メルセス王国物語3  「イーグリー公爵の花婿選び」





 イーグリー家執事ゼルシュ・シュラウンの目下の悩み事はこの秋公爵を継いだばかりの新当主、グラス・イーグリーがいまだ未婚であり、さらには結婚相手の影も形も感じられないということである。
 ゼルシュは当年とって六十三。彼の若い頃にはイーグリー家ほどの有力貴族の当主が二十五にもなって跡継ぎもいない、結婚もしていないなどということは考えられなかった。それはイーグリー公爵と同年である国王やもう一つの公爵家、スー家の次期当主である一人息子にも言えることであるが、最近この国では晩婚化が進んでいるのであろうか? いや、そんな噂は聞かない、と彼は打ち消した。ただ単に、彼らが遅いだけなのだ。というより、高貴な身分である自らの責任というものを欠片も自覚していないのだ。少なくとも彼の仕えるイーグリー新公爵は。
 本来ならば、とゼルシュはいまだに苦々しく思っている。女が当主になることなどあるべきではない。実際王家では女子は王位につくことは許されず、跡継ぎが女子しかいなくなれば何代でも過去に遡って血の繋がった男子を探し出す。現在の王家、クランハイム家もつい二代ばかり前にそうして王家となったのだ。その前の王家はアンファシルジア家。しかし女子しか生まれなかったためにクランハイムに王家の座を明け渡した。アンファシルジアは今でも別格上位に位置する名門の家ではあるけれども、政治的な地位からは閉め出されている。
 王家ではそうであるのに、公爵家では女が継ぐことも禁じられてはいない。とはいえ決して好ましいことではない。だからゼルシュの望みとしては一刻も早くグラスに男の子をつくってもらい、早々にその子に爵位を継いでもらいたい。いくらグラスが外見的には何ら男と変わることがなくとも――そのことは彼の気分を多少なりとも慰めていたが――きちんとした男子が公爵となるべきである。
(とにかく一刻も早く、結婚を)
 前公爵の気まぐれでグラスが思いがけず早く当主を継いでからというもの、彼が考えているのは常にそのことばかりであった。
 そのときふと廊下を歩いていた召使いの少女が持っていたものに目を引かれた。
「――それは?」
 すれ違いざまに問いかけると、まさか声をかけられるとは思っていなかったのか少女は驚いた顔をした。けれどすぐに頭を下げて、
「グラス様に届いた手紙でございます」
「それだけ全部?」
「はい」
「送り主に男はいるか?」
「は?」
「送り主に男はいるかと聞いている」
「い……いえ、すべて女性の名前ばかりでしたが……」
 ゼルシュはものも言わずに手紙の束を奪い取ると、「これは私から公爵へ渡しておく」と言い放ち、少女が何かを言う前にさっさとその場を離れた。廊下の端まで歩いていったところでそれらはゴミ箱に直行する。女からの手紙など見なくとも内容はわかっている。女癖の悪い女主人に非常に苦々しい思いを抱きつつ、彼はその主人の部屋へ向かった。常にない決意を深く胸のうちに秘めて。



 メルセス国には、政治的ではないが特別重要だと思われる事項を上層部だけで内密に話し合う極秘の機関があり、そのメンバーは国王、二つの公爵家の当主とその子息、第一・第二秘書、加えて特別会員としてアンファシルジア先王家の当主とその子息と定められている。招集権はメンバーの誰もが平等に有し、誰か一人でもこの会議を開きたいと思えば有無を言わさず招集することができる。ごく例外的な場合を除いて出席は義務であり、欠席は許されない。その名もメルセス特別会議という。
 その日、イーグリー家当主の名において約二十年ぶりにその会議が招集された。滅多にないことだけにその会議の存在を知らなかったメンバーもおり、突然降ってわいた招集状にみなそろって目を丸くした。時は明日、場所は王宮内の特別会議室。議題については少しも書かれていない。スー公爵などは不審に思って直接イーグリー公爵に説明を求めたが、当の本人の言葉は極めて曖昧だった。自分もよくわからないがとにかく招集しろと執事に言われた、というのが公爵の返事だった。それをどう判断してよいのかわからないまま、とりあえず規定にのっとってスー公爵は郊外に住む息子にも連絡をやって必ず出席するようにと言い渡した。
