし、出来ないと思ったらボヘミア・チロルの両方をミュンヘンに割く事になります(もちろん他にしわ寄せがいく)。

 余談ですが今回チロルをサポートに使ってはいけません。なぜならチロルのサポートはほとんど確実に来るイタリアのアタックで効力を失い、無駄となるからです。チロルは動かなければなりません(スタンド・オフはするかも知れませんが)。その結果チロルをイタリアに取られるかも知れませんが、その結果逆にイタリアが窮地に追い込まれる事はイタリアの項で説明しました(ベニスから入られたときには微妙ですが)。

 トリエステ問題に目を移します。ボヘミアでウィーンをカバー、ルーマニア(トルコが単独でルーマニアに来る事はまずない)でブタペストをカバー、チロルでトリエステを攻めて、セルビアとアルバニアでそのサポート。これでまずイタリア軍を本土からたたき出せます(イオニア海がアルバニアをアタックして、ベニスがトリエステをサポートしない限り)。但しミュンヘンが攻めれなくなるので、この案は却下となります。そうなるとイタリアに本土サプライを一つ取られる事は、既定の事実になりますので、後は二つ取られない事とどこを与えるかが問題となります。イタリアがトリエステ→ブタペスト(またはウィーン)、ベニス→トリエステと動かない限り2つ取られる事はありません。イタリアがこう動かないと読めば、放っておくのも一つの手です(イタリアが動かない可能性はそれなりにある)。次にイタリアが内部侵入してくるとすれば、それがどちらかを読み当てれば、そちらをカバーするだけでイタリアの侵入をトリエステで止める事が出来ます。どちらかというとブタペストの方がありそうです。読みに自信がなければ、ブタペスト・ウィーンの両方をカバーする事で解決されます(これがいちばん安全で、形も良いでしょう)。ベニスがトリエステをサポートするので無ければ、2戦力でトリエステを襲うと共に、イタリアの内部侵入を抑えれば(スタンド・オフで)、イタリアを締め出す事もできます(失敗してもサプライを2失う事はない)。また内部侵入も辞さなければ、トリエステに1戦力を突っ込まる事でやすく済ませる事もできます(トリエステの軍は内部に侵入できますが、後続はスタンド・オフする)。

 要点はトリエステの軍をたとえ撃退できても、その軍はオーストリア内部の空いたサプライに退却(前進にしか見えないが)して占領してしまう事です。このイタリア軍を滅するには、周りを囲んで圧殺するしかありません。それだけの駒数が用意できない以上、最低限の処置で放っておくしかないでしょう。ただ内部に入れると後がうるさそうなので、出来ればトリエステで止めておきたいものです。

 バルカンも頭が痛い情勢です。ブルガリア・ギリシアのどちらかが標的とされるでしょう。但し両方が落ちる事はまずないので、諦めてほとんど放っておいて他方面に力を入れる事も考えられます。ルーマニア・セルビアをブルガリアのサポートに、アルバニアをギリシアのサポートに回すと完全に防御出来ますが、これは他の方面にしわ寄せが行きます。ここでトルコ・イタリアの来るエリアを読む事もできます。ブルガリアと読めば(と言うより賭ければ)、アルバニアの海軍をフリーに出来ます。ギリシアと読めばセルビア(またはルーマニア)の軍を動かせます。どちらかというとブルガリアに来そうですが、断定は出来ません。ここで守りきればトルコのサプライが2に減少するので、守りがいはあるといえます。

 余談ですが、トルコ領内に侵入したロシア軍が1つである事もオーストリアに取ってネックとなっています。どちらにしろ今回トルコの失う本土サプライは1なので、この軍隊を無視してトルコは移動する事が出来ます。もちろんコンチの軍隊はブルガリアにアタックします(サポートに使うと、アンカラからのロシアの攻撃でそのサポートを消されてしまう)。もしも春にロシアがセバストポリの軍隊をアルメニアに移動させておけば、たとえそれが秋にセバストポリに戻るだけであっても(事実そうなるだろうが)、トルコに心理的・確率的な制約を与えたであろうと思われます。

 以上の点を踏まえると、ミュンヘンを最低限の兵力でいくと共にバルカンを完全防御して、チロルでトリエステをアタックしておくのが、最も安全そうです。もしくはギリシアと読んでウィーンとブタペストをカバーしに行くというのも後の形は良さそうです。結果から言うと、ブルガリアを守りつつ、チロルがウィーンをカバーしに行くというのも正解でした。下手なムーブをしようものなら、ロシアの離反を招いて一気に崩壊しかねません。ただここを防ぎきればトルコの弱体化と共に、盛り返す事が出来ます。

 実際の結果としては余りはかばかしくありません。しかたないとも言えますが、ギリシアとブルガリアの読みをはずし、チロルをサポートに使いと、余り上手くありません。特にオーストリアの軍隊は、上下二つにまっぷたつに分断してしまいました。イタリアが弱体化したとはいえ、次も修羅場が続きます。

 トルコは命をながらえました。しかしこのままでは死にかけである事には変わりません。イタリアが到着したとはいえ、状況は予断を許しません。

●1906年春 移動 及び 結果

●1906年春 感想

 イギリス・フランス戦線は膠着状態です。特に今回のフランスはその移動のほとんどにスタンド・オフを出してしまいました。北海やピエモンテのスタンド・オフはみえみえの感もします。少し移動が単調すぎるきらいがあります。さっさとベルギー・ブルガンディー・マルセイユに陸軍を並べたいところです。

 ただこの年のフランスの発言はふるっていて、「ウェールズに行こうかとも思ったんだけれども、それではリバプールから来るイギリスとスタンド・オフしそうなので、こちらがアイル海に行くべきだろうか」とか言っていました。それまでのイギリスの性格と、周りのイギリスを見る目というものがうかがわれます(結局北海に行くためにとりやめとなったようです)。

 ドイツは北欧を捨ててまたもや穴篭もりの準備を始めました。スウェーデンを失っても4つの陸軍はかなりの間本土を守りきるでしょう(特にオーストリア・ロシアがあのざまでは)。その間に何を待ち、何を画策するのでしょうか?

 イタリアはピエモンテのスタンド・オフで少なくともこの年におけるフランスからの攻撃を防ぎきりました。ウィーンからブタペストへ移動と、内部侵入したローマ師団も好き勝手暴れています。但しトルコの項で説明しますが、これはワン・テンポ遅かったようです。オーストリアに専念できる今年に何らかのけりをつけたいものです。

 オーストリアにとって苦難が晴れたと言えるかも知れません。それほど上手いムーブをした訳ではありませんが、トルコの陸軍が消滅したためにトルコのプレッシャーが急激に薄れました。オーストリアはピンチを脱したと言えます。ただトルコの陸軍を消滅させるためにしかたなかったという弁明もありましたが、ブルガリア南岸に海軍を入れた事は後々まで傷を残す事になります(ブルガリア南岸の海軍はコンチ・エーゲ海・ギリシアにしか移動できず、ルーマニアをサポートできない上に、後の陸軍の移動の妨げになった)。

 イギリスのミスのおかげでロシアは北欧で息を吹き返しました。去年までの劣勢がうそのように好き勝手に移動しています。長かったロシアの冬にも、ようやく春が訪れたと言えます。初めの対トルコ戦、去年までの北欧戦と常にロシアは苦しい立場に置かれ続けました。ようやくその苦労が報われたという事でしょうか。ロシア絶頂の一瞬とも言えます。調子に乗ったロシアは以下のような布告を出して、それをノートに貼るという事を行いました。


布告

ロシア陸軍第4師団

 日露戦争が終結し皇帝陛下は至極ご満悦であらせられる。今年ドイツ帝国ではモルトケ将軍が参謀総長に就任し、油断のならぬ動きを見せている。汎ゲルマン会議を召集し、オーストリア=ハンガリー帝国と協調しようというのだ。貴下の軍隊はその同盟を崩すべく、今年の秋はミュンヘンにいるオーストリア=ハンガリー帝国の陸軍をサポートするのが任務である。貴下の健闘を祈る。なお、北欧は陸軍第2師団と海軍の協力によりポチョムキン号の反乱したスェーデンを攻略、さらにトルコ帝国の分割を進めるべく、陸軍第1第3第5師団はさらに進行を開始する。雷帝もかなえられなかった大帝国建設は間近である。ニコライ?世の玉名はヨーロッパを震撼させるであろう。

ロシア陸軍参謀総長


 こんな事をするから周りの反感や、マークを受けるんだという意見もありますが、これは春を感じた素直なロシアの歓びと取れなくもありません。

 布告にあるように、南ではやっとの感もありますが、セバストポリの軍隊をアルメニアに移動させました。モスクワ→セバストポリではなくワルシャワ→ウクライナというあたりに、オーストリアを裏切るタイミングを謀りかねているという感もあります。この時点でロシアがガリシア・ウクライナ・セバストポリに軍を並べていれば、あるいはロシアの勝ちが決まったかも知れません(崩壊するオーストリア・トルコ、疲弊したドイツ・イタリア。基本的にロシアの近くには急成長するロシアを止めれる要因がない)。ロシアがこうやってタイミングを謀りかねているところに、あの事件は起こったといえます。

 トルコはこの春で滅んだと言えるかも知れません。ブルガリアの隘地に陸軍が圧殺、消滅しました。ブルガリアに陸軍を残しておけば、この状況からこの陸軍が消滅する事は明らかだったはずです。ブタペストにイタリア軍が到着しましたが、もはや手遅れの感です。黒海のサポート付きでコンチに戻る事も、海軍で輸送する(ギリシアでもアンカラでも、この場合セバストポリでも良かった)事もできたはずです。トルコの命運は尽きたと言えます。

 それに呼応するかの如く、秋に大きな嵐が吹き荒れる事になります。

●1906年秋 移動 及び 結果

●1906年秋 感想

 このターンはどの国にとっても忘れ難い年と言えると思います。今までの停滞がうそのように、これから数年は激動の時代となります。

 まずはイギリス・フランス。春で懲りたのか、フランスは北海をイギリスに譲ります。イギリス対ドイツに比べて、フランス対イギリスにおいて北海はそれほどのウェイトを持ちません。大西洋上では後にフランスの息の根を止めた事件が発生します。何の気無しに英国海峡・ウェールズに海軍を動かしましたが、これが英国海軍のアイル海・中部大西洋とサイクルをつくって英国海軍の中部大西洋入りを許してしまいました。風の噂によるとイギリスもスタンド・オフ狙いで中部大西洋に突っ込んだそうです。何にしろ後背地としてのイベリアの安全性が無に帰してしまったわけです。つまりフランスはサプライのポケット(守らなくてもいいサプライ・エリア。この数によって安全に攻撃に出せる駒の数が変わる)を失った訳です。イギリス本土を眼下に見下ろす位置に付けながらも、イギリスにも同じ位置を許してしまった事になります。後はこの両国はお互いの血を流しながら、どちらが先に息を切らすかという勝負となります。さらにお互いが我慢し続けた場合には、後から来た第3国に両方が滅ぼされるというジレンマが待ち受けています。

 もちろん懐の深さからもフランスの方が有利なのですが、ドイツ次第では情勢は分かりません。そして今までのすべての外交を破壊する大事件が東で起こります。その余波は直接関係なかった英・仏をも巻き込んで行く事になります。

 ドイツはとうとうサプライ4へと落ちる事になります。しかし今回のドイツのムーブからも分かるように、ドイツの周りの状況と相まって、守勢から攻勢へ(つまり減少から増大へ)と転換しつつあります。不況の谷を越えたと言えます。これはバルト海の海軍がなくなったとはいえ、変わらないでしょう。サプライ状況とは裏腹に、ドイツには春が訪れようとしているように見えます。

 事件の中心にして立て役者はオーストリア。まずはイタリア・トルコにロシアの危険性を説き、ロシア討つべしと言って接近します。実際にロシアを裏切るのですが、ついでにイタリアとトルコも裏切ってしまったのです。ある意味でこれは余りに愚行と言えるかも知れません。次の年から対オーストリア同盟ができあがり、オーストリアが瓦解するのが目に見えるようです。実際私はこれでオーストリアは滅んだと思いました。裏切るにしても、一人は裏切らない相手を残しておかないと、後々同盟を組む相手が存在しない事になります。この程度で後を一人で生きて行けるほど状況は甘くありません。さらに言うとこの裏切りによって致命的打撃を受けたのは、ほとんど滅ぶ事が決定していたトルコだけだという事です。この後誰もこのオーストリアを許しはしないでしょう。

 この策謀の裏にはフランスが暗躍したという説が雷鳴のように裏世界で流れました。ただ私は疑わしいと思います。結果としてこの事件はフランスに不利以外の何物にもなりませんでした。明かです。よってこの噂は単なる中傷か、罪逃れのためにオーストリア本人か、その周辺が流したものと考えられます。

 それにしてもこの回及び次の年のイタリアの動きも奇妙極まり無いと言えます。だいたいオーストリアと組んでロシアを討つために、せっかく占領したブタペストを放棄してガリシアに行ったくせに(これもちょっと信じ難い)、ベニスからトリエステに突っ込んでいるわけです。これはオーストリアとの同盟を破壊しかねない行為です。ガリシアに行くだけ、もしくはトリエステに突っ込むだけなら納得がいかない事もありませんが、両方となると矛盾しているように見えます。何かおかしいのです。これは翌7年にも続きます。ベニスから退却する陸軍を消滅させてナポリに海軍を造ったのも、海軍王国建設の夢に取り付かれたためとしても、少し強気に思えます。そのためこのあたりのイタリア・オーストリアの動きは周りを欺くための遠大な狂言であったと言う者もいます。つけ加えると、ロシアを裏切ればミュンヘンなんて維持しようがないのだから、オーストリアはベニスにはチロルの陸軍で突っ込んでおれば、イタリア本土は崩壊したでしょう。これも何も考えなかったふりをして海軍で侵入し、イタリアを安心させたと言えなくもありません。ただ大方の者は、お互いのミスという土壌の上にきれいな花が咲いてしまい、それを幸いと黙認したのではと説明しています。ただこれが両者示し合わせた上での狂言で無ければ、両者がおお間抜けでない限りどうやっても納得が行かない事になります。判別がつきかねるところです。

