理由 3





 自分の考えなしな言葉を、結局俺はすぐ後で後悔する羽目になった。
 楠原の家で実際にベッドを目にしてみて、男二人が並んで寝るにはあまりに狭すぎるという事実をいやおうなくつきつけられたからだ。それでも一度言ってしまった手前内心の動揺を隠して横になると、そのあまりの距離の近さに改めて驚かされた。
 寝返りひとつうつのでも、楠原にまったく触れないではできない。どうしても身体のどこかがぶつかってしまう。それくらい狭い。背中合わせに向き合っているのに、互いの息遣いさえ聞こえてきそうなくらい。
 普段なら気にも留めない静かな呼吸の音と時計の秒針が立てる音が妙に気になる。酔っていて眠たいはずなのにどうしてだか目が冴えている。
「友井さん……、起きてますか」
 楠原の囁くような声が大きく聞こえてびっくりした。
「ああ」
「やっぱり……寝れませんよね。俺、友達のとこ行きます。明日の朝帰ってきますから」
 起きあがろうとする気配に驚いて、とっさに楠原の腕を掴んだ。
「行くなよ。俺が追い出したみたいで、気分悪い」
「だけど」
「いいから。寝れるって。大丈夫だ」
「でも、俺は寝れないです」
 真っ暗な部屋の中、俺が掴んだ自分の右手を見下ろして、楠原がぽつんと呟いた。
「俺は、寝れない」
 もう一度そう言うと、楠原は俺の手をやんわりと振りほどいて立ちあがった。一緒だと寝れないと言われて、それでも一緒にと言えるほど無神経にはなれなかった。でも人の家に来て主人を追い出し自分だけ眠ることも、俺は耐えられないと思った。
「楠原。だったらやっぱり俺が出て行く」
「え?」
「タクシー呼んで家に帰るよ。それが一番いいだろ」
「だ、駄目です、そんな」
 楠原の声が焦りを帯びたものに変わる。ばか、お前、そんなに俺に気を遣ってどうすんだよ。誰がどう考えても俺が家に帰るのが一番簡単だろう。
「そうしたらお前の友達にも迷惑かけなくてすむし。変に気ぃ遣わせて悪かったな」
「駄目です、いてください。お願いです」
 今度は楠原が俺の腕を掴んで引きとめようとする。さっきとまるきり逆じゃないか。おかしくなって思わず笑った。こんな夜中に男二人で何やってんだと思ったらおかしかった。本当にいったい何をやってるんだ。
 楠原は笑わずに、俺の手を掴んだまま、本当に弱りきったような顔をした。目がすっかり夜に慣れて、そんな表情でさえはっきりとわかった。
「だったらやっぱり一緒に寝よう。お前、どうやったら寝れる?」
「どうやったら、って……」
「変に気にするから駄目なんだろ。いっそ手でもつないで寝るか」
 最初から触れていたらあえて気にならないかもしれない。そう思ってかなり本気で言ったのに、楠原は一瞬目を見開いて、それから大きくため息をついた。
「友井さん、全然わかってない」
「何だよ」
「俺、本当はあなたに触れたくてたまらないんですよ。でもちょっとでも触ったら抑えがきかなくなりそうだから我慢してるのに。なのになんで平気でそんなこと言えるんですか」
 触れたくてたまらない。
 真顔でそんなことを言われるとは思っていなかった。どう返事をしたらいいのかわからない。
「俺はそんなに理性的な男じゃないです。あきらめるって言ったけど、でも、こんなに近くにいるのにあきらめられない。好きな人と同じベッドに寝て平気で眠ったりできない」
 痛みを感じるほど右手を強く握り締められて、俺は戸惑いながら楠原を見つめた。名前を呼んで、落ち着けよと言おうと思った。俺が無神経だったよ悪かった。そう言おうと思って。
 しかしそれを口に出す前に、掴まれた右手が急に強く引かれた。え、と思うまもなく次の瞬間には思いきり楠原に抱きしめられていて、思考が一瞬停止した。
「な……」
「好きなんです。俺、友井さんが好きだ。あきらめられない。俺あきらめられないです」
「く、楠原。ばか、落ち着け」
「いやだ。俺、もう耐えられません」
 抱きしめられたままベッドの上に押し倒された。楠原の身体の重みを感じて急に恐怖を覚えた。おい、嘘だろ。お前何するつもりなんだよ。
「くすは……」
 突然口を塞がれた。すぐに舌が差し込まれてきて、慌てて口を閉じようとしたが遅かった。楠原の舌が俺の舌を捕らえて吸い付いてきた。あまりのことに身体に力が入らない。頭を抱かれ、身体を密着させたまま楠原はなかなか口づけをやめようとはしなかった。服越しにも楠原の身体が興奮しているのがわかって本気で怖くなった。
 どのくらい続いたのかわからない。唇が離れてほっと息を吐き出したのもつかの間、楠原は今度は俺の肩に顔を埋めてきた。
「楠原。おい、やめろ馬鹿」
「いやです。やめない。どうせ俺のこと好きになってくれないんだったら嫌われたってもういい。俺はあなたのこと抱きたい。ごめんなさい」
「謝るくらいならするな!」
「じゃあ、謝りません」
 楠原は俺より背が高い。その相手に上から抑えこまれると上手く力が入らない。のしかかられて首筋に口付けられるとぞっとした。
「楠原……この、馬鹿!」
 ぶちきれて頭を思いきり殴りつけると、ようやく楠原の動きが止まった。頭を抑えて小さくうめいている間に楠原の身体を押しのける。
 くっそ馬鹿野郎。
 俺が悪いのか? 楠原の気持ちを知っててのこのこ泊まりになんて来たから?
 そんなわけあるか。俺はその気がないってはじめから言ってるし、楠原だってあきらめるって言って普通の同僚として付き合ってきたんだから泊まるのだって別にそんなおかしいことじゃない。何で男に襲われるなんて思うんだよ。
 ベッドから下りると鞄と上着を掴んだ。これ以上ここにいられるわけがなかった。
「友井さん!」
 追いすがるような楠原の声が聞こえた。顔も見たくなかったから振り返らずにそのまま足早にドアに向かった。まさか追いかけてきたりしないだろうなと少し不安だったが、部屋を出て階段を降りても、楠原が追ってくる気配は感じられなかった。ほっとすると、シャツだけの身体に急に寒さを感じ始めた。
 身震いして慌てて上着を着た。ああ、俺、コートを忘れちまった。そう気づいたが今取りに帰れるわけがない。携帯もコートの中に入れたままだ。
 ちくしょう寒いと毒づきながら、仕方なく、俺はタクシーを呼ぶために電話ボックスを探さなければならなかった。


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あとがき / このあたりを書いたのは実は2年くらい前だということが先日判明しました。2年って……長いような、あっという間のような。本当に続き書けるんだろうか自分。