7 杉田がホテルの部屋に帰ってきたのは、和がゆかりと別れてから二十分ほど過ぎてからのことだった。 彼の部屋の前で壁にもたれながら待っていたから、帰ってきた時間は正確だ。杉田は和の姿を見ると驚いた様子で近づいてきて、「どうしたんだ?」といつものようにまるで何もなかったかのように問いかけた。和は肩をすくめた。 「よけいな気を回してくださってどうも」 自分でも驚くほどぶっきらぼうな調子になったから、不機嫌さは嫌でも伝わったに違いない。杉田はああ、と小さく呟くと、少しだけ困ったような顔をした。 「悪かったよ」 「謝るくらいだったら最初からしないでください。俺、年上じゃなきゃ駄目だって言ったじゃないですか。告白されても断るしかできないのに、なんでそれを手伝ったりするんですか」 杉田が悪いわけではないのはわかっているし、こんなふうに責めるつもりで待っていたわけでもない。 それでもあっさり悪かったなどと謝られると、それくらいならどうしてするんだという気持ちが抑えきれなくなった。彼がいつも優しくて怒らないから、どこまでも礼儀知らずになってしまう。 「俺が手伝わなくても、植野さんはいつかお前に告白しただろうよ。だから結局同じことだ」 杉田はため息をつきながら、それだけ言った。怒っている様子もないが、申し訳なく思っている風でもない。和の顔を見てしばらく黙っていたが、やがてもう一度ため息をつくと、手を伸ばして和の頭をくしゃくしゃとかき回した。その思いがけない行動に呆気にとられ、和はそれを拒絶することもできなかった。 「お前に恋人ができればいいと思ったんだよ。そうじゃないと気になって仕方ないからな」 もう一度悪かったよ、と呟いて、杉田は和の隣をすり抜けて部屋のカードキーを差し込んだ。カチャリと音がして鍵が開くと、扉を引いて中に入ろうとして、振り返った。 「茶でも飲んでいくか? 備え付けの」 こういうところが彼の甘さだと思った。扉を閉めてさっさと寝てしまえばいいのに、こうしてよけいな一言をかけてしまうから自分につけこまれる。優しくしても仕方のない人間に優しくして家族に浮気を疑われては元も子もない。なのにまだ懲りずに誘ってくる。 それでも自分はずるくて弱い人間だから、優しくされると当然のようにその手をとってしまう。それがたとえ相手にとって迷惑なことだとわかっていても、差し伸べられた手を振り払えない。 頷いて、杉田に続いて部屋に入った。親睦旅行ではたいてい毎年シングルの部屋を各人に用意するらしい。雑魚寝が当たり前だと思っていた和はそれを聞いて少し驚いたが、年齢も趣味も違う人間たちと同じ部屋で眠ったりするのはたしかにあまり望ましいことではないかもしれないと思った。何を話していいのかわからないし、やはりどうしてもぎくしゃくしてしまうに違いない。 ベッドの上に腰を下ろし、和は杉田が茶を入れるのをぼんやりと見つめた。ゆかりの告白と夜の冷気で大分酔いは覚めていたが、まだ頭の隅に紗がかかったようにぼうっとしている。温かく保たれている室内の温度がよけいに頭を鈍らせる。 「ほら。……お前大丈夫か? 目が据わってるぞ」 杉田の声だけがはっきりと頭に届く。差し出されたカップを受け取ろうとして、手を下ろした。のどが渇いているわけではない。黙って首を振ると「何だいらないのか」と杉田はカップを引っ込めた。自分で飲むでもなくテーブルの上に置くと、人ひとり分の距離を開けて和の隣に腰を下ろす。 「お前さ、もう寝たほうがいいぜ、たぶん」 どこか困ったような声だった。和が目を上げて隣を見ると、杉田は足を組んで膝の上で頬杖をついていた。目は前方を向いている。 手を伸ばせば届くんだなと思った。自分の気持ちにずっと気づかないで、指をくわえたままわけのわからない執着に捕らわれていただけの兄の時とは違う。手を伸ばせば届く位置に今、杉田はいるし、頭はちょうどいい具合に理性が飛んでいる。 