 とにかくオーストリアは瞬間最大風速でサプライ「9」となります。未だ一国も滅んでいない時点では、脅威の数字とも言えます。周りはこの事態を騒ぎ立てましたが、よく考えてみれば最終目標の18の半分でしかありません。さらに言うと全体の1/4にすぎません。まだまだ一人で周囲全員と戦える数ではありません(海上王国と化したイギリスならともかく)。この年の補給で、オーストリアはウィーンが占領されているので軍隊の建造が追いつかないという現象が起こります。

 ロシアとしては大打撃と言えます。北欧・対トルコでは状況が好転し、時期やよしと見てセバストポリに海軍をつくろうとして空けたところを襲われてしまいました。南方に海軍が無い。このあたりに1年目から引きずっているロシアの対トルコ戦の傷痕が見えると言え無くもありません。セバストポリに海軍を造って、完全を期してオーストリアを裏切ろうと思っていたロシアに取って、このオーストリアの暴発は寝耳に水と言えます。それにしてもこの回のロシアは、オーストリアを甘やかしすぎの感があります。都合3つもオーストリアのサポートを行っています。勝手にオーストリアが崩壊するなら好都合で、それに任せて放っておけばいいのにという気がします。

 確かにロシア・プレイヤーとその温めていた計画は恐ろしいものではありましたが、この時点ではロシアは対トルコ戦や、対北欧戦の傷から復興してやっと第1グループに入ろうかと言う程度でしかありません。軍隊も3正面に散らばっていますし、表面的に見ますとそこまでマークされるべき国ではありません。

 今回のディプロで奇妙な感じを常に拭いきれないのは、中盤サプライの多いくせに滅びを感じさせる国(フランスやオーストリア)や、サプライ的にはまったくなのに他を圧する勢いを感じさせる国(ロシアやドイツ)が多かったからと言えるでしょう。

 この事件に対するロシアのコメントは「ぼくが思っているよりは、オーストリアも敏感だったという事でしょう。取りあえずこの時にオーストリアを裏切ってたら、トルコが生き返るし、イタリアの方が取り分が大きいような気がしたので、セバストポリの海軍ができるのを待ちました。」と言っています。イタリアにはそこまでの余力はなかったような気もしますが。この春あたりから対オーストリア戦を発動していればロシアは覇者となっていたのでは、と私には感じれれました。

 とにかくロシアに取っては一つのタイミングがこぼれてしまったと言えます。しかし状況はあながち悪くなったとは言えません。寧ろ良くなったと言えます。これでイタリア(・トルコ)とおおっぴらに対オーストリア同盟を組織する事ができます。いくらロシアがこの先でオーストリアを裏切ろうと思っていたとしても、それは未だ発生していない未来の罪です。どう見ても悪人はオーストリアです。この状況下ではこの同盟は正当なものとして皆の目に写るでしょう。その采配次第にもよりますが、これはロシアに取って飛躍のチャンスと言えます。

 トルコはもはやこれまでと諦めたのか、スタンド・プレーに走ったとも言えます。オーストリア・トルコのような同盟の場合、普通は弱者のトルコの方にうま味があるように配分するものです(強者は強者であるが故に周りが同盟してくれない事がありますが、こういうときは弱者をうま味でつるかわりに自分の敵との戦いに利用する。弱者はそれと知りつつ、そのうま味に納得する。つまり弱者は直接的な利益を得て強くなり、強者は対戦相手が弱まることで、間接的に強くなると)。それをまるで滅私奉公の如くオーストリアに尽くした挙げ句に捨てられる事になります。

 この秋ヨーロッパ中央は大嵐が吹き荒れ、状況は激変したと言えます。

●1907年春 移動 及び 結果

●1907年春 感想

 イギリス・フランス戦線はお互いスタンド・オフの末に停滞します。この戦線でこの年の開始時から配置の変わった駒はひとつもありません。フランスのムーブとしては、ウェールズ(N) M ロンドン、英国海峡(N) M ウェールズ、ベルギー(N) M 北海とした方が面白いような気もしますが、どうでしょうか。どちらにしろオーストリアの暴発のためにドイツ・ロシア間に不可侵めいた雰囲気が流れ、ドイツは自由にミュンヘン、そして対フランスへと向かえる事になりました。フランスに取っては苦しい状況となってきました。

 フランスのムーブにある(自軍撃退命令)について説明しておきます。サポートについての例外ですが、自国の軍隊を撃退してしまうようなサポートは、自動的になかった事になります。この場合スタンド・オフしてベルギーに戻ったフランス海軍を、ピカデリーからブルガンディーのサポート付きで来るフランス陸軍が撃退する形になっています。さらにこの形の場合は特例で、このサポートはかわりにスタンド・オフして戻ってくる軍隊をサポートする事になります(そのエリアに居続けた駒や、移動してくる駒しかサポートできない、その国から移動しようとする駒はサポートできないということの例外)。つまりベルギーは結局2の力で守られる事になります。

 ある意味で、もはやフランスと同盟が組めるのはオーストリアだけとも言えます。両国とも国際的に孤立しつつあるせいとも言えます。オーストリアとの連携を考えるなら、戦場はイタリアしかありません。チュニスから追われた海軍を残しておいて、ピエモンテの陸軍やベニスのオーストリア海軍と連携するという手もありました。今からでも捨て身の覚悟でオーストリアと組んでイタリアに行く事もできたのではという気がします(どちらにしろイタリアが本気でくればスペインの失陥は確実である)。

 ドイツはまずは確実にミュンヘンを落としました。次は目標はフランスと言えます。順調な復興の一途と言えます。オーストリアの嵐は、オーストリア・ロシア・フランスの同盟の瓦解を招き、ドイツの復興に拍車をかけたとも言えます。

 この年のオーストリアを巡る情勢は奇妙としか言えません。

 まずミュンヘンは予定通りにドイツが回復していますが、このミュンヘンのオーストリア軍はフランスをドイツに売ったとも言える行為を行っています(あまりの事にドイツは信用しませんでしたが)。ミュンヘンを守るためには、恥も外聞もなかったとも見えますが、オーストリアに取っては最期の同盟可能な相手であるフランスを、こうも簡単に捨て去る事ができるのでしょうか。あまりにもこのオーストリアは愚かに見えます。しかしあまりにも愚かであるが故に、その裏を感じさせます。オーストリア・イタリア狂言説です。オーストリアはすでにイタリアという強固な(秘密の)同盟者がいるために、フランスには全く興味を持たなかったと言えるわけです。

 さらに今回のディプロで最も悪名高い事件がイタリアによって行われます。この回のワルシャワ事件です。実際にムーブを受け取ったときには、私にも何が起こったのかよく分かりませんでした。次に私はこのゲームの終結を感じました。これは真面目な話です。

 ロシア・イタリアは組んでオーストリアに向かう事になっていました。手始めにセバストポリの軍隊を撃退すると共に、その退路をガリシアのイタリア軍で遮り、消滅させる予定でした。この時点でイタリアが、ほとんどオーストリアへの利敵行為とも言える、ロシアへの裏切りと言えるようなこの行為に出るとは、ロシアには思いつきさえもしなかったでしょう。

 イタリアはロシア領ワルシャワに侵攻しました。この為対オーストリア用に組まれたプランはほとんど根底から覆されました。つまり前年のオーストリアの非をとがめる存在がいなくなってしまいました。

 形成は逆転したと言えます。オーストリアは生き残るどころか、逆にこの世界を制しつつあるようにも見えます。死んだ配置であった駒が、生きた配置に変わってしまいました。オーストリアは完全にライン(戦陣)を組んでしまいました。今まで獅子身中の虫であったイタリアのローマ師団も、自発的に体外へと出て行ってくれました。

 それに対してロシアの駒は輝きを失いました。死んでいると言ってもいいかも知れません。ワルシャワに入られたため、ロシアのラインは崩れてしまいました。ロシアは己の立場、その脆さを自覚してしまいました。攻めているときには、一顧だにしない事です。攻めている間は、つまり相手が防戦一方の間は、いくら脆かろうとも自身は安全だからです。攻防が反転した瞬間に、その事実は今まで気付かなかった落とし穴として襲いかかってきます。マルチというゲームは一種微妙ともいい加減とも言える面があり、同じ配置でもその時の外交状況や、プレイヤーの心理状況によって全く別物に見える事があります。ロシアには3方面でそれぞれ撃ち破られるロシアの姿が現実のように見えた事でしょう。少なくともワルシャワのイタリアを捕まえる(押し包んで壊滅させる)だけの力はロシアにはありません。今度はロシアが獅子身中の虫を飼う事になります。そしてそれは今のロシアに取っては、壊滅的な事と言えるでしょう。

 4年目のフランスからの撤退と言い、イタリアは再び死んでいるはずの者を最盛期の状態で生き返らせた事になります。この行為に対するイタリアのコメントは「こうしないとイタリアのサプライが足りないから」というものでした。オーストリアを分割すればおつりが来るような気がします。さらに「南でロシアには好きにさせないという牽制でもある」と言っています。ではオーストリアは誰が牽制するのでしょう。

 ロシアは致命的な打撃を受けました。それは盤上の事よりも、ロシア・プレイヤーの心理に受けたと言っていいかも知れません。何をやっても無駄、ロシア・プレイヤーにはそう思えたとしても仕方ないかも知れません。ロシアはこれで通算6度もの裏切りを体験しています。相手国で言うと、イギリス・イタリア・オーストリア・トルコ。ロシアの周辺は、ロシアを裏切った国で満たされています。どの国とももはや同盟する気になれません。しかしそうなれば負けます。さらにロシアのやる気を殺いだのは、今回のイタリアの裏切りが、イタリア自身に意味の無い裏切り、それどころかイタリア自身に明らかに害であるように見える点です。まだたとえ自身が滅ぼされようとも、イタリア自身が勝つための裏切りであったならロシアも納得はしたかも知れません。しかしこの裏切りはオーストリアに利するだけのように見えます。理屈が通らないわけです。マルチというゲームは、お互いが利を追い求め、その妥協点に互いの合意点を見いだすゲームです。たまには完全に相手を欺く事もありますが、それすら自らの利を大量に挙げんが故です。イタリアの行為は、この時点では全く理屈の通らないものとロシアの目には写ったと言えます。路上で愉快犯に切り殺されたようなものです。しかもそんな裏切りがロシアの死命を制した(少なくとも数年の後退を余儀なくされた)わけです。

 何をやっても無駄。そう思ってもしかたないのかも知れません。それにロシア自身は6度もの裏切りにあうという、周囲からかなりタイトなマークにあっていますが、実際にそれだけの強大国になった事はまだありません。自身の招いた失敗もありました。しかしそれらを乗り越えてやっと茫洋と広がる未来を掴んだと思った瞬間に、連続したこのしうちです。周りすべてが敵。陥ってはならない妄想にロシアは捕まってしまいました。しかもそれはあながち妄想だけとも言えません。それに6度もの裏切りにあいながらも、ロシアは即死にいたる傷を受けませんでした。これはロシアが上手いのでは無く、裏切った国がまずいのですが、生殺し状態には違いありません。

 ロシアはこれ以降急速に輝きを失います。プレイヤー自身がやる気を失ったからです。やる気の無いプレイヤーがいる事は、即ゲーム自身をつまらないものにしかねません。それはロシアにも分かっていたでしょう。それでもやる気を失った自身をどうする事もできずに、ロシアは壊れていきました。サプライなどの表面的な動きでは今までの貯金で今少し持ちこたえましたが、急速にロシアはいるだけの存在と化しました。その点ではイタリアの裏切りは期待以上の効果を挙げたと言えます。最も短期間で一人の強力なライバルを抹殺したと言えますから。

 この辺の文には幾らか悪意が交じっていると言われても弁解はできませんが、それだけ私はこの回のイタリアには個人的な憤慨を感じたと思っていただきたいです。

 この回のイタリアの動きは、あまりにも身勝手で、愚かです。この後ロシアと連携できるはずもなく、この後誰がこのオーストリアに対抗できると言うのでしょう。愚かです。しかしそれが過ぎます。そこでこんな疑念が浮かびます。イタリアが愚か者でないなら何だろう。裏があるに違いない。イタリア・オーストリア狂言説です。こうとでもしなければ説明が付かないからです。またそうでなくてはやって行けないという気持ちもあると思われます。

 この時オーストリアは勝利の一歩手前にいたように思えます。ロシアはオーストリアも許せませんが、それ以上にイタリアは絶対に許せないでしょう。ロシア軍は無茶であろうとも、ワルシャワのイタリア軍を封殺しにいくでしょう。その為にオーストリアがフリーになろうとも、もしくはオーストリアに背を見せようとも。ロシア・プレイヤーがどうするかは知りませんが、私ならそうしたでしょう。それによってロシアは崩壊するでしょう。ただでさえ3正面を持っているので、ラインを崩した瞬間に簡単に全戦線か崩れさるでしょう。ゲームも崩れさるでしょう。たとえイタリア・オーストリア狂言説が事実であったとしても同じです。ロシアがその事実を知らない限り、結果は同じです。その意味でもイタリアは致命的なミスをした事になります。ここでオーストリアがイタリアを裏切ればそのままオーストリアの独走を許す事になります。疲弊したままのイタリアと、崩壊したロシア。しかもその両者は反目したまま。滅びかけのトルコ。わずかに期待の持てるのは復興し始めたとはいえまだまだのドイツ。オーストリアを止めれる勢力がないわけです。オーストリアのすべき事は、イタリアを見捨てて今回防御を固めてロシアの崩壊を待つ事です。ロシア・イタリアのいざかいは勝手にやらせておけばいいだけです。本格的にイタリア本土に侵攻するのも面白いでしょう。対抗できるのはフランスぐらいですが、その場合は、フランスにオーストリア以外の国が降伏してやはりゲーム終了となるでしょう。

 マルチの面白さは、自分のコントロール下になく、しかも複数の意志の元にある軍団同士のぶつかり合い、多人数の離散集合にあります。そのためにルールはなるべく単純化されていますが、逆にそのために人数が減るに連れてその面白さは一気に減じます。何故たいていのマルチが既定条件に達する前に終わるかというと、時間がかかりすぎるという事もありますが、終盤がつまらないからです。そのためこいつの勝つ確率が最も高いだろう、と誰もが認める”覇者”の出現でなし崩し的にゲームが終わる事も多いです。

