国王の花嫁(前編)





 人目を憚らぬ派手な求愛行動のために宮廷内では知らぬ者がいないとまでいわれるようになったグラス・イーグリー公爵とクラウス・クランハイム第一秘書との婚約騒ぎのあと(正確にはまだ終わっていない)、当然のように騒がしくなったのがクーリエ国王の身辺である。
 当年とって二十五歳という絶好の適齢期にある国王が今まで独り身であった不自然さにようやく皆が気づいたかのように、俄に見合い話が持ち込まれるようになったのだ。はじめは適齢期の娘を持つ――といっても年齢は十代前半から三十目前までと幅広い――国内の有力貴族から、そして次にはメルセスと縁戚関係を結びたいと思っている近隣諸国から次々に申し込みが殺到した。
 そしてその申し込みに対する受付窓口になったのは、不運なことにフェイン・バルトリース第二秘書だった。そもそもはほとんど面識のないルース侯爵が突然フェインを訪ねてきて「ときにバルトリース殿、陛下もそろそろ身を固められてもいいかと思うがどうお思いか」と何の脈絡もなく切り出したのが始まりである。
 いきなり何を言い出すのかと思いながら適当に話をあわせていたら、いつのまにか二人の娘をどうぞよろしくという話になっていた。まあ確かに陛下も適齢期だ、そのうち話をしてみようと簡単に考えながら日々を過ごしていたフェインのもとに、どこでどう聞きつけたのか他の貴族たちがこぞって娘の推薦にやってくるようになるのにそう時間はかからなかった。
 そして次第に増えてくる申し込みをなかば呆然としながら受けているうち、他国からの使節の姿がちらほら見えるようになった。他国の使節は外務省の担当になるはずだと取次ぎの役人に抗議すると、彼は素っ気無く「イーグリー公爵がフェイン殿にお願いするように、と」と告げた。面倒な仕事を押し付けられたことをそのときはっきりとフェインは悟った。
「国内で十四件、他国からの申し込みが五件、これは素晴らしいことですね?」
 にっこりと作り笑顔を浮かべながらフェイン第二秘書が計十九人の令嬢に関する資料を積み上げたのは、クラウス第一秘書の机の上だった。
 いつもどおりつまらなそうな顔をして書類に向かっていたクラウスは、わずかに眉を寄せるという微妙な仕草で最大限に嫌な顔をしてフェインを見上げた。
「何が言いたい」
「ご相談申し上げているのです。ここまで人数が集まったからにはぜひとも陛下にはこの中からご結婚相手を選んでいただかなければなりません。ですがまさか十九人すべてと見合いというわけにもいかないでしょう。どうか五人程度にご選定ください、殿下」
「断る」
 クラウスは立ち上がった。フェインは笑顔のまま、机の表面をバンと思いきり殴りつけた。
「私はここ数日この件の対応に追われてろくに睡眠もとっていないのです。ご無礼な行動をしてもお許しを、殿下」
 クラウスは無表情にフェインを見つめ、のろのろと再び着席した。机の上に頬杖をつき、誰が見てもやる気のない態度で「選定基準は?」と問いかけた。
「ですからそれも含めて殿下に決めていただきたいのです。国内はともかくとして他国の姫君との婚姻となると外交問題も生じます。とうてい私が口を出せることではありません」
「そんなものは俺もそうだ。外務省の管轄だ」
「ええ、イーグリー公爵様の」
 しかし当の公爵はクラウスを追いかけてばかりでもっぱら職務怠慢中である。そしてトップがそうであるのをよいことに、公爵を支えるべき役人たちもいかに自分たちの仕事を減らすかということにばかり心を砕いているというのがもっぱらの噂である。
「……スー公爵がいるだろう」
「スー公爵様は法務省大臣で非常にご多忙です、特に最近」
 理由は職務放棄のイーグリー公爵の分まで働いているからである。人が良くて有能なスー公爵は前イーグリー公爵の時代から、何かにつけて外務省の仕事を押し付けられてきた。
「あの馬鹿はなんて言ってるんだ」
 あの馬鹿、が誰を指すのかは暗黙の了解事である。フェインはごほんと咳払いして、陛下は、と言い直した。
「陛下はまだご存知ありません」
「なんで」
「お話していないので」
「当の本人になぜ話さないんだ」
