ブレア戦記   「赤の異邦人」





第ニ章


 翌朝、ギルシュの忠告を守って早めに眠りについたためかハビアは珍しく早く目を覚ました。目覚めて室内を夜のように暗く感じたのは随分久しぶりだ。それだけのことに子供のように嬉しい気分になって、今日こそは遅れまい、との強い決意のもとに彼は早々に身支度を整えて王宮へ向かった。これで今日はダーミスに悪く言われずにすむだろうと思うと心が軽くなるようだった。

 赤煉瓦で築かれたブレアの王宮は遠目でもはっきりとわかる壮麗な宮殿だった。雪の多い冬でも目立つようにと選ばれた赤が目に焼きつく。自分の赤毛はこれほどまでに派手なものなのかと思うと、ハビアはこの宮殿を見るたび内心何ともいえない嫌な気分になる。しかも長い時を経て大分変色している宮殿の煉瓦よりもさらに鮮やかな赤だからなお性質が悪い。

 良い意味で目立つのならば構わないが、こんな髪の色は悪目立ちするだけだ。ほとんど口を利いたことのない人間が自分のことを知っているのもこの髪のせいに違いない。

 門番はハビアの姿を見ると敬礼して道を開けた。貴族の中でも位が上の者と四人の将軍は自由に王宮に出入りできる権限をもっている。とはいえ王宮内をぶらぶら探索するような悪趣味でもなく、ハビアが訪れるのは専ら王を待つ控え室と王の間だけで、その他の部屋には行ったことがないし、興味もない。

 廊下に自らの靴音だけが甲高く響いた。この宮殿は普段無用心に思えるほどに人が少ない。護衛の兵はいるにはいるのだろうが、人目につくところにはほとんど現れないため存在を感じることは少ない。女官たちの数もさほど多くなく、いつ来ても閑散として静かだった。わざと大きな音をたてながら歩いてみても静けさは一層募るばかりだ。

 しかしその日はいつもと違い、控えの間へたどり着く前に意外な人間と行き違った。

 途中から混ざってきた靴音で誰かが近づいてくるのはわかったが、それが誰なのかまで知れたのは実際角を曲がって互いに顔を合わせたときだった。一礼して黙ったまま行き違おうかと思った。そうできなかったのは、相手のほうが足を止めてハビアに視線をくれたからだった。

「お久しぶりです、パビロン将軍」

「はい、ノヴィス殿下にはご機嫌麗しく」

 この男から声をかけてくるとは珍しいことがあるものだと思ったが、驚きは表情には出さず敬礼する。

 ノヴィス・アガスティ――現国王の実の兄であり、本来ならば国王を継ぐはずだった男は感情を抑えた静かな目でハビアを見、「相変わらず」と唇の端を上げて呟いた。

「美しい髪の色です。私はあなたの髪がとても好きなのです。ここしばらく戦争が続いたせいでお姿をお見かけせず残念に思っておりました。今日はお会いできて幸いです」

「それは……光栄です」

 その言葉が本気なのかどうか判断はつきかねた。ダーミスに言わせれば「根暗で何を考えているかわからない坊ちゃん」であるところの王兄は、口元だけでわずかに微笑むと軽く会釈してその場を離れた。線の細い女性的な容姿は優美だが頼りなげで、しなやかな若木のような国王とはあまり似ているとはいえなかった。ノヴィスは母親似なのだ。そして弟とは母が違う。

 彼と顔を合わせることはこれまでにも何度もあったが、先ほどのようなことを言われたのは初めてだったのでハビアは正直気味が悪かった。ノヴィスには自分が王になるはずだったとの思いが強いから、弟とその腹心の部下たちに向ける感情は極めて悪いものだと聞く。ならばその部下の最たるところであるハビアら四将軍に対する印象はさぞ悪いだろう。そうだとすると先ほどの言葉はただの皮肉か? ハビアの赤い髪とその持つ意味を蔑んで言ったのだろうか。

 赤い髪は異邦人の証。ハビアの同胞は国という形を持たず、一年中雪に閉ざされたところで生きる民だった。他国の者たちは彼らをブレアの一部だと認識しているが、それは正しくない。彼らは本来どこにも属さない。赤い髪と瞳を特徴とする、ごくわずかな少数民族。

