時の流れを、意識したことはあまりなかった。 それは自分には無意味なもののように思えた。移り変わり、消えていくものたち、変わらずに残っているもの。時折街へ出て買い物をしたり用もなく歩き回ったりする毎日の中で、街並みも行き逢う人の顔も少しずつ少しずつ見知らぬものになり見慣れたものになり、そういう月日が長く続き、消えることも生まれることも当たり前になる。 ここはこんな風だと思う。 春になればいっせいに息吹く木々の新しい芽や咲き誇る花の香り、夕方の家路を急ぐ仕事帰りの人々。冬、雪が降り出す前の空が見せる一瞬の何もない凍りついた白さ、道端で蹲る、ただ日がな一日そこに蹲っているだけの初老の男。気まぐれにコインを投げて落ちる、その金属的な乾いた響き。それらすべてがずっと前からそうであったように、これから先もずっと続いていくもののように。 「アトリ」 けれど彼と出会ってから、一日一日、僕は時を意識する。彼の成長がそうさせる。彼はこの世界にひとりしかいない。かけがえがなく永遠でもなく、変わりゆきやがては消えていく、僕の愛する『子』。 出会った時はほんの腰ほどの高さだった背がいつのまにか胸元くらいまで伸びたマクシミリアンは目を上げて空を仰ぎ、「雪が降りそうだ」と言って僕の手を握る。その手を握り返して僕は笑い、雪が降り出さないうちに帰ろうと足を速める。 彼がいなくなった後の自分を、僕はもう想像することさえできないでいる。 「ねえ、神様を信じている?」 その問いかけをずっと前から予想していた。そしてその時を恐れていた。 「信じているよ」 「でも祈らない」 彼の透徹した眼差しは子供すべてが持つものなのか、捨てられた子供だけが持つものなのか、それともどのような境遇に生まれようとも彼が彼である限り持っているものだったのか、僕には判断がつかない。その眼差しはあらゆる偽りを見透かすように見える。年をとらないことを隠しきれなくなったときと同じように、神を持たないことを僕は告白しなければいけないのだろうか。そしてその理由を? 「祈る必要がない」 「幸せを」 「満たされている。今日も、明日も。君がいてくれる限り」 だから祈らなくてもいい。今自分は幸せであり、そしてその幸せが永遠でないことを知っている。ただそれだけのことに祈りは必要ない。知っているだけで十分だ。今が確かに存在するだけで。 「――あなたの迷いを」 告白を――懺悔をすべきだろうか、今ここで? マクシミリアンはいつも感情をどこかに置き忘れてしまった人形のような顔をしている。抑揚のない話し方は時にそれを聞く者に威圧感と居心地の悪さを与える。僕は不自然に彼から目を逸らし、俯いて指先に視線を落とす。その眼差しを、生命を、揺らがない声を、僕はいつも畏怖している。 「僕には生殖機能がある」 ドクターの残した記録を見てそのことを知ったのはもうずっと前だった。僕を作り、僕に息子の名を与え、僕を愛してくれたドクター・ランドクリフ。けれどたった一つだけ、そのことだけを僕は受け入れることができない。なぜあなたはそのような機能を僕に与えたのですか。年をとらない身体で、普通に女性を愛しともに生きていけるはずなどないのに、なぜ子をなすことは可能な身体を与えたのですか。 「僕が子供をつくる。その子はいったい何だと思う? 年はとるだろうか。とるかもしれない。そしてまた子を産むだろう。その子がまた子をつくり、ずっとずっと続いていく。もしそうなら――そうなら、境界はどこにあるんだろう? 人と、人でないものの境界は。……どこへ行くんだ。僕は……僕の子供たちは――」 誘惑は絶えず僕を襲う。ひとりで生き続けるにはこの世界はあまりに広く、時間はあまりにも長い。だから僕は時を意識しないように暮らしてきた。それはたぶん、生きているというにはあまりにも意味のない、ただそこにあるだけの、無機的に渇いた存在。生からも死からも、それは果てしなく遠い。 「僕が子どもをつくる」 マクシミリアンの声に目を上げ、見ると彼はまっすぐに僕を見つめていた。 「その子がまた子をつくる。ずっとずっと――あなたがひとりにならないように」 彼の小さな手が僕の髪に触れ、頭を抱くように、静かに静かに引き寄せる。思いがけず聞いた彼の心臓の音に耳を澄ませ、僕はしばらく、――しばらく、目を閉じてその音を聞いていた。この世界にたったふたり残されたように。 「アトリ。人は人がつくる。だからドクターがつくったあなたは人間なんだよ。人間なんだ」 人は人がつくる。愛し合って。 ああそうだねと僕は笑い、身体を離し、今度は僕のほうからその小さな身体を抱きしめた。永遠を、僕は望まないけれど。変わらずにいることを、僕はもう願ったりしないけれど。 ただ彼と、いつまでも、こうしていられたらいいと思う。 祈らずに、ただ、そう思う。 |
| あとがき / クリスマスが近いので冬らしい話をということで。季節としては冬が一番好きです。現実ではこたつで丸くなり春を待ちわびる日々ですが、冬が一番きれいな季節だなあと思います。 |