完璧な桜は稀なものだ
 たとえ一生かけても
 探す価値は十分にある

 死を恐れず むしろ時にはそれを望む
 戦場を見た者は皆そう思う
 そして思い出す
 人も桜も いつか散る

 吐息の一つにも 一杯の茶にも
 一人の敵にも命がある

 それが人の道。



「一樹の陰と一河の流れと」    by 玉緒様



 穏やかな昼下がり、オールグレンは寺への参道を進んでいた。後ろにはいつものように寡黙な老侍がつかず離れず後を歩く。彼が自分の見張りと護身をすることになったいきさつは不明だった。一日のほとんどを共に行動しているが、ただの一度も会話をしたことがオールグレンにはなかった。「こいつ、耳が聞こえないのか、それとも口がきけないのか」と本気で疑問を抱いたこともあるが、いつかの剣の稽古の際に他の侍と何やら話していたのを目撃した。日本語だったため話の内容までは理解できないが、確かに声を出していたので、喋れないわけじゃないようだった。当たり前と言えば、当たり前だが。
「馴れ合いはしない主義なんですよ。」
 信忠が夕餉を取りつつ、そう説明してくれた。

 この村に来て随分と時間が経っていた。初めこそ敵陣内に囚われた捕虜で、居心地もけしてよくはなかったが、今は徐々に周囲とのわだかまりが薄れてきている。この村の棟梁であり、英語の流暢な勝元盛次はもとより、世話になっている勝元の妹、たかも少しずつだが一言二言日本語で言葉を交わしてくれるようになった。彼女の子である飛源や孫次郎もよく懐いてくれている。先の信忠もだが、他の侍衆とも柔術や剣の稽古を通じて世間話や与太話をできるようになっていた。
 故郷から遠く離れたこの土地で、安息の時間が訪れたことも否めない。戦争中、自分は多くの謂われ無き命を奪ってきた。大儀のもとに戦っていると信じていたが、いつからか神の意思に疑問を持つようになっていた。その頃から、眠れば悪夢に苛まれるのが常になった。目を閉じれば蘇ってくる、「あの光景」。
 馬の蹄の音、叫び声、逃げ惑う人の後姿、手綱を握る手、照準、銃声、硝煙の臭い、動かない死の瞳、銃口の煙、倒れた親に駆け寄る子、銃声、泣き声、物言わぬ背、血の臭い、銃声、死体、煙、死体、銃声、蹄の音、死体、銃声、炎、死体、銃声、死体、死体、死体・・・
 報復が報復を生み、殺戮は憎悪と怨念を呼んだ。罪なき人が生をもぎ取られ、もぎ取った生を糧に私欲に塗れた時代の強者は富という名の自己補完へと突き進む。その先頭に、自分の姿があった。
 世界が良くなればいいと、ただ思っていた。そしてそのために戦っていると信じていた。何の疑いも無く。だがそこにあったのは、名誉でも義でもなく、人道を無視した権力の横行だった。その行為に知らぬ間に自分は最前線で加担していた。気付いた時にはもう取り返しの付かない所まできてしまっていた。目の前から、神は跡形も無く姿を消し、残ったのは虐殺を賞された有り余る勲章を軍服に身につけた醜い肉塊だけだった。このまま残された人生、ただ朽ちていくのを待つだけと、とうに諦めていた。ここに連れて来られるまでは。
 ここには近代的な建物も、美しい洋服も、大きなバスタブさえない。しかし、それに劣らない精神的な何かを感じ始めていることは確かだった。人々が尊び、自分がかつて追い求めていた、しかし今や時代と共に捨て去られようとしている何か。それを最も強く感じるのは、勝元の先祖が建てたという、この寺にいる時だった。故に感傷的になった時や虚脱感に覆われそうになるといつも参道を寺へと急ぐのだった。