 しかしノヴィスの態度はさほど悪意を感じるものでもなかったな、と冷静にそう判断し、ハビアはまた歩き出した。第一王子、その上最も血筋のよい正妃の子でありながら弟に王位をかっさらわれた人間の気分は、逆立ちしても彼にわかるはずもなかった。





 四人が入室したとき、若きファジー・アガスティ国王は春とはいえまだ雪の残る時季には不似合いなほど涼しげな格好で玉座に腰掛け、頬杖をついてあらぬ方向を見つめていた。無造作に足を投げ出したその様子はお世辞にも品があるとは言えない。四人に気づいていないはずもないのにそっぽを向いたまま何も言わない国王に、聞こえるのではないかとハビアが危惧するほど大きくダーミスが舌打ちした。

「ああ、すまないな。考え事をしていた」

 やはり聞こえていたらしい。ニヤニヤと楽しげに笑いながら彼はダーミスを見下ろした。自らの不敬をなんとも思っていないのか、ダーミスもとりたてて慌てるでも謝罪するでもなくただ不愉快そうに目を細めて王を見上げる。

「それで、考えてきたのだろうな。同盟を結ぶ相手はどこがいいか」

「ふさわしい国はありません。私は反対です」

 すぐさまダーミスが答えた。予想通りではあるものの、ハビアはその頭の固さにある意味での尊敬のようなものを覚える。愛国心は人一倍あるのだろうが、彼には自分の考えや行いがすなわち国のためになることだとでも思っているような図々しさがある。自分がよしとしないことは国にとっても良くないはずだと素直に信じられる信念の強さ。

 王は別に怒りもしなかった。ダーミスの性格はわかっているのだろう。軽く肩をすくめて「お前は?」と視線をダーミスの隣にいたギルシュへ向けた。

「レグホーン」と短く彼は答えた。

「ほう?」

「陛下の挙げられた国の中にはありませんでしたが、ステルスを倒すことを考えるのならレグホーンはぜひとも欲しい国です」

 レグホーンはブレアとステルスとの国境近くにある、大きな町のような小国だった。ステルスの領土内に飛び石のように存在する国でありながら、いまだかろうじて独立を保っているのは無駄な抵抗をせず、半ば属国としてステルスの下についているからだ。小高い丘陵になっていて攻めるには難しい地形のため、ステルスも無理に戦争をしかけて無駄な力を使うより従順な属国として存続を認めるほうがよいと考えたらしい。ブレアと似たような立場にいながら、レグホーンは事実上の独立を捨てて名目だけの存続を手に入れた。

 しかしステルスにとっては完全に我が物にする価値もない国であるとしても、ブレアにとっては別だ。レグホーンを手にできればステルスを攻める絶好の足場を得ることになる。国一つ、というより砦を一つ手に入れるのに近い。それもいくばくかはステルスに対して反感を抱いているはずの地を。

「それは同盟というより戦争だな。レグホーンは落としたほうがいいということだろう。いいだろう。お前に任せる。好きにやってみろ」

 戦争という王の言葉に反論するでもなく、ギルシュは頷いて一礼した。本気だろうか、と感情の見えないその横顔を見ながらハビアは訝った。ようやくステルスと休戦協定を結んだ今、レグホーンに手を出すことがどういう意味を持つかわからないはずはない。本気でまた戦争を始めるつもりなのだろうか。

(――いや、もちろん、本気か)

 突然頭の中の霧が晴れたように明確にそう意識した。彼らは本気でステルスとの戦争を望んでいるのだ。たとえそれが今まで幾度となくくり返されてきた侵略を徹底的にはねつけるためだとしても。

「パブロン」

 王がその声と目線で次はお前だとハビアを促した。彼は想像する。血に塗れるメルセスの兵士。愛する家族を失った人々の悲しみ。けれど実際に目の前に突きつけられてからでなければそんなもの本当にはわかりはしないのだ。

