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〜6章〜 凍り付いた空気の中、オスカーとゼフェルの視線がゆっくりと交差する。 しかしゼフェルの紅い瞳には、オスカーは映っていなかった。見開かれた瞳はただ、空虚の一点を捉えたままだ。 使いの者が去る足音で、オスカーの時間が動き出した。 「…ゼフェル…」 声をかけると、ゼフェルの細い肩が小刻みに震えていた。 「……う、そだ……。だって、そしたらオレ…っ」 戦争が始まるということは、クラヴィスがゼフェルを見捨てたということに他ならない。だとしたら、間違いなく処分される。ジュリアスにそれを躊躇う理由などないのだから。 「ゼフェル…!大丈夫だ。俺がお前を守るから……!」 きつく抱きしめると、凍り付いたように冷たい手でしがみついてきた。 「……オスカー……」 か細い声が、頼りなくオスカーの名を呼ぶ。 この声に応えられるのは、自分しかいないのだ。 何とかゼフェルを落ちつかせ、オスカーは早足でジュリアスの元へと向かっていた。 細い廊下に、オスカーの足音が響く。 限られた者にしか知らされていない、ジュリアスの私室への近道。 いつもは誇らしい気持ちでこの廊下を歩くのに、今日は当然ながら全くそんな気にはなれなかった。 意志決定してしまったジュリアスに意見するのには、決死の覚悟がいる。 これまではジュリアスの意志が、自分の意志だった。ジュリアスはいつでも正しかったし、例えそれが間違いであったとしても、自分はついていく決心をしていた。 しかし、今回ばかりは違う。 自分がゼフェルを守るためには、まず主人に意見しなければならない。 オスカーは走り出しそうになる自分を押し留めて、深く息を吸い込んで歩きつづけた。 長い廊下をしばらく行くと、前方に人影が見えた。 ゆっくりとした足取りのため、簡単に追いついてしまう。 漆黒の長い髪の毛に、同じく漆黒のローブ。 「……クラヴィス様!!!」 いるはずのない人物を認めて、オスカーは思わず声をあげた。 その声に、クラヴィスは静かに振りかえったが、興味ないといった表情ですぐにまた歩き出してしまう。 「お待ち下さい、クラヴィス様!どうしてこの道を知っているんです!?それにどうして、こんな事態になるまで何の意思表示もなさらなかったのですか!!」 彼がもう少し政情に関心があったなら、ここまで追い詰められた事態は避けられたはずなのに。 全てはクラヴィスのせいだと言わんばかりに、オスカーは言葉を投げつけた。 しかしクラヴィスは振り向きもせず、ただこう答えただけだった。 「……ジュリアスの扱いは、私が一番よく知っている……」 「何だって…?」 その言葉の意味が理解できず、オスカーは怪訝そうな顔をした。 思えば、ジュリアスとクラヴィスのいがみあいの理由については聞いたことがない。例えばそれが、国同士のものではなく、ごく個人的な理由であったとしたら…? そんな疑問がオスカーの頭に浮かんだが、まさかジュリアスが私的な感情で国を動かすとも思えない。 確かめる方法はただ、クラヴィスに続いてジュリアスの元へ向かうことだけだ。 ジュリアスの私室まで来ると、クラヴィスはいきなりその扉を開いた。 「お前はそこで待っていろ」 「クラヴィス様、しかし…!」 言いかけた途中で、扉は無情にも閉められた。 「何なんだ、一体……!」 もどかしさがオスカーを襲う。 部屋の中からは、言い争う声が微かに聞こえるだけだ。 二人がどんなやりとりをしているか、もうオスカーにはどうでもよかった。戦が始まっても、和解でもいい。ただ、ゼフェルを自由にしてやりたい。何の制約もしがらみもなく、自由に羽ばたかせてやりたい。 願いはそれだけだ。 オスカーは壁に背中をもたれかけ、ゼフェルと過ごした日々を思い返していた。 意地っ張りで照れ屋で反抗的で素直で、いじらしいほどに健気なゼフェル。 もし本当に戦が起きたら、ゼフェルを連れて逃げよう。 そう決意した時、ジュリアスの私室の扉が開き、クラヴィスが姿を現した。 「クラヴィス様!」 事の顛末を早く聞きたくて、オスカーは身を乗り出す。 