三国志の兵法


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無中生有の計
無の中に有を生じる。

無いのに有るように見せかけて敵の目をあざむく。しかし 、最後まであざむきとおすことは難しいので、いずれ無か ら有の状態に転換しなければならない。要するに、仮の形 で真の姿を隠し、敵を錯覚におとしいれること。

「無中生有」とはありもしないのにあるように見せかけて 、相手の判断を惑わす策略である。この策略を成功させる 前提条件として、次の二つの事がなければならない。

1、敵の指揮官が、単純な人物であるか、または疑い深い 人物であるかして、こちらの仕掛けた策に乗りやすいタイ プであること。

2、「無」の状態、すなわちありもしないのにあるように 見せかけて敵の判断を惑わしたら、次の段階では実際に「 有」の状態に転換して、一気にたたみかけること。

「無」から「有」、「虚」から「実」への転換が、この策 略を成功させるポイントになる。

ヒトラーの言う「嘘もつき続ければ真実になる」との言葉 はこの"無中生有の計"を熟知しての事かも知れない。

荊州制圧を可能にした劉表の策略

三国志の中で最も効果的にこの策を使ったのは劉表ではな いだろうか。
北に曹操の支配権が確立され、東に孫権の地盤が拡張され る中にあって、最後まで独立した勢力は荊州と益州であっ た。この2州によって孔明は"天下三分の計"を考案・策定 するわけだが、その意味において、劉表は孔明の恩人とい っていいだろう。
劉表はエン州の山陽郡(山東省金郷県周辺)の出身で、実家 は前漢帝国の魯の恭王からつづく名家であった。加えて劉 表は、きわめて目端が利いたようだ。
前任者の王叡が孫権の父・孫策に殺害されたと聞くや、こ のころ、朝廷を牛耳っていた李カク、郭シ(ともに故トウ 卓の部下)のうち、李カクに多額の賄賂を贈って、都合よ く荊州刺史のポストを手に入れた。
ところが、劉表には各地に割拠する軍閥のように「部曲」 (私設軍団)が一兵もなかった。平時であればともかく、時 代は群雄の領土争奪戦の真っ只中である。任命状一枚で荊 州へ乗り込むのは、素手で虎を殺しにいくようなもの。自 殺行為に等しかったといっていい。
案の上、劉表は荊州の役所がある漢寿(湖南省漢寿県北) にすら、入れないありさま。ジョウ陽の南の宜城へ赴くと 、劉表はここで土地の"名士"----カイリョウ・カイエツ兄 弟やサイボウらを招き、荊州平定の方策を諮問した。ここ でカイエツはおそるべきことを進言する。
「平和な世には仁義が必要でしょうが、乱世にあってはま ず、権謀術数です。兵力が多ければいいというものではあ りません。」
カイエツは、劉表が相応の軍を率いて荊州へ乗り込んだよ うに装い、武力をちらつかせながら、荊州内に分立する小 勢力を個別に、有利な条件をもって呼び寄せ、各々の首領 を問答無用で騙し討ちにし、その部下達を「部曲」にして いけばよいとこともなげに献策したのである。
ついでながら「権謀術数」は"権"=秤りのことで、"謀"も "術"も意味は同様。"数"は計る=はかりごとの意で、「説 苑」の「権謀」は事前のはかりごと、先見の明をあらわす 意味に使われていた。人に先んじて状況を有利に導くーー ーーその為には人を自分の思うように動かすことができな ければならない事になる。

劉表はさすがにちゅうちょしたもののほかに方法がなかっ た。乱世は綺麗ごとだけでは生きていけない。
劉表は55名もの首領を罠にはめ、斬り殺してその配下を 私設軍団として、その武力を使って、他の影響下にあった 太守や県令を辞任に追いやった。
まさしく、無から有を生み、虚を実に転換していったのだ 。もし、劉表が荊州制圧に成功していなければ、いかに孔 明が智謀の人であろうとも"天下3分の計"をたてるべき領 域は残されていなかったであろう。また荊州の安定によっ て、孔明はこの地に移り住む事となり、その地縁が孔明の 生涯を決定づけたともいえる。