「僭越ながら、メルセスがいいのではないかと」

 答えた自分の声はいつもとは違う場所から聞こえてくるように感じられた。

 王は頬を撫で、「その理由は」と尋ねた。

「ステルスに対抗しうる大国の中、唯一出方が読めない国だからです。バーリーもヴァリエーも、たとえ同盟を申し入れたとしても拒否することは目に見えています。しかしメルセスはわからない。可能性は皆無ではありません。それが理由です」

 ただしその可能性は低いかもしれない。ただゼロではないというだけだった。

 こうして臣下の意見を聞きながらも、国王の頭の中にははっきりとした相手国があるはずだとハビアは思っていた。もしそれがメルセスでなく、ハビアの意見を一笑するのならばそれでもいい。決めるのは王であって彼ではない。

 しかし思わぬところから賛同する声があがり、ハビアは内心でひどく驚いた。

「私もパビロン将軍に賛成です。もし本気で同盟を考えていらっしゃるのなら相手はメルセス以外にない。メルセスのクーリエ国王は愚王として有名です。愚かな政策をとるという意味でなく、政に興味を示さないという意味で。しかしそれに不似合いなほどあの国の王権は強い」

 張り上げるでもないのによく透る響きの良い声。思わずハビアが視線を向けるとホルツは彼の顔をちらりと見たが、それだけで、何を考えているのかわからないいつもの取り澄ました顔は変わらなかった。

「いいだろう」

 国王は立ち上がり、溌剌とした大きな声で言った。己の若さと地位とを十分に自覚した者のみが持つ自信と誇りに満ちた、それは傲慢な声だった。

「ハビア・パブロン。お前に命じる」

 名指しされたハビアは咄嗟のことに返事をすることもかなわなかった。王は例の底の知れない柔和な笑みを浮かべ、ハビアをまっすぐに見下ろして宣告した。

「――お前は三日後、メルセスへ亡命する」





 夕暮れ時になってもなお残る雪に光が反射して赤く色づいている。

 この光の中ではだれもが赤い髪をした同胞たちであるかのように錯覚してしまう。彼らは群れることをしない民だった。血とは関係なく数人のグループを作って行動するが、それ以上に群れることを嫌う。階層を意識せず、グループの上にさらなる大きな集まりを求めようとはしなかった。共同体としての形を持たないが、かといって個が強いわけでもない。ここへ来て知り合った人々に比べれば風変わりな人間は少なかったように思う。皆同じように淡白で、時に荒々しく、あらゆるものに対して強靭だった。

 その中でハビアは異質な自分を常に意識していた。

 昼に出会って愛し合い、夕方には何の執着もなく別れられるその感情の薄さをどうしても理解することができなかった。

 たしかにあそこで生まれ育ち、そう短くはない年月を過ごした。かけがえのない大切な故郷であることに変わりはない。だがあの場所でハビアはいつも異邦人のように感じていた。だからこそグリエがブレアへ帰るとき、彼についてここへ来たのだ。ここならば何も考えなくてすむ。当然のようにハビアは異邦人だから、自分が何に違和感を感じるのかと考える必要がなくなる。

(まるで渡り鳥だな)

 極寒の地から南へ南へと移動していく我が身を思いながら苦笑した。

 メルセスへ行け、と王はハビアに命じた。しかも亡命者として。なぜ正式な使節としてではないのかと王に食ってかかったのはダーミスだった。同盟そのものに賛成していなかった彼ではあるが、真に王が決定を下すならば従うほかないことを知っている。それでも自らが理解できないことをそのまま黙っていることもできない男だった。

