ブレア戦記   「赤の異邦人」





第一章


 幼い頃に夢見た雪のない場所での暮らしは慣れてみると、もうあの頃胸が焦がれるほど欲しがっていたのと同じものだとはとても信じられなくなってしまった。

 一つ山を越えて南にあるというそのことだけでこんなにも違うものなのかと、あの時たしかに思ったことは今でも覚えている。ただその実感がない。慣れすぎて、それが当たり前になるとそれ以前のことはどうしても遠くなる。彼と彼の同胞たちが暮らしていた、彼以外は今でも暮らし続けている北方の地。ここもより南の、たとえばステルスやメルセスといった国々と比べると十分に寒い国だと言われるが、とても故郷とは比べられない。年中雪に閉ざされた空には太陽も月も見たことはない。青空も雨もここへ来て初めて知った。あの頃知っていたのは雪を降らす、どこまでも続く真っ白な空だけだった。

 ここでは息を吐いても、口の中は凍らない。

 春には花が咲き、新芽が息吹く。

 短い夏がある。
 
 久しぶりに故郷の夢を見て目覚めた朝にハビアは目を開けたものの起き上がる気になれず、どうしようかとしばらく横になったままで身じろぎもせずに考えた。

 このままもう少し寝ていられればいい。だが今日は朝一番に王宮へ来るようにとの命令を受けている。既に窓から差し込む陽射しはそう弱くはないものになっており、そろそろ起きなければ遅れてしまうだろう。

(遅れたってかまわないさ)

 ほんの一瞬、そう思ったがすぐに考え直した。

 もう慣れたとはいえ、同僚に嫌な顔をされるのも厭味を言われるのもできれば避けたい事態には違いない。顔を洗って素早く身支度を整えると朝食はとらずに屋敷を出た。今日こそは最後にならなければよいがと思ってそうしたのだが、結局王宮に着いたとき、いつものように他の三人が揃っているのを見てハビアは後悔した。こんなことならゆっくり食べてくればよかった。

「相変わらずで、いやになる」

 控えの間でひとり椅子に腰かけ、独り言と聞き流すには大きすぎる声で言ったのはダーミス将軍。彼はまっすぐ睨みつけるような鋭い眼差しでハビアを見ると、念を押すように「おまえのことだ、もちろん」と付け加えた。やれやれと思いながらハビアは愛想笑いを浮かべた。

「わかってますよ」

「わかってるならどうしてもっと早く来ない。知ってるのか? 貴様の家は俺のところより近いんだぞ」

「しかし将軍は馬でしょう。私は徒歩なんです」

「うるさい! そんなのが理由になるか!」

 ダーミスはいらいらと卓子に拳を叩きつけた。ハビアは曖昧に笑って視線を流す。何かと言えば怒鳴ってすませようとするこの男の声は普段ならばさほど気にならないが、今日のように故郷の夢を見て目覚めた日にはあまり聞きたいものではない。

 どうせ早く来たからといって四人が全員揃うまでここで待つだけではないか。ならば一番最後のほうがいい。内心でそう言い訳しながらハビアは残る二人の同僚に視線をやった。

 二人ともダーミスの怒鳴り声など聞こえてもいない様子で無関係を決め込んでいる。互いに少しずつ距離をとり離れて立っている様子にいつもながらよそよそしさを感じた。同じ国のために働く将軍でありながら一致団結などという精神とは程遠い。国民がこれを知ったら嘆くだろう。とはいえ、ハビアはわが身を省みても決して誇れる行いはしていないので何を言う資格もない。

 そのうちに王の使いがやってきて四人を王の間へと促した。

 王の前で一斉に片膝をついて頭を下げる。「顔を上げろ」との王の声がわずかに笑いを含んだものであるような気がしてハビアは不審に思いながら顔を上げた。十八という年齢よりもさらに幼く見える童顔をした少年王は、ハビアの予想通りにやにや笑いながら四人を見下ろしていた。

