赤く染まった太陽が山の向こうへ沈むのを、目が痛くなるほど長い間、眺めていた子供の頃のことを思い出した。 晴れた日の夕方だった。夏休み。友達と走り回って遊んだ一日が過ぎるのは不思議なほど早く、気がつくといつのまにか日差しは緩み、東に明るい青空を残したまま、西の空は薄紅色に染まっていた。 青と、赤と、橙色と、紫。雲の灰色、白、そして光。 空は薄ぼんやりと光を放っていた。夜を間近に控え、世界じゅうに別れを告げるように弱々しい光を投げかけている。そう感じた。夕方になってようやく吹き始めた生暖かい風に雲が流れて形を変える。光の具合も少しずつ、色を変えて互いに互いを侵食し、溶け込み、紛れて色を失っていく。すべてがやがて闇に沈み込む。その様子を、友達が帰っていくのもかまわずに一人、身動ぎもせずに見ていた。 こんなに美しいものがあるのかと、思ったのがはじめ。 今まで何気なく見ていた夕焼けや夜明けが、すぐに彼の一番好きな光景になった。 留められない一瞬。写真では決してすべてを表すことができない、街の空気の匂いや、吹き過ぎていく風、バイクや車のエンジンの音、そうしたすべてを閉じ込めた一瞬の光景が、そのときたしかにすぐ近くにあったすべてのものが、どうしてだか懐かしいと思った。胸の奥が熱くなるほど。 この一瞬を閉じ込めることができるならと、願ったのがはじめ。 真っ白なキャンバスの前で放心したように立ち尽くしたまま、いまだに描くことのできないすべてのものに思いを巡らせた。描きたいものと自分の非力な力とのあまりの差に時々愕然とする。絶望しながらそれでも描くことをやめられない。描きたいのは一瞬だ。ただその一瞬。 そのとき静寂を破るインターホンの音に栗坂夏生ははっと我に返った。 「夏生。ごめん、タオル貸して」 ドアの向こうにはずぶ濡れになった従姉が立っていた。 「晴見さん」 「すごい夕立。信じられない。そんなこと全然天気予報で言ってなかったのに」 「夕立?」 気付かなかった。夏生は晴見の肩越しに外を見た。 「もう止んでるよ」 「うん」 勝手にタオル使って、と晴見に言い、一人で外に出た。彼女の言うとおり夕立は今はもう止んでいて、地面に残る水溜りに雨の名残が見えた。それから灼けたアスファルトから立ち上ってくる雨の匂い。 遠くで空が鳴った。 夕焼けと明るい空からは考えられない雨と雷。それでも雨上がりの匂いと聞こえてくる響きは不似合いに現実だった。部屋の中で蒸せ返るようだった暑さは、雨のあと、少しだけ気温が下がったのだろうか。雨の匂いを含んで吹く風を涼しく感じた。 蝉がすぐ近くで鳴いている。 気付かなかったいろいろなものに気付く。時間をかけて、少しずつ。その一瞬一瞬の驚き。この世界に満ちているいろいろな音や光景、匂いや気配に、すぐには気付かないいろいろなものを見つける。気付かされる。少しずつ。 心の底から求めている一瞬はこんなにも、いつも、自分の中にあるのに。 どうしてそれをキャンバスの上に留めたいと願うのか、自分でもわからなかった。今この瞬間、たしかに自分の中に強烈にあるものをどうして残したいのか。 「夏生」 いつのまにか晴見がすぐ隣に立っていた。頭からタオルを被り、立ち尽くしたまま動かない幼馴染みを心配するように見上げてくる。彼女の手がそっと夏生の指に触れ、彼はその指を握り返した。 キャンバスの中に永遠を探す。 移り行く感情さえも留めることができるなら。一瞬を永遠に留める術を探している。夕焼けに子供の頃を思い出すように、いつの日かこの気持ちを懐かしく思い返す日のために。大切に思ったことを忘れてしまわないように。 指先から伝わってくる温かさに、夏生は小さく息を吐いた。 また、遠くで空が鳴った。 |
| あとがき / 夏生って名前今気付きましたが暑苦しいなあ。ハルミがいるのであとは秋と冬ですね……(遠い目) |