 私にはゲームが急速に終了に近づいたように思われました。しかし状況はまたもや次の秋で一転してしまうのです。

●1907年秋 移動 及び 結果

●1907年秋 感想

 まずはいつも通りに英・仏戦線から。何故かベルギーにイギリスが進軍します。どう考えてもベルギーはドイツ領ですし、ドイツが行った方が侵攻は速やかにすむでしょう。長期的に考えても、ドイツとの同盟関係から考えてもトラブルの元になるとしか思えません。さらにロンドンをフランスに奪われましたが、これは簡単に読める範囲内です。北海で英国海峡を攻撃しておけば、ドイツのベルギー攻めの援護となると共に、ウェールズからロンドンが攻められたときにはロンドンを守るとともに、本命の英国海峡からのロンドン攻めの際には、ロンドンの海軍を北海に退却させる事ができます(実際は想いもかけないロシアの乱入で、そうはできなかったとはいえ)。これらのメリットを捨ててまでベルギーを取りに行くかというと、疑問です。イギリスにも何らかの考えがあったのかもしれませんが、裏目に出たと言えます。

 この回のベルギーを巡る攻防は、ムーブの処理の問題としても面白いものがあります。まずドイツのミュンヘンはブルガンディーをアタックして、その駒のサポートを消そうとしています。但しフランスはブルガンディーをサポートには使わずに、ルールのアタックに使い、ルールのサポートを消してしまいました。この時点ではフランスが駒1つ分だけ有効に使っている事になります。最終的にはベルギーを巡るサポートではフランスのピカデリーとドイツのオランダだけが残り、ベルギーのフランス自身と攻撃元のイギリスの北海を併せて2対2となり、スタンド・オフとなります。ここで面白いのはベルギーは北海からしか攻撃を受けていないので、北海に出てくるロシア海軍に対するサポートは有効であるという点です。想いもしない事に、イギリスはロンドンと共に北海まで失ってしまいました。総崩れとも言えます。予定通りにポルトガルに侵攻したとはいえ、それも軍隊の離散に拍車をかけただけとも言えます。イギリスは苦境にたったと言えます。

 フランスは外交的に苦しい立場となりましたが、それを上手いムーブで何とか切り抜けました。このままイギリスを屈服させれば、まだまだいけます。また東の動乱をネタに対オーストリア同盟を画策するのも一興でしょう。ただムーブでしのぐのにも限度があります。イタリアの海軍もやってきて、南では破滅の音が聞こえ始めています。何らかの外交的転換が求められていると言えるでしょう。

 ドイツはミュンヘンを取り戻したとは言え、ベルギーまで手が届きませんでした。さらに言うと同盟国のイギリスが崩壊しかかっています。”状況は好転したんだ。焦る必要はない。落ちつくんだ”という気持ちと、”このままでは東で急成長する存在に勝てない”。この2つの気持ちに挟まれて、ドイツもおちおちしていられないと言えます。

 この年のオーストリアもよく分かりません。ミュンヘンとセバストポリはともかくベニスを取られたのは何事か、という気がします。オーストリアは「イタリアに裏切られた」とコメントしています。これについては、もはや何も言う気になれません。オーストリアはすべての結果を無に帰し、元のサプライ6に戻ってしまいます。自身の威信を落としただけと言えます。ただロシアの覇権を防いだと言えば、その通りなのかもしれません。

 この秋の結果は、イタリア・オーストリア狂言説の反論として持ち出されます。”オーストリアは周りにばらまきすぎであり、特にトルコにギリシアをやる必要はない”という意見が出されます。これに対して、滅び行くトルコがかわいそうだったので、生き延びさせるために与えたという見方もあります。どちらにしろこの年イタリア+オーストリアのサプライの数は4+9から5+6に激減しています。但しトルコに与えた分と、元々ドイツ・ロシアに取り返される予定だった分を差し引くと、減ったとは言えません。この先イタリア・オーストリアはなし崩し的に同盟関係に入る事になります。これだけの事が起こったにも関わらず同盟が成り立っている。これが狂言説の最大の根拠ですが、実際は他に組む相手が存在しないために仕方無くとも見えます。どちらにしろこの2国は一連の事件で国際的声望を落としました。しかしプレイヤー数が減り、陣営分けがはっきりしつつあるこの時期では、さして大きな悪影響を及ぼさなかったとも言えます。

 オーストリアが再び元に戻ってしまったために、ゲーム的には再び均衡が戻ったとも言えます。危険視されたロシアの暴発もなく、終わってみれば結局ロシアが頭一つ抜き出た形となりました。しかしこのロシアの優勢が過去の余勢に過ぎないという事に誰も気付かず(私も気付いていませんでした)、勝ちの見えて来たロシアを誰もがさらに警戒し始めました。そんな中でロシアはさらにやる気を失って行ったように見えます。結局オーストリアはあんな事をやって、さらにイタリアの想いもかけない援護を受けながらも、そのチャンスをモノにする事が出来ませんでした。オーストリアは暴発したら、想いもかけず勝手にチャンスのほうから転がってきました。それに比べてロシアは正当な努力をしているのに、何も報われないように見えます。しかもオーストリアはそのチャンスを活かせませんでした。しかもそのくせまだ生きています。

 サプライの数で抜きんでたロシアを周りの国が警戒し始めています。そのためにオーストリアとイタリアが組んでロシアに当たっても、誰も文句は言わないでしょう。しかしロシア自身は気付いていた事でしょう。ロシアがもはや他国に警戒されるような強国では無い事に。北欧もトルコ半島も2戦力づつでは攻めに転じるにも守りるにも中途半端で足りません。今までその中途半端を支えていたのが外交(オーストリアやフランスとの同盟)と言えます。それが消えた今、そこはむしられるだけの他国の餌場と化します。ロシアの戦力は分散し過ぎています。集結する途中でオーストリアに裏切られたとも言えます。さらに言うと、北欧もトルコも海軍が充分でないために、戦力を上手く展開できません。唯一戦力の集中運用ができそうなのが(つまり攻勢に出れそうなのが)、本土中央です。しかしそこもワルシャワを抜かれたために分断されてしまいました。守りに入った瞬間ロシアは思わぬ脆さを示します。しかし誰も気付いていません。気付く頃には逆にロシアは格好の餌場と化していて、ロシアは骨まで喰い尽くされているでしょう。

 このロシアの窮状を救うには2つの方法が考えられます。1つ目は思い切って北欧かトルコを捨ててもその戦力を中央に集結させ、中央でオーストリアを突破する。2つ目はオーストリアかイタリアと組む。2つ目の案は、今のロシアの心情からは取りようもありません。結局北欧の兵を中央に戻そうという動きを見せますが、北欧・トルコ戦線の崩壊に中央突破は全く間に合いませんでした。結局ロシアは座して死を待っていたようにも見えます。

 生き残ったとはいえ、トルコも妙な立場に立たされたと言えます。サプライ1、しかもそれが本国サプライで無いという事はほとんど駒数が2になる事はないと言えます。ゲーム的には死んだとも言えます。どうせなら殺してくれた方がさっぱりすると本人も思っていたでしょう。その後の投げやりとも言えるムーブがそれを物語っています。そのくせこの生き残ったトルコの1海軍はトルコ半島を巡る戦闘で、キーを握る事になります。まだ勝ち目の残っている相手なら、その勝利のために利で釣る事ができます。これがゲーム内での理屈と言えます。それに対してこのトルコはもはや勝算度外視モ−ドと言えます。ゲーム内の理では計れないのです。後に残る判断基準は好悪の感情とか、面白そうなプレイとかでしかありません。つまりゲーム内の理を越えた存在が、ゲームの鍵を握ってしまった訳です。ゲーム的に困った問題と言えます。

●1908年春 移動 及び 結果

●1908年春 感想

 この年の期間中イギリス・プレイヤーが帰省したために、かわりに審判役であった私がイギリスを代行する事になりました。この事についての是非は、後の紙面において詳しく論じる事にします。ここでは私の担当したイギリスのプランとその狙いをもとに、この年の動きを説明したいと思います。

 まずこの年の全体のムーブについては一つの統一的な流れがあると言えます。極言しますと、すべての策謀中心としてイギリスが存在したと言えます。事実少なくとも盤の左半分に置いてはイギリスの予定にないムーブは存在しませんし、右半分もほとんどイギリスのコントロール下にあったといえます。

 詳細については後に載せた”報告1・2・3”をお読み下さい。これは代理の私が書信でイギリス・プレイヤーに現状を報告した物と言えます。今読み返してみると状況の読みに少しおかしな点がありますが、それも報告を重ねるにつれて修正されています。外交状況としては、孤立しているフランス・ロシア。イギリス・ドイツ(+イタリア)はフランスを攻めると共に、ロシアとは冷戦状態。南ではイタリア・オーストリア(+トルコ)対ロシアと言った状況になりつつあります。また対フランス・対ロシアの事もあり、英・独とイタリアの関係は友好的と言えます。

 基本方針は結局フランスの早期崩壊(裏切りによって一気に滅する)と、その余勢を駆った北欧攻略となります。できればイタリア・オーストリアをロシア(と言うかロシア領トルコ)に釘付けにし、その軍隊が戻る前に勢いのままイタリア(もしくはオーストリア)を斬る事まで想定されます。その場合なし崩し的にイギリス・ドイツ連合の勝利でこのゲームは終わるでしょう。イギリスの単独勝利を狙うには、さらにドイツにワン・トラップを仕掛けなければいけませんが、それは私の領分を越えるので考えませんでした(と言うより考えたけど、さすがにイギリス・プレイヤーには教えなかった)。

 このラインのうち、この一年(と言うかこの春)に手がうてそうなのは対フランスぐらいのものなので、綿密に計画を練りました。それが”報告”の後に載っている「フランスによるオランダ侵攻」及び「英・独・伊による簡単なフランス1年間クッキング」となります。この計画はフランスの動きをコントロールした場合に、どの形がフランスに最も打撃を与えるかを検証する事から始まりました。そこから逆算を始めると共に、すべてのムーブに意味をを与えていきました。例えばドイツがデンマークに移動する事になります。これには北欧のロシアを牽制する為などと理由が付けられていますが、実際はキールにドイツ軍がいると都合が悪いからです。もしかするとキールのドイツ軍が、オランダをサポートするかも知れないとフランスが疑念を持つと、フランスのためにお膳立てしたすべてのムーブが瓦解しかねないからです。その為キールの陸軍は理由を付けてオランダをサポートできない土地に行かなければなりません。そのためロシアに無理を言って、ドイツのデンマーク行きを認めてもらいました。

 このようにしてすべてのムーブに理由を付けました。これはフランスのコントロールを確実にするためと言えます。一つでもこちらの提示した移動からずれれば、すべての移動の効力が無効となる事を相手の心に刻みつけたわけです。それだけ精密なムーブをわざと組んだとも言えます。後はフランスがこちらを信用するか否か。この一点にかかっています(信用した場合は前述の理由により、フランスはこちらの敷いたレールから外れる事は難しい)。「フランスによるオランダ侵攻」プランの実現は、イギリスとドイツのプレイヤー関係を考えれば充分可能そうです(ドイツのコントロールがまず急務となる)。次にフランスにはこの提案を受け入れて損はなさそうです。このまま独・伊・英に削られる運命に比べて、かなり見通しが明るくなるからです。損をするとすれば裏切られた場合です。おかしな論理にも聞こえますが、最期にフランスを信用させるポイントは、イギリス自身ががこの案を発動したときにどれほど利益を得るかという事にかかっています。実は強欲なほどイギリスは利益を受けます。本土3サプライを確保すると共に、イベリア2サプライを得て一気に5サプライに躍進します。その上、イギリスをとりまく配置はフランスに負けず劣らず好転します。何しろ身近に積極的にイギリスを攻める事のできる国が、フランスを含めていなくなるのです。つまり持てる力すべてを攻撃につぎ込めるわけです。この後もイギリスが伸びないわけありません。

 交渉と言うのは、交渉を行う2人が2人とも、その他の人間に対して有利に立つために行うモノです。基本的には決して相手をだます事ではありません。さらに言うとその2人の受ける利益が同じであれば理想的です。この場合長期的には英・仏どちらが有利か分かりませんが(私は本当にそう思っています)、短期的にはどう見てもイギリスの方が利益が多そうです。このプランの強欲な点は、春にイギリスかイタリアによるスペインもしくはマルセイユの占領は避けえないものとして、イギリスのスペイン侵攻から作戦が始まります。さらにイギリス本土からのフランスの撤退。春だけを見るとフランスに”ふざけんな”と言われてもしょうがないと言えます。この上でフランスを裏切るのはある意味で厚かましいとさえ言えます。その点ではこの交渉は、利益がイギリスに傾いているようにも見えます。ですが、長期的にみれば疑いもなく真っ当なモノと言えます。

 後はフランスがこちらを信用すると考えている、自分を信じるだけです。

 結果春は予定通りに行きました。この時点でこの勝負は決まったと言えます。見た目は秋の方が派手ですが、勝負所は春です。秋は付け足しと言ってもいいでしょう。

 南ではイタリアが東地中海に入ってくれました。これによりトルコにおけるイタリアとロシアの戦争開始は確実となり、つまりイギリス領イベリア方面へのこれ以上のイタリア海軍の派兵はないと言う事です。イベリアを1海軍で守っているイギリスとしては一安心と言えるでしょう。

 ワルシャワのローマ師団がロシア軍に蹴散らされました。プロシアに撤退しましたが、イギリスとしてはリボニアに撤退して欲しかったです。ベルリンが隣なので同盟国のドイツに妙なプレッシャーがかかって、その動きが制肘されるのを嫌っての事です。さらに言うとリボニアはペテルスブルグに隣接していますので、英(ノルウェー海)・独(デンマーク)・伊(リボニア)が連携すれば、北欧のロシアを落とす事が可能だからです。

 余談ですがこのプロシアに撤退したイタリア陸軍は、1901年春にローマより出発し、北アフリカに輸送された後に本国に送還され、オーストリアを敵中突破してとうとうバルト海をのぞむプロシアまでやってきてしまいました。イタリアではこのローマ師団を記念する碑を建てると発表しています。

 オーストリアはギリシアに着陣しました。しかし何故アルバニアの海軍ではなく、セルビアからなのかはよく分かりません。後は取りあえず防御姿勢のようです。 ロシアはワルシャワを取り戻しましたが、後は停滞しています。同盟国と言える国もなく、ロシアの上空にはどんよりと重い暗雲が垂れ込めているように見えます。

