翌日、二限目の英国古典の授業の始まる前、最後列に近い場所に座っていた温の横に今日子が座った。 「温くん、昨日はどうだった?」 大きな青いハイビスカスの模様のプリントシャツに短めのパンツ、素足にヒールの高いミュールを履いた今日子の姿は涼しげで、学部内での人気が高いのもわかるなと温は思った。男女問わず誰とも仲良くやっているようだし、成績も優秀だ。 「昨日ね……別に。頭がいい子だな、かなり」 「でしょ。家庭教師なんて必要ないのにね」 「でも愛想悪い。かわいげねぇ」 「うっそ、かわいいわよ? そんないっぱい喋るタイプじゃないけど、素直だし、いまどき珍しいくらい純情で」 「なにそれ。誰の話だよ」 純情? 少なくとも昨日の夜会った廣瀬翔太は「純情」という言葉からは遠いように思えた。真面目そうではあったが、その反面でどこかひどく冷めているような印象があった。 それに感情を見せない目。乾いた口調。まるではじめから他人との間に線を引いて、ここから踏み込むな、関わるなと言っているようだった。よほど嫌いな相手に対しての態度としてならまだ理解できるが、初対面の相手に向ける態度ではない。 「それとも女と男じゃ態度違うのかね。俺が男だから気に食わないとか」 「……男だから、とかじゃないと思うけど」 「なんだよ。じゃあ俺だから気にくわないのか」 口に出すと、それは有力かもしれないという気になった。温の茶色く染めた長めの髪や、だらしない服装が翔太のような真面目な学生には耐えがたいものに思えるのかもしれない。 温の呟きに今日子が何かを言いかけたが、ちょうどそのとき遅れていた教授が入ってきたので黙りこんだ。温は自分の前髪をちょっといじり、別に、と思った。 (別に俺だって染めてるほうがいいと思ってるわけじゃないし、服は……金があったら、いいの買うけど) 髪はちょうど高校時代の友人の一人に美容師志望の男がいて、そいつの練習台としていろいろ好きにさせているだけだ。本当は金髪に染めたいと言っていたのだが、さすがにそれは遠慮した。温は金髪でも笑い者にはならないくらいに似合うと妙な説得をされたが、拒否した。さすがにそれではアルバイト先でも嫌な顔をされてしまうだろう。 あーあ、と思った。好きな女の好きな男に軽蔑される。何が悲しくてそんな役割なんだと思った。どうせなら廣瀬翔太に、自分なんか到底叶わないと思わせるくらいのいい男の役がやりたい。温の片思いの相手は翔太のことが好きでも、それは決して温が翔太に負けているという意味ではないのだとせめて思っていたい。 頬杖をついて教壇で喋る教授の姿を眺めながら、どうしても、授業に集中することができなかった。 土曜日、六時五分前に家を訪れた温が部屋に入るなり、瀬奈が口にした一言は温の頭を一瞬凍りつかせた。 「私、昨日廣瀬くんに告白したの!」 「あ……そう」 動揺を抑えようと思ったら必要以上に無関心な口調になった。案の定、瀬奈は少し傷ついたような顔をして「あ、そうって、それだけ?」と唇を尖らせた。 「や、ごめん。とりあえず座りなよ。部屋の中で立ち話も変だろ」 ドアをくぐるなり飛びつくようにして言った瀬奈をなだめて椅子に座らせる。その隣に腰を下ろして、ちらりと瀬奈の顔色を窺った。 告白したというなら、その返事はどうだったのだろう。オーケーだったならもう少し興奮しているような気がするが、かといって駄目だったならもっと落ち込んでいるはずだ。 「で、答えはどうだった」 「まだなの。考えさせてくれって、月曜まで」 瀬奈の顔には不安と期待が入り混じっている。すぐに返事がないということは、完全な拒絶でないだけましだが、言いかえると別に瀬奈のことを好きではない、という意味だ。少なくとも今までは彼女のことを特別視はしていなかったということ。 けれどもちろん、付き合い始めてから本当に好きになることもあるだろう。 「あー、もう気になっちゃって勉強どころじゃないよー」 「こら、勉強しない言い訳を最初にするな」 「だって本当なんだもん。先生だって同じ立場だったら勉強なんて手につかないよ! 私ホント、月曜までどうしよー。ねーどーしよー」 「落ち着けよ、もう」 仕方ないのかもしれないが瀬奈は興奮して真っ赤な顔をしている。