 靴をきれいに揃えて脱ぎ、境内にそろそろとあがると、逆光の廊下に勝元と氏尾の姿があった。二人は立ったまま何かを話していたようだったが、オールグレンが声をかけるよりも早く、氏尾が彼の姿に気づいた。勝元から目を離すと同時にちらりとオールグレンを一瞥すると、勝元に「では」と小さく言って礼をするとオールグレンのいる所とは逆方向へと足早に出て行った。
 後姿を少し見送ってから、勝元がこちらに顔を向けた。
「どうした。こんな時間から座禅でもするのか?」
 大きな体躯を揺らしながら袴の腰紐に手をおいて笑った。
「how come you know what I am thinking of?」(俺の考えてることって、そんなにわかりやすいか?)
「では、当たりか?」
「you lose. I come here just to have conversation with you, of course.」(はずれ。お前と会話したくてきたんだよ)
 見透かされたことが面白くなく、オールグレンが嫌味をこめて勝元に言葉を返した。勝元は「よく言う」と言った風に口の端を持ち上げてははと笑った。
「それは光栄だな。」
 そして長い廊下をゆっくりとこちらに向かってくる。
「さて、今日は何を喋ってみる?」
 勝元の長身はオールグレンの頭上をかるく凌駕していた。大きく光る瞳がこちらの表情を伺う。
「それとも・・・、やはり瞑想か?」
「・・・No. Actually, I would like to ask you something. I am really thinking of doing meditation, though..」(座禅もしたかったんだが、ちょっと聞きたいことがあったんだ)
 やはりそうか、と自分の予想が当たっていたことに可笑しかったのか、勝元は笑いながらオールグレンを見下ろしてみせた。「ちゃんと話を聞け」と言うようにオールグレンが勝元を睨むと、勝元は少し真顔に戻って続きを促した。
「言ってみろ。」
 オールグレンは一度言おうとした言葉を途中で躊躇したように飲み込んだ。しかしやはり声にだした。
「…It's bout Ujio.」(氏尾のことだ)
 勝元が何を言っているのかわからない、とでも言いたげな顔をしていたので、
「You understand what I am saying?」
と聞いてみたが彼は、「言葉は理解できるが」と小首を傾げつつ言った。
「しかし、お前の言っている意味が掴めん。」
「what?」
「つまり、どうしてお前が氏尾のことで悩んでいるのかが、わからんということだ。」
 言いながら勝元は終始納得のいかない顔をしていた。
「あれの訓練の仕方は厳しいだろうが、それはお前にだけ厳しいのではない。弟子である飛源も、信忠でさえ毎日悲鳴をあげておる。それとも英語が通じないからもどかしいのか?」
「No….」
「では剣の指南を受けたくないか?」
「No.」
「じゃあ、何だという。」
 それではこちらがもどかしいぞ、と勝元は首を振り続けるオールグレンを見て腕を組んだ。
「はっきりしろ。」
「You forced Ujio to teach me the Japanese sword?」(お前が氏尾に、俺に剣の指導をしろと強要しているのか?)
「どういうことだ。」
 訝しげに聞き返した勝元を前にオールグレンは言いよどんだが、それでもすぐに返答した。
「He seems doesn't want to train me very much, doesn't he? I can't stand that makes him so annoyed anymore.」(俺の訓練をすることをひどく嫌がっているんだろう?俺のせいで彼がこれ以上気分を害すことを避けたいんだ)
 オールグレンが勝元を見上げた。
「So that is why he came here and talked about it with you, right? 」(だから、今日お前と氏尾はここで会って、その話をしていたんだろ?)
 勝元は、悲壮な顔をしてこちらを見てくる灰色の眼を見返し、それからすぐに吹き出して大笑いをはじめた。その様子を見て、オールグレンはむっとした顔をする。
「What are you doing!?」
「ああ、すまん。お前のあまりの自意識過剰さ加減に笑いが止まらんのだ。」
 それ褒めてないよな、とオールグレンは口を尖らせたが、そんな彼にはお構いなく尚も肩を震わせながら、勝元は縁側へと下りた。
 ひとしきり笑った後、勝元は改めてオールグレンへと顔を向ける。
「ひとつ、氏尾のことでお前に言っておくことがある。」
 優しく、しかし力強い眼光がオールグレンを見据える。
「あれは、人一倍頑固者だ。自分にも人にもとかく厳しいし、融通もきかん。」
 見りゃ分かるぞそんなこと、とでも言いたそうにオールグレンがこっちを見返すのを確認してから勝元は言葉を続ける。
「今日、氏尾と剣の勝負をしたな?」
「We used bamboo sword.」(竹の刀だったけどな)
「初めて引き分けたと聞いたぞ。」
「Finally….Yes.」(最後だけだ)
 言いながら頷いたが、少し間があってオールグレンは、はっとしたように「Wait」と目を見開いた。
「but, Why did you realize that story?」(けど、なんでお前がその事を知ってるんだ?)
 まったくわけがわからんと言わんばかりの表情のオールグレンに、勝元がにやりとした。
「別件であれはここに来ていたのだが、最後に少しだけお前のことを言っていたぞ。蛮人にしては筋がいい、とな。」
 一瞬、石を飲み込んだような感覚になったが、すぐに持ち直してオールグレンは「は?」と聞きなおした。
「お前が毎夜に型の練習をしていることも、気付いている風だった。あれは滅多に人を褒めんからな。全く、こっちが拍子抜けをくらったわ。」
 からからと笑う勝元。
「But I have never talked with him, even in a short time.」(けど、俺彼とただの一度も話したことがないんだぞ?)
 食い下がるオールグレンを横目に勝元は彼の台詞を一蹴した。
「見ててわからんのか?あれ自身、あまり人と喋ることをせん。元来物静かな奴だ。愛憎の別で口をきかないような懐の狭い人間ではない。」
 それに、と勝元は横目でオールグレンを見る。
「話し合ってみたいのなら、お前のほうから会話を持ちかければよい。腹に一物持つものがあるなら、それを吐けば良い。わしやたかにしたように、氏尾と向き合えばよいであろう。それとも、お前はあれの気迫に気圧されしているのか?」
 そう言われて否と言えない自分がいた。胸のしこりの因が自分にあったかもしれないことに今更ながら気付かされる。逃げている、と思われても仕方のないこと。
 自嘲気味に俯いたオールグレンの横顔から一時目を外にやり、勝元は息をついた。
「人の一生というのは、かくも僅かで儚い。それはさながら春の桜花のごとくだ。その短い時間の中で己が出会える人の数など、たかが知れているとは思わんか。その数少ない機会の中、わしはお前に会った。これを天命と言わずして何と言える?」
 伏せていた瞼が俄かに光を浴びた感覚に、オールグレンは襲われた。
「お前がこの地でわしと出会うたこと、信忠、飛源、孫次郎、たかに出会うたこと、氏尾に出会うたこと。これはけして偶然ではない。全て必然のことなのだ。」
 境内の外で木々が風にあおられ、ざわめく音が聞こえた。
「この世の中に、重要でない出会いなどないとは思わぬか?たとえそれが敵同士であったとしても、わしはお前と対峙した事を、ただの一度も後悔しておらん。」
 この男の眼差しの光はいつの時も、真っ直ぐ人の内を映し出す。オールグレンにはそう思えた。
「Why?」(何故そうと言いきれる?)
 顔を上げこちらを見たオールグレンに、勝元は当然のように言い切った。
「That is my destiny.」(それが、わしの運命だからな)