 ――正式に使者として行ったとする。

 立ち去りかけていた王は、わずかに不機嫌を滲ませた顔で言った。

 ――メルセスは選ぶ。ブレアと同盟を結ぶか、拒否するか。その拒否は中立を意味することができる。ブレアにもステルスにも関わらないという意思表明だ。しかしブレア四将軍の一角たるパブロンが亡命してきたとする。それが知れればステルスはメルセスに引渡しを要求するだろう。休戦中だろうがなんだろうがかまうものか。いつか再開されることはわかりきっているのだから四将軍の一人を始末できる機会を逃すわけがない。そしてブレアは静観する。その場合、メルセスは選ぶ。亡命者を受け入れるか、ステルスに引き渡すか。本国送還という選択肢もあるにはあるが、何の益もないその選択をするくらいならステルスに貸しを作れるほうを選ぶだろう。だから選択肢は二つ。亡命者をその敵国に明渡すという非人道的な選択をするか、それとも受け入れるか。そこで前者を選ぶようなら同盟を結ぶことは不可能だし意味もない。しかし後者を選ぶならば、メルセスは明確に反ステルスという立場をとることになる。たとえメルセスにその気がなくともあの愚かなステルス王はそう受け取る。そうなると、一国だけで戦うよりもブレアと組んだほうが少しはましだと考えるかもしれない。同盟ははるかに結びやすくなる。いずれを選ぶにしろ、結果がきわめてわかりやすい。

 王の理屈は明快だった。ただしよりわかりやすい方法は、より使者の身を危険にさらす。ステルスに引き渡され拷問の上死ぬか、あるいは同盟を結んで帰還するか。使者として選ばれたハビアの運命はそのどちらかだ。

(ああ、逃げ出すという手もあるか)

 一瞬浮かんだ考えを、すぐに打ち消した。いったいどこへ逃げる場所があるというのだ。バーリーもヴァリエーも面倒事には巻き込まれたくないだろう。ハビアが亡命を希望してもヴァリエー王は眉一つ動かさずステルスに引き渡すに違いない。バーリーならば国民会議にかけた後、さも苦渋に満ちた顔をしてこう言うだろう。――残念ながら貴殿の亡命は認められないという結論になりました。せめて本国まで無事にお送りいたしましょう。そして道中、密かにステルスへ引き渡すのだ。まるであたかもステルス兵と遭遇したのは偶然の不運な事故であったかのように。

 結局同じだと思い、不思議と怒りや悲しみは湧いてこなかった。王ははじめからハビアをメルセスへ向かわせるつもりだった。なぜ彼が選ばれたのかはわからない。最も適任と思ったからか、それとも最も惜しくないと思ったからか。いずれにしてもどうということはない。たとえ彼以外の誰が選ばれていたとしても、その者は死を覚悟してメルセスへ行くだろう。それが自分であってなぜ悪い。

 屋敷に戻ると執事のクレールが待っていて、彼は顔色も変えず出立の準備は既に皆に申し付けております、と告げた。ハビアが行くあてもなく外でぶらぶらしている間に王の使いが来たのだとそのときわかった。何のつもりだろう。ハビアが逃げ出さないよう見張れとでも言いつけたのだろうかと穿ったことを考えたが、すぐに馬鹿らしくなって心の中で笑った。王はそのような性格ではない。彼は逃げたいならば逃げろと言う。逃げることなど叶わないことを知っていて、それでもそう言うだろう。

「私が帰ってこなければいいと思っているか?」

 夕食の用意ができておりますと告げて立ち去ろうとしたクレールの背中に向かって呟いた。その呟きは小さすぎて聞こえなかったのか、クレールは振り返りもせずにその場を去った。

「グリエだったらお前は止めるのか」

 無駄だとわかっていてもなお行くなと言うだろうか。

 自分ならばどうしただろう。グリエは誰よりも気高く勇猛な将軍だった。危険を恐れることなど決してしなかった。指名されたのが他の誰であれ、自分が行くと言うような男だった。それは優しさとも強さとも違う、おそらく彼独特の義務感のようなものだっただろう。その彼に行くなと言うことが果たしてできただろうか。きっと自分ならば言わなかった。結論の変わらないことは口にする意味がないからだ。

 そう思うと、口元に笑みが浮かんだ。そう、自分ならば、止めなかった。

 けれどグリエならば止めただろうと思ったからだった。


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あとがき / 章が進むごとに無茶な設定が増えていくので心苦しいのですが、最初の内だけはさくさく更新。それにしても設定とストーリーはあらかじめ考えておいたほうがいいですね。見きり発車ばかりしている私は後から苦しむことになります。それにしてもこの話は登場人物が多いので、名前と性格を決めるのも覚えるのも(一貫させるのも)大変です。