今なら手を伸ばせる。そう思ったから、そろそろと右手を上げると、それに気づいて杉田が怪訝そうな顔をした。 「長谷川……?」 「杉田さん、せっかくだからAV見ない? 一緒にさ」 「………」 杉田は和が酔っ払って冗談を言っていると思ったらしい。呆れたようにため息をついて「バカ」と呟いた。 「もう寝ろ。ここで寝ていい。俺がお前の部屋に行く」 立ち上がり、ベッドの上に放り出しておいた和のコートのポケットからカードキーを取り出した。咄嗟に和はその手を掴み、引き止めた。 「俺を一人にしないでください」 杉田が縋られると弱いことなんてもう知っている。馬鹿みたいに世話焼きで優しいから、ただの後輩にでも頼られると放っておけない。 「あのな……」 「一本だけ見ましょう。そしたら部屋に帰って寝るから。杉田さんだって一人だったら見るでしょ」 「見ないよ」 「じゃあ今夜は見てみてください。当たり外れあるけどさ」 笑いながら和はテレビをつけた。このホテルの有料放送は硬貨を入れればそのまま使えるタイプだった。楽でいいなと思いながら五百円硬貨を取り出して入れた。杉田はもう諦めた様子で、仏頂面をしながらも大人しく座っている。 適当にチャンネルを合わせると、すぐに女の甲高い喘ぎ声が聞こえてきた。男と女が座ったまま抱き合っている。勿論両方とも何も身に付けておらず、女の大きく開いた足が男の腰を締め付けていた。 「……やっぱりやめよう」 「触りっこしようか、杉田さん」 テレビを止めようとした杉田の腕を掴んで囁くように言った。杉田はよく聞こえなかったという顔をして、「え?」と和の顔を覗き込んだ。 和が笑って彼の下半身に手を伸ばすと驚いて、その手を激しく払いのけた。 「どこ触ってんだ、お前……!」 「しようよ。駄目? 俺、高校の頃よく友達とやったよ。AV見てお互いの触んの。自分でするよりずっといいよ。そういうのしたことない?」 敬語を使うだけの理性はもう残っていなかった。つけっぱなしのテレビからはまだ女の嬌声が続いている。いつの間にか体位が変わり、四つん這いになった女の後ろから男が覆い被さっている。ぞくぞくする。体中が熱くなってくる。こんな感じは久しぶりだと思った。 呆然としている杉田をベッドの上に押し倒して、抵抗される前に彼の下半身に触れた。高校時代の友人は、こんなふうにAVを見ながら触りあうのが好きだった。和もはじめこそ戸惑ったが、一度してしまうとその気持ちよさに抵抗はまったくなくなった。高校の三年間、月に一度くらいの頻度でそういうことをくり返したその友人は、卒業式の日に実は俺は男が好きなんだよと打ち明けたが、和は「ああそうなのか」と答えただけだった。あとになってあれはひょっとして愛の告白のようなものだったのかと思ったが、違う大学に進学した彼とはもう会うことはなかった。 「長谷川!」 杉田に触れてみて、和は驚いた。全然反応していない。「何で……?」 「この……馬鹿」 上にのしかかっていた和を押しのけて、杉田は大きく息をついた。身体を起こし、今度こそ本当に怒ったような顔で和を睨みつける。しかし不思議そうに杉田を見つめている和の表情に怒る気も失せたのか、首を振ってもう一度深いため息をついた。 「わかっただろ。もう年なんだよ、枯れてんの。ビデオ見てもたたないし、……夜中にせがまれたって、どうしようもないんだよ」 最後の言葉は自分にではなく、おそらく彼の妻に向けたものなのだろうと思った。唇を噛んで俯いた杉田の表情はいつもの陽気さが嘘のように疲れて見える。しばらく前から夫婦仲がうまくいっていないというのは聞いていたが、まだ不仲は続いているらしい。それはたしかに、夜に妻を抱けなければよけい浮気を疑われるに決まっている。 乱れた前髪をかきあげながら杉田は和を見て、しばらく黙ると、やがてほんの少しだけ微笑んだ。 「だから、お前がそんな顔するな。付き合ってやれなくて悪い」 「杉田さん。