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++6 章++ いつものように、ゼフェルはオスカーと抱き合っていた。 体をぴったりと寄せ、頬を擦りつけ、オスカーの匂いで頭の中がいっぱいになるように。 いつものように夜はさらさらと流れていき、ゼフェルを安心させる。 オスカーの腕が自分に回されている。今のゼフェルにはそれだけが、自分の意識を保つのに必要だった。 「ゼフェル、今夜はどうした?やけにおとなしいじゃないか」 「…別に」 どうもしない。 ただ、「思い出した」だけだ。 もう1人の自分。生活。人間関係。 今の自分とは全くかけ離れた、めまぐるしく、けたたましい日々。 夢のような話だが、妙に現実感がある。昨日のことのように、月から逃げてきた日を覚えている。 「フッ…そうして黙っていると、本当に月に昇ってしまいそうな美しさだな」 「……オレ、そんなに月が似合うか?」 「ああ。太陽も捨てがたいが、矢張りお前には月がいい。閉じこめて、俺だけを照らしてくれるように願おうか?」 「そんなの、頼まれなくたって…!」 きつくしがみつく。 そうできたら、どんなにいいだろうか。オスカーだけを見て、オスカーとずっと一緒に暮らして。 けれど、自分の正体が分かってしまった。 故郷からの追っ手は、近いうちに必ずやってくるだろう。あのリュミエールが、このまま引き下がるとは思えない。それに、故郷の結末も気にならないわけはなかった。 どちらにしろ、この星の人間ではないのだ。オスカーもルヴァも、それを知ったら気味悪がって、自分を手放すだろう。……それなら、いっそ自分から、月に帰った方がいいのかもしれない。 ゼフェルの中で、結論は出ていた。 月へ帰る。 そう、頭では解っている。 なのに、感情がついていかない。 自分は罪人だ。月へ帰るより、このまま何も知らなかったことにして、ここで暮らせればどんなに楽だろう。 ゼフェルが逡巡していると、その考えを打ち砕くかのように、簾の外から声が聞こえた。 「ゼフェル、そこにいるのでしょう?…解っているのですよ」 リュミエールの声だった。 「誰だ?」 何も知らないオスカーが、刀を手に立ち上がる。 ゼフェルは、声も出せずに固まっていた。そこから動くことができなかった。 「出ていらっしゃい、ゼフェル。一緒に帰りましょう」 優しいけれど、冷たい声。 オスカーが小声で「知り合いか?」と尋ねたが、それにも何と答えてよいか解らず、ゼフェルは困った顔で俯いてしまう。 「…いい。俺が出よう」 夜着のまま、オスカーが簾を上げた。 案の定、リュミエールが薄い笑みを浮かべて立っている。 「誰だ?…ゼフェルに何の用だ?」 「貴方には関係のないことです。…私の方が、ゼフェルとは深い関係ですから」 「何…?」 まるでオスカーを煽るように、いや、明らかに煽って、リュミエールが笑う。そうやって周囲のものをいたぶる癖を、ゼフェルはよく知っている。 「さあ、いらっしゃい、ゼフェル」 「得体が知れない奴に、ゼフェルを渡すわけにはいかない」 刀を鞘から抜いて、オスカーが言った。しかしリュミエールは動じた様子もない。 「得体が知れない?では、貴方がかくまっているゼフェルは何だというのです?彼だって、私と同じなのですが」 ゼフェルの体から、一気に血の気が引いた。 一番怖いのは、オスカーから「得体が知れない物」という目で見られることだ。あんなに優しかった水色の瞳に、侮蔑や畏怖の色がこもること。それが何より怖かったのに。 築き上げてきた関係があっさりと崩されそうになって、ゼフェルは声を振り絞った。 「止めろ!オレが戻ればいーんだろ!?それ以上言うな!!」 ただならぬ様子に、オスカーが振り返る。 「戻るって、何処へだ?お前の居場所は、俺の隣以外にないだろう」 「オスカー…」 一番聞きたかった言葉を、オスカーはあっさりと言ってのける。力が抜けた腰を抱え上げ、しっかりと支えてくれる。触れた指先から、力がみなぎってくる。 「それなら話は早いですね。ゼフェル、あの薬を渡して下さい」 リュミエールが、手を差し出した。 「薬?ゼフェル、何のことだ?」 オスカーの問いには答えず、ゼフェルは首を横に振った。 あれだけは渡してはならない。 例え自分が月に帰っても、秘密裏に処分しようと思っていたのだ。この星で処分するには、あまりに危険が大きすぎる。 「いやだ…あれだけは、渡せねえ…!」 着物の上から、小瓶を握りしめた。 その頑なな様子に、リュミエールはため息をつく。 「…私はね、ゼフェル。貴方がここに残りたいのなら、そうなさっても一向に構わないと思っているのですよ。その薬さえ、いただけるのなら。…私は、争いごとは好みませんから……お分かりでしょう?」 静かに、凄絶なほど綺麗に、リュミエールが微笑んだ。有無を言わせぬ微笑に、ゼフェルの背筋を氷が走る。 争いごとを好まないというリュミエールのやり方は、酷く陰湿だ。対象者を傷つけずに、周囲からジワジワといたぶってゆく。 おそらく今回も、オスカーを煽ることでゼフェルに言うことを聞かせようとしているのだ。 もし逆らえば、傷つけられるのはオスカーだ。 ゼフェルは唇を噛みしめ、やっとのことで言葉を紡ぎだした。 「………わかった。渡せばいいんだろ」 首から下げていた紐を取り、小瓶を外す。 自分が決死の覚悟で奪い、守ってきた物。