「お話する前に数が膨れ上がってしまったのです。それに国内貴族の令嬢にしろ他国の姫君にしろ、陛下の結婚相手となるとただ感情だけで決めるわけにはいきません。当然貴族や国同士の力関係というものにも影響しますし、陛下の好き嫌いだけで決めてもらっては困りますので」
 好き嫌い以外の選定基準など持っていそうもない兄の顔を思い浮かべながら、クラウスはつまらなそうにうなずいた。
「ではアンファシルジア様に連絡を。彼女なら無難な判断をしてくれるだろう」


 アンファシルジア家とは、女の継嗣しか生まれなかったために王家の座をクランハイムへ譲り渡すこととなった前メルセス王家である。しかしいまだにアンファシルジアを崇める貴族は多く、先王家という実質上の権力など何一つ持たない名ばかりの地位にいるにもかかわらず、その当主の持つ影響力は強い。
 話を聞き、令嬢たちの資料に一通り目を通したアンファシルジア家現当主、マーサはほとんど何の迷いもなく五枚のファイルを選び出し、フェインに向かって差し出した。
「どうかしら?」
 マーサの選んだ五人はルース侯爵の二人の娘、カナリル侯爵の次女、ベリエ伯爵の一人娘と隣国シュスの姫君という顔ぶれだった。フェインとしては今のところ何ら問題のない国内貴族よりも他国との婚姻を進めたほうがよいのではないかと内心思っていたため、マーサの選んだ五人の中に一人しか他国の姫君が入っていないことを意外に思った。
「他国とはいっても小国ばかりじゃないの。バーリーくらいの大国なら別だけれど、小国と縁戚関係を結ぶなんてわざわざメルセスの価値を落とすようなものよ。ただ、シュスだけは意味があるわ。あそこは好戦的な国だから。懐柔しておいて損はないでしょう」
 フェインの問いかけに対するマーサの答えは明快だった。
「国内はね、本当はルース侯爵の次女が一番いいわ。家柄的にもいいし、本人にも何度か会ったことがあるけれど優しい性格のかわいらしい女の子よ。陛下とも仲良くやっていけるでしょう。でも長女を差し置いて次女とというのは難しいかもしれないわね。まあ、とりあえず五人には絞ってあげたのだからあとは陛下と一緒に選んで頂戴。政治のためだけの結婚ではかわいそうだから」
 まあ陛下はそんなふうな割り切りのできる方ではないけれど、とマーサはくすりと笑った。国王と同年とはとても信じられぬその落ち着きに改めてアンファシルジアへの尊敬を深めつつ、フェインは頷いた。
 礼を言って退室しかけたが、ふとひとつの可能性に思い当たって足を止める。
「失礼ですがアンファシルジア様……、ご自身のご結婚についてはどう考えていらっしゃいますか」
 先王家の当主ならば家柄的に申し分ない。本人同士の仲も良いようだし、マーサが王妃となってくれるならあの国王を補佐して上手く政治をやってくれるに違いない。
 どうして今まで彼女のことを思い出さなかったのかと後悔するくらい、マーサは国王にとって理想的な花嫁であるような気がしてきた。
 期待を込めて彼女を見つめると、マーサは冗談でも聞いたような顔をして笑い出した。
「あら、駄目よ、私は。だって私と結婚しても利益がないでしょう。アンファシルジアは消え行く家だもの。先王家なんてそもそもおかしな存在だわ。きっと私一代で終わり。けれど他の家は違うわ。縁戚関係を結べばきっと陛下の役に立ってくれる。だから駄目よ」
「しかし他のどの令嬢を選んでも残りの家は不満に思うでしょう。その点アンファシルジア様なら少なくとも国内の貴族は何も言わないはずです」
「そうかしら? そうも思わないけれど」
「いえ、やはりアンファシルジア家は特別ですから」
 フェインはきっぱりと言いきった。マーサは肩を竦めながらうなずいて、ありがとう、と礼を言った。
「そういうふうに言ってくれると嬉しいわ。そうね、私もまだ特定の相手はいないから候補に入れてくださってもいいわ。もし不都合でなければね」
 あっさりとした承諾の言葉にフェインは心の中でガッツポーズをした。彼の中ではすでにマーサが第一候補に決まっている。あとは二人の公爵とクラウス、当人たる国王の了承さえとれればいい。そしてマーサが王妃になってくれればフェインの今の苦労はぐっと減るに違いない。
(なんとしてもマーサ様をメルセス王妃に!)
