三国志の兵法番外


銀英伝の戦法


BGM STOP

ラインハルト=ナポレオン?

銀河英雄伝説では数多くの戦略・戦術が登場するが、中でも印象深いのが、2倍の敵に3方から囲まれながら撃破した戦いではないだろうか。
全くすばらしい戦いぶりであるが、歴史上このような戦法をとった人物がいたであろうか。実は一人いる。誰あろう、天才ナポレオンである。

戦力自乗の法則

その戦法を語る前に知っていただきたいことがある。それが戦力自乗の法則である。
能力同等の軍艦が10隻と6隻で対戦すれば、6隻のほうが負けることは誰にもわかるが、6隻のほうが全滅したときに10隻のほうが何隻残るかは、案外知られていない。4隻ではなく、8隻残るのである。戦力は実力の自乗に比例するという法則があり、
102-62=64=82
という計算である。

ガルダ湖畔の各個撃破

1796年4月、オーストリア軍主力をイタリアから追い払ったナポレオン軍三万は、マントバ要塞を固守する残存オーストリア軍一万を、五月下旬以来、包囲攻撃中であったが、七月下旬、勢いを盛り返したオーストリア軍主力が来援するに及び、その集中包囲圏内に陥り、苦境に立った。しかしナポレオンは屈しなかった。彼は敵の分離に乗じて、各個にこれを撃破する決意を固め、断然マントバの囲みをといてガルダ湖南東側地区に転進し、ここに主力を集結して戦機をうかがった。このとき彼は、部隊に迅速な行動を要求し、虎の子の大砲を地中に埋めて放置させたほどである。
八月三日、ナポレオンは、まずガルダ湖西岸の敵2万をサロー付近に襲って撃破し、返す刀で、後方に迫ってきた敵の主力たる中央軍2万5千をカスチグリオーヌ付近で撃滅してしまい、全ヨーロッパを唖然とさせた。
ナポレオンは、この作戦の間、名馬5頭を乗りつぶすほどの大活躍をしたという。

ナポレオンの新戦法

ナポレオン以前の将帥は態勢の優劣をもって勝敗を争った。これを機動戦略というのは、巧みに機動して有利な態勢を作りだすことを戦略の主眼としたからである。
彼らは包囲されれば退却した。三方面から来る2倍の敵から包囲攻撃を受けるような非常に不利な態勢に陥った場合には、敗けた!と認めて退却し、こんなとき頑張るのは、将帥のマナーに反するものとされていた。
ところが、ナポレオンはこれを無視して逃げなかった。それどころか、従来最大のピンチとされていたこの被包囲態勢の中にチャンスを見いだし、戦術的勝利は戦略的勝利に優先する(全般態勢が悪くても、局所で勝てばよい。戦略的に勝っても戦術的に勝たねばどうにもならない)とし、断固!として敵に噛みついていった。
彼の見いだした勝ち目は、
1、敵は三つに分かれているが、我は一つにまとまっている。だから全体として は敵よりは劣勢でも、敵の一つに対しては我のほうが優勢である。
2、一つの戦場から他の戦場に転進するには、敵よりも我のほうが近路をとれる 。敵は我と戦わないで、他の戦場に行こうとすれば、大回りをしなければならな い。
ナポレオンはこの有利な条件を最大限に活用して、内線作戦による各個撃破戦法 を開発したのである。すなわち、彼は分進してくる敵の集中点付近に全軍を集結 して待ち構えており、敵の分離に乗じて一つずつ叩いていった。
たとえば、彼は次の要領で、三倍の敵さえ破ったことがある。
1、第一に、我より劣勢な敵に攻めかかる。これは当然撃破できる。
2、次に、勢力同等の敵にぶつかる。このときの味方は戦勝で気をよくしている から勝てる。
3、最後に、我より優秀な敵に向かって突進する。敵はいままでの我が戦いぶり に恐れをなして、その数の威力を失っており、潰走する。
理屈では考えられないことであるが、戦場における人間は臆病であるから、現実 には、こんな不思議が起きるのである。

さてラインハルトのとった戦法はやはり、原作者の田中芳樹氏がナポレオンの故事を知った上で使ったと、個人的には思うのですが皆さんはどうお考えでしょうか。


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