 トルコは追い出される前にギリシアから出て行きました。少しでも未来を求めてという事でしょうか。オーストリア・イタリアにも見捨てられた観があり、もはや滅亡は必至とさえ見えます。しかしこのトルコ海軍が、秋にあのように活躍するとは誰も思っていなかったでしょう。


◎報告1

 1907年秋の結果を報告いたします。非常に残念ながら昨秋のムーブによりイギリスの配置(特に対フランス)はかなり悪くなった言わざるおえません。というより、単に素晴らしいムーブによって奪回できる程度のものではなく、本土は未曾有の危機にさらされていると言えます。ただ、外交的には圧倒的な優位にありますので、この優位性を少ない駒数と配置(3海軍、しかもバラバラの配置)でどこまで活かせるかが勝負と言えましょう。上手く立ち回れば飛躍の年となりますし、下手をすると(というかほとんどの確率で)本土喪失という事にも成りかねません。実戦力がない分、外交(口先)の必要な年と言えます。

 今の所手をうった部分、およびこれからの計画を報告いたします。

・対イタリア

 1908年春に●イギリス ポルトガル N M スペイン(南) にたいして、○イタリア リオン湾 N S スペイン(イギリス) という秘密条約が締結されています。見返りは、同年秋のイタリア海軍のマルセイユ侵攻のサポートとなっております。この条約は双方に取って有益であり、問題の無いものと思われます。但し、海軍がスペイン南岸にはいる(マルセイユをサポートするため)事となり、海軍の分散をさらに進める事となり、本土の危機をさらに深める事になります。但し、これによりフランスの崩壊が一歩進めば、イギリス本土に対するフランスのプレッシャーも減り、結果的には本土の奪回にもつながる事と考えられます(但し長期計画にはなる)。

 注意すべきは、本国が安全となったイタリアが本格的にイベリアに手を出しイギリスに敵対する可能性がありますので、その点は”ロシアの脅威”を歌い文句に、イタリアをバルカン・小アジアに誘導して行きたいと考えております。イタリアがトルコやバルカンを賭けてロシアと(ここが大切)泥沼の戦争をしてくれることは、イベリアにおけるイギリスの安全に限らず、全体の流れとしてもイギリスにとって良い結果をもたらすことでしょう。その方策に関しては、とりあえずイタリア海軍の東地中海(スミルナの下)への誘導を積極的に進めております。

・対ロシア

 北海及び北欧におけるロシアの権益を認めるかわりに、友好的な不可侵または北海の海軍を使った積極的なイギリスへのサポートを交渉中。ロシアに取って北方は、北海という要地を取っているとはいえ、北欧と北海の3エリアを守備するのは北海の海軍だけという寒い状態です(また北海を保持する気もないようです)。こちらの条件をロシアが信じるならそれなりに成功率の高い条件だと思います。ロシアとの交渉は始まっておりますが、今の所どちらともつかない返答しか帰ってきておりません。

 但し、この条約については当方はあまり守るつもりはありません。春にできればノルウェー海の海軍はノルウェーに入れたいものです。なんと言おうと、イギリスに取っての最後の敵は(今の所)ロシアです。ドイツとの携帯が続き、イタリアとも幸せな不可侵が実現するならば、フランスの崩壊はもはや確実と言えましょう。そうなれば、次なる敵はロシアです。というよりも、それ以前に全体の流れから言ってもそろそろ本格的にロシアの頭を叩いておくべきでしょう。イタリアのワルシャワ侵攻によりロシアは北方の守備軍を南方に回した今が千載一遇のチャンスと言えましょう。但しロシアの方もそれを見越してか、警戒心を強めています。ペテルブルグの陸軍を移動させたものの、やっぱり北に戻そうという機運も見せています。ただ私見ではありますが、どうもそういうふりをして今年1年だけはなんとかごまかしてもちこたえ、そのあいだに南のけりをつけようという意図が見えます。そして手遅れになる前に北に戻そう、これがロシアの今年の北における図式とみております。

 春に我が海軍がノルウェーに入り、ドイツ陸軍が、デンマーク→スウェーデン(ノルウェーに入ったイギリス海軍でサポート)と入れば北欧は落ちます。さらに言うなら、これにより、ロシアの北欧に対する影響力はほとんど無くなると考えられます。もし北欧攻略を行うならば、大切なのは春に北海のロシア海軍をノルウェーに戻らせないという一点にかかっています。そのため、もし実行するならばフェイクとしてこの手の条約を手かえ品かえ強く押し進めて行きたいと思っています。但し、この作戦が成功した場合はエジンバラがロシアの手に落ちる事になります。しかし、北欧が落ちたときには長期的にはロシアはこの方面を断念することになりますので、最終的にはイギリスは本土+イベリア+ノルウェーとなる事になります(ロシアの勢力が衰えない場合机上の空論となる可能性も有り)。但しもちろん今までに築いた地歩をすべて賭けた作戦となるでしょう。しかも収穫までには気の遠くなる(1・2年ではすまない)時間が必要となります。何せ、成功しても駒の配置があまりにバラバラになりすぎるものですから。

 ムーブとしては、

 となると理想的でしょう。形こそ最悪ですが、全体の展開や流れからいうとかなり良いものと言えるでしょう(ロシアにエジンバラをとられ、リバプールをフランスにとられることになりますが)。

 もう一つの方策としては、ロシアとは現段階では積極的には争わないというものです。それこそほとんど交渉すらせずに中立を保つこともできます。また、ロシアの裏をかかずに、とりあえず本当に手を組むということもできます。ただそれらの策は如実にフランスとのからみがありますので、そこで述べさせていただきます。

 ただ今のロシアのせりふに”ロシアに対して友好的な国が、(ロシアに敵対する以外の)何をしたところでロシアは関知しない”というものがあります。ロシアも今中央と南に火種を抱えて、特に北は基本的に放っておいて無事を祈るしかないのでしょう。有利な地歩を築くのにはチャンスと言えるかもしれません。特に南が落ちつけばロシアは北に大増員する予定であることもつけ加えておきましょう。

・対フランス

 フランスは我国に取って絶対的に敵です。和解の余地は当方にはいっさいありません。但し、フランスの方は苦しい立場なので、1年ぐらいの期間でだましうちにかける余地が残っています。取りあえず交渉材料に出来る点は、1.ドイツを裏切ってフランスに付く(というより、イギリスは北欧でロシアと喧嘩するので、独・仏の戦争には中立化するというのが妥当)というものと、2.イベリアの侵攻をポルトガルで止めるかわりに、フランスの侵攻もロンドンで止める(またはスペインにはいるけど、イタリアはサポートしない)というものです。また、3.北海に出たロシアを叩くために、英・独・仏で組むという提案を出すという手もあります(3はほとんど実際には不可能で、なにかの謳い文句になるだけでしょう)。

 取りあえずは、ロンドンのフランス海軍が北海に出るのをサポートしてやるかわりに、リバプールを取らない(もしくはロンドンを返還させる)といったところで交渉を進める事になるでしょう。さらに、スペインへの侵攻をやめるかわりに、ウェールズの海軍を英国海峡にさげさせるという交渉もするつもりです。ただ、もはやイギリスに取ってフランスとの和解は考えられません(イギリスの領土拡張のため)ので、もちろん裏切ります。いろいろやりすぎの感もありますが、イギリスは負けているので少しは無理をしないとおいていかれると思われます。

 交渉の第1段階として

 という提案をしています。この交渉はほぼ失敗すると思っていいでしょう。なぜなら、イギリスにとってあまりにも虫が良いからです。更にイギリスではなくロシアが了承すれば、いつでもフランスほこのムーブをできるからです(しかも北海から撤退しそうなロシアは難なく了解するでしょう)。とりあえずそれで更に、仏・独の戦争に好意的中立を保つというのを条件に付け加えております。たぶんこれでも無理(または裏切られるか)でしょう。まぁ、相手がそれで納得するなら、ウェールズの海軍の行き先をロンドンにするという条件を飲むかもしれません。それもたぶん無理でしょう。

 そこで、第2段として、スペインに行くけど、マルセイユに来るイタリアはサポートしないという条件を提示します。もちろんドイツとのラインを崩さない限り、スペイン、マルセイユが落とせることも示しておきます。更に難色を示すならスペインに行かないという条件を示してもいいでしょう。ここで大切なのは、フランスはその気になればロンドン・リバプールを同時に、しかも確実にとれるということを思い出させないことです。一歩進めて、イギリスがそれを恐れていないというふりをするということです。”長期的には、このままやればフランスは崩壊する””時間がかかるかもしれないが、どうせイギリスは本土を回復できる”といったことを言うことになるでしょう。時間がたてば情勢なんてどう転がるかわからない、といった簡単な道理に相手が気づく前に説得してしまいましょう。それに、どんでん返しでもない限りフランスがこのまま滅ぶのは確かでしょう(ただ、わが身を省みずに道連れにしようと思えば、イギリスを道連れにすることもできそうでうすが)。そして”面倒くさいから、今は勘弁しておいてやる”といった態度をとることになります。また、別に言葉の上では何度ドイツを売ってもいいでしょう。

 もちろんどんな条件で条約を結んでも、もちろんスペインには行きます。これは確定事項です。もしフランスがこちらの言うことを鵜呑みにしたあげく、ドイツとの戦争に失敗すれば、フランスのサプライは3(パリ、ブレスト、ロンドンかベルギー)となり、確実に滅んでくれるでしょう(イギリスと違う陸軍国のもろさか)。もし失敗してもダメもとなので、あまり痛くもないでしょう。更に、この作戦はロシア北欧攻めとも平行して行うこともできます。

 という線で、ロンドンかリバプール+イベリア2国+ノルウェーとなります。但し失敗するとフランスとロシアが結びつき、どうしようもならなくなる可能性のある大博打です。

 またロシアとの絡みを考えると

 という手が一番妥当かもしれません。またこの作戦には、ドイツの項でも述べるような利点があります。

 対フランスにおいてもっとも大事なのは、イギリスにとって実配置ではフランスを止める手がもはや何もないという点でしょう。盤上の駒は何もイギリス本土のフランス軍にプレッシャーを与えません。だから、心理で、外交で与え・操るしかないということです。

・対ドイツ

 イギリスに取って今手放せない同盟国と言えるのがドイツでしょう。このまましばらくは一心同体路線で行って問題は全く無いでしょう。交渉時にフランスなどにはいくらでもドイツを裏切ると言うかもしれませんが、今回においてドイツを本当に裏切ることだけはしない予定です。取りあえずは、フランス攻略と同時に北欧も攻め取るように炊き付ける予定です。もしロシアの海軍がノルウェーに戻ったときには、ドイツと共同でごりおしでも攻め取る事も考えてはおきたいと思っています。

 要注意なのは、ドイツが事後承諾とは言えロシアの北海入りを認めた形跡がある事です。その前後関係を探りつつ、この国との交渉は密にして行きたいものと思っています。未だこの国とも連絡はとれていません。この国との交渉次第ではすべての計画が覆る事も有り得ます。

 また仏独戦線は今は微妙で、春に5割でベルギーかブルガンディーが落ちます。その場合に、対フランスで言ったように北海と英国海峡に海軍がでていれば、かなりの確率でフランスは守りきれます。また、ベルギー・ブルガンディーを守りきったときには、逆にオランダに逆侵攻も考えられます。これがフランスと交渉するときのもう一つの切り札といえるでしょう。ただ、私がフランスならこの交渉には乗りません(乗ったふりならするかもしれませんが)。理由は長くなるのであえてここでは述べません。本来ならこのような相手をだますだけのような交渉はしたくないのですが、それはそれ、負けているのだからしかたないということにしておきましょう(フランスにも見る目がなかったということで)。また、春にそのどちらかが落ちた場合には、マルセイユが落ちなくなる可能性がかなりありますが、それもイタリアには黙っておきましょう。

 少しずるい手ですが、デンマークへ→スウェーデンへの侵攻をドイツにそそのかしておきつつ、自分はノルウェーに突っ込まないという手もあります。これは、ロシアの注意をドイツに引きつけるし(こうしておいて秋にノルウェーに行くことも可)、更にロシアの「どの戦線も泥沼だ」という効果的な印象を持たせることになるでしょう(そうすれば実際の苦戦以上にあっさりどこかの戦線−たぶん北を、放棄してくれるでしょう)。但しこれをやると、国際的な信用や人望が更に落ちるでしょう。

 更にロシアを追いつめるためにオーストリア・イタリア・トルコの同盟を結ばせ、小アジアにぶつけるというものがあります。但しここまでやるとロシアがあっと言う間に崩壊しかねないので、程々にすべきでしょう。現在ロシアに崩壊されても困るのですから(取り分が何もない)。

 勝っているときには王道・覇道ですみますが、負けているときには仕方がないので蠢動・策謀も致し方ないでしょう。

・まとめ

 この春のムーブは

 を予定しています。但し、ポルトガルの海軍以外はこれからの交渉次第でいくらでもかわります(例えばフランスの北海行きサポートとか)。今年の秋終了時には、ノルウェー、スペイン、ロンドン(またはエジンバラ)に展開しているものと思われます。サプライは、ポルトガル、スペイン、ノルウェー+エジンバラ ORロンドンの4となる予定。ただ、本土のうち2つはフランスまたはロシアに占領されているでしょう(下手をすると全部占領されているかも)。また、かなりの確率でサプライ4になっても、駒は増えない事になりそうです。

 但し、ドイツ、フランス、ロシアを手玉に取ると、本土+イベリア+ノルウェーの6に急成長(但し、駒は5にしか増えない)します。

 書信にてご意見をお伝え下さい。

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 イギリス国王陛下へ

英国首相  


◎報告2

 その後の交渉結果を報告いたします。

・対イタリア

 その後の交渉はありません。

・対ロシア

 北海及び北欧におけるロシアの権益を認めるかわりに、友好的な不可侵条約を交渉。無事締結と相成りました。ロシアの海軍は春にノルウェーに戻り、これから数年はっそこでじっとしている事になりそうです。このことはドイツとも話は付いている模様です。