これは本当に今日授業をしても無駄かもしれないと思ったときに、不意にぶるっと寒気がした。 「おい、ちょっと寒すぎないか?」 「え、そんなことないよ。私暑いくらいだし」 「二十度は低すぎるだろ。もうちょっと上げてくれ、頼むから」 思わず腕をさすると、瀬奈は「そうかなあ」とぶつぶつ呟きながらも設定温度を上げた。クーラーをつけないという翔太とは正反対に瀬奈は六月に入ってからすぐクーラーを入れ始めた。眠るときにもつけているらしい。かなりの暑がりらしく、ノースリーブでもまったく平気な顔をしている。 (両極端なんだよな) こんな二人が付き合ったってうまくいくわけがないと負け惜しみに思った。翔太がどう返事をするつもりなのか知らないが、仮にオーケーだったとしてもすぐ駄目になるに決まっている。 けどもし月曜の返事がノーだったら瀬奈はきっと泣くんだろうなと思うと、やはりかわいそうになった。ノーだったほうが自分にチャンスがあるのだと思っても、それでも、好きな相手が泣くのは見たくない。自分より年下の女の子が。 「少しは落ち着いた? 勉強できそう?」 「駄目。今日は絶対無理。できない」 「じゃ、俺は帰ろうか?」 「やだ! 私先生に話聞いてもらおうと思って待ってたんだから! 今日は勉強なんてやめて一緒にお話しよ? たまにはいいでしょ?」 温の腕をぎゅっと掴んで見上げる、その大きな目がずるいと思いながら、温はその手を振り解くことができなかった。その反面、肌が触れ合ってることにどきどきしているのは自分だけで、瀬奈はまったく自分のことをそういう対象としては見ていないのだろうということが悔しくもあった。 「次からは頑張るから。ねえ、お願い」 「仕方ないな。何が話したいんだ。廣瀬くんのこと?」 「うん。それと恋愛のこと。先生の彼女のことも教えて」 「……やだね」 「えー、ずるーい。私は全部教えてあげてるのに!」 「馬鹿、俺が聞いたわけじゃないだろ。瀬奈ちゃんが勝手に喋ったんじゃないか」 「ぶー、教えてよー。男の人ってどういう女の子が好きなの? 私、どういうふうにしたら廣瀬くんに好きになってもらえる?」 結局彼女が知りたいのはそれだけなのだ。温は苦笑した。温に興味があるわけでもなんでもなく、ただ同じ男として、どういう女を魅力的に感じるか聞きたいのだ。 まだ子供でも、女はずるいと思った。だが憎めない。自分勝手なのは男だって同じだ。違うのは、男はこんな風に素直にはなれないということ。自分の感情を素直に表すことが苦手で、だから時々こういう目にあう。 「その前に、どういう風に告白したのか聞かせてほしいね」 尋ねると、いきなり瀬奈がかあっと顔を赤くした。厭味なくらい正直だ。瀬奈は机の上に両手を投げ出して、「あー」と声をあげて首を振った。 「なんで私言えたんだろ。廣瀬くんが部活に行く前、たまたま一人だったとこに声かけて、好きですつきあってくださいって言っちゃった。なんかもうすごい早口だったし、変な奴って思われたかも。あー、もー」 「まあ、びっくりはしたかもしれないけど、緊張してるのがわかっていいんじゃないの」 「だって廣瀬くん、今まであんまり話したことないし」 「でもその場で断られなかったんだろ。考えるって言ってくれたならいいじゃないか」 「だってー、月曜に断られるかもしれないもん。なんかそういう気がする……」 温は瀬奈のことをさっぱりした性格の女の子だと思っていたが、こと廣瀬翔太のことになるとそうもいかないらしい。まあ、恋愛についてまでさっぱりだったらそちらのほうが問題があるのかもしれない。しかしそんな愚痴を聞かされる人間の身にもなってほしいと思う。 「断られたら俺が慰めたげるよ」 投げやりに笑いながら言うと、瀬奈は一瞬だけすがるような顔になったが、すぐに首を振った。 「ううん、いい。私、たぶん断られても廣瀬くんのことあきらめられないから」 「一途だね」 「うん。先生のことも好きだから、優しくしないでって言っとくね。ふられてすぐに先生によろめきたくないから。そういう自分がやだもんね」 そう言ってにっこり笑う。こういうところが、と温はもうどうしていいかわからないように惨めな気持ちで思った。 