「俺はいいことを考えたぞ。いい加減守るだけの戦争にはうんざりだ。ひきもきらずちっとも懲りることがない。どうせやるなら徹底的に潰したい。どうだ、そうは思わないか?」

「はっ、もちろん、それは我らが願いでもありますけれど……」

 こういうとき真っ先に口を開くのは筆頭将軍のダーミスと暗黙のうちに決まっている。このときも彼は突然の王の言葉に困惑を隠し切れぬ様子で眉を寄せたが、その心を探るような慎重な目をして答えた。(我らが?)それはあなただけだ、と思いながらハビアは口を噤んだままでいた。彼は戦争など望まない。いや、他の二人はどうだか知らないが。

「だがこの国は弱いな?」

 続く王の言葉にダーミスは返答しなかった。できなかったのだ。ハビアがちらりと横目に窺ったその顔は一瞬で驚きから怒りを含んだものに変わる。自国の王が自ら国を貶める、そうしたことをこの男は最も好まない。

「ああ、悪い。おまえたちは強い。だがブレアは己だけで他国を完膚なきまでに叩きのめすほどの力はない。二度と侵略しようなどとは思わないほどにな。否定しないな?」

 ダーミスはまっすぐに王の顔を見返すことで返答にかえた。

 王はほっそりとした長い指で顎を支え、視線を順に四人の将軍たちに向ける。ダーミス、ハビア、ホルツ、ギルシュとそれぞれを値踏みするように見つめたあとで、最後にまたちらりとハビアを見た。それはほんの一瞬の視線に過ぎなかったから他の三人は気づかなかったかもしれないが、当のハビアだけはただの気まぐれとは違う意思をその中に感じて嫌な予感がした。数ヶ月前に即位したばかりの王、威勢のよいだけの少年というそれまでの印象は即位によって完全に覆された。彼は得体が知れない。正直気味が悪かった。もっともこれはハビアがただ己の心のみに留めていることで、誰にも言ったことはない。ダーミスは王のいない場所では彼を軽んじるようなこともたびたび口にしているし、彼のことをまだ子供だと考えている風なのは明らかだ。他の二人はといえば、世間話をするほど親しいわけでなく、またダーミスほどおしゃべりでもないために彼らが現王をどう考えているのかなど知る術はない。

「ブレアは同盟を結ぶぞ」

 ハビアはその言葉に耳を疑った。

(同盟?)

 まさか、と思った。ブレアは小国ながら建国以来一度も他国の属国となることもそれに近い意味としての同盟を組むこともなく独立を勝ち取ってきたことを誇りとする国だ。そのブレアが今、過去に例を見ぬほど危機的状況に陥っているわけでもないのに他国と組むとは考えられない。

「どの国とです」

 ホルツ将軍の問いに王は笑いながら首を振った。

「まだ決めていない。おまえたちはどこがいいと思う。ああ、ステルスは駄目だぞ。当たり前だがな。あそこは一番最初に叩く国だ。候補はメルセス、バーリー、少し遠いがヴァリエー……」

「反対です!」

 王の言葉を遮るようにダーミスが叫んだ。

 青い瞳をいっぱいに見開き今にもつかみかからんばかりに身を乗り出して続ける。

「王はブレアを属国となさるおつもりか! メルセス、バーリー、ヴァリエー? いずれもかつて我が国を狙って戦を仕掛けてきた国ばかり。そんな奴らと手を組んだが最後この国は終わりです。そんなこともおわかりにならないとは」

「無礼だな、ダーミス。正直に言ったらどうだ。いずれもブレアとは比べ物にならぬ大国ばかり。そんな国と組んだらブレアが飲み込まれるに違いないと。そう言いたいんだろう」

 からかいを含んだ王の言葉にダーミスは顔を真っ赤にして射殺すような激しい目を王に向けた。しかしその視線の強さにも少年王はいささかもたじろぐことなく、涼しい顔をして臣下を見下ろしている。

