ここでは「仮面ライダー(新)」という作品の製作期間、放映中の紆余曲折などを確認する所です。
知ってる人にとってはつまらないでしょうし、一応真面目な研究文ですので、
「ね〜むくなっちゃう」(byミチ)かもしれませんが、どうかお付き合いください。
スカイライダーが放映されることとなった1979年(昭和54年)は、様々な部分で日本特撮映像の分野におけるターニングポイントとなった時期である。
昭和50年代に突入し、かつて隆盛を極めたウルトラ、ライダーという二大ヒーロー番組も姿を消し、40年代終わり頃の「マジンガーZ」や「宇宙戦艦ヤマト」などの人気により、一大アニメブームが到来、実写ヒーロー作品はほぼ制作されないという状況に陥っていた。
ライダーを作っていた東映は「秘密戦隊ゴレンジャー」「がんばれロボコン」で新たなジャンルを開拓したが、それも長期シリーズになることなく、一旦の終焉を見る。
そんな時、日本のみならず、世界を巻き込んだ一大SFブームがアメリカからやってきた。言うまでも無くそれは「スターウォーズ」である。全てが斬新だったこの映画は、ともすればキワ物的扱いを受けることもあった「SF」というジャンルに新風を巻き起こし、一大ムーブメントを巻き起こした。
これに同調するかのように、日本でも前述の「宇宙戦艦ヤマト」「機動戦士ガンダム」のそれぞれの映画が大ヒット、日本に一大SFブームが起こったのである。
そしてこのブームの中で、「かつては日本にも素晴らしい作品があったではないか」という動きが出てくるのに、そう時間はかからなかった。
仮面ライダーに関して言えば、「テレビマガジン」昭和53年六月号において、「きみは全部おぼえているかい?ウォンテッド!ライダー怪人」という特集を大々的に組み、その反響が予想外に大きかった事から誌上で毎回ライダー特集を組むようになり、さらに石森プロ主催の過去作品の上映会も盛況であったり、再放送が全国的に行われたりもするようになった。
しかし、この時期に起きたブームには今までの「怪獣ブーム」とは異なるものが存在していた。
「ウルトラマン」で爆発し、「怪獣」と言う言葉を世に知らしめた「第1次怪獣ブーム」、「仮面ライダー」のヒットにより等身大変身ヒーロー物が隆盛を極める「第2次怪獣ブーム(変身ブーム)」とは全く異質のものだったのである。
つまりその当時の人々はウルトラマン、仮面ライダーに代わる新しいヒーローを創生しようとしたのではなく、かつての名作群を再評価し、現代にふさわしいものへと昇華させようとしていたのである。
この時期の日本国内でのSFブームが「リバイバルブーム」と言われる所以である。
しかし、昔の作品をそのまま焼直すだけの作品では誰も納得しない。旧作を再評価した上で、より素晴らしい作品を模索しなければならなかった。そんな中、東映はかの「ゴレンジャー」の系譜に連なる戦隊シリーズ第1弾「バトルフィーバーJ」を開始、円谷プロも「ザ☆ウルトラマン」を、アニメというジャンルではあったもののスタートさせた。
そのような動きにあって、新たな仮面ライダーを製作するという動きは、むしろ当然のように現れてきた。
このような時代の動きに後押しされて、新たなる仮面ライダーの製作準備は始まった。企画当初から今回のライダーは、「原点に帰る」ということで企画が立ち上げられていたという。それは新ライダーが当初「仮面ライダー0号」と呼ばれていたことからも窺い知れる。
デザインはイナゴを基調とし、より虫に近い形の姿が決定した。そして、歴代のライダーに負けない際立った特徴として、今回のライダーには「空を飛ぶ能力」が授けられることとなる。「ライダーをより身近なヒーローに」という企画意図があったようだが、「スーパーマンに近くなってしまうのではないか」との懸念もあったという。