瀬奈のこういうところが好きな自分は、最初から報われない恋を求めているみたいだった。瀬奈が翔太にふられたところで自分にチャンスはないと釘をさされてしまったというのに、こういう風に言える彼女が好きだった。とても。 「いい返事がもらえるといいね」 そう口に出した自分の本心すら、よくわからないと思った。 日曜日は朝から掃除のアルバイトへ行く。駅から徒歩で十分ほどの距離にある十九階建てのビルが仕事場で、午前九時からたいてい午後五時まで。夏場はそうとう暑くて汗だくになるが、時給九百円というのが魅力で始めた。他のアルバイト仲間も性格のいい奴が多く、やりやすいから気に入っている。 今日はバイト料が入る日だったから、温は帰りがけに駅前のアパレルショップで半袖シャツとスラックスを買った。服装でだらしがない人間だと翔太に見下されるのがいやだという、自分でも馬鹿げた見栄からだった。ついでに髪も少し切りたかったが、美容師見習の友人は適当という言葉を知らず、いざ髪をいじるとなったら長いからなかなか頼む気になれない。 アパートに帰って風呂に入り服を着替え、今日の授業のための準備をしてから家を出たのは七時十分過ぎだった。正直言って、翔太に会うのは憂鬱だった。またあの冷淡な表情で迎えられるのかと思うことも、そしていったい彼が瀬奈の告白に対してどう答えるのかと思いながら授業をするのも。 その日も迎えてくれたのは翔太の母親で、その後ろに隠れるようにして妹が温を見上げていた。名前は何ていうんだろうなと思ったが怯えられても困るので、彼女に少しだけ笑いかけてから、直接翔太の部屋に上がらせてもらった。ノックをすると、すぐに返事があって翔太が部屋のドアを開けた。 「こんばんは、今日もよろしくお願いします」 「ああ、よろしく」 無愛想なくせに礼儀正しいから文句も言えない。やれやれと肩をすくめながら部屋に入り、木曜日に来たときと同じにきちんと整理されている室内を見まわした。 「きれい好き?」 「普通です」 椅子に腰を下ろして、さっきまで読んでいたのか、英語のペーパーバックを本棚に仕舞った。温は彼の前に用意してきたプリントを差し出して、部屋の隅に置かれてあるCDコンポのそばに屈んで、持ってきたカセットテープをセットした。 「TOEICのヒアリング、四十五分。やったことある? ない? じゃあ説明文もよく聞いて。はい、はじめ」 カセットテープから流れてくる英語に、すぐに翔太は集中した。その隣に腰掛けて、彼の集中を邪魔しないように温はそっとその様子を観察する。日に焼けた肌。短い黒い髪。陸上部に入っているというその身体はさすがに引き締まって、服の上からでもきれいに筋肉がついているのがわかる。それでいて賢そうに見えるのはもともとの顔立ちと、彼本人の努力、付け加えるならその無表情さのせいだろうかと思った。 人目があるからか、プリントに向かう翔太の背筋はぴんと伸びて恐ろしいほど姿勢が良い。若さと精悍さが入り混じった端正な横顔は、見れば見るほどむかつくなと温は思った。だがもちろん彼が悪いわけではなく、ただの八つ当たりだ。自覚は十分にあるからよけいにいらいらした。翔太にも、自分自身にも。 翔太を見ていても腹が立つだけだったので、所在無く部屋の中を見まわした。次の授業の教材作成でもすればいいのだが、テープが流れているところで集中するのは難しい。 立ちあがって本棚のそばに近寄った。ちらっと翔太が警戒するように振り返ったが、すぐに正面に向き直した。別にエロ本探そうなんて思ってねーよとその背中に呟いて、温は本棚を見つめた。 懐かしい高校のテキストがたくさん並べられてある。自分の高校時代、まだそれほど昔のことでもないのに、随分遠い日の出来事のように感じた。適当に遊んで適当に勉強した三年間。おかげで大学に一年浪人し、かといって一年間ずっと受験勉強をしているのもいやで逃げるようにアメリカに短期留学した。向こうでの生活は楽しかったが、逃げ出してきた自分がより厳しい新天地で何か成し遂げられると思うほど楽天的にはなれなかった。 本棚には教科書や小説のほかに、陸上部らしくマラソン関係の本や雑誌が何冊か並べられてあった。