 メルセス、バーリー、ヴァリエー、いずれ劣らぬ大国の名をハビアは頭の中で繰り返す。同盟を結ぶなら、どこがいい。

「だから俺はお前たちに意見を聞いている。考えろ、どの国ならばブレアを対等に同盟国として扱うか。この国に不要な野心を持たないか。ブレアに戦争を仕掛けたメルセスの国王はもう二代前だぞ、ダーミス。ヴァリエーも五年も前に代替わりした。だから、考えろ。冷静な頭を持て。どの国ならば信用できるか、ブレアを賭けられるか。――明日また会おう」

 すっと立ち上がった背はまっすぐに伸び、成長しきれていないような細長い手足はすらりとしてしなやかだった。頭を下げて見送るふりをしながらハビアはそっと顔を上げて王の姿を盗み見る。得体が知れないと思う心の隅で、この王こそはブレアを変える者だと彼は感じていた。ただ自国の領土を守り続けるだけだったブレアが立ち上がる。それはたしかに大きな変化の前触れなのだ。

「くそったれ!」

 王の姿が消えてすぐ、大きな深呼吸のあとダーミス将軍が大声で叫んで床を踏み鳴らした。

「考える余地などないわ! ブレアはどことも手を組まぬ」

 続けてこんなことならバーゼルに戻ってくるのではなかったと頭を掻き毟った。叩き上げで筆頭将軍まで上り詰めた彼は生粋の軍人だ。他国と交戦中は最前線に出ているのが常だったが、戦争状態にあったステルスとは先日臨時の休戦協定を結んだばかりで、兵はそのまま国境に残し、将軍だけ首都に戻ってきている。

「孤立という選択肢は陛下の頭にはないようだ」

「ホルツ! 貴様!」

「私は見たままを言ったまで。――お先に失礼する」

 馬鹿にしたようなホルツ将軍の言葉にダーミスは肩を震わせたが、彼が不愉快な微笑を残してその場を立ち去ると怒りの行き場がなくなったのか、腹いせのように冷たい石の壁を蹴りつけ、盛大に舌打ちした。

「どいつもこいつも頭おかしいんじゃねぇのか! 俺は帰る!」

 怒鳴りながら大きく肩をそびやかして賑やかに出口へと向かう。

 子供のような人だな、とハビアはふとそう思い、すぐに(あのごつい男に対して抱くにはかわいらしすぎる感想だ)と考え直した。しかし裏表がなく感情表現が極めてわかりやすいああした男のことを彼は嫌いではない。相手からはいい加減な性格を嫌われているが、彼のほうは嫌っていない。自分を除く三人の将軍たちの中で一番付き合いやすい、理解しやすい男だとむしろ好感すら抱いている。

 ちらりと残った同僚のほうを窺う。
 
 ロイ・ギルシュは二人が去った後もその場を動かず、立ち尽くしたまま何かを考えているように見えた。

 すっきりとしたその横顔は精悍で、ダーミスとはまた別の意味での力強さを感じさせる。服の上からでもわかる鍛えられた肉体は、剣技においてはブレア一、との彼の評判をなるほどと頷かせるものがあった。常勝将軍と謳われながらもステルスとの戦いで命を落とした父親に代わり、最年少で将軍位についたのが二年前。若いながらも礼儀正しく聡明な目をした青年だったが、出会ったときから今にいたるまで彼と本音の話をしたことは一度もないように思う。それはハビア自身が人に深入りするのを避けているせいかもしれない。

「明日もまた遅れてやってきたりしたらダーミス将軍がさぞ怒り狂うことでしょうね」

 その真面目な顔を見ているとなぜか言葉を交わしてみたいような気になって話しかけると、ギルシュはわずかに驚いたように目を瞠ったあと、「今日は早くお休みください」と微笑みながら答えた。

「ご存じですか。我々が集まるときはいつも、一番早く来られるのはダーミス将軍なのですよ」

 本人には皮肉を口にしたつもりなど微塵もないのだろうが、いつも一番最後に姿を見せるハビアとしては耳に痛いものがあった。善処しますと答えてその場を離れたが、実際のところ明日もきっとまた遅刻するのだろうな、とまるで他人事のようにそう思った。