 但しイギリスに取って、これからの敵はロシアでしょう。ドイツとの携帯が続き、イタリアとも幸せな不可侵が実現するならば、フランスの崩壊はもはや確実と言えましょう。そうなれば、次なる敵はロシアです。というよりも、それ以前に全体の流れから言ってもそろそろ本格的にロシアの頭を抑えておくべきでしょう。ロシアに強いプレッシャーを与えるために、ノルウェー海の海軍は春はStay(というかサポートに使う)させておきたいと思います。また同時にドイツにはデンマークに出て貰おうと思っています。これらのプレッシャーによってロシアのムーブが少しでも鈍ってくれれば儲け物と思っています。なにせ文句言おうにも、今のロシアには北で反撃する軍隊がいないのでやり得です(特にノルウェーに海軍の戻る事が確定していますし)。

 もちろん戦闘に入る気はまったくありません。今そんなところに兵を割く余裕はありません。ただ、状況によってはいつでも飛び込めるようにしておきたいと思っています。

 大胆な案ではありますが、バレンツ海に海軍を進める事も考えられます。この場合、フランスが約束通りに動くと信じる事になります。この利点は、イタリア陸軍がリボニアなりに撤退してきたときに、デンマークのドイツ軍まで含めると、北欧+ペテルブルグのうちどこかをかなりの率で落とせる点です。もちろん今の所ロシアと戦闘する気はありませんが、ただ春に何かあれば強力な戦力で飛び込めます。さらにペテルブルグに脅威が及べば、ロシアは北における海軍の増強が出来ないでしょう。ロシアに海軍が出来る前に北における足がかりを築いておく事は、長期的にイギリスの大きな助けとなるでしょう(この為にそれ以前の短期的な点で失敗する可能性はありますが)。

・対フランス

 ●イギリス ヨークシャー N S 北海(フランス)叉はM ロンドン、ポルトガル N M スペイン(イタリアのサポート付き)○フランス ロンドン N M 北海、ウェールズ N M 英国海峡 という条件で交渉中。更に、仏・独の戦争にフランスに好意的な中立を保つというのを条件に付け加えております。またスペインに行くけど、マルセイユに来るイタリアはサポートしないという条件も提示しています。さらにこうしておけば春にベルギーもしくはブルガンディーをドイツに抜かれても秋に楽に対応できる事、逆にオランダを狙う事もできる事を示しておきました。取りあえずこの条件でほぼ両者の合意に達しました。ただフランスに裏切られる可能性はかなり高いのではと思っております。その点に付いての見極めがものすごく難しいと思います。また信用できないと思われるときにどのような対策を立てるかも課題と言えましょう。

・対ドイツ

 ドイツ国王はただ今の所ヨーロッパを遊覧中であり、未だに会見出来ません。そのため進展は有りません。来週当たりから積極的に交渉して行きたいと思っております。

・対イギリス

 実はいろいろと書いてきましたが、今回のイギリスには考えなくても取れるムーブがあります。●イギリス ノルウェー海 N M 北海、ヨークシャー N S 北海、ポルトガル N M スペイン(南)(イタリアのサポート付き) これにより、ほぼ確実に本土2+イベリア2のサプライ4が約束されます。私は気に入りませんが、ムーブとしてはこれが一番まっとうだという気がします。何しろ最も安全です。

 またフランスとの交渉を信用しつつ、保険としてノルウェー海の海軍を北大西洋に進める手もあります。まず春からリバプールに行く事はないでしょうから、秋にリバプールでのスタンド・オフを狙えます。また必要なかったときは中部大西洋に出す事も出来ます。

 ただ勝っているときには安全・確実ですみますが、負けているときには多少の危険を受けるても無理したほうがいいのではと私は思います。

 とはいえ、1回限りの代理人としては何か派手な事をやりたくなるのは仕方の無い事であり、その点を差し引くと以上のような安定したムーブを取った方が良いような気もします。

・まとめ

 この春のムーブは

 書信にてご意見をお伝え下さい。

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◎報告3

 その後の交渉結果を報告いたします。

・対イタリア

 その後の交渉はありません。イタリアは帰省中です。

・対ロシア

 おおかた今年にイギリスの取りうる行動に付いての説明を行い、あらかたの了承をとりつけました。ドイツのデンマーク行きについてもしぶしぶながら了承しました。来年(またはこの秋)はともかく、この春は仲良くやって行けそうです。ただロシアはオーストリアとの同盟の話を進めており、これが成功しそうなのでその邪魔だけはしたいと思っております。

・対フランス

 フランスには、”フランスによるオランダ攻略作戦”を提示して説得に当たりました。それなりに納得してもらえたようです。ただ国王陛下親政となったあかつきもも方針を変えない、というお墨付きをほしがっています。

・対ドイツ

 ドイツ国王を捕まえ長い会談に及びました。ドイツの方針では、確実にフランスのサプライが減ればどんな方策でも良いという事でした。別にフランス軍に北海を譲っても、後の方策が信用できる(上手くフランスをコントロールできるかという点)ならそれでいいという言葉を賜っています。またオーストリア・イタリア・トルコ同盟の締結への工作、及びデンマーク進駐によるロシアへのプレッシャーにも前向きに努力したいとの仰せでした。

・まとめ

 ドイツとの会談の結果、この春のムーブは大まかに以下の2つにしぼられてきました。

 1. フランスとは交渉する事無く、安全・確実・穏当に行く。つまり、ヨークシャー N S 北海、ノルウェー海 N M 北海としてスペインに行く。この利点はほぼ本土2+イベリア2のサプライが確保される点で、しかも安全で確実です。問題点は手薄になったロシア北方を見逃してやる事であり、かなりの確率で来年はペテルブルグに海軍がわき、北欧攻めの機会は数年伸びるでしょう(下手すると逆にロシア・フランス連合に攻められる)。

 2. フランスと同盟するふりをして、その動きをコントロールする。この利点は、上手く行けば本土からフランス軍を追い出せ(というか自主的にでてってくれる)てサプライが5になる点であり、さらに上手く行くと一気にフランス軍を壊滅できる点にあります。付け足すと、北海にいるよりノルウェー海にいた方がロシアにかかるプレッシャーも高いでしょう。いい事づくめですが、もちろん問題点はフランスがだまされてこちらのいう事を聞いてくれるかの1点にかかっております。こちらのいう事を聞いたふりをしてだます事も考えられます。ただだまされたところでこれ以上英本土の状況は悪化しませんし、気にしなくてもいいように思います。

 1.のほうは外交する必要がないので、今の所もっぱら2.が稼働できるように交渉を続けています。私としては2.のほうで行きたいと思っています(ただ国王陛下は1.のほうがよいと仰られるかもしれませんが)。

 どちらがよいか御決断下さい。ご返答は書信にて。

 また2.のプランで行く事を許されます場合には、この方針が国王認可であり、国王親政のあかつきにも継続されるというお墨付きを、返書とは別に(つまり他国にも見せれる形で)直筆でお送り下さい。

 その他ご意見・ご要望お待ちしております。

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 イギリス国王陛下へ

英国首相  


◎フランスによるオランダ侵攻作戦(机上の論)

 まずイギリスは今までのドイツとの同盟関係を利用して、この春ドイツにブルガンディーを攻めてもらいます。フランスにはベルギーを守ってもらって、わざとブルガンディーをドイツに取らせてみます。各国のムーブは以下の通り。

 結果として、

となる。

 ここでイギリスはドイツに以下のように秋のムーブの提案を行う。まずイギリス本土防衛の都合のためとはいえフランス海軍の展開をこれだけ許したため、ベルギーはもう落ちないだろう。という事で、イタリアも巻き込んで確実にマルセイユを落とす事にしよう。そのため、ブルガンディーの陸軍にはガスコーニューの陸軍をアタックしてもらう。さらに以下のようにムーブしておけば、もしフランスがピカデリーの陸軍でパリをカバーしに行けばベルギーが落ちる。

 ここで注意すべき点は、オランダとルールの陸軍のサポートとアタックを逆にしない事である。これは、北海の海軍にオランダに入られないためである。このムーブが完成すれば、フランスのサプライは必ず3に減ると説明する(但しマルセイユとスペインの交換の可能性と、ロンドン再攻略についてはイギリスは気付かないものとする)。また少なくともオランダが逆侵攻される事はないことを明言する。

 ここでイギリスは以下のようにドイツ・イタリアを裏切ってムーブする。さらにフランスはこれに呼応して以下のように動く。

 このムーブの極悪な点は、ブルガンディーを無償でフランスが取り戻す点にある。さらに一人突出する事になったガスコーニューのドイツ陸軍は、サプライの時に消さざるおえないであろう。フランスはサプライの時に英国海峡の海軍を消す事にする。フランスはラインを完成しているのに対して、ドイツのラインはぼろぼろである。

 すると結果は以下の通り。

・以後の展開

 フランスは北海の海軍をヘルゴランドかスカゲラクに入れて戦えば、ドイツに勝てるでしょう。今のジリ貧状態とは比べものにならない、未来への明るい展望が見れるでしょう。マルセイユ(仏)とスペイン(英)は取りあえず、相互サポートしつつ国境線として維持する事になるでしょう。

 イギリスもこれにより上位国の仲間入りをする事になります。ただ次に喧嘩する相手は最強国ロシアという事になります。端的に言うと、他に広がるべき土地がないからです。まあ世界のためにも少しはがんばる事になるでしょう。

 以上、机上の空論でした。


◎英・独・伊による簡単なフランス1年間クッキング

 まずは別紙の「フランスによるオランダ侵攻作戦」というたわごとをお読み下さい。後は簡単で、この裏をかきます。イギリス・ドイツのムーブを以下のように変更します。さらにロシアには北欧の不可侵と引換に、北海をサポートしてもらうことにします。

 これによりフランスの残りサプライは1となり、フランスはほぼ滅亡という事になります。さらにイギリスは+2、ドイツは+3(多分+2)となり、まこと両国に取ってめでたい結果と相成ります。

 以上、机上の空論でした。さらに言うとこの裏をかくムーブというのもありますが、そろそろ疲れてきたのでやめにさせてもらいます。

●1908年秋 移動 及び 結果

●1908年秋 感想

 イギリスの対フランス作戦が発動しました。フランスはサプライ「6」より、一気に「1」にまで転落しました。ある意味ではフランスには悪い事をしたとも思っていますが、フランスがだまされても仕方がないプランを練っておいたつもりです。さらにいうとこの停滞してしまったディプロに、勢いをつけたかったという事もあります。しかしこの対フランス作戦の最大の意図は、「裏切りとはこうするモノぞ」という事をみんなに示したかったからと言えます。裏切ったときには相手を滅ぼす意気込みでやれ、というのが私の信念です。今回のディプロでは、それに反する裏切りが多すぎます。というより、あれだけ裏切りが頻発しているのに、私が納得できたのはロシアの対トルコ 1回しかありません。それで見ていて個人的にフラストレーションをためて、この行為に走ったと言えなくないかもしれません。その点ではフランスには悪い事をしたと言えるでしょう。代役としてはもっと穏当に過ごした方が良かったと言えるかもしれません。

 劇的な大成功を収めた英・独によるフランス瞬間攻略ですが、実は詰めを誤っています。どうせフランスを信用するなら、その後を考えてドイツはルールからではなく、オランダからベルギーに行かなければいけなかったと言えます。しかしこれはリスクを減らすために(フランスがひょっこっと直接北海からオランダに来ると、ベルギーとオランダの交換ですんでしまう)、形の良さを犠牲にしたとも言えます。致命的なのは、ドイツがミュンヘンではなくベルリンに陸軍をつくった事でしょう。この秋で一気に流れはドイツ・イギリスによる制覇へと変化したと言えます。余勢を駆ってロシア領トルコ付近にイタリア・オーストリア軍がへばりついている間に、イタリア本土まで攻略して初めてこの作戦は完了すると言えます。ここでミュンヘンでなくベルリンに陸軍をつくったために、翌年すぐにチロル経由で、ベニスに圧力をかける事が出来なくなりました。ドイツとしては、この時まだ敵はロシアという認識があったからでしょうが、これは後々まで深い傷を残したと言えます。大げさでなく、英・独はこの為に即勝ちを逃したとも言えます。

 北欧でドイツとロシアが激突したように見えます。ただ実際は「ペテルスブルグが空いて、ロシア北方方面軍にに第2の海軍があらわれると、イギリスとしても非常に苦しいので、ペテルスブルグを空にさせないためだけに、デンマーク・ノルウェー海の独・英軍が、両方、もしくは片方が北欧に進行します。」と、イギリスからあらかじめロシア側に通告されていましたので、直接戦闘というより、にらみ合いの冷戦といえるでしょう。

 南ではロシア対オーストリア・イタリアの戦いが続いています。春にオーストリアはトルコを見限ってしまいましたが、イタリアとイギリスの分析だと、ここ1・2年は対ロシア戦において、エーゲのトルコ海軍がいない事には、ロシアを攻めきれないと思われます。しかしエーゲ海に海軍がいるから役に立つのであって、トルコ海軍をどこか新しい土地を占領して(させて)生き残らせるのは、本末転倒になります。そこでイギリスからイタリアに、「ギリシアのオーストリア陸軍を、エーゲ海のトルコ海軍でスミルナに輸送すれば、すべての問題が解決する」と、献策しておきました。春に着陣しても、秋に留まっていなければ占領とはならないのです。スミルナにトルコ海軍が入って、イタリア海軍が後を詰めてもいいのですが、スミルナに陸軍が入った方が、後の展開にはいいでしょう。このおかげでトルコ付近ではかなりスムーズにイタリア・オーストリア(+トルコ)の軍が展開できた事になります。

 イギリスが何故こんな献策をしたかというと、こうしてトルコ近辺におけるオーストリア・イタリアの優位(しかも圧倒的ではない)を確立しておけば、イギリスにとっても都合がいいからです。現在イギリスに取っていちばん都合の悪い事は、今すぐにイタリアが西に第2の海軍を送る事です。下手をするとイベリア失陥に直接つながります。そのためイタリアは東に釘付けになって、西ではイギリスと現状維持で満足してもらわないといけないのです。圧倒的に勝つのはまずいのですが、かといって劣勢だと、今までのイタリアの行動から考えても手を引く可能性もあります。少しイタリア側有利で、力を入れる価値のありそうな戦線であって貰わなければいけないわけです。こんな事をしなくても多分イタリアは東に向かったと思われますが、いうなれば念をおしたわけです。結果は西も東もイギリスの思惑通りに展開してくれたと言えます。