それはただの時間稼ぎにしかならなかった。ゼフェルの胸に、悔しさが広がる。 その時、リュミエールに手渡そうとした手を、オスカーが遮った。 「ゼフェル、渡すことなんかない。大事な物なんだろう?」 何も言えなかった。ゼフェルは、紅い目に涙を溜めて、オスカーを見上げることしかできなかった。 どうしてこんなにも、自分を無条件に信じてくれるのか。 どうしてそんな彼が、自分を侮蔑するなんて思ったのか。 だからこそ、こんなにも愛したのに。 「ゼフェル、渡しなさい。この星の人間には、どうせ扱えぬ物でしょう」 リュミエールが、一歩近付いた時。 真上から、ゴオッという爆音が鳴り響いた。続いて、爆風。土埃が舞い上がり、三人はそれを避けるように服の袖で顔を覆った。 ギュン、という嫌な機械音が、徐々に近付いてくる。ゼフェルは頭の隅で、その音を懐かしく聞いていた。機械に支配された故郷も、離れてみれば愛しくさえ思えるから不思議だ。 数分して轟音が静まり、目を開けると、頭上から数メートルの空中に真っ白な物体が浮かんでいた。船と言うには球体すぎ、一枚板で作られたように継ぎ目がない。扉らしき長方形の切れ目がかろうじて解る程度だ。 ゼフェルとリュミエールには、それが女王の私船であることがすぐに解った。2人は女王自らがこの星に来たことに驚き、そしてオスカーは見たことがない飛ぶ船に驚いて、それを見上げていた。 ゆっくりと、スローモーションのように扉が開く。 そして中から、金髪の女王が現れた。地上に降りてこないものの、ゼフェルに向かって手を差し出す。 「ゼフェル!やっと見つけた!」 彼女から隠れるように、ゼフェルはオスカーの後ろへと身を引いた。罪悪感 で、さすがに女王の前に堂々と顔を出すのは躊躇われた。 「陛下、何故こちらにいらしたのですか!?大事なときだというのに…」 リュミエールの声に、女王は首を振って、悲しそうに笑った。 「もういいの。無駄なのよ」 そして彼女は、自分に言い聞かせるように話し始めた。 進みすぎた技術は、敵国も自国も立ち直れないほどに爪痕を残したこと。そこまで傷ついてやっと、和解することになったこと。 「だから、もういいの。今度は、立ち直るための技術が必要なの。ゼフェルがいなきゃ、ダメなのよ」 複雑な気持ちで、ゼフェルは女王の言葉を聞いていた。 戦争が終わったことも、自分が必要とされていることも良かったと思う。けれど、だからといって素直に戻る気には到底なれなかった。自分の意志とはまったく違うところで、自分の技術を使われる。復興のためといえば聞こえはいいが、結局いいように扱われているだけではないだろうか。 自分から月へ帰るつもりでいたが、ゼフェルの心には何か引っかかるものがあった。 それを見透かしたかのように、リュミエールが言葉を添える。 「ゼフェル、陛下の仰せですよ。ありがたいと思わなくては」 「………」 解っている。けれど。 オスカーが、じっと自分を見つめている。 「…行くのか?」 何処に、とか、何故、とか、そんなことは一言も聞かずに。 だからゼフェルには痛いほど解った。 自分がどこから来たのかとか、何に役立つのかなんて、オスカーには関係ないのだ。ただの「ゼフェル」であれば、オスカーの隣に堂々と立てる。 ゼフェルは深呼吸を一つして、女王に向かって叫んだ。 「オレは、もう戻らねえ!ここで暮らす!」 女王とリュミエールが、目を見開いた。 「だって、あなたの故郷は月なのよ!?ここの人間じゃないのに!!帰りたくはないの!?」 「逃げた時から、帰れねーって覚悟は決めてた。それに今は…ここが、コイツの隣が、オレの故郷だから!」 ゼフェルの腰を抱くオスカーの手に、力がこもった。 「…どうしても、一緒に帰ってくれないの?」 「わりーけど。ここには、月以上に大事なもんが、たくさんあるから」 ルヴァや、オリヴィエや。17年かけて培ってきた、大切な思い出たちが。 「そう……わかった」 女王が、泣きそうになりながら頷いた。 「これ、持ってけよ。もう必要ねーかもしんねーけど。…分析すれば、何かの役に立つかもしんねー」 そう言って、ゼフェルは小瓶を投げた。綺麗に弧を描き、それが女王の手に納まる。 「これ…」 「悪用しねーって、信じてるから」 これが、ゼフェルにできる精一杯だった。 自分の技術は、すべてそれに詰まっている。 「……ありがとう…ごめんね」 女王の声は、動き始めたエンジン音にかき消されそうになった。 何に対して彼女が謝ったのか、何となくゼフェルには理解できた。切なくなって、オスカーの手を握る。しっかり握り返してくれる心強さに、涙が溢れそうになった。 船は地上に近付くと、リュミエールが乗り込むのを待って、再び上昇した。 ぐんぐん空に上がっていき、あっという間に白い船体は雲と同化する。 「…後悔してないか?」 オスカーが囁く頃には、機体音も聞こえなくなっていた。静けさが戻り、いつもの闇がひっそりと息づいている。 「してねーよ」 そうして2人で月を見上げる。 それきり、言葉は交わさなかった。ただ軽く唇を触れ合わせる。 何事もなかったかのように夜は流れ、でも、ゼフェルは知っていた。 これから幾度も月を見上げるたびに、心がざわつくこと。 思い出しては泣きたくなる、そんな郷愁が心にあること。 そして、それを黙って聞いてくれるオスカーが、いつも傍にいてくれること。 蜜色の月光が、静かに二人を照らしていた。 終 |