 そして翌日、会議当日。
 国王、二公爵、スー公爵の息子であるパルディク、第一・第二秘書、アンファシルジア家当主マーサの正式メンバーに加え、なぜか一人の老人が特別会議室に姿を見せていた。イーグリー家執事ゼルシュ・シュラウンである。
 ちなみに原則自由な円形の座席の席順は、時計回りに国王、パルディク、フェイン第二秘書、クラウス第一秘書、イーグリー公爵、ゼルシュ執事、スー公爵、マーサ・アンファシルジアの順だった。
「本日はお忙しい中お集まりいただき実に有り難く存じます。私、イーグリー家の執事を務めるゼルシュ・シュラウンと申します。本日はどうしても皆様方にお決めいただきたい重要事項があり、無理を申し上げてこの会議を招集させていただきました」
 錚々たる顔ぶれではあるが微妙に不協和音の流れる重苦しい沈黙の中、ゼルシュがそう口火を開いた。
「それはいかなる……?」
 ゼルシュと彼を除いて若い人間ばかりの部屋の中で、少しばかり居心地が悪そうにスー公爵が問いかける。威儀の整った風格のある人物ではあるが、息子との不仲は有名である。しかし良識ある人間はみな公爵のほうに同情し、彼のような非の打ち所のない人間に面倒をかける息子を非難する。けれども非難された息子のほうは涼しい顔で少しも気にかける素振りはない。
「こんなところで申し上げるのは非常に心苦しくお恥ずかしいことではありますけれども、しかしこうでもせねば事態はいっこうに改善しないのではないかと不安に襲われたのでございます。単刀直入に申しますと、わが主、イーグリー公爵にふさわしい結婚相手をこの場で決めていただきたい」
 ぶーっと、飲んでいたジュースを盛大に吐き出して隣にいたクラウスに嫌な顔をされたのはグラス・イーグリー公爵その人だった。しかし彼女だけではなくゼルシュを除く他の全員が驚きを隠せない様子でイーグリー家の執事を見ている。グラスはテーブルをバンと叩いて立ち上がった。
「ちょっと待て! 私はそんな話聞いていないぞ!」
「申し上げておりませんから」
「ふざけるな! お前がとってもとっても重要なことだというからわざわざ言うとおり招集を許可したんだろう! それのどこが重要なことなんだ!」
「重要です。私にとっては非常に重要なことです」
「何様だお前は! お前にとって重要など知るか!」
「言い換えましょう。私にとってではなくイーグリー家にとって、です。そして陛下やスー公爵様たちにとっても重要なことだと思われます。何しろ直接的に関わってこられますから」
「何ぃ?」
「ですから、おそれながら家柄から申し上げてクーリエ国王陛下、パルディク様は間違いなくグラス様のお相手として候補に上がる方だと思われますので」
 自分の名が上げられたとたん、今まで面白そうに席で頬杖をつきながら成り行きを見つめていたパルディクの顎ががくっと落ちた。すぐにばっと顔を上げると、穴があくほどにイーグリー家の執事を見つめ、遅れて表れた鳥肌をおさめるために腕をこすった。クーリエ国王はといえばきょとんとして、何を言われたのかよくわかっていない様子である。
「死ぬ! 奴らと結婚するくらいなら死んでやる!」
 グラス・イーグリー公爵はもはや半狂乱だった。頭をかきむしりながら声の限りに絶叫する。対してゼルシュ執事は冷静そのものである。
「死ぬのは跡継ぎを残してからになさってください。それからでしたらお止めしません」
「鬼! 悪魔!」
「何とでも」
「貴様ーこのやろーゼルシュ!」
「おやめなさいな、見苦しい」
 冷淡に言って眉をひそめたマーサ・アンファシルジアに、グラスはぎっと血走った目を向けた。
「ならお前が結婚しろ!」
「今は私の話をしているのではないでしょうよ。私のことならご心配なさらずとも、アンファシルジアは未来のない家、跡継ぎなど必要じゃない。でもイーグリー公爵家は違うでしょう。それにあなたが独力で相手を探せるとも思えないし。我がままを言わずにここで選んでもらいなさいな」