 イタリアはワルシャワを奪回し、ロシアはルーマニアをかわりに奪いました。ロシアは結果としてはワルシャワを2で守りつつ、ルーマニアに2で行けば良く、イタリア・オーストリアがワルシャワに2で来るか、ルーマニアを2で守るかの読みをはずしたと言えますが、「ワルシャワよりも、ルーマニアを取った方が形がいいから」とロシアはコメントしています。常識的な判断といえるかもしれません。

 とまれこの年を展開点にイギリス・ドイツの急速な台頭が始まり、フランスの滅亡・ロシアの没落が始まったと言えます。

 というか、イギリスは去年までトルコに続いて滅亡間近の最低国から、もはや 1,2位を争う上位国へとたった1 年で変身しました。マルチでは一度下層集団に落ち込むと、返り咲くのはかなり苦労することが多いです。この年のイギリスはかなり希有な例外と言えるかもしれません。また、あざとい方法ではありましたが、ディプロの世界の「相手の移動を知った上(操った上)」の裏切りが、いかに強力であれるかを示した好例といえるかもしれません。

●1909年春 移動 及び 結果

●1909年春 感想

 イギリスはさらなる飛躍を求めて、新造の海軍を展開させます。プレイヤーも代理の私から本来の実に戻りました。これからの課題は北欧と地中海にどう軍隊を分配するか、また単独トップを取るためにはいつドイツに離反するかということでしょう。去年の貯金があるので、ここ数年は目立った失敗が無ければ大過無く過ごせそうですが、トップに立つためにはこれからも正念場だと言えそうです。

 前途洋々なイギリスに対して、フランスはもはやこれまででしょう。はっきり言って状況はトルコ以上に悪いと言えます。初滅亡国はトルコではなくフランスではないかと囁かれ始めました。2年前からは全く考えられない状況となってしまいました。

 ドイツも収穫を刈り取るために軍を展開させます。ただ去年ミュンヘンに軍を作らなかったために、わたしにはその歩みは亀のようにすら思えます。今現在チロル・ボヘミアと軍が入っていれば、イタリアかオーストリアを壊滅できたような気がします。ドイツとしては、イギリスが離反するまでにどれだけ刈り取れるかが勝負と言えるかも知れません。シュレジアの駒が余ったために、維持するのも芸がないと考えたのか、日本のサポートなどと言う命令を出しています。これ以降もこのドイツ・プレイヤーは、駒が余るとこのような無効命令を出してはよろこんでいました。

 ようやく本土を回復したイタリアですが、イギリス・ドイツを警戒したのか、西に軍を戻し始めました。イタリアも馬鹿ではないということでしょか。ただしかたないのかも知れませんが、東の方でイタリア自身の利益が未だ上がっていません。未だイタリアは東走西奔。主攻軸が定まりません。奔走するだけで利益が上がっていません。

 オーストリアはルーマニアを奪還し、ロシアのルーマニア陸軍を消滅させました。対ロシア戦線を大きく一歩進めましたただ、トリエステとアルバニアをずっと右往左往している海軍は、なんだかなぁという気がします。さらにトルコが”もはやどうでもいいや”と単独でコンチ・アタックをしています。トルコの立場から言うと、もはやしかたないとも言えますが、オーストリアの方もトルコと何の連絡もせずにコンチ・アタックをしているのは、オストリアの立場からいうと致命的とさえ言えます。例えばブルガリアがトルコのサポートをして、東地中海のイタリアがエーゲ海に入っていれば、この年でトルコ領ロシアは壊滅していたはずです。むざむざとロシアの寿命を伸ばしたと言えます。

 対するロシアも、ルーマニアに陸軍が消滅し、精彩を欠きます。ただ現在のロシアに取って、多分いちばん良いのは壊滅しない程度に国力を落とし、引換えにドイツ・イギリスの脅威を謳うという事に思えますので、ちょうど良い情勢になったとも言えます。そこまで考えたのかは分かりませんが、北欧からの撤退を始めます。どうせ取られそうだとはいえ、無抵抗に近い状態で北欧を英・独に渡すのはゲームを終了させかねませんが、一人自分が滅ぶよりはましと言えましょう。さらにロシアがそれなりの国力を保っている今なら、イタリア・オーストリアも、ロシアを滅ぼして英・独に当たるよりも、ロシアと組んで英・独に当たる方を選択しそうです。それに戦力の集中はこのゲームの基本とも言えます。あとはどこまで立て直せるかでしょう。もはや数年前までの偉容はありません。

 この年は独・英を中心にした新たな展開が構築され始めたと言えます。

●1909年秋 移動 及び 結果

●1909年秋 感想

 とうとう9年目にして滅亡国が出ました。以下にこのターンの動きを見て行きましょう。

 イギリスは順調に収穫を上げています。ついでとばかりに再度フランスをだまし、とうとう滅ぼしてしまいます。おかげでブレスト・中部大西洋に海軍が入りましたし、イタリア海軍との戦いの準備も整ってきたようです。ただノルウェーにはノルウェー海からではなく北海から行った方が良かったような気がします。ロシアを攻めるにはその方がいいでしょうし、同盟国のドイツにもいらぬプレッシャーをかけませんし。別にイギリスはドイツを裏切ってもやって行けますが、どちらかと言うと、現在の英・独体制の方が利は大きいでしょう。現在どの国も海軍力弱小なので、イギリスはどこと組んでも相手を恐れる必要がありません。それなら組んで一番便利な相手はドイツとなるでしょう。

 ドイツはそこらへんが分かっているため、スウェーデンに行くのもバルト海からでなくデンマークから行きました。さらに新しく補給する軍隊も、陸軍としました。ドイツ陸軍参謀長は「いつかイギリスが裏切るのはしかたないし、止めようもないでしょう。基本的に対処のしようがありませんし、だったらそれまで。できるだけやる事をやった方がいいでしょう。」とドイツの基本方針をもらしてくれました。ただやっとチロルに軍が入りましたが、やはりワン・テンポ遅いという観は否めません。さらにまだ、仮想敵国をできればロシアにしたいという未練が残っているのか、シュレジアの軍を動かしません。単なる侵攻速度からいうと、イタリアかオーストリアを後ろからばっさりやったほうが速いような気がします。ただイタリアは唯一イギリスと戦いうる海軍国家なので、この弱体化につながる事は、後で己の首を絞める事にもなりかねません。イギリスが大きくなると、うっとうしい存在になる事はしかたない事ですが、当事者のドイツは頭の痛い事です。

 これは正当な戦略かどうかは難しいのですが、どちらかと言うとドイツに勝ち目があるとしたら、長期的にイギリスとの抗争まで見越して戦うよりは、短期的に全員の志気を崩して、根回しでドイツを覇者に推戴するようにして(もしくはそれが不可能なら英・独の勝利で)、ゲームを終結させる方になるのではないかと思います。つまり先の事を考えずにイタリアかオーストリアを一気に突き崩しておいて、東方諸国に勝ち目がない(もしくはそう思わせる)状況にしておいて、イギリスが本格的にドイツを裏切る準備を整える前に、東方諸国を帰順させるわけです。例えば周りがみんな 5とか6サプライのときに9くらいの国がでれば、みんなで叩こうという話になりますが、例えばこれが 13だと、「あぁ、これはもう駄目かなぁ」という気にもなるわけです。一度こういう世論が出来てしまえば、後は1国か2国が反抗しても「では、あの愚か者どもをみんなで討伐して終わりにしようか」という世論調整もできるわけです。

 ただここで志気をくじくと言いましたが、これは下手をするとゲームが長引いてみんなが飽き始めているところを、なあなあで終わらせてしまう事にもなりかねません。しかしマルチの本質的な面白さというのは、一つ一つの要素は単純なくせに、それが多数絡み合うために、複雑さ、奥の深さを産み出すところにあります(さいころを使わない、人の、他人の意志という名のランダム)。よって滅びるプレイヤーが出て人数が減ると、要素が減っていき、面白味も減っていきます。最期に 2・3人でじゃんけんともかわらないような単純なムーブを繰り返すよりは、世論を操って、みんなから覇者として推戴されて終わる方が、マルチらしいと言えるかも知れません。

 閑話休題。ロシアの猛攻の前に、ついにイタリアの歴戦のローマ師団が壊滅しました。イタリアは北方における足がかりを無くしましたが、その分南に充分な成果を上げました。オーストリアのトリエステ・スミルナに進駐しましたが、これは両者の話し合いの上の事のようです。そのうちトリエステはギリシアあたりと交換する事になるのでしょう。

 しかたないとはいえ、独・英の前にマルセイユが落とされました。ただこの回のムーブを見ますと、イギリスにだまされたフランスにだまされたようです。まぁ大勢に影響はありませんが。ともかく西への海軍の展開だけは、何とか間に合いそうです。これからジブラルタルを巡って、長い英・伊の海戦が続きそうです。

 東に目を向けますと、ついにトルコが正式に滅亡しました。いきなりフランス・トルコの2国が滅亡した事になります。ただフランスと違って、どうもトルコ自身が「さっさと殺してくれ」と、オーストリアやイタリアに頼んだもののようです。確かにこの状態で生かされていたところで、トルコ・プレイヤーとしては、全然楽しくないでしょう。

 トルコに譲られた事もあり、オーストリアはバルカンを統一すると共に、コンスタンチノープールに足を踏み入れました。同時にドイツが手をつかねている間に、ウィーン、ボヘミアと対ドイツの陸軍のラインを組みました。今の所順調です。

 ロシアは北欧と共にトルコもほぼ失いました。ワルシャワを何とか奪回して、本土を回復したものの、急速な没落と言えます。ただ本土外周にきれいなラインが組めた事が、せめてもの救いでしょう。これ以上の急激な没落は免れそうですし、場合によってはこれから反抗も考えられるでしょう。ロシアの急速な没落は、ある意味でドイツがここ1年の間、ヨーロッパ中央で手をつかねて傍観していた事も大きな原因と言えます。例えば、ドイツが勢いのまま背後からオーストリアを突けば、こうはならなかったでしょう。逆を言うと、ドイツはオーストリア・イタリアよりロシアが恐かったので、ロシアが没落するまで待ったと言えるかも知れません。

 この年とうとう初の滅亡国が出ました。しかも2国同時にです。ゲームは急速に終盤にさしかかろうとしている様にも見えます。情勢は英・独対伊・オーストリア、そして孤立し衰弱したロシアというふうに見えます。英・独の方が明らかに勢いとしては上なのですが、その先鋒のドイツはいつイギリスに裏切られるか分からないという、爆弾を抱えこんでいます。案外この状況の鍵を握る事になるのは、衰弱したロシアなのかも知れません。

●1910年春 移動 及び 結果

●1910年春 感想

 どうやらロシアはイタリア・オーストリアと(表面的には)和解したようです。世界情勢は独・英対反独・英同盟という展開を示しています。サプライ数で言うと、 16対18。軍の展開の仕方からみても、面白い勝負と言えます。

 地中海入り口では、英・伊の激しい海戦が繰り広げられています。イギリスはこの方面に 5海軍を集結しましたが、いくら集めたところで、狭い地中海入り口では、せいぜい 2・3海軍しか有効に使えません。後詰めがあるので抜かれる心配はありませんが、時間がかかりそうです。どちらかと言うと、同盟軍のドイツ陸軍によるイタリア本土侵攻の余波で、イタリア海軍の陣系が崩れるのを待った方がはやそうです。

 このターンのドイツの移動はなかなか面白いものがあります。例えばチロルからのトリエステ侵攻は、無謀のように見えて、面白い作戦だったのではないかと思います。ディプロマシーの移動というのは、全軍一斉なので、今現在他の軍勢が存在する場所も、いざ移動となると空いている可能性もあるわけです。もちろん現在空いているエリアも、移動になったら埋まる(スタンド・オフする)可能性があるわけです。どちらも理屈としては分かるのですが、どちらかと言うと後者の方が直観しやすいようです。またディプロの基本はサポート付きの2戦力で相手を押し退けて占領する事だという事もあるでしょう。ただ相手の移動を読んで、その後の空き地を占領するというのも大事な戦術だと思います。2戦力で行くのが基本であるが故に、逆に1戦力でくる事は無いという常識もあるからです。さらに一歩進めて、相手を移動させてその空き地を取るというのも大切だと思います。ただし1戦力で敵の陣地を突破した場合、やはり確保できる土地は1エリアしかありません。つまり 1戦力で突っ込んだとしても、その後は他の駒との連携が大切になるわけです。

 ここでトリエステの問題に話を戻すと、ここにいるイタリア海軍はまず間違いなくアルバニアに移動します。トリエステとギリシアを交換するためです。オーストリアを裏切りでもしない限り(そしてこの状況でそんな事はまずないだろう)、イタリアがトリエステに次の軍を送る事はないでしょう。ではトリエステの軍をカバーする可能性があるのはオーストリアしかいませんが、どこの軍隊だろうか。ウィーンの陸軍は前のドイツ軍と睨みあっている。あるとすればバルカンの陸軍です。ですが、バルカンの陸軍もロシアと睨みあっています。ふつうチロルの陸軍が単騎トリエステに突っ込んでくるとは思いませんし、占領するのは秋でかまわないのでトリエステが空き地になる可能性はかなりありそうです。失敗して元々ですし、成功すれば人を喰った作戦であり、かなり敵に心理的ダメージを与えられるでしょう。作戦自体は面白かったと思います。ただ外交的にロシアとオーストリアが講和してしまったために、失敗したと言えます。戦略的に負けた余波をうけたという事でしょうか。

 スウェーデンの陸軍をリボニアに輸送したのも面白かったと思います。ロシア内部にプレッシャーを与えるためには海軍ではなく、陸軍でなくてはなりません。ただこれでベルリンの陸軍をプロシアに移動させていなければ完璧だったかも知れません。スタンド・オフ狙いにロシアがプロシアに移動してくるのは、ありそうな手です。プロシアに移動していなければ、ロシアにプロシア進出を許すかわりにリボニアに侵攻できた事になります。ベルリンに後詰めがいる状態では、ドイツに有利な事明かです。ベルリンからプロシアに前進したために、リボニアからプロシアに移動した1つのロシア陸軍にベルリンとスウェーデンの2陸軍が阻止される結果になりました。ただドイツの失敗は、この事よりも、ロシアはイタリア・オーストリアに徹底抗戦すると読んでいた事でしょう。そのためロシアは全力でガリシア、ルーマニア方面に南下すると読んでいたのでしょう。戦略的な読みが外れたために、この春のドイツの移動は不調に終わります。あまつさえ、チロルの陸軍が消滅してしまいました。