 ハビアの住む屋敷はダーミスの言ったとおり王宮から程近いところにある、古いが由緒正しい貴族の住まいだった。

 前の主がいた頃はグリエ子爵邸と呼ばれたそこは、今はただパブロン将軍の屋敷といわれる。ハビアにすべてを与えた男が死んでからはずっとそうだ。四十を過ぎても独身だった彼には財産を分け与えるべき妻も子もおらず、いつの間に用意していたのか死後に開封された遺言には、すべてをハビア・パブロンに譲るとのみ淡白に書かれてあった。

 すべてを――それは前任者の指名で決まる将軍位であり、広大な屋敷と庭であり、人々の信頼と好意であり、そしてハビアの居場所だった。一度離れた故郷に戻ることも考えたがそうしなかったのは、思い出にするには近すぎたグリエとの日々のためだったのかもしれない。あるいはこの国に訪れる短いが眩しい夏だとか、ひっそりと咲く花だとか、柔らかく耳を打つ静かな雨の音だとかそういった他愛もない、だが故郷には存在しなかった多くのものの。

「お帰りなさいませ、ハビア様」

 白髪をきれいに撫でつけた老執事のクレールが、いつものようにそつのない身のこなしでハビアを出迎えた。年老いてもなお背筋は真っ直ぐに伸び、その背丈はハビアとさほど変わらない。

「ただいま。――ああ、そうだクレール。考えたいことがあるからしばらく部屋には誰にも入れないでほしいんだが」

「承知いたしました」

「頼むよ」

 クレールはグリエの親の代からこの屋敷にいると聞いている。子爵家に仕えることを誇りとしていたに違いない彼が、今どういう気持ちで自分に仕えているのかなどハビアにはわからなかった。決して無理強いしているつもりはないし、やめるなら今までの働きに見合うだけの、これから先遊んで暮らせるくらいの給金は払うと言ったのだが、彼はそっけなく「もしお嫌でなければこのままここにいさせていただきたく存じます」と答えてその言葉どおり執事を続けている。

 ――グリエはもう死んだ。

 二階の自室への階段を上りながら、心の中でそっとクレールに向けて呟いた。グリエは五年も前に死んだのだ。お前が義理立てすべき相手はもうどこにもいない。本意のはずがない異国の人間へ仕えることなどやめて、心のままに穏やかに一生を過ごすがいい。

(それともお前が離れられないのはこの屋敷か)

 前当主の思い出が染み込んだ、消しようにもその術がない幻のために彼はここにいるのか。彼や、グリエを忘れられないその他の使用人たちを真に自由にしてやるためには、ハビアがここを出て行かなければならないのだろうか。

 自室に入って鍵をかけ、見慣れた調度を意識して見回してみると不思議に、まるでまったく知らない部屋に突然放り込まれたような気分になって戸惑った。初めてこの屋敷にやってきたときのようだ。なんて広い、豪奢なつくりの屋敷なのかと、それまで故郷の装飾性の欠片もない、ただ寒さに耐えることのみを目的として作られた無骨な住居しか知らなかったハビアは、初めてこれが文化というものなのかと感嘆した。ただ生きるためだけならば何の必要もない、けれど美しい。それが恵まれた者のみが持つことを許される文化なのだと。

 広いベッドに寝転がり、いくらもたたないうちに寝息をたて始めたグリエのそばで、どうしてよいかわからず立ち尽くしていたあの頃のことを思い出す。故郷を離れやってきた街の中でひとり、ハビアはどうしようもなく心細かった。この部屋の何もかもが自分とはあまりに違う世界のもののように思えた。なのに不思議なものだ。十三年経った今、ハビアはまるで当然のようにこの部屋に住まい、我が物顔に屋敷内を闊歩し、尊い血筋の貴族たちと対等に口をきく。恩人のものをことごとく奪い、平然と生きている。

(とんだ恥知らずだ)