「死ね!」
 ガン、と力いっぱいグラスはテーブルに拳を叩きつけた。
 ああこの二人も仲が悪いのか、と一連のやりとりを見ながら、フェイン第二秘書はなかばげんなりとして思った。国王には仲の良い三人の友人――グラス・パルディク・マーサ――がいるが、どうもその関係は仲良し四人組と言うにはあまりにギスギスしすぎている。まああの国王の友人といったらこんなもんだろう、と甚だ不敬なことを心の中で考え、フェインは懸命にも口を閉ざしたままでいた。何にせよこの場で口を開くのは命取りである。それにたしかに国王が二十五にもなって独身というのは問題だと常々彼も思っていた。これは良い機会かもしれない。
「まあ、家柄だけでなく本人の意思も大事だしな……」
「おそれながらスー公爵様、家柄が第一、第二に本人の意思でございます」
「だったら公爵などやめてやる! こんな地位など他の奴らにくれてやる!」
「今までその地位の上にあぐらをかいて散々好き勝手していた方が今更何をおっしゃいますやら」
 ぐっとグラスが言葉につまった。図星だったからだ。
「まあ、そういうことなら冷静に候補を考えようじゃないか。陛下とパルディクだけが候補というわけでもあるまい。たとえばクラウス殿下でもイーグリー公爵の相手としては申し分なかろうし……」
 何とかこの場をおさめようと口を挟んだスー公爵の言葉にその場の全員が一瞬動きを止めた。
「クラウス……?」
 目を大きく見開いてグラスが呟いた。目から鱗が落ちたような顔をしている。それはもちろんクラウス殿下でも、とゼルシュ執事は文句はなさそうである。
 グラスは隣のクラウスの顔を見た。さあっと一瞬にして青ざめたその顔はクーリエとはあまり似ていない。母親が違うのだ。母側の血をより強く引いたらしく顔立ちは無駄なく整っており、黒い髪と瞳は性格さえ知らなければ神秘的にも見えた。三つ年下ということもあり、グラスは彼を本当の弟のようにかわいがっていた。幼い頃は彼もグラスによく懐き、実の兄弟よりも兄弟らしかった。
 クーリエ、パルディク、クラウスの顔を順に見回し、グラスは決断した。がっとクラウスの肩をつかむ。
「結婚式はいつにする? マイハニー」
 クラウスの顔が蝋人形のように青くなった。生気の薄れつつある顔をぶんぶんと振って必死に拒絶の意思を示したが、このメンバー内での彼の地位は非常に低い。グラスが大いに乗り気になっており、パルディクも自らの保身のために両手を上げて賛成の意を示している現状ではクラウスの意思に意味はない。一番発言権の強いはずの国王は、「クラウスとグラスが結婚?」と首をかしげて呟いただけで、賛成とも反対とも言わなかった。
「いや、イーグリー公爵、クラウス殿下の意思もあるだろうし……」
「やはり結婚式は春だなっ! 来年の春にしよう!」
 良心的なスー公爵の意見はうきうきしたグラスの声でいとも簡単に無視された。ゼルシュ執事もこの結果には非常に満足してしきりにうなずいた。本当は候補は国王とパルディクの二人だと思いこみ、正直クラウスのことは忘れていたのだが、よくよく考えてみれば彼が一番望ましい。なぜならば国王が相手の場合はまず二人の嫡男は皇太子ということになり、イーグリー家の跡継ぎには第二子以降を待たねばならない。パルディクの場合は身分的には対等であるが、やはり第一子は夫であるスー家のほうへとられるだろう。しかしクラウスならば養子にさえ来てもらえるではないか。これほど理想的な相手はいない。幸い公爵も気に入っているらしい。
「話は片付いたのかしら? それでは私、これで失礼させていただくわ」
 あくまで他人事の雰囲気を徹頭徹尾貫きつつ、マーサ・アンファシルジアが席を立った。それにつられるようにスー公爵親子、フェイン第二秘書も立ち上がる。
「ま、待……」
「子供は何人ほしい? 男と女一人ずつはつくろうな。お前と私の子供ならきっとかわいいぞ。楽しみだな」
