三国志の兵法
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苦肉の計
わが身(肉)を苦しめて敵を欺く
赤壁の戦いを勝利を導いた黄蓋の策略
苦肉の計というと、日本語のニュアンスでは万策尽きて後、
苦し紛れに打つ手といった趣があるが、中国では一種のペテン的用法として広く知られている。
あたり前のことではあるが、自らすすんで己の体を傷つけるものはいない。それを逆手にとって、わざと自分で自分の身
に傷をつけ、それを別の原因に信じ込ませることができれば
、敵を誘い込むことも、自分の範疇に引き込むことも可能となる。ただし、それには、多少の苦痛と演技が必要であった。それなりの犠牲を払わなければ、味方以外は欺けぬものだ。
『三国志演義』によれば、赤壁の戦いに際して、呉の老将・
黄蓋がこの策を採用したとされるが、史実のほどはともかく
、この手の策は古来多くの成功例がある。
三国志時代、呉の大都督・周瑜の率いる水軍が、赤壁の地で
曹操の大軍を迎え撃ったときのことである。対岸に浮かぶ曹操の大艦隊、巨鑑の群れをみて老将黄蓋が周瑜に
進言した。「敵はいま、大軍を擁していますが、味方の兵力
はそれに比べてあまりにも僅かです。このままでは長くもたないでしょう。しかしながら、対岸に停泊している敵の艦隊
は、ゆれるのを気遣って、ヘサキとトモを繋いでおります。
あれではすぐ動くことはできますまい。この機を逃がさず、
焼きうちをかければ撃退はできるはずです。」
シュウユの許可を得た黄蓋は、さっそく数十隻の船を調達すると、焼きうちの準備にかかった。同時に、ひそかに周瑜と謀って、焼きうちを成功させるための策を二つ用意した。
一つは、曹操に密使を派遣して降伏を申し入れる。しかし、それだけでは名うての曹操を信頼させる事ができない。そこで採用されたのが、”苦肉の計”であった。
黄蓋は、軍議の席で降伏論を述べて譲らず、周瑜の怒り
をかって公衆の面前で百叩きの刑に処された。肉は裂け、骨は鳴り、さしもの黄蓋も陣屋に運び込まれたときは気を失っている。その有様は、呉軍の陣屋にもぐり込んでいた曹操側のスパイによって、逐一、曹操のもとにもたらされた。はじめは黄蓋の降伏に半信半疑であった曹操も、これで、ようやく信用する気になったようだ。
この結果、曹操は、黄蓋の船団が接近したとき、降伏してきたものと信じて警戒を怠り、容易に”焼き打ちの計”を許してしまったのであった。これが有名な「赤壁の戦い」のハイライトとなった。
また南栄時代(1127-1279)には岳飛の部下であった王佐が、金軍にはいりこむために、自らの右腕を斬り落とし、苦肉の計
を行っている。
余談ではあるが『銀河英雄伝説』の中では、「イゼルローン攻略」の時に、ヤンがシェーンコップにやらせた策がこれに
あたるのではないだろうか。
さて、この策を現代に生かすとなると、どうなるだろうか。
ビジネスマンが取引先の信頼を勝ち得るために、休日を返上し、相手先を接待したり、個人的なことを手伝ったり、ごま
をするのは古典的ではあるが、有効な手段には違いない。身
を削るように、ときには病気をおして、怪我をしながら、といったフレーズを持ち込むと多くの場合、相手先の態度は軟化するものだ。
・・・・しかしながら何事も程度が肝要であり、この策は多用すると身を滅ぼす危険があるので、自重することをお勧め
する。
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