 ベッドに腰を下ろしてわずかに自嘲した。だが今はまだ、この屋敷から離れたくない。そしてここに居続けるために、自分にできることは最大限の力を尽くしてなさねばならない。

「メルセス、ヴァリエー、バーリー……」

 声に出して呟くと、王の言葉が同時に頭の中に蘇ってくる。

 若き彼らの王は幼さゆえの無謀さか、あるいは真に歴史を変える者が持つ特異な世界観によってか、ブレアを今までとはまったく異なる立場へ導こうとしている。ハビアの役目はその正誤を問うことではなく、王の考えを具体的な形にして示すこと。彼らがいくつもの選択肢を王に提示し、王が最終的な判断をくだす。それが上に立つということだ。たった一つの答えを選び取ることが。

 メルセスは大陸の東方に位置し、商業の最も盛んな華やかで明るい大国である。その歴史に敗北という文字はない。かつて一度だけブレアに戦争を仕掛けてきたことがあるが、北方での戦いが困難であることを知るとあっさりと兵をひき、以後一度もちょっかいをかけてきたことはない。戦争で得る利益よりも無駄に失うもののほうが多いことを知ったのだろう。民族的に好戦的な隣国ステルスやシュスのために数十年に一度は必ず何かの争いに巻き込まれるが、メルセスは決して争いの中心には立たず、自らの損失を最低限に押さえてきた国だ。その姿勢を臆病という者もいるがメルセスが大陸中で最も繁栄を謳歌している国家であることには疑いがない。

 西の大国バーリーは農業国で、大陸一長い歴史を持つ国である。バーリー民族が国民の大多数を占める一民族国家であり、そのため多分に閉鎖的ではあるものの、その性は基本的に温厚、争いを好まない。ただし愛国心がずば抜けて強い国民性を持つため、侮辱に対しては甚だ敏感である。故なくして他国の侵攻を受けることなどがもしあれば決して容赦しない。徹底的な勝利を収めるまで戦い続ける。かつて国史上最も評判の悪いゼヒル王の治世でブレアに手を出してきたが、戦争が本格的になる前に国民と貴族たちが力を合わせて王を除き、和平を結んだ。それ以来国王の世襲制を廃止し、名門貴族たちの投票によって王を選ぶ選王制へと移行。近年では君主制色がより薄まり、なかば共和制国家となりつつある。

 対するヴァリエーは上記の国々との間にいくつかの小中国家を挟んだ南方にある、極めて王権の強い国である。貴族は存在せず、ただ一人の王と多数の国民のみがいる。王の言葉は絶対で、国民はそれに反対の意見を述べることは許されない。王が変わるたびがらりと政策が変わる国として有名である。しかし徹底した英才教育の故か歴代優れた国王が多く、そのためいまや大陸を代表する四大国家の一つに数えられるほどの大国となった。現国王はソーン・ハイリー。三十代半ばにして歴代随一の呼び名も高い切れ者である。

 王自らが決して手を結ばないと断言したステルスは、ブレアにとって常に頭を悩ませられる敵だった。ブレアに対する征服心が代々異常に強いのだ。もはや国を挙げての妄執とも呼ぶべきものになっている。いまや国王だけでなく国民も、いつまでも抵抗を続け支配下に下らないブレアに対する憎しみを募らせている。合理的な判断をしない国家ほど相手にして厄介なものはない。ステルスを徹底的に叩くべきだという意見には全面的にハビアも賛成だった。

 しかしそのステルスを叩くため、どの国と同盟を結ぶべきかという問いにはすぐに答えは出なかった。メルセス、バーリー、ヴァリエーはいずれ劣らぬ大国であり、どの国を味方につけても心強いことは確かだ。問題は、それほどの大国が果たしてブレアという小国に過ぎぬ存在に同盟を結ぶほどの価値を感じるとはとても思えないことだった。

 ブレアの軍は決して弱くない。優秀な将軍に率いられる屈強な多くの兵士たち。人口に占める兵士の割合の高さは他国と比べ物にならない。だがそれでもブレアは弱い。圧倒的な人口の差を埋めることは容易ではない。今まで独立を保ってこられたのはひとえに地の利を生かした守りに徹してきたからで、それを一転、攻めに出るとなると今までのようにはいかないことはたやすく想像できた。