個人的に陸上自体にそれほど興味はなかったが、翔太がしていることという意味での興味はあった。許可も得ずに雑誌を一冊取り出してぱらぱらとめくった。 「君が好きなのって長距離? 短距離?」 思わず口に出してしまってから、今はヒアリングのテスト中だということを思い出した。やばいと思ったが口にしてしまったものは取り消せない。今のは独り言ということで、と自分に言い訳したときに、「長距離です」と翔太が返事をした。 驚いて振り返ったが、翔太は相変わらずよい姿勢でテストに取り組んでいる。 「わりぃ」 俺はどこまで馬鹿なんだと自分自身を情けなく思いながらその後ろ姿に呟くと、翔太は温に背中を向けたまま小さく左手を上げた。温は翔太に聞こえないようにこっそりため息をついた。 翔太の隣に再び腰を下ろして、どうせ何をしても集中できないならと一緒にTOEICのテープに耳を傾けた。過去二度ほどしか受けたことはないが、二度ともヒアリングのほうがリーディングよりも点がよかった。集中さえできれば話している内容はたいてい聞き取れる。テープに耳をすませながら翔太の手元を覗き込むと、さすがにこの間のテストのようにはいっていないようだった。ヒアリングとスピーキングが全然駄目だと言っていたのは謙遜でもないらしく、頻繁に小さなため息や頭をかく仕草が見られた。 なんでも涼しい顔でやってのけそうな奴でもやっぱり高校生だ。当然できないこともあるということが温をほっとさせた。テープが終わった後、翔太はシャーペンを投げ出して一つ大きなため息をついた。 「ほとんどわかりませんでした」 「うん、ほっとした」 思わず正直にそう口にすると、翔太がむっとしたような顔をした。無表情かと思っていたがこんな顔もするのかと温はむしろ好意的にその表情を受け止めた。 「皮肉じゃなくて。今からできたら俺が教えることがなくなるだろ。まだ高一なんだし、今からいくらでも勉強できる。君は十分賢い。頑張れ」 肩を叩くと、翔太は素直に頷いた。答案を渡して自己採点させる。正答率はざっと見て三割くらい。はじめてで高一だということを考えればいいほうだと思った。 「どうする。答案見ながらもう一回聞く? 疲れてたら、答案だけ見て知らない単語を調べていってもいいけど。どっちにしろテープは置いていくから」 「もう一回聞かせてください。一人で聞くより今のほうが集中できると思うから」 「ああ、じゃあもう一回」 再びテープをセットした。今度は始めから温も集中してテープに耳を傾けた。抑揚の少ない、機械的な喋り方。聞き取りやすい丁寧な発音。標準的なイントネーション。日本語よりも英語のほうが感情表現が豊かにできるのはどうしてなんだろうなとよく考える。決して日本語の語彙のほうが少ないわけでもなく、むしろ表現としては多いくらいなのに、それを口にする文化的な土壌がない。告白と言ったら馬鹿の一つ覚えみたいに好きですつきあってください、だ。 つい嫌な方向に思考が流れそうになって慌てて引き戻した。TOEICで正答を出すためにはヒアリングはもちろん、ある程度の単語力も絶対必要だ。高校一年生ならまだ単語はあまり知らないと考えたほうがいいだろう。しかし単語を覚えるのは授業中だけでは不可能だから、宿題と言う形ででも着実に自習で身に着けていってもらう必要がある。 とりあえず英検二級レベルの単語帳を一冊丸ごと覚えさせようと心の中で決めた。それから認めたくないことを自覚する。正直、瀬奈の授業を考えるより翔太に何を覚えさせようかと考えるほうがはるかに楽しいのだ。まだ二回目の授業だが、彼が優秀なことも、宿題を出せば確実に言われた通りのことをしてくるだろうこともわかる。自分の言う通りにして生徒が伸びるのを見るのは嬉しいだろうと、瀬奈のときには思わなかったことを考えた。優等生が先生に気に入られる理由が今ならわかる。教える立場にある者としてはやはり、生徒が優秀だと嬉しいのだ。 (悔しいな、くそ) 悔しいが、もともと翔太本人が嫌いというわけでもないから彼に対する怒りはあまり持続しなかった。瀬奈に好かれているということに対する嫉妬はもちろんあるが、それだけで悪いところのない年下の高校生を嫌えるほどひとりよがりにもなれなかった。 