「嫌だうそだ。俺にはもっと堅実な未来があるはずだ」
「そうそう、明るい未来は開けているさ、私との」
 グラス・イーグリー公爵には人の話を聞くことを求めてはいけない。
 フェインはクラウスに同情しつつも、しかし実際問題として彼らの結婚はとても現実的な選択だと思った。しかしそうなると国王の相手はどうなるのだ? 国内で家柄的につりあうのはマーサ・アンファシルジアを筆頭にルース侯爵の娘二人とカナリル侯爵の幼い一人娘くらいしかいなくなる。ついでにこの場で国王の結婚問題も話し合ってほしかった、と思ったが後の祭り。マーサは既に姿を消している。メンバーが全員そろわなければ会議は成り立たない。
「結婚式にはぜひ呼んでくれ」
 難を逃れたパルディクが珍しい満面の笑顔で言い、グラスも笑顔で答えた。
「いいとも。私たちの仲のよさを見に来るがいいさ」
「お幸せに」
 片手を上げてパルディクは退室した。クラウスの顔はもはや青いを通り越して死人のようである。未来の夫婦を残して一同は退席する。ぼーっと居座っていた国王もフェインに腕を引かれて出て行った。
 フェイン第二秘書は不幸なクラウス第一秘書へ深く同情したが、彼にできるのはただそれだけだった。


 その翌日、ごく珍しく定時に執務室に現れたクーリエ国王は傍目にも明らかなほど落ち込んでいた。見かねたフェインが理由を尋ねると、
「あの二人が結婚するってことはクラウスはここを出て行くのかなあ。それは寂しいからいやだ」という、兄弟仲が良いのやら単に国王が子供なだけなのかわからない返事がかえってきた。
「まあ、そうなるのではないですか。イーグリー公爵家としては当然クラウス殿下に養子に入ってもらいたがるでしょうし、殿下のほうもそれを断る理由もないわけですし」
「……俺もいっしょにいったらだめかなあ」
「駄目です」
 きっぱりとフェインは言った。駄目に決まっている。
 国王はため息をついて背中を丸めた。彼には非常に珍しい弱々しい態度に、フェインはいったいこの兄弟はそこまで仲が良かっただろうかと不審に思った。他人の目にはどう見えようとも血のつながりとはやはり特別なものなのだろうか。
「寂しい……」
「それは十分わかりましたから仕事をしてください。しないのならここから出て行ってください。邪魔です」
「鬼だ……」
 うちひしがれた国王の呟きをフェインは無視した。二十五にもなった男の泣き言につきあっていられるほど暇ではないのである。
「弟君の幸せを祈る広いお心をお持ちください。お相手も陛下のご友人なのですし、いつでも会いに行かれますよ」
「でも第一秘書はやめるだろう」
「――ああ、そう言われれば、そうですね」
 今まで気づきもしなかったが、イーグリー家に養子に入るとなるとそういうことになる。第一秘書は国王のごく近い肉親が特別に任命される地位であり、適任者がいなければ空位のまま。そして第一秘書となる者は当然ながら王家に属していなければならない。他家に養子にいった者にはその資格はない。
「よくそこまで頭が回りましたね」
 陛下のくせに、という言葉をフェインは飲み込んだ。首をかしげ、
「そうすると、第一秘書は……空位? にはなりませんよね。スウェル様がいらっしゃいますもんね。もう十八になられると聞きますし、十分第一秘書を務められるでしょう」
 どうせたいして仕事はしていない地位なのだし、とフェインはそれも飲み込んだ。
「俺はあいつ嫌い」
 それがいやなんだ、とわめきつつ国王は机の上に頭を突っ伏した。その態度にフェインは少なからず驚きを覚える。クーリエ国王は二十五にもなって子供っぽさが抜けきらず、お世辞にも頭がよいとは言えず決して上に立つべき人間とも思われないが、人に対してほとんど悪意を持たない人間であると思っていた。誰にも評価されないが、その悪意のなさはほとんど聖人並である。その彼が弟のことを嫌いだと断言しているのだ。フェインはスウェル・クランハイムに会ったことがないのでさっぱりわからないのだが、彼はそんなにひどい人間なのだろうか?