 ヴァリエーのハイリー国王は沈着冷静、自国の利益のためならいくらでも冷酷になれる男だと聞く。国民の意見など気にとめず思うままに政務を執るが、国民からの支持は絶大らしい。彼の行うことがすなわち国民の望むことだ。それだけの政治感覚と行動力を備えている。

 この時点でヴァリエーはすでにハビアの考える候補からは外れていた。ハイリーは決してブレアと同盟を組もうとはしないだろう。そんな馬鹿げた決断はしないはずだ。ヴァリエーはブレアともステルスとも国境を接していないし、南の唯一の大国として周辺国への支配力を強めつつある最中である。北の一小国と交わる必要などどこにもない。

 バーリーの現国王トラン・ウィル二世は高齢の王である。若いときから保守的で、領土を守り争いを起こさぬことだけに心を砕いてきたような人物だ。争いを好まぬバーリーらしく、次期国王に決定しているトーレン公爵も温和でおとなしげな好人物であるという。敵になることがないという意味ではヴァリエーよりもましだが、味方になる可能性はヴァリエーよりさらに低い。

 残る一つの国、メルセスの国王はクーリエ・クランハイム。二年前に代替わりしたばかりの若い王だが、即位以来聞こえてくる評判は正直あまり芳しくはない。国政を部下に任せてふらふら遊び歩いているらしい。ここしばらく平和な時代が続き他国と戦火を交えることがなかったために、その軍事力は未知数である。内政面でもこれといった政治的目標や国として進もうとしている方向性などはほとんど感じられない。近くにありながらよくわからない国だ、というのがハビアの本音だった。国王をはじめ国の中枢を担う貴族たちの権力は強いが、ヴァリエーのように国王が特別な存在であるというのとは違う。その証拠に支持率はたいてい五十パーセントを切っている。しかし国民の関心は政治よりも国の景気にあり、政治はただ商売を邪魔しない程度に平和を保ってくれればいいというくらいのものだった。

(メルセスか……)

 少なくとも他の二国に比べれば可能性が皆無でないだけ賭ける価値はあるのかもしれない。

 平和で豊かな、まるで神に愛されたような恵まれた国。自分がメルセスの王なら決してあの国を戦渦に巻き込もうとは思わない。自分がブレアの王だったとしても、おそらくあの国に触れようとは思うまい。平和に慣れた人々が戦争によって傷つくのを見るのは恐ろしい。人がどれだけ不幸せかを決めるのは彼らが味わった幸福の多寡による。凍えた土地に暮らし常に貧しく満たされることのない民にとっての戦争と、光溢れる暖かな国で飢えることも凍えることもなく穏やかに暮らしてきた民にとっての戦争とは違う。まったく違うのだ、とハビアは思った。その証拠に見るがいい。ブレアの民は戦争状態にあるときでも今のような停戦時でも変わらず日々を過ごしている。すぐそばで人が死に、自分や身近な人々が命を危険にさらしているというのにひどく静かに時を過ごす。それは決して強さではない。それは異常なことなのだ。そして、とても悲しいことだ。

(私はブレアを愛している)

 手の指を握りこんで、眼を閉じるといつでも彼がまだいるような気がしてしまう。

 彼は居場所を与えてくれた。ここはその彼の生まれた国。彼が生き、そしてそのために死んだ国。

 だからこの国を他のどこよりも愛している。

 たとえメルセスが神に愛された国であろうとも。


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あとがき / 1ヶ月以上無更新というのはあまりにもあれなので、過去に書いたものから無理やり更新です。無謀な挑戦であることは書き始めたときからわかっていたのですが、案の定途中で挫折し、それ以来続きを書いていない話です……ということは完結しないことを宣言しているようなものなのですが(殴)。それでも8章までは書きました。9章の途中で今止まっています。無茶な話でも完結できたら……いいなあ。