 この時点で、メルセス国王の花嫁候補は六人に絞られた。


 六人の花嫁候補の資料を抱きかかえ、意気揚揚とフェインがまず向かったのはスー公爵の働く法務省である。
 勤務時間が終わってから行ったのだが、仕事熱心なスー公爵はいつも夜遅くまで大臣室に詰めて仕事をしているらしい。取次ぎを頼むと、会議室のひとつに案内され、公爵を呼んでくるので少し待ってほしいと言われた。仕事の邪魔をするのが心苦しくはあったものの、国王の結婚問題は公爵にとっても重大な関心事のはずである。自分を励ましながら待つことしばし、やがてスー公爵が現れた。
「いや、お待たせして申し訳ない、バルトリース殿。客が来ていたもので」
 若輩者のフェインに対しても礼儀正しい言葉遣いを崩さず、心底申し訳なく思っている様子でスー公爵は頭を下げた。 フェインは慌てて立ちあがる。
「と、とんでもありません。私のほうこそ突然の訪問をお許しください。ただどうしてもスー公爵のご判断を仰ぎたいことがございまして」
「私の?」
 容姿端麗にして温厚篤実、頭脳明晰で人当たりも抜群によいとおよそ欠点というものが見当たらない公爵は、歳を重ねてよりいっそう穏やかさを増した声で不思議そうに問い返した。
 日頃公爵のよい評判ばかりを聞いているせいか、彼の前に出るとフェインは妙に緊張してしまってすぐには言葉が出なかった。数回しか会ったことがないが、そのときの印象はまさに他の皆が口にするとおりで、会うたびなぜ彼が国王ではなかったのかと悔やまれるばかりである。
「ええ。実は陛下のご結婚相手についてです。できればこの六人の中のどなたかと、と思うのですが」
 言いながら持ってきた資料を手渡すと、スー公爵は受け取って少しの間その資料に目を走らせた。
「ほう……皆素敵なご令嬢ばかりですね」
「私としてはマーサ・アンファシルジア様が一番ふさわしいのではと思うのですが」
「なるほど。それはよいご判断ですね」
 にっこりと笑いながらスー公爵が頷く。それに力を得てフェインはさらに強く力説した。
「先王家なら家柄的にも最高ですし、いまだアンファシルジア家を信奉してクランハイムを軽んじる貴族たちに与える影響も強いかもしれません。それになんといってもマーサ様は幼い頃からの陛下のご友人でいらっしゃいますし、陛下のこともよくわかってくださいます」
「ええ、おっしゃる通りだと思います」
「でしたら公爵もマーサ様が一番よいと思ってくださるのですね!」
「いや、残念ながらそれは同意しかねます」
 きっと頷いてくれるに違いないと思っていたフェインはその言葉に虚をつかれ、一瞬ぽかんと口を開けて公爵を見つめた。
 公爵はそんなフェインの様子を申し訳なさそうに見ながらも、言った。
「あくまでメルセスの国益を考えるならばやはりシュスのアレイン姫が望ましいでしょう。シュスは小国ながら国力は強く、軍備面も充実している。対して我が国はと言えば軍事面では多少遅れていると言わざるを得ません。シュスとの交流は望ましい。国内には今のところ何の問題もありません」
「し、しかし……」
「あくまで私の意見としては、です。もちろん陛下がご自身でお選びになられるのならどなたが王妃となられても私には何の不満もない。最大限の祝辞を送らせていただきます」
 こうきっぱりと言いきられるともうそれ以上言葉を継ぐことはできなくなった。
 冷静に考えると公爵の言うことももっともなのだが、フェインはなまじマーサを推す気持ちが強かっただけに肩透かしをくらったようにショックだった。しかし公爵は何もマーサが王妃になるのは反対だと言ったわけではない。進んでアレイン姫を推すつもりもマーサに反対するつもりもないようだ。
 こうなったら残りのメンバーに期待しようと思いつつ、フェインは丁寧にスー公爵に礼を言ってその場を辞した。


「反対」
 一言で終わった。悩む素振りも何もなかった。
 いくらか予想していたこととはいえ、潔いとすら言えるその拒絶の言葉にフェインは一瞬黙り込み、すぐに「その理由は?」となるべく落ち着きを保ちながら問いかけた。
「はーんーたーいーと言ったら反対」
「ですからその理由は」
「感じ悪いだろう、あの女は」
 わかりきったことをなぜ聞かれるのかわからないというように首を傾げたのはグラス・イーグリー公爵。中性的な美貌の持ち主だが、言動にはいささかついていけないものを感じるのは自分だけだろうかとフェインはいつも思う。
「どこがですか」
「高慢。偉そう。わがまま。無愛想。冷たい。他人に無関心」
「……ご自分のことですか?」
 思わず言うと、瞬きする間もなく手刀が飛んできた。顔から数センチと離れていない位置でぴたっと手を止めたイーグリー公爵は、一瞬で顔を強張らせたフェインとは対照的ににっこりと笑って言った。
「死にたいかな、バルトリース第二秘書」
「……いいえ」
 他になんと言えばいいのかわからない。
 イーグリー公爵は優雅な動作で足を組みなおし、鷹揚に両手を広げた。