「父上。」
 寺にやってきた信忠が、読経を終えた勝元に声をかけた。数珠を袂にしまって、勝元は息子に応えた。
「明後日の宴の件、承諾してもらえましたか?」
「まったく。わしに道化をやれとはよく言ったものよ。どうせ中尾あたりが仕掛け人であろう?」
 信忠は楽しそうに笑うと「よくおわかりですね」と頷いた。
「舞台も明日中には仕上がるでしょう。氏尾さんは、もう戻られましたか?」
「ああ。もしもの時のために見張りをたてると言った。お前が認めていることなら問題ない。」
「はい。昨日のうちに私のところにも申し出がありました。警護は当然のことですし、もとより氏尾さんの提案に否という理由はありません。父上のことを一番心配されているのは、あの方ですからね。」
 幼少の頃から剣の師匠として慕ってきた者への絶対の信頼。そしてそれに対する誇りが、息子の顔にありありと見て取れた。
「お主は、何かにつけて氏尾贔屓のところがあるな。」
「・・・お言葉ですが、それは父上も同じではないですか。」
 静かに笑う信忠に「そうかもしれん」と苦笑して、勝元は床に置いていた脇差をおもむろに腰に差して立ち上がった。
「演目は今宵皆を呼んで決めたいと思っています。・・・・ところで父上、アルグレンさんを見かけられませんでしたか?先程飛源に会いまして、探していたようなのですが。」
「ああ、あいつならついさっきまでここにおったが、すぐに飛び出していきおった。」
「そうですか・・・」
 息をついて頷く信忠を見て、勝元は笑いを押し殺したようにまた口をくいと上げた。
「まあ、行先はわからんでもないがな。」
 父の何か含んだような言い様に、信忠は「え?」と聞き返して首を傾げた。


