それはメルセス王国第十二代国王の二十五回目の誕生日の、ちょうど一週間前の出来事だった。 「さて問題は」 その知らせを聞いてから数秒の沈黙の後、顔色も変えず彼が口にしたのは次の一言だった。 「誰を次の王にするか、ということだが」 「違うでしょう! どうやって陛下をお救い申し上げるかということです!」 忠誠心の塊のようなフェイン第二秘書は間髪いれずにそう言い返して、第一秘書でありかつ不運なことに(と本人は思っている)王弟でもあるクラウスを呆れさせた。彼はいつものように何にも興味のないような顔をしてフェインを見上げ、なるほど、と呟いてうっすらと微笑んだ。 「つまり君は、陛下がまだ生きているという仮定でものを言っているわけだ」 「当たり前です! 何をおっしゃってるんですか!? 陛下は良からぬ輩にかどわかされただけです! だからこうして脅迫状が届いているのではありませんか!」 「殺してから金を要求する性質の悪い連中もいる。おまけにヤツの性格を考えてみろ。はじめはそのつもりがなくても殺したくなるだろう。俺なら殺すね」 「な、なんということを!」 フェインは叫んだが、それが否定の言葉でなかったのは彼にも良心があるからだろう。クラウスは顎をさすりながら宙に視線を泳がし、現実的な問題としてどのような行動を起こすべきかを少しの間考えた。兄が誘拐されたと聞いた時点でもう生きてはいないものと思った彼は、つい次の王は誰にするかが問題だと口にしてしまったのだが、改めて考えてみれば誰にするかなど考える余地はなかった。兄はいまだ独身、(知る限りは)隠し子もなし。いるのは弟が二人だけ。メルセスの法律では王位は厳密に継承順位が定められている。今現在第二位の王位継承権をもつのは他でもなく、第二王子である自分自身だった。 しかし彼の率直な意見としては、七面倒なだけの王位になどつく気はさらさらない。 そこでクラウスはフェインから手渡された脅迫状に再び目を落とした。 『クーリエ国王は預かった。返してほしくばブレア王国への通行証を一枚と735クンツ用意しろ』 「このセンスのない文章。中途半端な金額。とりあえずアホだな、この犯人は」 呟いたクラウスの非生産的な感想の言葉は聞こえなかったふりをして、フェインはわずかに目を伏せると思いつめたような声で切り出した。 「実はクラウス殿下にはお話していなかったのですが、三日ほど前、陛下が奇妙なことをおっしゃっていたのです」 「いつものことだろう、それは」 クラウスはボリボリと手の甲を掻きながら流そうとした。フェインは彼を睨みつけてから言葉を続けた。 「もし万が一ご自分が誘拐されたとしたら、はたしてクラウス殿下は泣いてくれるだろうか、と陛下はおっしゃったのです。そのときは深く気にもとめなかったのですが、ひょっとしたら陛下はご自分が狙われていることをわかってらしたのかもしれません」 「誰が泣くだって?」 クラウスは一瞬にしてぞわっと鳥肌のたった腕をこすった。それを見てフェインはため息をつき、 「まあ、それはともかく。とにかく陛下はパルディク様に誕生パーティーの招待状を渡しに行くとおっしゃっていなくなられたのです。まずはパルディク様にお話をお伺いしなければならないでしょう」 「それが妥当だな。気が済むまで話を聞いて来い」 クラウスはまったく興味がなさそうだ。フェインはいいえ、と首を振り、突然全開の笑顔になって言った。 「私はパルディク様に直接の面識がありません。ですので、ぜひとも殿下に行ってきていただきたい」 「いやだ」 クラウスはぎょっとして、驚きのあまり手近にあったペンをフェインに投げつけた。咄嗟のことでよけきれなかった彼は額を押さえ、怒りを押し殺そうとして明らかに失敗している形相で王弟を睨みつけ、宣言した。 「行っていただけないのでしたら私は今後仕事をボイコットします。陛下のことも知りません。殿下が王位にでも何にでもついて、山ほどの仕事を朝から晩まで片付けてください。それではごきげんよう」 この国には「陛下のご学友」と呼ばれる人物が三人いる。彼らはかつて「皇太子殿下のご学友」だった。幼等部から大学までクーリエ国王と同じ学び舎で学んだ友人たちだ。彼らは国王にごく近い一部の人間たち(特に弟)からは蛇蠍のごとく忌み嫌われている。パルディク・スーはその三人のうちのひとりで、現在は「(自称)国一番の」魔法使いだった。 「やあよく来たね。君が来ることは前もってわかっていたとも。この水晶球で」 にやにやと笑いながらパルディクはクラウスの顔を見るなりそう声をかけてきた。外では太陽が燦燦と輝いているというのに薄暗い室内で古ぼけた黒いローブを身に纏い、若いくせに怪しげな本ばかり読み漁って日々を過ごしているこの男がクラウスは当然のように好きではない。フェインに脅されていやいや郊外のこの屋敷にやって来た彼は不機嫌と書いた顔で兄の悪友を見て、愛想のかけらもなく言った。 