 ただ唯一の成功と言えるのはピエモンテに陸軍が侵攻した事でしょう。これはピエモンテのイタリア海軍がトスカナ周りで海に出ようとした隙を突いたものと言えます。取りあえずイタリア本土に侵入した事になります。

 イタリアはイギリス海軍と膠着状態に陥っています。ドイツにピエモンテ侵入を許したのが気がかりと言えます。

 東では、ロシアとイタリア・オーストリアに和睦が結ばれたようです。ドイツとの戦争の前に、ロシアとの戦いは放棄せざるおえなかったという事でしょうか。トルコ半島より各国の軍隊が西方へ散って行きます。この和睦のために、今回のドイツの移動はほとんどはずされたと言えます。ですが完全に同盟したわけでもないようで、ロシア・オーストリアの間には、熾烈なポジション争いがおこっています。大敵ドイツの前におもてだって争う事を止めただけともとれます。ここでも、わざとガリシアに行かず、オーストリアのために空けておいてやればロシアは無血でルーマニアを取れたのではないかという気がします。

 ガリシアをロシアに抑えられたものの、チロルのドイツ軍を消滅させ、念願のブルガリアの海軍を自由なエーゲ海に出させる事が出来ました。これで南におけるオーストリアの軍隊移動も少しはスムーズになる事でしょう。

 情勢は2つの陣営に分かれての大戦争となりつつあります。ただもちろん両陣営とも1枚岩ではないのですが(どちらも 1枚岩としたら、もはやゲームでとは言えませんが)。

●1910年秋 移動 及び 結果

●1910年秋 感想

 このターンは記念すべき10年目ですが、いろいろと面白い事がありました。

 いちばん笑えたのは、結果では分かりませんが、イギリスとイタリアの提出された移動計画書でしょう。初め両者ともに第1(攻撃・防御)目標を西地中海にしており、その後斜線で消して、北アフリカに訂正している点です。敵・味方で仲の良い事です。また北大西洋の海軍をアイル海にもどしたのも、その他の人々の失笑をかいました。ともあれ、またもやイタリアは地中海を守り抜きました。イギリスは地中海入り口に海軍がだぶつきすぎて、自軍撃退命令が出てしまいました。ここまでこの付近に海軍を集めている様を見ると、ドイツを裏切るタイミングを計っていると勘ぐられてもしかたないかもしれません。

 今回のドイツのムーブも、目前の敵をなめきっている様に見えます。敵の目の前で、キール・ベルリン・シュレジアの軍隊がずりずりとずれて移動しました。例えばシュレジアの軍隊がスタンド・オフすれば、残りの2つもスタンド・オフする事になります。しかしこれが通ってしまいます。さらに、ピエモンテ奪回にきたイタリア陸軍の横をすり抜けてチロルを奪回。この時撃退されたオーストリア陸軍が、後で問題になります。ただチロルに抜けたのはいいですが、おかげでマルセイユの防備がうすくなるという問題を起こしました。最終結果を見ますと、ヨーロッパ中央に6つのドイツ陸軍の固まりができあがり、偉容を誇る事になります。この戦線はドイツが確率的に相手を突破する事や、確率的に相手(イタリア・オーストリア)が防衛する事はあっても、後詰めのために、オーストリアが確率的に突破する事は無いという状態になっています。

 春のドイツの初撃が大きく外れたせいもあり、ロシア・オーストリア間がまたもや揉めます。ただ今度はイタリアが英・独に押されてこの方面から手を引いてしまいました。この秋のオーストリアの移動は、かなり高度なものの様にも見えます。自軍同士のスタンド・オフと自軍撃退命令を組み合わせる事により、ウィーン・ブタペスト・ルーマニア(これは2戦力)・ブルガリアを防御しました。イタリア・プレイヤーが考えだした、対ロシア完全防衛作戦だそうです。ただ戦術自体は高度に見えますが、戦略的にみると、これは駄目なんじゃないかという気がします。ドイツが目の前に迫ってきたこの時に、格下のロシアとの戦いに完全防御(防御のみ)という手を取っていては、駄目なんじゃないかと。この秋は比較的ドイツとの距離が離れているチャンスとも言えるターンだったのだから、ロシアを攻めれる体制を作るなり、積極的にドイツと戦えるラインを組むなりしなければいけなかったのではという気がします。オーストリアの移動は確かに完全防御かも知れませんが、移動後の配置が余り良くないです。少しくらい危険を冒しても、配置を良くしにいった方が良かったのではという気がします。そして、より危険な移動を行う、そのリスクを補うために外交交渉というものがあるわけです。これ以降、オーストリアとロシアの立場・勢力は、徐々に入れかわっていきます。

 ところでドイツに撃退されたチロルの軍隊には、トリエステ以外に退却路がないため、消滅するか、トリエステに退却するかしかありません。ただトリエステはそのうち変換される予定ではありますが、現在イタリア領です。「他に退却場所がないなら、そこでいいです」と言うオーストリアの気軽な言葉で、トリエステ退却が決まりました。結果トリエステはオーストリアに復帰し、サプライの変動はオーストリア変化無し、イタリア−1となってしまいました。「プチッ」という音を立てて、この報告を聞いたイタリア・プレイヤーのどこか一線が切れたそうです。間違えてギリシアでなく、トスカナの海軍を消してしまいます。それともギリシアを残したのは、オーストリアに含む事があっての事でしょうか。

 今回はロシアの動きもさえません。特にセバストポリがウクライナに移動しましたが、誰もその真意は読めませんでした。その疑問はすぐにロシア・プレイヤーの次の発言で解消されました。「今回のサプライは、セバストポリに海軍ね」。ロシア・プレイヤーはペテルスブルグをイギリスに取られる事を忘れて、サプライ数の勘定を忘れていた訳です。

 記念すべき10年目が過ぎました。2大陣営に分かれたのも束の間、勢いの差か、私の目にはイタリア・オーストリアの勢力が、いきなり色あせ始めたように見えます。このまま行けばなし崩し的に英・独の争覇が決まる事になるでしょう。こうなると後は、イギリスがいつドイツを裏切るか(手を切るか)という事が、すべてを決める焦点となりそうです。

●1911年春 移動 及び 結果

●1911年春 感想

 ドイツの手の上で東欧は踊っているように見えます。

 イギリスは念願の地中海域(北アフリカ)に記念すべき一歩を記します。このまま行けば対イタリア戦は掃討戦の段階に突入する事に成りかねません。このまま行けば最期までドイツとイギリスが直接争う事がないまま、残りの国に対する侵略競走でゲームが終わりかねません。この展開の場合でも、イギリスは北海付近に2・3海軍浮かべておけば、最後にいくらでも調整が効くでしょう。

 ドイツはマルセイユをイタリアに取られましたが、取られたと言うより取らせたと言っていいかも知れません。そのマルセイユを充分なドイツ陸軍が包囲しています。

 東欧はドイツの前に転がり込んできたと言っていいかもしれません。ドイツの目の前でロシア・オーストリアが争い、あまっさえオーストリアはロシア討伐にドイツの手を借りようとしているわけです。まさに史書なんかに良くありそうな「亡国」な展開と言えます。先年来イタリア・オーストリアが色あせたように見えましたが、ここまで一気に瓦解するとは思いませんでした。

 ドイツはワルシャワを囲みつつ、ガリシアにまで大きく食い込みました。

 イタリアの動きも妙です。西に戻そうとした海軍を、再び東に戻しました。イギリスとの対陣を考えると、西にどうしても海軍が必要であり、オーストリアとの同盟を考えると東にイタリア海軍の必要の無いこの時にです。イタリアの、サプライが減ったら、長期的な事を考えずに、手っとり早くどうにかしようという悪い癖が出ようとしているのでしょうか。

 オーストリアは、戦線構築は、来陣下ばかりの、しかも少し前までは敵だったドイツ軍にまかせっきりで、昨秋の完全防御を再び繰り返します。この時期にこの行動は、国を滅ぼしにいっているとも言っても過言ではありません。実際オーストリアの周りの国は、オーストリアに失望していった(特にイタリア)様に見えます。もはやどの国もせっぱ詰まっており、初心者だからとオーストリアを甘やかす余裕もなくなっていますし。

 ロシアは南、対オーストリアに戦力を集中し始めます。去年の春にドイツが考えていたとおりの展開です。すかさずその後をドイツの大軍が埋めていきます。

 結局2つの陣営の対立という時代は1年ももちませんでした。時代の勢いと言うべきか、ドイツという大きな柱を中心とした合従・連衡へと時代はかわっていきました。下手をすると(ドイツに取っては上手くすると)、東欧でのドイツの伸びは飛躍的なものになりかねません。それは北海を抑えたイギリスの制御さえ越えかねないとすら、思わせるものがあるかも知れません。

●1911年秋 移動 及び 結果

●1911年秋 感想

 イギリスはとうとう西地中海にまで侵入しました。イギリスの眼前には広大な地中海世界が広がります。

 ドイツはここで大きく足踏みします。この状況下でチロル・リボニア・ウクライナの3カ所もスタンド・オフをだしてしまいました。これにより来年春からの東欧での大攻勢が半年以上送れる事になります。この状況下でロシア・オーストリアにリボニアやチロルに軍を廻す余裕はないだろうと単純に考えた、ドイツの気のゆるみを諌められたとも言えます。やはりこの秋の停滞は、派手ではありませんが後々まで痛恨として残ります。

 イタリアは存亡の危機に立っています。チュニスを防衛に戻ったためにイギリスに突破されたのは仕方ありませんが(イギリスがチュニスに来る可能性はそれなりにあった)、オーストリアを裏切るそぶりを見せた瞬間に、逆にオーストリアに裏切られてしまいました。本土が空の状態でピエモンテとベニスという入り口に、他国の陸軍が侵入を果たしてしまいました。しかもイタリアの主力は遠くトルコにあります。このままでは本土を無くした根無し草になってしまいます。

 周りをすべて敵に囲まれた観のあったオーストリアですが、イタリアに先制攻撃をかける事で体制を立て直しました。問題はドイツとの関係がいつ切れるか、または切るかということでしょう。

 ロシアはドイツ・オーストリアの前に為す術もなく後退を余儀なくされます。

 このまま時代はイギリス・ドイツ・オーストリアの三国志へと突入するのでしょうか?

●1912年春 移動 及び 結果

●1912年春 感想

 とうとうイギリスがドイツに反旗を翻しました。しかし識者達の反応を見ますと、誰もこの裏切りに否定的です。だれもが「よりによって、何で一番タイミングの悪い時を選ぶのか」と言ったとか、言わなかったとか。もう少し早ければドイツは東欧に対する基盤を築く前なので、イギリスの裏切りに致命的とも言えるダメージを受けたでしょう。もう少し後ならば、ドイツの軍隊も東欧に張り付くために、効果的な打撃を与えられるでしょう。さらにオーストリア・ロシア・イタリアの内1・2国は滅んで(もしくは滅びかけて)いるでしょうから、人数が減っている分安全と言えるでしょう。それ以前に、イギリス主力はジブラルタルを突破して地中海に進撃したところで、ドイツを裏切るには形が悪すぎます。「我々に取っては大助かりではあるのだけど、イギリスはゲームを長引かせるために、わざとやっているのではないか」とすら、東欧諸国からコメントが為されています。事実このイギリスの動きは、結果としては終盤に突入しようとしたゲームを、中盤に引き戻す事になります。

 止まれイギリスは北海周辺のドイツ領に対してフリー・アタックをかけました。2・3のドイツ領がイギリスに奪われる事になるでしょう。ただどうせやるなら一気呵成にやるべきなので、ペテルブルグの海軍も、ノルウェーまで戻しておくなどしておくべきだったと思います。地中海の方では、無事チュニスまで戦線を進めました。後はこの勢いがどこまで続くかが勝負でしょう。ある意味で勢いが止まったときに、ドイツを降伏まで追い込めなければ、イギリスの負けと言えるかも知れません(他の誰が勝つかは分かりませんが)。

 いつかイギリスに裏切られる事は分かっていたドイツですが、それはこの春の事となりました。裏切られる事は予想されても、それがいつかは特定出来ませんので、この春は昨年来通りに東欧で作戦を展開続けます。しかしオーストリアとの連携も悪く、その足どりは遅々として進みません。ここでロシアを一気に突き崩しておけば、イギリスの離反にも何とか耐えれたような気がします。ピンチです。

 イタリアはチュニスを失い、本土もローマまで失いました。ドイツ軍にも大挙本土に侵入されました。人によってはもはやイタリアは滅んだと言うかも知れません。後はイギリスの離反により、全体がどう転ぶかに期待するしかないでしょう。

 オーストリアはイタリアで歩を進めたものの、ロシアとは現状を維持するに留まります。出来ればドイツの協力を引き出して、一気に行くべきだったのではと思います。特にセバストポリは陥としておくべきだったのではと思います。イギリスの離反が東欧にどのような陰を落とすかは微妙です。

 ロシアは最終ラインで何とか踏みとどまりました。それでも風前の灯の観があります。それでもトルコの方はイタリアとの協力もあり、秋にコンチに進めそうです。東欧のドイツ軍の動きも微妙ですし、南から巻き返しがはかれるかも知れません。

 とうとうイギリスが離反しました。しかし裏切られた当のドイツさえ「今年はないだろうと思っていました。意表は突かれました」とコメントするほど、そのタイミングは悪いと言えます。確かに相手の予想は裏切れましたが、ただ裏切ればいいというものでもないような気がします。

 情勢は再び二転三転する事になります。

●1912年秋 移動 及び 結果

●1912年秋 感想

 イギリスのプレッシャーのもとに、独・伊・露が連合します。イギリスに直接反撃出来ない分を、オーストリアを分割して勢力を維持する事により対抗しようとします。イギリスの離反は、思わずイタリア・ロシアを生きかえらせる事になりました。またオーストリアの衰退はイギリスのせいとも言えるかもしれません。