空を飛ぶ能力を持ったことにより、「スカイライダー」という名前を与えられた8人目の仮面ライダー。その変身前、つまり主役を決める段階になって、東映は大規模なオーディションを開催した。歴代ライダーを演じた俳優は藤岡弘氏を始めとして有名になっていることが多く、一般的にも次のライダーの主役俳優は注目されていたようである。オーディションには3786人の人間が参加し、その中から、見事、当時法政大学に在籍していた村上弘明氏が主役の座を射止めた。
ライダーの飛行シーンについても、当時最新の技術を用いて表現することが決定し、新ライダーに対する意気込みを感じることができる。
そして様々な人々が期待する中、1979年10月5日午後7時、新たなる仮面ライダーの放送は始まった・・・・・・・・・
満を持して始まった「仮面ライダー」の第1話は、長い間新しい仮面ライダーの登場を待っていた人々の想いを満たすには十分な出来映えだった。空を飛んでいる時の爽快感、ライダーブレイクによる派手な破壊シーンなど、どれをとっても見ごたえは十分だった。
しかし、1クールが終了しないうちに作品は早々に路線変更しなければならない状況に追いこまれる。その理由は、スカイライダー最大の特徴である「空を飛ぶ」という能力が、思った以上に話に絡ませることが出来なかったのだ。さらに、(これは憶測の域を出ないが)飛行シーンの合成にかかる費用が高額だったため、予算が足りなくなってしまったという事もあったようだ。さらに、あまりにも原点、つまり本郷ライダーの時期にまで立ち帰って製作されたため、作品そのものにオリジナリティが感じられなくなり、既に「正義のヒーロー」として認知している、メインターゲットである子供達に受け入れられにくい状況になってしまった。
このような状況の下、番組は早々に路線を変更、セイリングジャンプは13話を持って姿を消した。そして立花藤兵衛的人物の登場、大幹部の交代などの強化策を打ち出した製作陣が次に打ち出したもの、それは第2クール最大のトピックスであり、「スカイ」という作品の最大の特徴でもある、「歴代ライダーのゲスト出演」である。20、21話のストロンガー登場編を皮切りに、23話のV3、26話のX、ライダーマンと、放送開始後半年も経っていないのにも関わらず、4人のライダーがゲスト出演している。これはメインの視聴者である子供にうけた一方で、高年齢層のファンには良い印象を持たれなかった。
そして27、28話の前後編において、2クール中最後の強化策というべき、「スカイライダーのパワーアップ」が描かれる。初期のダークな色彩を払拭したスカイは名実ともに「正義のヒーロー」としての道を歩き始める。それはかつて仮面ライダー1号が辿った紆余曲折の道そのものであった。
第3クールに突入し、飛行能力を失ったスカイライダーを際立たせるために様々な新機軸が導入された。第1期ライダーシリーズを支えた伊上勝氏がメインライターを離れ、江連卓氏がその任に就いた。ストーリーも娯楽性に富んだものが次々と発表され、2クール後半期に公開された映画「8人ライダー対銀河王」も良質の娯楽作品に仕上がったこともあってか、徐々にかつての人気を取り戻してゆく。もしこのままで終わっていたら、スカイは現在、マニアと呼ばれる方達にも高い評価を得られたかもしれない。
だが、製作陣はここで新たなテコ入れ策を発動する。それが、「歴代ライダーの素顔での登場」である。神啓介、結城丈二、風見志郎、一文字隼人、城茂と、5人ものライダーが素顔での出演を果たし、筑波洋との競演を果たしている。スカイへの批判に際してよく言われる、「スカイの没個性化」の原因はこれに起因している。歴代ライダーの出演は子供にとっては嬉しい事項だが、高年齢層のファンにとっては「主役のスカイ」でなく、「8人ライダーの1人のスカイ」という印象を受けてしまったのである。
しかし、例えそのような印象を持ったとしても、子供達の中でのスカイの人気は徐々に盛り上がっていった。どんどん子供向けの荒唐無稽な話が登場するようになり、子供達には人気を博したが、長年のファンの想いまで満たすことは出来なかった。