「あーあ、結婚やめてくれないかなあ」
「グラス様に掛け合ってみたらいかがです」
「駄目だよきっと。あの二人は昔から仲良かったし、それに俺もふたりが結婚すること自体に反対なわけじゃないし……」
 その時大きな音がして執務室の扉が開いた。まるで蹴り開けたような音だと本能的に思ったが、フェインは深く追及しないことにした。知っても腹が立つだけでよいことは一つもないからだ。
「誰が結婚なんかするか」
 中の会話が聞こえていたのか、いつも無愛想な顔をさらに無愛想にしてクラウスが言い放った。
「え、しない?」
 国王の顔がぱっと明るくなった。クラウスはそれにも嫌な顔をしたが、「しない」ともう一度くり返した。
「俺はこんな政略結婚なんかしないんだ。生贄か俺は。お前かパルディクが候補だと言っていたのに何でいきなり俺の名前が出てくるんだ」
 彼の名前を出したのはスー公爵であるが、彼を責めるのは酷というものであろう。クラウス自身もそれをわかっているのか名指しで非難はしなかった。
「イーグリー公爵はそれで納得なさったのですか?」
 フェインが問いかけると、クラウスはとたんにぴたりと口を閉ざしてあらぬ方向を見た。納得などしていないことはその態度から明らかである。
「とにかく、結婚は、しない」
 一言一言区切るように告げて、クラウスは席についた。常にはないことに真面目に仕事に取り組む姿勢を見せている。
 その姿を正面に見ながら、フェインはふと考えた。クラウスがこうだから意識しないできたが、第一秘書にはその気になればかなりの権力が与えられている。その最たるものが開戦権である。
 メルセスで政治的な重要事項を決めるには議会の承認が必要であるが、緊急時のために国王と第一・第二秘書、それぞれの省のトップには特権が与えられている。国王はすべての緊急特権を持ち、彼と他一名の権限者との二つの意見が合えば議会を無視して行動を起こすことができる。議会の事後承認は必要であるが、実際問題として既に処刑してしまった罪人を生き返らせることも、始めてしまった戦争をやすやすと終わらせることも不可能だ。
 第一秘書の持つ特権は他国宣戦布告権、別名開戦権である。これは外務省トップのイーグリー公爵が持つ外交権(他国と条約を結ぶ権利)、法務省トップのスー公爵が持つ司法権(罪人を処罰することのできる権利)をはるかに超える強い特権である。第二秘書たるフェインが持つ通行権(他国への通行証を自由に発行することができる権利)とはもはや比べものにならない。
 したがって、第一秘書になる人物によってはメルセスは容易に戦争状態に突入する恐れがある。国王の承認が必要とはいってもクーリエ国王を丸め込んでうなずかせるのはさほど難しいことではない。そのように考えてフェインは内心でぞっとした。戦争など冗談じゃない。
 ちらりとクラウスの顔を窺うと、彼はいつもと同じく何にも興味のないような顔をして黙々と書類を読んでいた。彼は決して馬鹿ではないし、むしろどちらかといえば頭が良いのではないかと思うことが時折あるが、とにかくやる気がない。のんべんだらりとくらげのような生活を送っている。面倒が嫌いで、彼が第一秘書である限り特権を使う可能性は限りなくゼロに近い。悪く言えばただの無気力人間であるが、よく言えば究極の平和主義者である。他国からミサイルを打ち込まれたとしても仕返しをしようとは思わず、ただ眉をひそめて嫌そうな顔をするだけであろう。
 そこまで考えて、フェインはクラウスこそは自分の理想とするごく平和的な第一秘書であることを認めないわけにはいかなかった。彼とクーリエの弟で今は他国へ留学中のスウェルがどのような人物かわからないが、クーリエのいやがりようからしてもクラウス以上に平和的な人間というのはまず考えられない。
(ということは、イーグリー公爵との結婚には反対すべき……?)
 妙な結論に落ち着いてしまい、フェインは内心で戸惑った。なぜそうなる。二人の結婚は実に合理的だとわかっているし、めでたいことでもあるのに、なぜ反対しなければならないのだろう。
 一人で悩み始めた彼は、クラウスが当然のような顔で遅刻して一言の断りもなかったことを、とがめることをすっかり忘れきっていた。


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あとがき / 書き溜めてあった最後の第3話です。続きがありそうに終わっているのに続きは考えていません。ひょっとしたらいつか書いてしまうかもしれませんが、書かないほうが正解という気もひしひしと……。