テープを通して二回聞くと、それだけでもう今日の授業はほとんど終わってもいいくらいの時間になった。 「じゃ、またいつか同じのやるから、時間があるときはテープ聞いて、知らない単語もなるべく覚えるようにして。大変だと思うけど」 「いえ、勉強になります。ありがとうございます」 翔太がぺこりと頭を下げて少しだけ微笑んだ。やっぱりこいつでも笑うんだなと、当たり前のことに温は嬉しいような悔しいような気持ちになった。無表情だと思っていたのは単に人見知りをしていただけか。少しは温に慣れてきたのだろうか。 「あー、もし嫌だったら答えなくていいけど」 「何ですか」 「君彼女いる?」 せったく慣れてきているようなのにまた軽蔑されるだろうかと思ったが、しかし翔太が瀬奈の告白に対してどう答えるつもりなのかやはりどうしても気になった。 翔太は温を見て、また表情の見えない顔に戻った。やっぱりだめかと温は肩を落とした。 「今は、いません」 しかし翔太が独り言のように視線を落としてそう言ったので、温は顔を上げた。 「先生……もし、何とも思ってない相手から告白されたりしたら、どうしますか?」 「どうって……」 「断るのが簡単だってわかってるんです。けど、もし相手に特定の誰かがいないんだったら、もし自分が告白する側だったら、ためしにでも付き合ってみてほしいって思うだろうから。そのとき好きじゃなくてもいいから、チャンスがもらえたらって……思うだろうから。そういう風に付き合うのは、相手に失礼なことですか? 僕はそういうの、よくわからないんです」 温と目をあわさないようにして淡々と呟いた翔太の言葉は、迂闊に尋ねてしまったことを猛烈に温に後悔させた。まるでこれでは、温の言葉が瀬奈への返事を決めてしまうようだと思った。翔太は返事を決めかねている。瀬奈のことは今は何とも思っていない。けれど付き合ってみてもいいとも思っている。 あるいは、断っても。 「……今まで誰かを好きになったことがあるか?」 「あります」 翔太は即答した。すごく、そう付け加えて唇をかみ締める。けれど上手くいかなかったのだということはその表情を見るだけでわかったからあえて聞く気にはなれなかった。 温はため息をついて、椅子にもたれて天井を仰いだ。瀬奈の泣く顔と喜ぶ顔がいっぺんに浮かぶ。ふられた彼女を慰める自分。翔太と付き合えると喜ぶ彼女を見て嫉妬する自分。どっちも嫌な役回りだった。けれど慰めたところで、自分にチャンスはまわってこないと予め釘をさされている。 「じゃあ、付き合ってみたらいいんじゃないか。好きになれるかもしれない。何がきっかけになるかわからないし、人をちゃんと好きになったことが一度でもあるなら、そういう付き合いをしてみてもいいと思うよ」 温は今まで告白されて付き合うばかりで、人を本気で好きになったことがなかったから、今度こそは自分から好きになろうと決めたが、きちんと誰かを好きになったことがあるならそういう付き合いもいい。 やっぱり瀬奈も、チャンスがほしいと言うだろう。 「他に好きな人がいても?」 「お前他に好きな子がいるのか? え、というか……」 ひょっとしてまだその「すごく好きだった人」をあきらめきれていないということだろうか。 「けど、望みはないんだろ。仕方ないんだろ」 「望みはありません。もう、僕はあきらめるしかありません」 「だったらお前を好きな子にチャンスをやれよ。好きになることも、好かれることも、何事も経験だぜ」 冗談めかして言うと翔太が痛々しげに微笑した。誰だか知らないが、本気で好きだったのだろうとわかった。高校一年生でも、大学生でも、大人でも、好きになるということには大差がない。本気で恋することを子供の恋愛だと笑えない。ましてやその高校生の少女を好きになった自分には。 「……そうですね」 翔太の言葉に、温は笑いながら胸が痛い、と思った。 |
| あとがき / 別にとりたてて書くこともないのですが……あ、そういえばこれ、実は2部構成になってましてですね、1部が約100Pなのですが、本当はコバルトに応募しようと思っていたという裏話があります。1部と2部はけっこう雰囲気がちがうかもしれないのはそのせいです。 |