そして夏の怪談シリーズを挟み、にせライダー、宇宙ロケットなどバラエティに富んだ作品が出てきた所で、スカイは最終局面に突入していく。最終3部作は洋の両親とネオショッカーとの知られざる関係、肉親の死を乗り越えて人類の自由の為に戦い、その使命に殉じた洋の戦いの結末を描く、当初の路線に戻ったような作風で幕を閉じた。
そして製作陣は、旧作のリメイクに留まらない、いくつもの新機軸を導入した「仮面ライダースーパー1」をスタートさせる事となる。
これまで述べてきたように、スカイライダーという作品は様々な試行錯誤の末に完成した作品である。それを今この時点でとやかく言うのは、ともすれば結果論になりかねないが、とりあえずここでスカイについての僕の考えをまとめてみたい。
スカイライダーというキャラクターはよく「個性のないライダー」とマニア諸氏に指摘される。セイリングジャンプとライダーブレイクという二大看板を1クールにおいて早々に失ったスカイは、さらに続々と登場する歴代ライダーの強力な個性に阻まれ、目に見える際立った個性を発言できないまま終了してしまったというわけである。更には、次作の「スーパー1」がメカニカルライダー、拳法を駆使といった稀な特徴を持っていたため、余計にスカイが無個性に見えるのだろう。だが、これは本当に「個性がない」と言える事なのだろうか?僕はそうは思わない。
果たして本当にスカイに個性は無かったのか?答えはノーである。スカイライダー最大の特徴、それは「優しい」という事である。優しいという性格を端的に表す描写として、「涙を流す」というのがある。これまでのライダーはどのような辛い事があっても、決して涙を流すことは無かった。唯一、「V3」50話において、今は亡き妹を想いながらハーモニカを吹く風見志郎が涙を流す程度である。筑波洋は1話でハングライダークラブの仲間達が惨殺された姿を見て涙を流し、25話でボンゴの墓前でハーモニカを吹く時も涙を流す(15話で地震研究所の人達が殺された時も目に涙をためていたような感じがするが、これは定かでない)。
今までのライダーは、相手よりもまず自分が辛い目(改造手術、肉親の死など)にあっているため、それ程感情をあらわにすることはなく、その悲しみの涙を仮面の下に隠して戦うのが仮面ライダーでもある。そう考えると、これまでになく涙もろい主人公である筑波洋は十分に個性的と言えないだろうか。
さらに筑波洋の個性として、「子供好き」という点が挙げられる。例えば3話では子供を狙う犯行に激昂し、31、32話でも子供達の救出を第一に考えている。これは後の「仮面ライダーBLACK」の南光太郎のキャラクターの原型と言うべきものであり、ここまで子供のことを第一に考えるライダーはかつていなかったと言って良い(考えていないわけではないが)。
スカイライダーに関しても、多数の技を持ち、飛行能力の名残からかジャンプによる戦法を多用したりと、今までにない「スマートなアクティブ」とでも言うべきものが発露していた。
そして一番特筆するべきことは、使命に対する自分の覚悟である。かつて本郷猛は己の体に苦悩し続け、それはヨーロッパで彼が成長するまで続いた。それと同様、歴代のライダーは程度の大小はあれど、皆自分の体に苦悩し、命をかけて戦うことに空しさを憶えたりした。しかし洋にそんな描写はない。彼は全く悩むことなく悪=ネオショッカーとの戦いに身を投じる。そしてネオショッカーによって両親が殺された時も、自分の気持ちを敢えて押さえ、世界の平和と人類の自由を守るために仮面ライダーとして戦ったのである。
ある書籍にも書かれていたが、彼こそは「時代が必要とした戦士」だったのではないか。当時の時代が新たなる仮面ライダーの誕生を必要としていたのと同様、筑波洋も時代によって選ばれた、正に「新時代のヒーロー」だったのではないか。新時代のヒーローを求める中で誕生した異質なヒーロー・スカイライダー。我々はそんな彼の存在意義を認識しておかなければならない。
SPECIAL THANKS TO 極楽大使さん