三国志の兵法


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借刀殺人の計
刀を借りて人を殺す

敵はすでに作戦行動を起こしているのに、わが同盟国はま だ態度を決めかねている。こんな時は、しゃにむに同盟国 を引きずりこんで敵を攻撃させ、わが兵力の温存をはかる 。


「借刀殺人」には、2つの側面がある。一つは、自分の手 は使わず、第三者の力を利用して敵をやっつけること。諺 でいえば、「人のふんどしで相撲をとる」ということに通 じる。自分の勢力を温存したまま敵をやっつけることがで きるのだから、こんなうまい手はない。
だが、これはまだ序の口だ。より高度な「借刀殺人」は、 第三者の力を利用するのではなく、敵を利用して敵をやっ つけることにある。すなわち、敵の力、敵の経済力、敵の 知謀などを巧みに利用して離間策を講じ、敵を崩壊に追い やるのだ。これこそ、「借刀殺人」の真髄と言ってよい。

敵に借りて良臣を殺す

『韓非子』という本に、こんな話がのっている。春秋時代のこと、鄭(てい)の国の桓公という王様がかいという国を攻略して自分のものにしようと思い立った。かいは小さな国だったので、正面から武力で攻めたてても、それほど難敵ではない。だが、それでは相手も必死で抵抗するだろうから、こちらも相当な出血を覚悟しなければならない。
そこで桓公は、なんとか相手を骨抜きにし、無抵抗の状態にしておいてそっくり頂戴したいと思い、こんな手を考えだした。
まず、かいの臣下で見所のある人物、才能のある人物、腕っぷしの強い人物などを調べあげてその一覧表を作った。さらに、かいの良田をえらんで賄賂として与えること、また、しかじかの官職を提供するむね誓約した文書を作った。そうしておいて、ある夜、わざとかいの城門の外に祭壇を作ってそれらの書類を埋め、その上に鶏や豚の血を注いで、いかにも盟約までしたようにみせかけておいた。当時、国でも個人でも相手と盟約をかわすさいには、豚や鶏を殺してその血をすすり合うのがしきたりだった。
翌朝、それを発見したかいの王様は、てっきり内応者がでたと信じこみ、その一覧表にのっていた臣下を全員殺してしまった。桓公はそこですかさず、攻撃を加え、難なくかいの国を滅ぼしてしまったのである。

労せずして敵の蔡瑁と張允を葬った周瑜の計略

この計略を赤壁の戦いの直前に用いて、自軍を有利に展開 した司令官がいた。
呉の大都督周瑜である。彼は大胆にも
「敵を知るは、戦に勝つ第一の要諦」と闇夜に秘かに曹操 軍の水塞を偵察した。するとそこには、見事な戦陣が敷か れてあった。華北出身者が大半を占める曹操軍は、騎馬戦 =陸上の戦いならともかく、水上戦ではさしたることもあるまいとタカを くくって偵察していた周瑜ではあったが、あまりにも大き く期待を裏切られて、胸中おだやかではなかった。
案ずるに、曹操の軍門に降った荊州にも、優秀な水軍があ った。蔡瑁とその甥の張允はともに水軍の指揮官とし ては有名である。彼らが曹操水軍を指揮すれば、呉軍とて 苦戦を強いられかねなかった。
なにしろ、動員兵力数、機動力において、曹操軍は圧倒的 優位にある。それに水軍までもが活躍するようにでもなれ ば、呉にとって戦さの条件はますます不利となろう。
なんとかして、蔡瑁と張允を始末する方法はないもの だろうか。
周瑜は思案するが、両者は幾重にも固められた曹操の本陣 にあった。
そうしたところへ、曹操の幕賓蒋幹(字は子翼)がふいに現 れた。周瑜と蒋幹は郷里も近く、少年時代は学窓の友でも あった。
蒋幹は曹操の命によって、周瑜に降伏を勧告にきたのでは あったが、周瑜は笑って首を横に振り、皆目とりつくすし まがない。
しかし、酒宴はいつ果てるともなく続き、やがて蒋幹は周瑜の私陣に泊まることとなった。
夜半、蒋幹は目をさまし、ふと机の上に目をやったところ 陣中往来の機密文書が目にとまった。蒋幹は周瑜の寝息を うかがいながら、その一つを目読してがくぜんとする。
張允からの書簡であり、そこには周瑜と内応して、曹操を 討つ旨が記されてあった。
蒋幹は興奮する気持ちを鎮めながら、再び寝床の上に身を 横たえた。うとうとしていると、低く帳外の扉を叩く音が して、誰かが侵入してきたようであったが、蒋幹は目をつ ぶり耳をそばだてていると、侵入者は軽く周瑜をゆり動か している風で、間もなく、蔡瑁、張允の名が途切れ途 切れに聞こえた。
夜明け前、ついに寝れなかった蒋幹は、周瑜が寝入ってい るのを見定め、故意に大きく伸びをすると、厠(かわや)へ 用をたしにいくふりをしながら、書簡の一通を机上から盗 むと、そのまま曹操の陣へ戻った。
周ユを説得できずに面目を失した蒋幹は、蔡瑁と張允 の呉への通報を、名誉回復の材料に告げる。
激怒した曹操は、蔡瑁と張允を召し出すと問答無用と ばかりに有無をいわさずに両者を斬首した。

ヒットラーの陰謀

現代では,こんな見えすいた離間策に乗せられる人間などいないと思われるかもしれないが実際はそうではない。相手の状況いかんによっては、予想以上の効果を発揮することがあるのだ。一例として、ヒットラーの場合を紹介しておこう。
第二次世界大戦のまえ、ソ連にトハチェフスキー元帥という有能な将軍がいた。1936年、スターリンによる粛清の嵐が吹き荒れたとき、トハチェフスキーもその嵐に巻き込まれているという噂が流れてきた。トハチェフスキーのような有能な将軍が粛清されれば、それだけドイツにとっては有利になる。そこでヒットラーはこの機会にトハチェフスキーを葬ってしまおうと考え、情報機関の責任者を呼んで、内密にトハチェフスキー反逆の証拠をデッチあげるように命じた。その証拠とは、たとえばトハチェフスキーとそのグループがドイツの将軍たちととりかわした私信のたぐい、トハチェフスキーらがドイツに情報を売った情況およびその報酬額の一覧表、ドイツ情報部がトハチェフスキーに与えた返書のコピーである。
ソ連はやがてこれらのニセの情報を300万ルーブルの巨額で買い入れ、それをもとに、トハチェフスキーら8人の将軍を逮捕した。大量の「動かぬ」証拠をつきつけられたのでは申し開きもできない。トハチェフスキーらはわずか数十分の尋問だけで死刑を宣告され、12時間以内に全員処刑されたのである。ヒットラーの「借力殺人」がもののみごとに成功したのである。