「安心しろ……。戦など、始まらぬ…」 クラヴィスの言葉にほっとしたものの、肝心のジュリアスからそれを聞かないことには納得がいかない。 「ジュリアス様は?」 「ああ、中にはいるが……お前と顔を合わせるのが気まずいのだろう…」 「そんな、まさか…」 「一時的とはいえ、私情で国を動かそうとした……。自分を責めるのも無理はあるまい?」 「それならどうして、貴方には話すんです!?腹心の俺でさえ解らないジュリアス様の心中を、どうして貴方は解るんですか!?」 問い詰めたオスカーを、クラヴィスは呆れたように眺めると、一言呟いた。 「……鈍いな……」 「なっ…!クラヴィス様!どちらへ行かれるんです!?」 オスカーを無視するように歩き始めたクラヴィスの背中に呼びかける。 「ゼフェルと共に、国に帰る」 あっさりと戻ってきた言葉は、けれどオスカーの胸に突き刺さった。 ゼフェルは自由の身なのだ。 飛び立った小鳥は、きっと自分の祖国へと帰るだろう。彼を繋ぎ止めるものは、もうここには無いのだから。 あんなに望んでいたゼフェルの自由が、オスカーの心に重くのしかかっていた。 ゼフェルは自分の手を離れ、戻ってこないかもしれない。 不安にかられた体は凍り付き、ただクラヴィスが塔へ向かうのを見つめていた。 塔の下の螺旋階段で、オスカーはゼフェルを待っていた。 国に帰ってしまうなら、それでもいい。ただ、最後に一目だけでも会いたかった。 「オスカー!!」 聞き慣れた声に、オスカーは顔を上げた。 階段の上で、ゼフェルがぶんぶんと手を振っている。 もどかしげに階段を駆け下りてくるゼフェルに、どんな顔をして何を話せばよいのかと迷っていると。 「オスカー!!」 もう一度呼ばれて、見上げた瞬間。 「受けとめろよ!!」 2階ほどの高さから、ゼフェルが手摺を飛び越えた。 「ゼフェル!!」 慌てて両手を差し出し、落ちてきたゼフェルをうまく抱きとめた。 「まったく…ケガでもしたらどうするんだ」 「え?ぜってー捕まえてくれると思ってたからさ」 そう言うと、ゼフェルは嬉しそうにオスカーの首に顔をよせた。 「な、オスカー。オレ達、もう自由だぜ?」 「俺達…?」 想像もしていなかった展開に、オスカーはついていけない。 「そ。オレ達。……んだよ、まさか、オレ一人にさせる気じゃねーだろーな?」 「まさか。…しかし…」 まだ階段の途中にいるクラヴィスを見上げると、彼は静かに微笑んだ。 「……好きにしろ……。ゼフェルは、お前に任せる……」 自由。 これほど、この言葉を実感したことはなかった。 「ありがとうございます、クラヴィス様…!」 本心から礼を述べて、オスカーは腕の中の大事な恋人をしっかりと抱えなおした。 「オスカー、早く行こうぜ」 「どこへ行きたい?姫」 「どこだっていーよ。おめーと一緒ならさ…」 塔を出ると、眩しい光が二人を包んだ。 木漏れ日が濃い影を作り、バージンロードのように真っ直ぐに伸びている。 緑色の芝の絨毯を踏みしめながら、二人は唇を重ねた。 最後の小節を弾き終え、セイランはリュートを静かにテーブルに置いた。 それを待っていたかのように、栗色の髪の少女がため息をつく。 「素敵な詩……。ねえ、セイラン様。赤い髪の騎士と銀の髪の王子様は、それからどうなったんですか?」 「聞きたいかい?」 「はい」 「アンジェリーク。物事にはね、想像力を働かせるってことも必要なんだよ?」 「でも、そのお話は本当のことなんでしょう?だったら最後まで聞きたいです」 言い出したら聞かない恋人だ。 「…その後はね、僕も知らないんだ」 セイランは、三年前の二人の姿を思い出していた。 国境で出会った彼らは、幸せそうに寄り添っていた。 「でもね、これだけは言える」 たった三年前のことなのに、何故か遠い遠い昔話のように思える。 けれど思い出は鮮やかで、今も記憶の中の二人の姿は、一枚の絵のように鮮烈だ。 目を閉じれば、あの対照的な瞳の組み合わせがセイランを見つめ返してくる。 二人で一つの、完璧なまでに美しい魂。 「きっと、どこかで幸せに暮らしてるよ。……きっとね……」 END |