「でしたら要件もおわかりのはず。陛下の居所を教えてください」 「おいおい、唐突だな。僕にだって説明を聞く権利はある。いや、会話をする権利というやつか。確かにこの水晶球があれば何でもわかるが、そうすると必要最低限のことしか言うことがなくなるのが寂しいね」 「あなたのところへ来ると言っていたらしい陛下が誘拐されました。これがその脅迫状です。連絡方法が書いていないところをみるとおって連絡があるのでしょう。まあそれを待ってもいいのですがフェインが私を脅すので仕方なくここへ参りました。陛下の居所がわからないのなら一刻も早くそう言ってください時間の無駄ですので」 いっさい感情を込めない早口でクラウスは事情を説明した。パルディクは長い足をわざとらしく組み換えて哀愁を帯びた目でクラウスを見つめ、子供の頃はかわいかったのにねえ、とクラウスの神経を逆なでするようなことを言った。 「……ご返答を」 「泣いてごらん」 にっこり笑ってそう言うと、それで話は終わりだとばかりにパルディクはクラウスに背を向けた。それは泣いて頼めということかふざけやがって一遍死んでこい、いや二度でも三度でも、と一瞬の内に考えたクラウスは口に出しては何も言わず、同じようにくるりと背を向けてその場を立ち去った。そして宮殿に帰るとフェインに「パルディクは何も知らないと言った」と報告し、それきり兄の誘拐事件は忘れることにした(しかしフェインは忘れさせてくれなかった)。 それから一週間、国王の行方は依然知れず、しかも誘拐犯人からの二度目の連絡もなく、どうとも手の打てない状況のまま時だけが流れていった。フェインをはじめとする家臣たちは非常に王の身の安全を心配していたが、クラウスだけは完全な傍観者に徹していた。あの後よく考えてみたところ、兄はいたからといって大した仕事をしているわけではなく、いなくてもさほど困ることはない。というのはとっくに兄を見限った家臣たちが彼にほとんど何の期待もしていなかったからである。ゆえに、兄は実際王座についていなくとも死んでさえいなければ、さらにいえば死んだことがはっきりわかりさえしなければ、それで自分にとって困ったことは何もないのだった。 しかしそれはともかくとして、彼はここ数日頻繁に起こるようになった超常現象に悩まされていた。 「透明人間がいるんだ」 「春は遠いですよ」 フェインの返事は氷のように冷ややかだ。多忙なときに何もせずぼーっとしている人間に話しかけられたのが気に触ったのかもしれない。 クラウスは口を噤んだが、彼としては決して冗談のつもりで言ったのではない。本当にそうとしか思えない出来事が続いているのだ。たとえば昨日は見えない何かに足を引っ掛けられて転びかけたし、今日は今日で服の裾を踏んづけられて転びかけた。寝ているときは目をこじ開けられているような気がして目を覚まし、起きると実際なぜか目が痛かったりする。おかげですっかり睡眠不足になってしまい、とても仕事どころではないのだった。 不意に仕事をしていた手を止めて、フェインがあらぬ方向を見ながら呟いた。 「もう一週間です」 「なにが?」 生あくびをしながらクラウスは尋ねた。本当にわからなかったのだ。 フェインはクラウスを睨みつけたが、やがて何を思ったか、あきらめたように大きなため息をついた。 「陛下が誘拐されてからです。あの一通の脅迫状以外何の連絡もきませんし、いったい陛下はどうなさっておられるのか心配でなりません。今日は陛下の誕生日だというのに……」 「誕生日? ああ」 言われて思い出した。そういえば昨日、フェインが「陛下はご病気ということにしております。殿下もそれで話をあわせてくださるよう」と言っていたのは今日の国王誕生日に備えてのことだったのだとようやく理解した。仮にも国王の誕生日だ。本来なら国民たちに向けての挨拶くらいはしなければならない。内輪のパーティーもある。しかし国王不在の現在はそんなことはとても不可能だった。かといって馬鹿正直に国王が誘拐されたなどと言えるはずもない。 「誕生日か……」 クラウスは宙を眺めて思った。例年ならあの馬鹿兄に三日は前からプレゼントをねだられ、いやでも用意させられていたはずだ。誘拐も悪くない――そう彼は思い、そのとき不意に何者かに腕をつねられて声を上げた。 「誰だ!?」 しかしそこには誰もおらず、ただフェインが変人を見るような奇妙な顔で遠巻きにクラウスを見ているだけだった。 「だ、誰かにつねられたんだ」 「透明人間ですか」 「そう」 「殿下は役立たずだがまともではあると……ずっとそう思ってきたのですが」 「………」 クラウスは黙った。信じてもらえない。彼はつねられた腕をさすり、無表情に突然自分の左隣――自分をつねった相手がいたであろう場所を殴りつけた。単なる腹いせのために。 