ある異邦人の話 3





 その家は、森の中にぽつんと建っていた。街の中の家々と比べ、その屋根や壁の色はごく地味で、紅葉した森の風景によく合っているように思われた。センスは時として人柄を如実に示す。クレアはやや安心したが、一つだけ気になることがあった。家の前にかけられた札に、「科学者兼医者プラスアルファ」と書かれていることだ。
「ドクターいらっしゃいます?」
 マーフィがドアをコンコンとノックする。
「はい?」
 しばらくしてドアが開き、中から一人の男が姿を見せた。
 背の高い、若い男だった。自分より二つ三つ下だろうとクレアは見当をつける。彼はマーフィの姿を認めると、人の好さそうな顔で笑った。
「やあマーフィ。ずいぶん早いね。ドクターに何か……あれ、そちらの方は?」
 マーフィの後ろにいたクレアに気づいて、彼が尋ねた。クレアは会釈する。
「はじめまして。クレアといいます」
「まあ、クレアさんとおっしゃるんですの? そういえば私、お名前きくの忘れてましたわね」
 呑気に言ってマーフィが笑う。それから青年の方に向き直り、
「クレアさんは昨日ここへいらしたばかりなんですの。それで、ドクターにいろいろ教えてほしいのですって」
「ドクターに? それは……何というか、やめたほうがいいのでは?」
 彼はなぜか困ったような顔をしてクレアを見た。その理由を尋ねると、彼は背後をちらっと振り返って誰もいないのを確認した後、小声で答えた。
「あの人と話すとですねえ、たぶん不愉快になると思うんですよ。加えて言うなら、ええと、あなたは人間の方ですよね?」
 クレアがうなずくと、そうだろうという顔で青年は何度も首をたてに振った。
「それはやっぱりまずい。ドクターは年中無休で被験体を募集中です。人間が少ないっていつも文句ばっかり言ってるんですから」
「被験体?」
 何だか妙な方向に話が向かっている。この青年の言うとおり、今すぐ引き返すべきなのだろうか。
「でもせっかく来たんですもの。会わないで帰るなんてもったいないですわ。ねえ、クレアさん」
「ああ、まあ」
 クレアはあいまいにうなずいた。たしかにここまで歩いてきた苦労を思うともったいない。加えて、この世界のことを少しでも知りたい気持ちもやはり強い。
「そちらがそうおっしゃるなら……あ!」
 突然青年が大声をあげた。驚いてクレアが見つめると、彼はさっと手を伸ばしてドアにかかっている札をとる。
「まったくいつの間にまたこんなものを。せめて助手にしてくださいっていつも言ってるのに」
 ぶつぶつ文句を言いながら彼は二人の客を室内に招き入れ、少し待ってくださいねと言い置いて部屋を出ていった。