 丘の上に立つと、風を纏う感じを得られた。ここから見渡す畦道や田畑、山の尾根や川のゆらめきが、束の間の安息を与えてくれる。こうして景色を眺めることがいつまでできるだろうか、とふと思うことがある。
 歴史が動いている。変革の波は今までの常識をひっくり返すような大きなものだ、と主は言っていた。
 何が正しく、何が間違っているのか、果たして誰が決めることができるのか。帝か、元老院に巣くう西洋に身売りした愚者共かそれとも・・・我等の殿なのか。
 目前に広がる風景は、あまりにも秀麗で眩しく、自分の空虚に澱んだ情緒に、より深い影を落としているかのように感じられた。それを振り払うように氏尾は踵を返す。
 ふと前方を見据えれば、道の先にこちらへ向かってくる、茶髪の蛮人がいた。後ろにはいつものように老侍がついている。
 オールグレンは、互いの間合いぎりぎりの距離で立ち止まった。氏尾は自然と刀の柄を親指と人差し指で軽く握った。
 弱い風が吹き、黙って向き合う二人の足元の草をさらさらと順に撫でていく。氏尾の刀から、手がゆっくりと離れた。そしてオールグレンから目を離し、その横を無言で通り過ぎる。氏尾の袴が、オールグレンのすぐ横でさらり、と音をたてた。オールグレンの瞳が追う。そして。
「シツレイ。」
 ひどく重い音調になった。しかし、氏尾を呼び止めるには十分の大きさだった。氏尾が背を翻し、こちらをみた。その鋭利な眼差しに、オールグレンは一瞬ひるんだが、それでも背筋を伸ばして続けた。
「ソコノ、ケシキ、キレイデシタカ?」
 眉をひそめる氏尾を見て、オールグレンはひろがっていた氏尾との間隔を詰めるため一歩丘を下った。
「イツモ、ココニ、キテイマス。トテモ、キレイデス。」
 何も言わずに、じっとこちらを見つめられる。オールグレンはまた一歩氏尾に歩み寄った。
「ウジオ、イツモ、キテイマシタ。」
いつも、来ていた、だと?氏尾の首がそう言っているように訝しげに揺れた。
 氏尾の表情に、オールグレンは何故か少し気持ちが緩んだような気がした。日本政府の「雇われガイジン」として海を渡り、数奇な巡り合わせでこの村にやってきた。侍一派の捕虜となってから、いやもっとずっと前、アメリカ本土での戦争で大量虐殺に加担した時から、すっかり自分は自暴自棄になり、何をするにも気力を失い、流されるまま受動的にやり過ごしてきた。しかし、ここにいる人々は全てにおいて、自分と違っていた。子どもも大人もその日の最善をつくすため精進を重ねる。明日が来るという保障はない。皆一日一日を大切にし、妥協をすることをしない。人には畏敬の念を持って接し、礼を重んじる。勝元と話す時、あいつはいつも自分からこちらに笑いかけてくる。勝元なりの気の使い方なのか、単に自分が異国の者だから好奇だっただけなのか定かではないが、それでも自分は知らず知らずの内にその顔に助けられていた。自分の世界だけでものをみていた自分に、ここの生活は、相手の事を考える余裕や気持ちに気付かせてくれた。自分だけで何をしてきたわけじゃない。自分の知らないところで、誰かに見てもらい、支えられ、そして救われていた。
 しかし、もうそれでは通らない。今度は、こちらが近づく番だ。もしも、自分が本当にこの目の前の人間と向き合いたいのなら。剣を交えてわかったことがある。この侍には護りたいと思うものがある。命と引き換えても構わない程の。だからこそ、敵意を殺そうとしない。敵を忘れぬように在る。それはけして憎しみではない。もっと違う、何か。
「ワタシ、イツモ、キテイマシタ。ソノトキ、アナタヲ、ミタ。」
 鋭く尖らせた氏尾の目が、少し和らいだように見えた。
「ココラカのケシキは、スキデスカ?」