 イギリスはフランドル2国をドイツから奪い、大陸への足がかりを築きます。ただ準備不足のために、たった2国しか奪えなかったとも言えます。いささか動きが直線的だったとも言えます。イタリアが生き返ったために、地中海域における優位も失われようとしています。軍隊配置の効率が悪いです。短期的には得をしましたが、長期的にはどうなる事でしょうか。というか、さすがにこのイギリスには、勝てるときに裏切って勝って貰いたかったような気がします。

 このサプライでイギリスは大陸の内部へ侵攻するために、とうとう陸軍を新造しました。後は陸軍による新たな土地の占領、それによるさらなる陸軍、そして...という回転操業が出来るかどうかに、これからのイギリスの伸びはかかかっているでしょう。ゲーム的には特別な意味はありませんが、イギリスは9個目の海軍を建造しました。ディプロマシーのセットに用意された駒は、各国陸・海軍8個なので、海軍の表示に滅んだ他国の駒を借りる所まできました。一時はサプライ 2まで減少したのに、よくぞここまで成長したものです。

 イギリスの攻勢が不十分だったために、ドイツの損害は予想よりも小さくすみました。確かに敵国に2つものサプライを奪われるのは、相手との関係を考えますと4ものサプライ差となり、尋常ではないダメージと言えます。ただイギリスからの第一撃目は、文字通り背後からのフリー・アタックであり、ドイツはこれ以上の出血を予定していたと思います。それがこの程度ですんだ上に、公然と他の全諸国に「イギリス討つべし」という雰囲気を出せるのですから、それほど致命傷とは言えないのかも知れません。どちらかと言うと、昨秋・春の東欧における戦線の遅滞の方が痛かったとさえ言えるでしょう。とにかくこの危機をサプライー1で乗り越えました。

 イタリアは情勢の変化のために、首の皮一枚で生き残りました。何の障害もなくドイツと携帯する道があらわれたためです。ただしかたないとは言え、西の海軍をすべて本国に戻す事になりました(ナポリにも海軍を入れておかないと、ローマで撃退されたオーストリア軍がナポリに撤退・占領する事になる)。これから先も、地中海のイギリス海軍と激戦を繰り広げる事になりそうです。そのため余り、オーストリア分割で大利を上げるという事は出来そうにありません。状況は好転したとは言え、それでも氷点下と言えます。

 オーストリアはこのところの外交的・作戦的な無能力ぶりのつけを、イギリスの離反という外からの因子をきっかけに、一気に払わされる形になります。結果としてはイギリスが膨張した分、オーストリアが縮んだ事になります。唯一の攻勢ポイントであるイタリア方面の足がかりも失い、この後は為す術もなく、薄闇の中を消え去っていきました。

 ロシアはドイツの助力もあり、体制を立て直しつつあります。後はドイツとどのようにオーストリアを分割するかでしょう。

 オーストリアが衰退する中、情勢はドイツを喰うイギリス、オーストリアを喰うドイツ・ロシア・イタリアという展開を見せ始めています。

●1913年春 移動 及び 結果

●1913年春 感想

 この春は、春らしくどこも軍隊の展開に終始しました。

 イギリスはヘルゴランド・スカゲラクに海軍を入れ、ドイツ攻めの強力な布陣を完成しました。南もマルセイユに向けての包囲が完了します。ただチュニスは維持するぐらいならティレニア海なりにぶつけて良かったのではと思います(イタリアがローマがナポリ、イオニアがチュニスと来て、さらに秋に50%の確率でローマ・ナポリを防御されると熱いのですが)。またリバプールもアイル海に出すくらいなら、北大西洋に出せばいいのにという気がします。海軍の展開のために犠牲になった形ですが、陸軍の一つが余ったのも気がかりと言えます。どちらかと言うと、海軍の展開が犠牲になっても、ノルウェーあたりに陸軍を出した方が良かったのではと私は思いますが、微妙なところです。それでもなお、イギリスの勢いはまだ生きています。

 ドイツは主力を本国に戻します。依然本国周りの状況は不利ですが、ここは耐えどころでしょう。同時にオーストリアに対するラインも完成させます。ただマルセイユの軍隊はブルガンディー辺りに引いておいた方が、後の作戦に融通が効いたのではという気もします。

 イタリアも西のイギリスに対するラインを再び構築する事が出来ました。この英・伊の対決は、お互い敵領のマルセイユ・チュニスを眼下におさめながら、自領のチュニス・マルセイユを守ると攻略できないという状況となっています。

 オーストリアはじり貧状態です。ブルガリアの隘地に、陸軍が憤死します。黒海の海軍だけが元気に見えますが、後は気息えんえん、棺桶に片足を突っ込んだ状態に見えます。

 ロシアも順調に対オーストリア戦線を構築。ドイツとの協力により春からペテルスブルグに行けたのですが、この海軍がノルウェーに退却するとうっとおしいので、攻撃を延期しました(逆をかえすとイギリスはここを諦めてノルウェーに撤退した方が良かったかも知れません)。

 この春は嵐の前の静けさと言えるかも知れません。すべての結果は、秋に持ち越されました。

●1913年秋 移動 及び 結果

●1913年秋 感想

 ドイツ離反2年目にして早くもイギリスの成長が止まります。端の孤立した軍隊を各個撃破の形で破られてしまいました。さらにオランダに陸軍を着陣させたとはいえ、ドイツ本国周辺の鍔競り合いを凌がれたのが、大きく痛いです。さらに2つしかない陸軍がばらばらのため、内陸への浸透も先が長そうです。イギリスは強大な海軍力を誇り、海上から反撃を恐れずに攻撃できます。しかし海軍(および海+陸の混合軍)が強い点は、陸軍だけの軍よりも厚み・膨らみのある展開が出来る事にあります。そういった利点を強調できる展開をしなければ、「結局サプライがあるのは陸上や!」となり、単純な数の理論に落ちつきます。イギリスの怒涛の進撃は、完全に止まってしまいました。

 ドイツはフランス領内のすべてのサプライを奪われましたが、その分をオーストリアを喰いつなぐ事でたえました。本国防衛戦では、失敗したとはいえこの状況でオランダに逆侵攻したのも、面白い狙いだったと思います。それは失敗したものの、防衛自身には成功し、充分と言えます。ロシアの援助でオーストリア攻略も順調。取りあえずサプライの減少が、イギリス離反2年目にして止まってしまいました。

 イタリアも順調にサプライを伸ばします。特にブルガリアにオーストリア軍が入れたがために、空いてしまったギリシアに侵入できました。

 オーストリアはいいところ無しです。外交的な奇策も見あたらず、もはや滅ぶしかない様にも見えます。

 北を掃討して、ロシアも順調に票を伸ばします。ただアルメニアに行った軍隊が、意味深長に見えます。

 基本的にドイツには海上のイギリスに反撃する力はありません。それでも水際で防御する事は、不可能ではありません。イギリスは次なる陸軍の増援が出来ないため、下手をすると上陸した陸軍が立ち枯れる可能性が出てきました。ロシアの立場は微妙で、ドイツやイタリアという大きな盾があるので、そのもとでぬくぬくとオーストリアという死肉をついばむ事が出来ます。ただそろそろオーストリアも食べ尽くす事になり、その後が難しくなります。ドイツやイタリアを後ろからばっさりというのも出来ますが、下手をするとイギリス前の防御が崩れて、イギリスの独走を許しかねない事になります。これ以降、ロシアはいつドイツに牙を向くかというタイミングを計り続ける事になります。イタリアも似たような立場ですが、地中海でイギリスと直接接している分、厳しくなっています。

 情勢は未だ余談を許しません。

●1914年春 移動 及び 結果

●1914年春 感想

 奇妙な事ですが、この年イギリス・ドイツの間に、何らかの盟約が結ばれたように見えます。イギリスはフランドルから撤退するかわりに、北でドイツと不可侵を結んだとしか言いようのない動きをしています。これはイギリスに不利な盟約のように見えますが、この手の話し合いが両国にもたれたのは確かで、「ドイツを盾にロシア・イタリアが成長し始めたのに、イギリスがいらついた。こうしておけば、たとえドイツがイタリア・ロシアを滅ぼしてイギリスを圧しても、ドイツにしか負けない」と説明されます。そうは言ってもやはり、ドイツを裏切って以来の地歩を半ば失った事になります。さらに陸軍が分散し、イギリスの陸軍力は半ば死んだとも言えるかもしれません。イタリア・ロシアの事はしかたないとして、このままドイツをげしげし殴って、陸軍で大陸中央を目指したらどうなっていたのでしょうか。一部のものは「イギリスはドイツにだまされている」と言って止みませんでした。

 ドイツは危機を脱しました。この状態で、ドイツは襲い来る敵がいないという、奇妙な状態となっています。

 イタリアは軍隊が増えましたが、それが本国付近に固まって、移動がもたついています。地中海域でイギリスに遅れを取ってしまいました。

 ロシアは順調に見えます。ドイツ・イタリアの協力で、衰えたとはいえオーストリアの2陸軍を文字通り粉砕しました。北もフィンランドに陸軍が侵入しました。ペテルブルグでドイツとスタンド・オフをしましたが、これはこの秋ペテルブルグを空けて海軍を作る為の準備だそうです。

 状況は緩やかに停滞しているように見えます。お互いを無視しあう事にした2大国のドイツ・イギリス。表面ドイツに従っているように見えるけど、いつ反旗を翻すか分からないイタリア・ロシア。勢力的に空白地とも言えたオーストリアの分割がそろそろ終わろうとしています。その後にはこの停滞がどのような激流にかわるのでしょうか。

●1914年秋 移動 及び 結果

●1414年 秋

 正史によればこの年、第1次世界大戦が勃発します。奇しくも滅びかけたオーストリアの最期の拠点セルビアでの一発の銃声が、始まりでありました。この週一ディプロマシーも、とうとうこの年まで来たかという感慨があります。

 戦局を見ますとドイツとの盟約のせいもあり、イギリスが後退しています。パリの陸軍がサプライで消える事になります。イギリスは未だ強大な海軍国家ですが、陸軍戦力が消え、覇者への道はかなり遠ざかったように見えます。

 ドイツはイギリスとの不可侵・協力もあり最大瞬間風速「12」サプライを記録します。特にペテルブルグは、ロシアに取って寝耳に水でしょう。オーストリアが消えればロシアが反旗を翻すのは確実なため、それなら先制の一撃を与えておこうという事のようです。これはロシア本国に食い込んでいるため、後々まで傷となるでしょう。「後は東欧の焦土戦術の末、戦線の縮小がどこで止まるかが問題でしょう。このところ増えた分以上に減る事はないでしょうから」とは、ドイツ本国のコメント。どうせ周りから攻められるのなら、取りあえず取れるだけの領地を周りから切りとって、その領地が所詮保てないとしても、その空間的な距離で本国を守ろうという作戦のようです。

 ロシアに取ってペテルブルグは痛恨の一撃と言えるかも知れません。これがこの先の対ドイツ戦にどのような影響を与えるのでしょうか。

 歴史的なこの年、とうとう勢力の空白地と化していたオーストリアの分割が終了します。どうやらイギリス・ドイツの間には、明確ではありませんが、「最終的に両国の一騎打ちで勝負を決めるが、他の国が滅ぶそれまでは丁重に互いを無視しあおう」という雰囲気が流れ始めます。現在の配置ではロシアが牙を向けば、東欧のドイツが崩れるのは明かですが、本国の増援が到着するまで退却で時間を稼ぐために、あえて陣を組む事よりも前に進んだと言えます。さらにペテルブルグでロシアに一撃を加え、逆にロシア本国にも楔を打ち込みました。これらのドイツの決断は、イギリスとの間の暗黙の了解が無ければ、難しかったのではなかろうかと思われます。イタリアは立場が微妙で、イギリスと地中海の覇権を賭けて戦う身としては、一時的に膨張したドイツとも仲良くせざるおえませんし、ロシアとも仲たがい出来ません。「イギリスの主力(?)を一手に引き受けているのは自分だ。(イギリスに寝返ってもいいんだぞ)」という主張(脅迫)を元に、周りから少しづつ領土を分け与えてもらうしかないでしょう。ロシアはこの先東欧のドイツを切りとって行けばいいのですが、ペテルブルグの独軍は、目の上のたんこぶと言えるでしょう。またイギリスとドイツの関係も気をつけなければいけないでしょう。

 とまれ第一次大戦は始まりました。

●1915年春 移動 及び 結果

●1915年 春

 このターンのイギリス海軍には精彩がありません。駒が一つも動けませんでした。リオン湾にマルセイユから行ったのが目を引く程度でしょうか。唯一陸軍がフィンランドに侵入しただけです。

 ドイツも本国の軍隊を散らすだけにとどまります。離れているはずのウィーンとセルビアが相互サポートしていますが、このころドイツ・プレイヤーは手元のマップを無くしていたそうです。そのためこのような大笑いな事をしてしまったそうです。マップがあったところでそれほど変わらなかっただろうという事が、せめてもの救いでしょう。ただシュレジアと違って、ボヘミアがワルシャワにつながってない事を知らされて青くなる事になります。

 イタリアはあいも変わらずイギリスとの殴りあいに没頭しています。ただアドリア海に船を廻したのは、ベニスを取るためとは言え、余裕にも見えます。チュニスの軍が面白い事をしています。ディプロのルールでは相手の了承がなくても、移動とサポートがかみ合えばサポート命令は発動します。純粋にスタンド・オフ狙いで来た軍の移動を強化して、意にそまぬ移動を強制させる事もできます。

 ロシアは順調に東欧でドイツを押していっています。北もペテルブルグを取り返し、ワルシャワを視界内に捉えます。

 情勢は他の国がもたつく中、ロシアの大反攻が始まったように見えます。

●1915年秋 移動 及び 結果

●1915年 秋

 取りあえず今回の記事はこの年で終了とさせています。ただこの週一ディプロマシーは現在も続行中で、現在1920年終了時まで終了しています。。

●1916年春 移動 及び 結果

●1916年秋 移動 及び 結果

●1917年春 移動 及び 結果

●1917年秋 移動 及び 結果

●1918年春 移動 及び 結果

●1918年秋 移動 及び 結果

●1919年春 移動 及び 結果

●1919年秋 移動 及び 結果

●1920年春 移動 及び 結果

●1920年秋 移動 及び 結果

1921年春 開始時の配置