 マイケル・ステインと名のったその男は、中肉中背で、黒ぶちの眼鏡をかけていた。年のころは三十代半ば、穏やかで理知的な雰囲気を持っている。君たちには別に関係がない話だろう、と言ってマーフィと助手の青年――ヘンリー・エレファンという名らしい――を追い出してから、彼はクレアと向き合った。
「とりあえず名前を聞かせてくれるかな」
「デイヴィス・クレアです。ドクター・ステイン」
「デイヴィス・クレア?」
 ステインはくり返した。口元に手をあて、何かを考え込むような仕草をする。
「聞いたことがある気がする。どこかで」
「気のせいでしょう?」
 ややぎくりとしてクレアは言った。しかしステインは首を振る。
「僕に気のせいというのはありえない。僕がそういう気がすると言ったらそれは本当にそうなんだ。――ああ、思い出した」
 彼は手を打った。
「小説家のデイヴィス・クレア君だね? 二年と少し前にデビューした」
 クレアは内心たじろいだが、表面上は平静を装ってうなずいた。
「よくご存じですね。ええ、そのとおりです」
「君のデビュー作、あれは暗かったなあ!」
 やけに感慨をこめた声で、ステインはそんなことを言い出した。
「あの暗さ、重さ、あれはただごとじゃなかったよ君! どうしてこんな話を書く人間がまだ生きているのかと僕は思った。あれを読んで三日、はっきり言って憂欝だったよ。何もする気が起きなかった。おかげで世界は偉大なる才能を三日間失ったわけだ。反省したまえ」
「……はあ?」
「それにしても大問題なのは二作目だね。なぜいきなり恋愛小説を書くんだ君は? あれは君だろう? 同姓同名の別人ではないね? 僕は正直ぎょっとしたよ。また三日間悩んでしまった。ときに君は何重人格だね?」
 クレアは答えなかった。なるほどエレファン青年の言っていたことは正しいと彼は思った。たしかに不愉快になる。とても。
 そんなクレアの気持ちを知ってか知らずかステインはなおも続ける。
「君には悪いがそのことで相談に来たのなら、僕は力になれないよ。心理学は専門外でね。脳を開いて心が見えるのであれば喜んで専門にしたんだがなあ。残念なことだ」
「僕はそんなことが聞きたいんじゃありません」
 内心の苛立ちをおさえるのに苦労しながらクレアは言った。
「この国のことが知りたいんです。ここがどういうところで、僕がなぜここに来てしまったのか、それが知りたいんです」
「ふむ、それは難しい質問だ」
 ステインはうなずき、まあとりあえず座りたまえとクレアに椅子をすすめた。自身も手近にあったソファに腰かけて足を組む。おもむろに彼は言った。
「僕がこの世界をつくったわけではないから、もちろん完全にそれに答えることはできない。特に<ここがどういうところか>という質問には。したがってこれから僕が言うことは、主に<なぜ君がここに来たのか>について、しかも推測にすぎないということになるが、それでもかまわないかね?」
 まともな答えが返ってきたことに驚きながらも、クレアはうなずいた。
「ええ。どうか聞かせてください」
「うん。では言おう。クレア君、君は呼びかけに応えてここに来たはずだ」
「呼びかけですって? 何の話です?」
 クレアは眉をひそめて問い返した。そんなものを聞いた覚えなどまるでない。しかしステインは重ねて言う。
「いいや、聞いたはずだよ。思い出しなさい。君を呼ぶ声だ。いや、声ではないかな。映像のような、記憶のような、『ここ』で閃く感覚。直接頭に響いてくるイメージ。僕はそのメッセージの送り主を仮に<案内人>と呼んでいるが」
「<案内人>の、声……?」
 クレアは額を押さえた。そういえば、ずっと誰かに呼ばれていたように気がする。耳の奥に残る不思議に懐かしいあの声。いや、ステインの言うようにそれはすでに声でなく、母の腕に抱かれたようなあたたかな感覚。永遠の春のような。
「……ああ、ええ、覚えています。そうだ。たしかに僕は誰かに呼ばれた……」
 ふいに心を充たす懐かしい感覚に、彼は一瞬すべてを忘れた。自分がどこにいて誰と話しているのか、何をしているのか。このあふれそうな思い以外、何もかもがどうでもいいような気がした。
「――なるほど。さすがに小説家だな。君はずいぶん感受性が豊かなようだ。神経も細かいほうだろう?」
 クレアの様子をじっと観察していたステインが興味深そうに目を細めた。クレアははっと我に返る。
「神経が……何ですって?」
「いや、ただ神経質そうだと思っただけだ。なあ君、人類の発展に貢献してみる気はないか?」
 やや身を乗り出すようにしてステインがそんなことを言いだす。クレアは非常に嫌な予感がして反射的に首を横に振った。
「申し訳ありませんが、怪しげな実験の被験体になる気などは、まったくもって」
「む。エレファン君が何か言ったな? まったく余計なことを」
 クレアの想像は当たっていたらしい。残念だ、君のような人間こそ理想的なのに、と何やら呟いているステインを、彼はそら恐ろしい気持ちで見つめた。
「ああ、まったく残念きわまりないよ。どうもここにいる人間たちは妙に無神経で嫌なんだ。しかも君、エレファン君にいたっては何も考えていないし悩みなど逆さにして振っても出てこないくらいなんだ! あんな図太い人間は僕の繊細な研究には不適格もいいところだ。超強力泣き薬を飲ませてもくしゃみ一つしかしやしない」
 日頃思うところが多いらしく、放っておいたらいつまででもしゃべり続けそうな勢いである。クレアは無理やり話を戻した。
「それで、その<案内人>というのはいったい誰なんです?」
「君、それを知っていたらいちいちそんな呼び方はしない」
 もっともだった。ステインはとりあえず自らの研究のことは忘れることにしたらしい。足を組みかえ、彼は続けた。
「僕が思うに、<案内人>の声は、ふつう人形たちにしか聞こえないのだろう。心を持った人形たちにしかね。ただ例外的に、その声が人間にも聞こえることがある、と」
「心を持った人形?」
 クレアは眉を寄せた。そんなものはいないと思ったのだ。
 するとステインはにやりと笑った。
「認められないかね? しかし僕はそういうことは大いにありうることだと思う。つまり、ある動かざる何ものかが、突然生命を宿すというようなことが。きっかけは何でもいい。偶然でも、奇跡でも、あるいは持ち主の愛情でもね。どうだい、ロマンチックじゃないか? 君も小説家なら賛同してくれたまえよ」
「しかし実際、僕は心を持った人形など見たことがありませんし」
「見てるじゃないか。ヒューやマーフィを」
 クレアが答えにつまると、ステインはブラウンの目を細めた。「それとも」と彼は言った。
「それとも君は、まだこの世界が夢だなどと思っているのか? ならば安心しなさい。これは現実だ。少なくとも、君がそう信じてきたものと同じ程度には」
 この医者は苦手だ、とクレアは思った。心の内まで見透かされているような気がして落ち着かない。この世界が夢だなどと思っているわけではないのだ。こんなリアルな夢はありえない。しかし現実だと信じきれないのも確かだった。どちらとも違う何か、これが一番正しいような気がしている。
「先ほど、<案内人>の声は例外的に人にも聞こえる、と僕は言ったね」
 ステインの言葉に、クレアはうなずいた。
「いったいどのような人間がその『例外』なのか、君にはわかるかい?」
 そう言われて、クレアはこの世界で会った人間たちを思い浮かべてみた。人形作りのシドに、大工とその妻、子供たち。それに今目の前にいる医者とその助手。加えて自分。シドはどうもこの世界の始めからここにいるようだから、やや特殊としてもいい。大工の子供たちもここで生まれ、<案内人>に呼ばれたわけではないから除外できる。残るのは五人。共通点などあるだろうか?
「……いいえ。わかりませんね」
 クレアは首を振った。共通点を見つけられるほど、まだ彼らのことをよくは知らないのだ。
「僕ははじめ、もとの世界を逃げ出したがっている人間だと思った」
 自分自身に確認するかのようにゆっくりとステインは言った。世界から逃げ出したがっている、と心の中で呟きながら、クレアは彼の次の言葉を待った。
「だが今は少し違う。そんな人間ならいくらでもいるんだ。だからそうではなくて」
 彼は心持ち首を傾け、ほとんど独り言のように続けた。
「この世界を、愛してくれる人間ではないかと」


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