「私はクーリエの友人としてマーサが王妃になるのには断固反対する。その六人の中ではベリエ伯爵令嬢がいいぞ。顔も性格もいい。私によく手紙をくれていた。かわいい子だった」
「……手紙」
「私に好意を持ってくれていたということだ。男は乱暴で下品だから嫌いだとよく言っていたな」
「………」
 相談する相手を間違えた、とフェインはこんなところにのこのこやってきたことを痛烈に後悔した。
 しかし相手は仮にも二大公爵家のひとつの現当主である。彼女が強行にマーサに反対しているという事実は問題かもしれない。たとえそれが彼女のごくごく個人的な意見だとしても。
「しかし公爵、公爵の反対のせいでマーサ様が王妃になれなかったら恨まれるかもしれませんよ」
 自分などふさわしくないと言っていたマーサが恨みに思うことはまずないと思ったが、フェインはあえてそう言った。すると案の上、イーグリー公爵は馬鹿にしたように鼻で笑った。
「別に痛くもかゆくもない」
「そうですか。知りませんよ、クラウス様との結婚に反対されても」
 さっと公爵の顔色が変わった。
「アンファシルジア家が今でもなお強い影響力を持っていることはご存知でしょう。その当主たるマーサ様が表立って反対するとなると、いくらイーグリー公爵様といえお苦しいのでは」
「……………………」
 イーグリー公爵は今までの勢いが嘘のように黙り込んだ。フェインは今でも信じられないが、どうやら彼女は本気でクラウスと結婚したいと思っているらしい。つくづく何がどういうきっかけになってどうなるかわからないものである。
「よくお考えください」
 まるで脅しているようだと思いながら、フェインはその言葉だけ残してイーグリー公爵の私邸を辞した。


 普段はまったく意識もしないが、役職上、第一秘書は第二秘書の直属の上司である。
 よって重大な用件はすべて第一秘書を通じて国王に奏上するのが本来的な流れであろうと思ったフェインは、六人の令嬢の資料を持ってクラウス第一秘書の元を訪れた。しかしその彼に対してクラウスがくれた一言は、
「いちいちそんなくだらんことを俺に言うな」 だった。
「……おそれながら殿下。殿下を無視して話を進めることは部下としてできません」
「だったら命令だ。俺のことはいないものとして無視すること」
「……できません」
 そうできたらどんなにいいかと思いつつ、内心の憤りをぎりぎりのところで押し隠しながらフェインは首を振った。
 クラウスは無言でしばらくフェインを見つめたが、やがて言い争うのも面倒だと思ったらしく、右手を振った。
「この六人の中から好きな相手を選べとあの馬鹿に言えばいいんだな?」
「そうです。そしてできればマーサ様を推していただければよいのです」
「いやだ。俺にはそんなことをする理由がない」
「陛下のためなのです! 陛下にはマーサ様が一番お似合いなのです!」
「他の令嬢をよく知りもしないくせに何でそんなことが言える」
「マーサ様が王妃になってくださったら私の仕事が減るんです!」
 勢いで口にした後でしまった、と思ったが時すでに遅かった。一度言った言葉は取り返しがつかない。
「……なるほど」
 何か厭味を言われるに違いないと身構えていたが、クラウスは妙にしみじみとそう呟いただけだった。それからぱらぱらと令嬢たちの資料をめくり、その中から一部だけを選び出すと残りをフェインにつき返した。
「あの馬鹿に選ばせるのは面倒くさい。アンファシルジア様との結婚を勧めよう」
「………」
 フェインの仕事が減るということは同様にクラウスの仕事も減るということである。
 利害は完全に一致している。そこまでかってに話を決めていいのだろうかという一分の疑問を抱きつつ、それでも反論する理由もなくフェインは残りの資料を受け取った。 が、そのとき。
 ノックの音とともに扉が開かれ、見たことのある若い外務省職員が姿を見せた。
「失礼します。クラウス殿下、バルトリース殿、つい先刻シュスの使者が参りまして、まもなくアレイン姫がこちらに来られるとのことです」
「何をしに?」
 驚きのあまりフェインは思わず馬鹿な質問をした。職員はごほんと咳払いをして、
「表向きは友好を深めるための訪問ですが、事実は陛下とのご結婚についていっこうに返事がないことに業を煮やされたのではないかと」
「………」
 所詮物事は思い通りにいかないものである。
 フェインとクラウスは顔を見合わせ、すぐに目を逸らした。フェインは思わず深いため息を漏らす。
 そして波瀾の花嫁選びは国王本人は何も知らぬまま、重大な局面を迎えようとしていた。


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あとがき / 非常に懐かしい話ですね……。書いたのも1年くらい前ですが、げほげほ。要するに他にUPできる作品がないということを露呈しているようなものですな。