「いたっ」 しかし驚いたことに反応があったのだ。フェインを見ると、その声は彼にも聞こえていたらしく、彼もまた驚きの目でもってその何もいない、しかし声だけはした空間を凝視している。クラウスは今度も無言でその場所に蹴りを入れた。 「痛いって、クラウス、ひどいじゃないか」 「陛下!?」 再び聞こえてきた声は紛れもなくクーリエ国王のものだった。フェインが目を見開き、クラウスは透明人間の正体に思い切り不愉快な顔をした。そのとき。 「僕の勝ちだな、クーリエ」 いつからいたのか気配も感じさせなかった第三者の声がした。 突然現れた男――パルディク・スーはクーリエの声のするほうに片手を伸ばし、まるで見えてでもいるかのようにそこから何かをむしりとった。そしてその瞬間、何もいなかった場所に突如として国王の姿が現れたのだった。 「あーあ、負けてしまった。ほしかったのに、この透明マント」 「だから無駄だと言ったんだ。君が誘拐されたからってクラウスが泣くもんかってさ。とにかく約束どおりブレアへの通行証を寄越せよ」 「フェイン、用意してくれてるかい?」 にこにこ笑って爽やかにクーリエは手を差し出した。フェインは事情が飲み込めずに眉をひそめた。初めて間近に見るパルディクのことも気になるらしく、二人を交互に見つめてますます眉間のしわを深くした。 「説明はなしかこのごくつぶし」 「兄に向かってその言葉はひどいなぁ」 「簡単に言うと賭けをしたんだね。誕生日までの一週間の間にクーリエがクラウスを泣かせることができたらこの透明マントをやろう。できなかったらブレアへの通行証とそこでの当面の生活費を面倒な審査なしで寄越せ、とまあかわいいもんさ」 クーリエに代わってパルディクが簡潔な説明をしてくれた。 クーリエがあとをひきとって続ける。 「最初は世間話だったんだ。最近誘拐とか多いじゃないか? それで、もし僕が誘拐されたらクラウスは心配して泣いてくれるかなあという話をしてたんだけど、パルディがそりゃ絶対無いなんていうからさ、じゃあ賭けようってことになって。もとから透明マントがほしかったし。でもやっぱり全然泣いてくれないから、とりあえず理由はどうあれ泣いてくれればマントがもらえると思って、足引っ掛けたりしたけど、泣かないし……。クラウス、僕のことが心配じゃなかったのか? ひどい弟だなぁ」 クラウスは無言で兄の頭を殴り倒した。当然のように彼は文句を言ったが、無視してもう一発拳を入れた。暴力の嫌いなフェインもそのときは何も言わなかった。 「パルディク様」 フェインの呼びかけにパルディクがそちらを見た。フェインは苦渋に満ちた顔をして、それでも公爵の息子という相手の立場に見合う礼儀正しさだけは失うまいと努力している様子で慇懃に言った。 「残念ながら通行証の発行はいたしかねます。かねてより、スー公爵様から息子を国外へ出さないでくれと頼まれておりますので」 「何だと」 「国外へ行くと二度と戻ってこない可能性がある、と公爵様は心配なさっておいででした」 「いや、嘘だ。あの親父は国外で俺が本当の魔法使いに弟子入りして奴を呪い殺すかもしれないと恐れてるんだ。小心者め。あんなジジィをやるのに魔法がいるか」 フェインはその物騒な言葉を聞かなかったふりをした。とにかく発行はいたしかねます、と告げて、まだ続いているパルディクの暴言には一切耳を塞いだ。 「ごめんよパルディ。どうしようか?」 「お前のせいじゃない、仕方ない。――公爵が一人欠けても国は立ち行くな?」 「もちろん」 「立ち行きません! スー公爵様は立派にお勤めを果たしておられます。お二人――」 そこでフェインはちらりとクラウスの顔を見た。 「お三人より、よほど国のために働いておられます」 「それはけっこう」 パルディクはつまらなそうな顔で手を振った。クーリエはきょとんとした顔をして言われたことの意味がよくわかっていないらしい。クラウスは最後に自分も付け加えられたことが心外だったが、二人が米粒ほども国の役に立っていないという意見には全面的に賛成だった。 「せっかくの誕生日なのに、今年はいいことなかったな」 寂しそうに呟いたクーリエの言葉は誰からも無視された。 国王誘拐事件(と透明人間事件)は、そのようにして終わりを告げた。後に残ったのは王弟の兄への更なる不信感の高まりと、フェイン第二秘書のスー公爵への同情、そして目的を果たし損ねた国王と公爵の息子の不満だけだった。 本当に、誰にとってもまったくもって何の収穫もない、無意味な国王誕生日だった。 |
| あとがき / ものすごくひさびさの自作小説更新です。読んでいただければわかると思うのですが、深い意味のまったくない話です(悲)。しかしなぜか続きまであるという……。とりあえず3話までは確実に続きますので、お暇な方だけ読んでいただければ幸いです。 |