慶次清水

前田慶次の遺品

馬

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花の慶次名言集

第壱巻
慶次「その傷がいい!!これこそ生涯をかけ殿を守り通した 忠義の甲冑ではござらぬか!!」

村井若水が自らの失敗により、鎧を壊してしまい、利家より 切腹を命じられる。その時慶次が現れ、鎧を真っ二つにして 利家に傾いて言った台詞。
現代に置き換えても、十分わかる話であり、共感を覚えるサラリーマン諸兄も多いのではないだろうか。

慶次「リンドウですよ!春咲く花はあでやかだ。だが花の盛りは春とは限りませぬ。秋に咲く花はつつましいが味わいがある。」

村井若水が末森城への援軍を思案している所慶次が現れてリンドウを渡して言った台詞。こういった所が慶次が単なる傾奇者でなく、風流を愛し古典はおろか古今の典礼にも通じ諸芸能まで極めたと噂される当代希有の教養人といわれるゆえんであろう。

第弐巻
慶次「ふ・・・さむらいなんてそんな堅苦しいことじゃないんだ。生きる自由もあれば死ぬ自由もあるさ。ただおれはいくさ人。ここで退けばおれではなくなる。おれには退くことが美しくなく思えるだけさ。」

逃げようとする村井陽水を一渇した後親子の話をさせ、自分の信念を語るシーン。己の信念にのみ生きそして死す傾奇者としての生き様といくさ人の心意気のわかる場面である

慶次「こんな死に様でいいのかね。秀吉は自分のための天下をみている。しかしお前は自分の天下を見ることができない。お前はただその秀吉がねたましいだけだ。」

佐々成政「わが首ひとつで一国一城の主になれたものを。慶次・・・意地を通すのは不便なものよな。」
慶次にやりとして「だがそれがいい!!」

金や地位よりも己の信念を第一とする慶次らしい態度である。またよほど自分の生き方に自信がないとこうは、行動できないのではないだろうか。

第参巻
慶次「そしてこうもりが蛍を追いかけてゆく。」

蛍を死においやった忍びのこうもりは憎いが、同時に同じ女 を愛した男への奇妙な友情を持っていた慶次のレクイエムの言葉だろうか。

慶次「父上・・・月はいいなぁ。  月がなければ俺などとうに闇夜に迷い果てておった・・・。」

太陽のような激しさを持つ慶次と月のような穏やかさで見守る利久。現実でも、慶次の過ぎた行動をカバーする事も少なくなかったであろう。
また、年老いた親をみて、似た感情を持つ諸兄も多いのではなかろうか.

第四巻

慶次「おれはきっとどこぞの名のある武将かと思うた。闘えばわれらしんでいたかもしれん。千利休、茶頭というよりあれはいくさ人じゃ!!。」

息子千道安を仕置きした前田慶次をみに、慶次の屋敷を訪れる利休。しかし驚くほどの自然体の慶次に魅せられてしまう。一方慶次も「文事ある者は必ず武備あり」といった利休の本質を見抜きふっと捨丸にこう もらす。

おばば「よいか、その苦行とは誰よりも深き罪を背負うた者でなければ 満行することができぬものなのだ」

このエピソードで神戸の事件を思い出したのは私だけだろうか。

徳川家康「運が昇れば人は友達面して寄ってくるものよ。されど本当の 友とは日頃疎遠でも難儀の時にこそひょっこり現れ救いの手を差しのべるものよ。」

これについては説明不要でしょう。世の中なかなか「管ぽうの交わり」はもてぬものです。しかし、もし真に持ち得る事ができれば何にもかえがたいものでしょう。

第五巻

慶次「茶坊主であれば畳の上の作法で死ぬのもよろしかろうと存ずる。されど助右衛門はいくさ人でございます。戦さ場 で槍働きの果て死ぬるのが務めでございます。」

信長に対して傾くシーンであるが、史実であったか否かわからない。なにしろ資料がなさすぎる。現在史実として確認できているのは、水風呂の話と『だいふへんもの』のマントの 話、そして関ヶ原での壮絶な活躍の話だけである。まぁ漫画 は漫画として楽しみましょう。ちなみに某光栄の「信長の野望」の隠しイベントで水風呂の話が出てくるという噂あり( 未確認情報)