自分で触ってみたりしたんですか?」 「そのことはもういいから……」 「よくないですよ」 和は首を振った。「まだ若いのにいいわけないじゃないですか。感情でその気にならなくたって、丁寧に触ったら感じるかもしれない。やってみたんですか?」 杉田はもうこれ以上この話題を続けたくなさそうな顔をしたが、和が食い下がると仕方ないという様子で口を開いた。 「ちょっとだけ…。けど馬鹿らしくなって、すぐにやめた」 「じゃあちゃんと試してみましょう」 杉田のほうに身体を寄せると、彼は顔色を変えた。 「試すってなんだよ。……こら、触るなよ、離れろ!」 怒鳴られてもやめる気はなかった。タックルをかけるように杉田の腹にしがみついて、強引にベルトに手をかけた。杉田の抵抗が強くなるが、体勢的に和のほうが有利だ。全力で押さえつけたまま下着の中に手を入れた。 「こ……っ! 長谷川! お前本気で怒るぞ! やめろ!」 「やめない。絶対やめない」 杉田が顔を真っ赤にして激しく暴れるから力の加減がうまくできなかった。押さえつける力のままにぎゅっと強く握ったら、痛かったのか杉田の小さな呻き声が聞こえた。慌てて力を緩め、そっと握ってみたが、反応はなかった。 「何でかな……」 「もういいって言ってんだろ! くそっ、お前信じられねえ!」 杉田の罵倒は聞こえない振りをして、さらに少しだけ力をこめてみた。そろそろと触り、握ったり擦ったりをくり返す。反応がなくても虚しいとは思わなかった。触れ合った身体は温かく、こうしていると前よりずっと距離が近くなったような気がする。杉田が怒って嫌がっていても、それでも近い。 疲れたのか、杉田の抵抗が少しだけ弱くなった。その隙に身体をずり上げ、和は素早く杉田の唇に口付けた。驚いたように彼が目を見開いたが、和はその表情を見ないように目を閉じて口付けを深くした。 男とキスをするのは初めてだった。けれど別に、女とするのと少しも変わらないと思った。歯列を割って舌を差し込み、杉田の舌を探って強く吸い付く。そうして口付けながらも下半身を弄るのはやめない。興奮して自分のものが張り詰めているのを感じた。下半身を杉田の足に押し付けるようにすると、よけいに気分が高まってくるのがわかった。 そして長い口付けを終えたとき、いつの間にか、杉田のほうも反応していたことに気がついた。 「杉田さん……ちゃんとたってる」 自分のしたことに感じてくれたのが嬉しかった。思わず笑うと、杉田がもうどうしようもないという顔で目を閉じた。 再びそっと口付けると、彼は抵抗しなかった。そのことがまた嬉しくてゆるゆると舌を差し込むと、突然彼のほうから積極的に舌を絡めてきたので少し驚いた。 頭を抱かれて深い口付けをする。一人でいた時間の虚しさを埋めるように何度も何度も口付けた。 そうやって抱き合っているうちにいつの間にか体勢が変わり、今度は杉田が上になった。彼は口付けを続けながら和の下半身を探り、ベルトを外して下着ごとスラックスをずり下ろした。直に握られて和は思わず声を上げた。人に触られるのは久しぶりだったから、激しく興奮した。 キスをしてお互いに触りあっているうち、次第に息が上がってきた。限界が近い。一瞬、早く達したいという思いと、まだこうして抱き合っていたいという思いがぶつかり合ってわけがわからなくなった。杉田の手の動きが速くなる。頭の中が真っ白になったと思った次の瞬間、体中から力が抜けた。体の上に杉田が覆い被さってきて、和の手の中で彼も達したのがわかった。 背中に手を伸ばしておそるおそる抱きしめると、杉田も同じように抱きしめてくれた。女とは違うその体の大きさに不思議なほど安心する。「杉田さん……」名前を呼んでも答えはなかったが、かまわなかった。 そしてそのまま、いつの間にか眠ってしまった。 |
| あとがき / ちゅ、注意書きが必要なのでしょうか……。げほげほん。 |