 穏やかな風が通り過ぎていく。黙したまま、氏尾は次の句を出せずにいるオールグレンを見た。
 馴れ合いはしない。あれは敵だった。今もそうだ。しかし、戸惑いながらも笑みを向ける目の前の相手を、無下にする気にどうしてもなれずにいる自分がいた。あれは囚われの身で村に連れて来られ、少しずつ村に溶け込みだした。村の子と戯れ、主やその息子に言葉を習い、加えてこの自分から剣の指南を受けている。
「あやつは、わしらと同じものを持っておる気がする。」
 主は確信めいた様子でそう言っていた。
「あやつなりに、考えるところがあるのだろう。納得するまでここにおればよいと思っている。」
 最初のうちなら、物言いの一つもしていただろう。だからこそ、今の主の言葉に、黙して容認した自分自身に内心驚いていた。もしかすると気が付かぬうちに自身もあの蛮人の中に、己と同じ臭いをかいだからなのかもしれない。あれと二人、竹刀で向き合っている光景を思い出すと、らしくない自分を見ているようで苦笑せざるを得ない。
 オールグレンは黙ったままの氏尾の動向を窺っていた。しかし当の相手は、その後結局何も言わずにまたくるりと背を向けて、丘を下っていった。老侍が、通り過ぎる彼に向かって礼をしているのが見えた。後姿がたちまち遠のく。
 オールグレンは急いでもう一歩前に進み出た。
「ウジオ。」
そして彼の名を大きく呼ぶ。
「ワタシ、ココカラノケシキ、スキデス。」
 程なくして、氏尾はもう一度振り返った。目は真っ直ぐにオールグレンを睨んでいる。
「気安く何度も人の名を呼ぶな!」
 どうしたものかと思案したオールグレンの表情がたちまち動く。そして大きく目を開いて眼前の相手を見た。氏尾は睨んだ目を、迷惑とも困惑ともとれる面持ちへと変えていた。
 あれ?
 オールグレンは氏尾をじっと見つめた。戸惑ったように口を噤む氏尾の表情は、いつもの厳しい顔にはない、ある種の新鮮さをオールグレンに与えていた。自然そのまま彼から目を離せなくなる。二人の間を再び沈黙が包む。
 それを破って氏尾は自分を凝視してくるオールグレンの瞳を引き剥がすかのように一喝した。
「人の顔をじろじろ見るものではない。無礼だぞ。」
 言われてオールグレンは、はたと我に帰ったように氏尾をしばし見つめ、口元に悪戯っぽい笑みを微かに浮かべた。それからすぐに姿勢をすっと正して、深く一礼した。
「シツレイ。」
 オールグレンが頭を上げると、氏尾は肩越しに頷くように小さく礼をした。まるでオールグレンが顔を上げてこちらに目をやるのを待っていたかのように。
 目は合わずとも、「蛮人」に対する彼なりの敬意を表してくれた。いや、蛮人ではなく確かに彼は自分を一人の人として見てくれている。少なくとも、剣の指南を受けている時、そして今の瞬間は。どうしてなのか?
 オールグレンは前を見据えたまま立ち尽くす。ふと勝元の言った言葉が頭をよぎる。
「They say there is a once in a lifetime chance even among the enemies.」
 その瞬間、今まで自分の心の内にあった何かがす、と解けたような気がした。
「その日の出会いは一生にただ一度だけのもの。たとえそれが敵であったとしても、その重きは変わらぬものよ。」
「一期一会」か。良い言葉だ。
 オールグレンは一人呟いて、息をふう、と一つついた。そして後ろを振り返る。
「ボブ、帰ろう。」
 呼ばれた老侍の後ろには、夕陽で紅に染まる吉野の山々が遠くまで続いていた。

***

「よぉ、やけに楽しそうだな。何かあったのか?」
 丘を下りてくる氏尾の姿が見えて、中尾が呼び止める。
「良い女子でも見かけたか?」
 木槍を肩に引っ掛け、中尾は悪びれも無く大きな体を丸めて氏尾の顔を覗き込んだ。氏尾はそんな彼をちらりと見て、ふいと顔を背けた。
「別に何もない。」
 言いながら、そんなに軟弱な面をしているのか、と氏尾は急いで口をいつもよりきつく結んだ。そして、「お、もしやまことに好いた女でも」と尚もはやし立てる中尾を適当にあしらいつつ、頭上に広がる「キレイな」夕空を仰ぐのだった。


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方野の感謝の言葉 / 玉緒様から「ラストサムライ」です。映画を見て泣いたときの気持ちをひしひしと思い出します。出てくる人たち皆がとても好きです(ちなみに私はオールグレンファン)。玉緒様、素敵なお話をどうもありがとうございました!!