水沢隆広「父上によう言われました。君主たる者、うかつに家臣に本音ば見せればそれだけで家臣を殺すこともあると。」

どこかの官僚のトップにきかせてやりたい言葉である。しかし、子供にもこれだけの分別をつけさせねばならない戦国の 世も辛きものだ。

第六巻

慶次「手前にはとても真似できません。天下人たるもの意の ままに振るまえぬことさぞ難儀でございましょうや。心中お 察し申す。」

天下人となった秀吉ではあったが、身分があがるにつれて己 が思う通りには行動できなくなっていた。自分の行動や言動 が部下の生活や生命を左右してしまうからだ。また「ダモクレスの剣」にも例えられるように、玉座の上には馬の毛で吊るされた剣があり、最高権力者は常に生命の危機にさらされ ている。そんな秀吉に尊敬と哀愁を感じこういったのであろう。

上杉謙信「みなの者よく見ておけ、これが上杉家の剛の者の 死に顔じゃ!! いい顔をしておる。実に穏やかなそしてりん然とした美しい顔だ。この者達こそ上杉家の誇りとわしは思うておる。いくさ人とはかくありたいものよ。」

普通の人間は死ぬ瞬間は恐怖に顔をひきつらせ苦悶の表情を うかべる。しかし戦国の世の"いくさ人"達は幾多の修羅場を 経て心安らかに逝ける境地に達したのであろう。

第七巻

慶次「ふんどしは男の最後の着衣だ!紫や金のふんどしなん かあるか!!これこそ己の心の様に輝く白であるべきだ!!」

たったこれだけのために、大立ち回りになりかねない悪戯を やってのけるのだが、己の美学の為には命もかける慶次らしい行動かもしれない。

第八巻

慶次「ふふ・・・馬鹿だなぁ。戦ってやつは負け戦こそおもしろいのよ!!」

負け戦さを勝ってこそ真のいくさ人と信じている慶次の信念であったろう。

慶次「お前はお雪さんに惚れていたんだろ。ははは。お前が惚れた女の墓を素通りは できないさ。」

慶次は武士といえど己の芸だけで生きる事を誇りとした男である。そんな慶次に は身分よりも信義の方が優先されるものであったろう。

「口舌の刃で人を斬るとはなんともやりきれん。今この者どもを笑った者すべて と喧嘩いたす!!喧嘩に身分の上下なし喧嘩無礼講とまいろう!!」

口で人を非難するのも、時には刃物で切りつけるよりも人を深く傷つける時があ る。言葉には痛みが伴う事を忘れてはならない。

慶次「ひとつだけ条件がある。フンドシだけはいつもきれいにしておけ。」

どんなボロを着ようがキラを飾ろうが戦場で死ねば身ぐるみはがされ、残される のはフンドシひとつ!
慶次の言葉はいくさ人としての心意気であり、岩兵衛や捨 丸への思いやりであった。

風魔小太郎「妬けたよ・・・。無垢な少女が命を捨ててお主の命乞いをするとはな!お主こそ天が与えた獲物よ!!」

慶次「ふっ・・・ほとほと傾いたものよ。お主も戦国の世の最後に咲く徒花か!!」

最後のいくさ人の慶次を倒す事で己の意地を通し、最後の忍びの華を咲かせようとする小太郎。そして慶次もそんな小太郎の中に傾奇者の姿をみる。作中の一番の見せ場かもしれない。

第九巻

慶次「うん皆いい顔だ!!さすがあの織田信長公を震憾させた越後の精兵よ!!」

囚人と老人の兵だけで戦場へ向かう慶次。しかし慶次は死を恐れぬ彼らにいくさ人としての心意気を感じとる。


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